黄色の足跡 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

「中央公園より」

わかりあえなくたっていい

人種、国籍、性別、年齢、人間同士のわかりあえないディスタンス、そんなことよりも、おたがいに笑っていよう、ここはみんなの公園だから——

沙一

わたしの髪は生きているのか……

心を亡くしてしまいそうなときに

ささやかなお洒落をたのしむ、それは自分が自分であることをわすれないために、ひつようだったのかもしれない——

沙一

angel coffee?……

一瞬と、永遠

幸せなコーヒーと、降りやまない雨、好きな人といるとき、あなたならどちらを選びたいですか?

沙一

食べ物と死ぬ人

目が付いているうちに読みたまえ諸君

傑作。 目が付いているうちに読みたまえ、諸君。他に言うべきことはない。

石村利勝

別れ

余りにも挑戦的、だがそれがいい

数ある一行詩の中でも、想像力/表現力がとても高い作品。最初は(え、これだけ?)と感じることだろう。しかし、これだけ?からの作中世界の広がり方は、これだけ?発言が恥ずかしくなるほど広すぎるのだ。

ふじりゅう

ママンへ

散り際にも見えるママンの後ろ姿

無駄なくそつなく、それでいて大胆にママンに語りかける。「ママンへ」あなたはこの書き出しで何を思い、連ねますか?

stereotype2085

名残の雪

美しいと思える作品だった

美しい空間を、踏む。踏むことで、汚す。踏むことで汚す、明示のされない寂しさ。本作にとって、雪を踏む行為、それだけが個の存在の証明なのだ。

ふじりゅう

例えば鳥の教え

色が付いたばかりの映画のように

情景の転調あるいは繋がりが「色彩」を基調にして、境界をあいまいにしながら広がる。

鈴木歯車

おかあさん

史上最強のタイトル回収

本文たったの6行、造作もなく読み切れ、詩人よ。 そして再度タイトルを見返し驚愕せよ、詩人よ。

さ、さ、さ、

空なんか見てんじゃないよ

淘汰

この詩はあるタイプの詩と詩人を淘汰するべく書かれている と言えば言い過ぎか。 要注目。

stereotype2085

はずしわすれた風鈴が鳴る

やさしくせつない短歌集

かたづけられない想い出、それでもめぐりくる季節——

沙一

春風に吹かれてる

だいじょうぶだあ

《なんてこたあ ないんだよ》 天国から呼びかける声が、聴こえる。

stereotype2085

永遠の反射

名作?それともただの習作?

ただの習作なのかもしれない。が、ここには作者当人も気付いていないかもしれない、天才がいる。俺の直観は当たるんだよ。人生で二回くらいは。

石村利勝

こんにちは まっさらな世界

「まっさら」の優れた表現

あなたの世界も「まっさら」ではないかな? 「まっさら」なのに、書けますか?

南雲 安晴

imagine

パンチング。

今からリーディング界隈を、ノックアウト。

stereotype2085

はっかといちご

詩における視覚要素の決定版

いわゆる視覚詩的なものは作ろうとするとパッと見の奇抜さで満足してしまい、それを行った理由に乏しくなってしまうことが往々にある。しかし「はっかといちご」はその域を超え、結晶の造形だからそこの効果を成せている。

渡辺八畳

独言少女

いつも終電に間に合う人生生きてますか

少女の独言は胸に刺さる。というか萌える。条件があって、少女は本当に少女でなくてはならず独言は本当に独言でなくてはならない。なのでこの詩は刺さるし萌える。

石村利勝

MY 9090 OF NO……

最先端ノスタルジア

なつかしみが 超えてゆく 未来という名のノスタルジイ 

真清水るる

骸骨スフィア

プラトニックな求愛の舞踏

ほろびたゆえに、もうほろびることのない、永遠の愛。それは、幸せか、囚われか——

沙一

人魚性

海、たましいの故郷

素直さゆえに、なじめない人間のせかいにたいする、異邦のかんかく——

沙一

宇宙飛行士の解剖

死因は、孤独

二重の夜に、追い詰められた、かれは、涯のない闇のなか、吊るされた——

沙一

家庭の檄文

悲運

そこには笑顔の絶えない、家庭があった。

stereotype2085

あす

ミのシャープはファ

「ミのシャープ/響かせる笹舟にのせて/送り出してみる」って、やりますねえ。ひねりが利いてて鮮やか軽やか、清新なリリシズム。これぞ令和の”もののあはれ”じゃないですか?

