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蟬
失くなつた児童公園の ブウランコの四ツ足の穴ぼこ プラタナスの梢 蟬、鳴いていますね あぶらでせうか、くまでせうか、 ひぐらしでせうか、、、 蟬、 鳴いています児童公園の穴ぼこで 幾千日分の憂さを あぶらでせうね、ほらね、 jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…ji わざと 異があるやうに 腹弁を震わせていますよね 蟬、鳴いて 失くなつたものは ものでなく 人か 夏
蟬 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1622.5
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-15
コメント日時 2025-01-30
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


相変わらず擬音の部分が冴えてますね。 「ブウランコ」というのは、ブランコのことでせうか。
0ケイ紅井チャマ!うんそーそー、ブウランコはブランコのことですよーこれ書いてる頃は擬音がマイブームでしたかねーまぁ誤魔化し誤魔化しやってますよー
0三明十種様,おはようございます。 蟬、鳴いて 失くなつたものは ものでなく 人か 夏 の部分が好きです。 夏の終わりに蟬が飛び狂って いると、とても怖いです? 避けようとして、転んだことを 思いだしました。
0キャバのクラの西川く~ん!どーもどーも、部分丸ごと好き好きだとは書き手冥利に尽きますですますよーここビーレビに出すときに「このラインはいけるのか?いけないのか?」自問自答してますですよー今回もスッカスカのサイレントなのでどうなのかなーと迷いましたけどねーありがとうございました。
1情景として最低限、だからこそ多く語りだす。ブランコの穴凹はそこに確かにしっかりとあった足跡、楽しかった記憶、根付いてしまった軌跡のようなものか。いま、空虚にポッカリとあいてるのだろうか。否が応でも子供の頃のあの懐かしい公園がありありと浮かんでくること。蝉自体が多層な意味を持つ、土の中で長く過ごし、鳴くときは死の間際だ、子孫を繋ぐためでもあるが、まあそういった事柄をどこまで踏まえるのか、想像してしまえるか…… 三連目は油を売る、ということもかけてる?異があるようにとは??死の間際か。上手く読み取れてない気もするけど、まあ呑まれる文面であるからね jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…ji ←コレ ジジイか?? なんてどこまでも考えることは可能に思った。 >蟬、鳴いて/失くなつたものは/ものでなく/人か/夏 読みては詩の内側に入り込み、最終連になにをおもうのだろうか
0どーもどーも、まず僕は情景探りから始めないとねー同じよーなもんばっか掘り出てくるけどねー古今東西「蟬」題材はたくさん蟬の数ほど有るよねーずっと思ってたのがいずれは「蟬」でひとつ書いておきたいとゆーこと!あれですよ、あれ、題名一文字は勇気が要りますよー「花」「命」「愛」「犬」…なかなか勇気が要りますねー所々に老獪ないやなところもなきにしもあらず、余白余韻逃げているといわれればぐぬぬですがねーまあ鳴かせておいてくださいまし… jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…jijijiji…ji いわれてみれば、爺様が杖ついて歩いているようにも見えますねーコメントありがとうございました。
0文化あればこその夏祭りや公園や人ですね。
0仰有るとーりですよねー僕もコロナ前は祭のときに○○音頭を市民のみなさんと大通りで踊ったものですよー去年の蟬はすくなかったよーな、湖湖さん、感想コメントありがとうございました。
1遠い過去の。古ぼけた写真のような、記憶の奥底にあって、もう取り戻せないけれど、かつて確かにあった光景を、今、あるかのように浮かびあがらせているように思います。
0はじめましてなのかな、はじめてではないような気もしますが、ryinxさんの(Silver Pale Blue Violet) を拝読させていただきましたよー公園や石炭が出ていましたねーいい詩だと思いましたよー懐かしがってばかりいますよねーまた違う視点で書ければいいのだけど浮かんでくるのが良くも悪くも昔日なのでねー囚われですねー感想コメントありがとうございました。
1蝉が夏の風物詩で、蝉の鳴き声が失くなると夏も去る、そんな人々の認識。そして、自然以外の、移り変わりには、待ったをかけたい、そう訴えるような詩。 蝉は抜け殻や死骸が目に見えるのだが、ブランコは「穴ぼこ」としてしか残らず。次第に忘れていければ楽なのだろうが、児童公園は健在のまま。不自然にブランコだけが抜かれている。そしておそらく、蝉のようにブランコは二度と戻ってこない、不可逆。 蝉の「異」は警鐘でしょう。そして本来なら、「子供たちの声」なるものが代表して聞こえてきても良いはずなのに、「蝉」がそれを請け負っている所が皮肉。 「jijiji」という鳴き声の弱々しさも相まって、ブランコの喪失にやるせなさが強まる。良い詩でした。
0おおおおおミハイさんやん!そーいえば今年は蟬の抜殻も死骸もあんま見てないですねー鳴き声は聞いてましたが、作業も外が多かったのにねージャングルジムの足の穴ぼこはいったいいくつなんだろーと、(僕の中では)夏はおわらないようですねー情景と心象の配分、叙景と叙情、まぁとにかく夏は厄介だとゆーことです!また何か分かればご報告します!コメントありがとうございました。
1最近、蝉全体が少なくなって居る様な。秋の蝉である、ヒグラシやツクツクボウシなどは特に少なくなっているような。自然破壊の結果なのかもしれませんが。人や夏の喪失は、何か再生を願っているような。喪失と再生の物語の詩なのかもしれません。
0どーもどーもエイクピアさん!蟬全体数減ってますよねーそういいながら今年あたり大量発生しちゃったりしてねー喪失喪失再生喪失喪失再生…とケンケンパケンケンパのリズムで繰り返します。コメントありがとうございました。
0作者が 「幾千日分の憂さを」 を、というとき、眼前にあるのは蝉の死に際なのだけれど すべての季節は、この夏の蝉の死をピークとしてあるのではないか と錯覚させるテクニックが素晴らしい。 「失くなつたものは ものでなく 人か 夏」 というのは、きっと中也なのだけれど、かの夭折詩人に 蝉をダブらせて想起させる着地も巧みです。
0そーですねー人生におけるピークはやはり夏だったかもしれませんねー思い起こすたびに蟬しぐれが鳴りやまずですねー蟬に惹かれるのはどうしてなんでしょうねー幼少期にいちばん慣れ親しんだ昆虫だからでしょうかねー紋白蝶やゴマダラカミキリよりアブラ蟬なんですねー僕は山口県出身なので中也のことはやはり気にもするし詩を書くきっかけでありますからねーここでは田中さんとは始めましてかなーコメントありがとうございました。
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