石村利勝

バナナはおやつに入りますか

たもつワールド全開

これはバナナですか いいえ詩です たもつザ・ワールドです

羽田恭

TOKYO

不良天使の幻像

広大さと、小さなもの、神聖さと、世俗的なものの、コントラストに富んだミニチュア——

沙一

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黄色の足跡    

   1 蒸し暑い夜がつづいていた わたしは 嬉々として 猿を殺している夢を 夜ごと見ては 目覚める度に 硝子が砕けるように 怯えていた か細い手を伸ばすと 地味な窓から 裏庭の空き地越しに見える マッチ箱の家のつらなりは 指先から朝焼けになって 赤く血の色に染まっていた 少年のわたしは 母と二人しかいない時間に 震える手で 母の手を握りながら 秘密を語りはじめると やがて わたしの身体は 母のやわらかい胸に溶けていった           2 そこは 風がない 月がまったく出ていない暗闇の夜であつた 石づくりの侘びた橋から望むと 一面 白い睡蓮の花が 鮮やかに咲き誇っていた そのなかを数匹の猿をひきつれた 大きな一頭の黄色い猿が 父母に襲いかかっているのである 鋭い爪で 母の衣服を剥ごうとしている 父は母を守ろうとして 大声で懸命に懇願しているが 猿は 激しい威嚇の叫び声をあげている 衝動的に わたしは 鋭利なナイフをもって 背後から 黄色い猿を刺した 何度刺したのだろう  わたしは 粘っこい汗をかいて 眼を覚ますのだ その度に 母は 猿の腹部の肉をきざんで 大きな鍋に入れた 母が調理する猿は 純白な皿に盛られていて 鮮やかな黄色をした猿を わたしは ためらいもなく食べた 海鳴りのように 街の背中から 猿たちの苦悶の顔が 押し寄せてくる    3 仄暗い待合室に 窓から 黄色い閃光がさしている 「暖炉のような家庭」と書かれた夥しい貼り紙が 壁一面に貼られていて 通気孔の風にゆれている 病人で熱気を帯びた朽ちかけた天井は 罅がはいっていて 間断なく水滴が床に砕けている 出来た水たまりは 流れになり  すこしずつ地下への階段におちている 待合室には 一枚の絵画が掛けてある 絵の中央には 多くの葉をみずに浮かべた  一輪の白い睡蓮の花が咲いている 花は錐のような視線で わたしを じっと見ている 部屋を照らす蛍光灯は 節電のためか 異様に暗い なぜか わたしたちは 一列に並んでいる 出来た長い行列の 最後部にいた わたしの  すぐ前には この世に未練はなく 死を待ち焦がれて愛おしむ老人がいる 八月十五日の安らぎと亡霊の日々を認めず 洗っても落ちない鮮血の手を頬にあてている すでに事業に失敗し 家族は離散してしまっているのだ その前には 受付のテーブルに置いてある 鋭利なカッターを一点に見据えて 顔を凍らせる少女がいる 禁断の花が 渇いた手首に何本も咲いている その前には 遠い学生の記憶をなつかしんで饒舌に語るが  麻薬常習者で ときに幻覚を見て  老人のような衰えた膚を晒した 一度死んだ男がいる 三度の堕胎を繰り返して 子を産めなくなった  一度死んだ妻が その男のために 死んだ子供の名前を  お題目のように唱えている その前にいる 多くの病人は 首はうなだれて 猿のように奇声をあげたり 意味不明な言葉を ぼそぼそと呟いている わたしは いったい何の病気なのだろう 身体からケモノの臭いがはっしているような気がする 傍では はり紙が激しくゆれている 病人のつぶやきが ひとつひとつの断片になり 水滴のにおいを帯びて うな垂れた雨音のような足もとから 流れていく やがて 看護師が来て 患者たちの名前の確認を済ませると 死人のような病人の列は 待合室の奥にある 螺旋階段を昇っていく わたしは、階段を昇れば昇るほど 口は 砂地の渇きを感じ 黄色い受付券を握りしめては  意識は 泥に浸かる鳥のように沈んでいった なぜだろうか 薄ら笑いを浮かべる病人の前を 薄い靄が滾々と湧きあげている 灰色の空に映る葬祭場の煙のように 掴めない救済の霧のように わたしの手足は 卵のような滑らかな治癒を渇望しているのに どこまでも続く歩みの列は いまだに見えてこない診察室から 漂うエタノール液の臭いに 実験用の猿のように顔をひたしている この列の前の方から伝わってくる話によれば 診察を受けた人は 必ず 首を絞められて猿のような叫び声をあげるという それから 鉈のようなもので肉を切っている音がするという そして 彼らは 戻ってきたことがない わたしは怖くなったが 誰も帰ろうとしない むしろ 嬉々としている 怯えながら待っていると  とうとう わたしの番が来た  頑丈そうな診察室のドアを開けると そこは 広々とした平原のようだった 一面 白い睡蓮の花が咲いている 風がない 月も出ていない暗闇の夜であった     4 ものに掴まりながら 杖を使わないと もうひとりで歩くことが叶わない母は 介護ベットで就寝をしていた 8時になり 目が覚めたのか 起き上がって髪を梳かしている 今日も 母に食べやすいように 御粥でできた 朝食を出さなければならないと思う 支度をしていると ざわざわと音がするので 振り替えると 壁付の大きな鏡越しに 一頭の黄色い猿がすわっていた もう弱々しいが 杖を携え 神々しいほどの聡明な視線だ


作成日時 2017-08-17
コメント日時 2017-08-25

黄色の足跡 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 17
P V 数 : 262.0
お気に入り数: 0
ポイント数 : 0
項目全期間(2020/07/05現在)投稿後10日間
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2020/07/05 15時46分45秒現在
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    作品に書かれた推薦文

黄色の足跡 コメントセクション


コメント数(17)
前田ふむふむ (2017-08-17):

こんにちは。はじめまして。 始めて投稿させて頂きました。ご批評、よろしくお願いします。 過去作を少し、推敲し直して出しました。

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前田ふむふむ (2017-08-19):

あの、あの、どなたか、ご批評してください。つまらない、何言っている分からない、良くない出来だとか、何でもいいです。 宜しくです。

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花緒 (2017-08-19):

初めまして。ざっと一読し、かなり入れ組んだ作品であることはすぐに分かったので、ちょっと咀嚼してからレス入れようと考えていました。おそらく、同様のスタンスだった方も多いような気がします。正直、様子見てからレス入れたかったけれど、とりあえずライトレスをつけます。 1連 私は猿を夢にみる。私は夢の中で少年である。 2連 少年である私は猿を殺し、母が料理する。 3連 猿のような人たちが死を待っている 4連 猿が母を見ている というような、わたしと猿が混じり合っていくという構造。 猿は死の象徴であり、また、母に死をもたらすものであり、一方で、<わたし>と重なり合うようでもあり、一意的に読めるものではありません。しかし、大まかに言って、猿に取り込まれていく2つの力学を感じます。一つには、死の象徴である猿が、当初は殺されたり、料理されたり、コントロールされていたのが、次第に登場人物たちが猿へのコントロール権を失っていき、猿と登場人物の境界が曖昧になっていく方向。もう一つには、夢に見られていた猿が、次第に、登場人物たちと重なり合っていくという、主体、客体が曖昧になっていく方向。 複雑な構造を取り込みながら、ジャパニーズホラーのような、悪夢のような、昔話のような手触りのある作品ですね。スクリーンで読むことを考えるなら、3連を中心に、やや読みにくさが残る作品のようにも感じます。

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前田ふむふむ (2017-08-19):

花緒さま、ご批評くださりありがとうございます。 初投稿です。 今後ともよろしくお願いいたします。 僕は、自分のなかに、いつも怪物がいると思っています。 それは、時に邪悪であり、神々しかったり、 姿を変えたり、隠れたり、あらわれたり、 でも、この怪物は、人間の持つ喜怒哀楽の感情などではなく、 僕にとって、表層的なものの心の奥底に住む「何者」かなのです。 その言葉にできない、「何者」を、言葉でどう表現すればよいのか、 この詩を書いた動機です。 元々、自分ですら、説明のつけられないものなので、 読み手には、なおさら理解不能になるかも知れませんが、 書き手を離れて、拙いテキストは、 読み手の解釈に身をゆだねるのですから、 それは、僕にとって新鮮なことです。 ジャパニーズホラーのようなかんじとか悪夢とか、性根が根暗なので、 そうなってしまうのかもしれません。 僕の詩は全般的にそういう傾向にあります 猿は、死の象徴というのは、このご批評を読んで 新たな発見でした。 それから、第四連は「鏡ごしに私が 母が猿に見えたのです」が 「猿が母を見ている」と読まれたのは、不思議な驚きがあり、そうも読めると思いました。 また、読みにくいとのご指摘、今後の詩作の参考にしていきたいと思いました。 ありがとうございました。

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まりも (2017-08-19):

〈硝子が砕けるように〉怯えながら見る夢。その夢から目覚めているはず、なのに、現実の裏庭から見える光景が〈指先から朝焼けになって 赤く血の色に染まっていた〉指さすと血の色に染まっていく、ように感じてしまう。まだ、夢の中にいるような、目覚めていないような感覚ですね。その感覚を受け止めてくれる〈母のやわらかい胸〉そこに抱かれる安堵。 安堵の世界の話が続くのか、と思ったら、その安堵を奪う、悪夢の世界(一連目)の内容が明かされる。ある種のエディプスコンプレックスが夢となって表れている、と「解説」することに、果たして意味があるのか、どうか・・・ 〈母〉が襲われるのを助けるのは、〈父〉ではなく、〈わたし〉。〈わたし〉が殺すのは、〈父〉ではなく〈大きな一頭の黄色い猿〉・・・本来は、〈父〉を(観念的に)殺さなくてはいけないのに、代替物としての猿を、繰り返し殺しているように思いました。その〈猿〉を、〈母〉が調理して、自分に食べよ、と差し出す。これもまた(父の代替物であればなおさら)恐怖であるはずなのに、ためらいもなく食べる、これもすごい。 2連では、〈黄色〉は悪のイメージですが、3連では〈黄色い閃光〉として現れる。「暖炉のような家庭」もまた、黄色やオレンジの暖色をイメージさせますが、閃光、刺しいるものとしての鋭さは、心地よい暖色の黄色ではない。待合室は、死の前に滞在する、待合場所なのでしょうか。最後の審判を待つ前に。家庭とは、かくあるべし、そんな「強制」を吹き込まれるような、そんな場所、なのではないか・・・という気もしてきます。心身を病んだ人たちが待たされる場所、〈治療〉をほどこされる場所・・・死による救済、それが〈治療〉なのだ、という、ある種の諦念も感じる部分です。〈診察を受けた人は 必ず 首を絞められて猿のような叫び声をあげるという〉治療が、〈猿〉として殺され、食べられてしまう、前半部分に回帰するイメージになっているところが、確かに入り組んでいるように思いました。2連目では〈猿〉はエディプスコンプレックス的な意味での〈父殺し〉の代償物として描かれていますが、3連では、花緒さんのように〈猿は死の象徴〉と読むこともできそうです。同時に、誰もが抱えている殺すべきなにか、の寓意でもあり、自分たちがそのものとして殺されてしまう(自分の中の対峙/退治すべきなにものか、を乗り越えようとして、自分自身がそのものになってしまう、飲み込まれてしまう)そんな恐怖や不安を描いているように思いました。 4連。〈母〉の介護をしながら、鏡に映った自分を見ている、のでしょうか。自分の中の猿、が映り込んでいる、と読みたいのですが、同時に・・・杖を必要とする母が座っている、という情景があるので、母そのものが、猿として鏡に映っている、とも読めますね。 自分がやっつけよう、退治しよう、乗り越えよう・・・母を襲う、憎き猿、と思っていたものが・・・実は母の実体でもあり、それは悪意を持ったもの、ではなく、実は〈神々しいほどの聡明な視線〉を持った猿、である。 自分が殺そう、殺さねば・・・と思い続けていたものは、実は、悪ではなく、人間本来の姿であったのではないか。その神々しさに、老いた母の姿を通じて、語り手は気づいたのではないか・・・そんな、自身の葛藤との和解を本作の中に見出せるように思いました。

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前田ふむふむ (2017-08-19):

まりもさま、ご批評ありがとうございました 上手に読み込んで頂き、ときには、自分自身のあられもない姿を 暴かれているようで、 ドキドキしながら、ご批評を読ませて頂きました。 僕の多くの詩には、今回のように、「父」「母」がたくさん出てきます。 そのいろいろな父や母の姿、それに接する語り手の「私」は、それぞれが違う感情(自分でも分からない感情も含む)や意志を 示しています。そしてそれは、自分では、詩を書く上で、とても大事なテーマでもあると思います。 この詩は、「猿」という比喩が余りにも、極端だったので、 こういう詩は、一種の冒険でした。 でも、この詩の、語り手の、こころの中の葛藤を読み込んで下さり、 本当にありがとうございました。

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ハァモニィベル (2017-08-22):

はじめまして。よろしくお願いします。 ホラーではなく、ダリ風のシュールレアリスムな感じ漂う作品です。こういう作品を書く書き手は、自身の文学的特徴をきちんと読み込んでもらえないと、書く度にがっかりするのではないか、と(わたしなどは)推察します。 作者は3つの層において文学的に捉えた人間観(日本人観)を、自分でもよく分からないものとして(つげ義春風とでもいうんでしょうかね)描き出しています。若干、借りて来た要素が多くて、前田文学とまで言えないのが残念といえば残念なところです。 * 途中で間延びしてしまうのも、わたしが読んでいて残念なところでした。この作品のキーワードは、「黄色」と「猿」ですが、さり気ない「黄色」と違って、メインの謎として提示されているのが「猿」です。 この謎が、だいたい敏感な読者には真ん中くらいで分かってしまう。途中で犯人分かってしまったミステリ小説のようなものですね。読者は飽きてしまう。それなのに、飽きさせない工夫が施されていません。作者は、まだわからないだろうと思って、謎をつづけてしまっているので、3以降が退屈です。ただ、ここが本当は上手く書けていないと、「黄色」の含意が読者に伝わらないでしょうね。 「猿」は、 「白い睡蓮の花」と対比されるような、人間が抱えている本能的・本源的な醜さですかね。それを強く意識させるキーワードですね。ヒトののシャドウ。それでも高い知能がありますし、何より、人間は自分自身が猿ですからね。どうしたって否定できない直面するのは恐ろしい部分なわけです。夢や鏡を通してしか見たくない。 わたしなら、たぶん、こういう認識は、『詩を書くサル』というタイトルで、評論的な詩作品にします。でも、前田さんは、こういう作品を書く。そこに私との違いがありますね。 「黄色」(タイトルにも使われている) に籠められた印影については、二年前に、わたしが別の作品についてネットでコメントしたことがあります。自分の文ですが、必要なのでここに引きます。 ●――――――――――――〔引用開始〕  「色」はもともと、色々な意味で面白いのだけど、ご存知の様に、日本語の色には、<アカ、クロ、シロ、アヲ>しかなかった。その後、古代人もさすがに語彙を少しづつ増やし、植物などからとる染料顔料の色名などが増えていく。チャイロ」「ミドリ」などですね。 ・・・・  ・・・ この色古語の新旧の差異は、〔アカシ、クロシ〕(今だと、〔赤い、黒い〕)/〔チャイロナ、ミドリナ〕という時代の用法の違いに反映している。黄色も、新しい言葉なので、キイロシとは使わず、江戸時代まで〔キイロナ、キイロニ〕という用法で使われてきた。(現代、茶色い、黄色い、と使うのは語のリズム感からの創発変化らしい)  黄色は、万葉集にはみえず、明治維新の頃から、「黄色い」という使われ方が現れる。 ――――――――――――●〔引用終了〕 この点をイメージに入れると、 「黄色」+「猿」は、明治以降の日本人(つまり、近代日本人) とも読めますね。 わたしが、3つの層において捉えた人間観・日本人観だろう、と言ったのは、 1つには、まず、母親という一つの対象に対して、その「猿」を見て苦しむ。 2つには、おのずと、自分自身の中にも「猿」を感じて(抱えて)苦しむ。 3つには、日本の社会、世間一般にも、その「猿」の姿をみて苦しむ。 それが、シュールな夢という味付けで展開されていく、そういう作品だと思います。 わたしの勝手な読みですが、以上によれば、 ラストに鏡に映った猿は、 自分でもあるように描く方がよく、母親だとして描いてしまうと、 作者が、人間の「黄色の」「猿」の部分に対して、苦悩よりも受容的であるのが明らかなので、 作者の苦悩の方には共感できなくなってしまいます。 わかりやすく言うと、《人間は醜いものさ・(理性あるいは倫理的に)弱いものさ》ということを引き受けていくというか、噛み締めていく、というカンジでしょうか。ただ、そういうポーズは、最近はやりの大衆に媚びるTVの風潮と本質的には同じです。大衆は弱さを攻められないこと、平均でよいと言われることに安心するからです。ならば、文学が衰退するのは当たり前ということになる、と、(わたしには)思える。そういう感じがしてくる微妙な違和感がそこにはあります。 なので、もっと「猿」を効果的に使う必要があったかもしれません。 猿の中で猿でいることは苦にならないからです。 《猿70%》さん達の中で、一人《猿17%》でいるから辛いのです。 ただ、この作品は、作者が、家庭環境のなかで葛藤してきたことの詳細を読者に悟られること無しに、作者自身は告白ができており、そんな、《黙秘の文学》として詩を利用している、そんな作品のようにも思えます。 (以上です)

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前田ふむふむ (2017-08-22):

ハァモニィベルさん、こんにちは。 いろいろと、丁寧にご批評頂きありがとうございます。 では、勉強させて頂きます。 イメージですね。 そうですか、シュールにみえるのですね。それは、新鮮な発見でした。 ありがとうございます さて、 ご批評の中で、気になったところから、お話していこうと思います。 「若干、借りて来た要素が多くて」 世の中には、昔から、何万、何十万の詩や物語があるので、 完全なオリジナルなど、書こうと思っていませんし、書きようがないと思います。 必ず、どっかで見た部分があるはずで、 逆に、まったく同じようなものを書いたとしても、別人が書けば、 絶対同じものができないのも事実だと思いますが。 でも、 そんなに借り物地味て読めると思うと、少し考えてしまいます。 ふむ 「自分でもあるように描く方がよく、母親だとして描いてしまうと」 と仰っていますが、 僕は、母が猿であると、どこにも書いていません。 母の座っている所に、鏡ごしに、猿がいたように見えただけです。 語り手の私が、錯覚でそう見えたのかもしれませんし、 そして、なぜ、そう見えたのかも、説明していません。 そもそも、この詩は、長々と書いていますが、なにも、説明していないので、 猿が、何者か、分かっちゃうのが、逆に、僕は、驚いています。 答えを出さないと納得しない方のようなので、 詩を書く方というより、散文を書いたり、ご批評されることを主とされる方のように 拝察されます。 次に「引用」の部分ですが、丁寧に書かれていて、色の歴史は 知らないことで、とても勉強になりました。 でも、 この詩では 僕は、そんなことは、どうでもいいのす。 そもそも、黄色でなくても、赤でも、青でも、緑でも、何でもいいのです。 たまたま、黄色でもいいかな、という感じです。 また、猿ですが、別に猿でなくてもよかったのです。 牛でも、犬でも、猫でも、 まあ、猿で行こうか、という感じです。 でも、そういう風に読まれるというのは、書き手としては、とても勉強になります。 「作者が、人間の「黄色の」「猿」の部分に対して、苦悩よりも受容的であるのが明らかなので、 作者の苦悩の方には共感できなくなってしまいます」 ここでも断定されるのですね。 作者が、書き手、語り手のどちらを言っているのか、分かりませんが、 なぜ「明らか」と断定されるのか、またできるのか、僕はわかりません 語り手の<私>は、苦悩しているのでしょうか。何を受容しているのでしょうか 怯えているからかもしれませんね。 ここでは、子供の<私>が猿を殺す夢を毎日のようにみれば、ふつう怯えて 怖くなるでしょう。それを書いただけです。 それだけのことです。説明ではありません。、 受容と読めるのは、発見でした。 「この謎が、だいたい敏感な読者には真ん中くらいで分かってしまう。途中で犯人分かってしまったミステリ小説のようなものですね。読者は飽きてしまう。それなのに、飽きさせない工夫が施されていません。作者は、まだわからないだろうと思って、謎をつづけてしまっているので、3以降が退屈です。ただ、ここが本当は上手く書けていないと、「黄色」の含意が読者に伝わらないでしょうね。」 飽きてしまうのは、僕の力不足かもしれません。今度は飽きないように書いてみたいです。 御口汚しでしたかも。です。 ただ,3連目は、その変な病院を、本当に変だということを書きたくて、 淡々と、しつこいくらい書いているので、 飽きてしまうのでしょうね。それと、語り手は、この変な病院が とても気持ち悪くて、帰ってくる人がいないので、怯えているだけとおもいますが、 書き手は、怯えているとしか、書いていません。 「ただ、この作品は、作者が、家庭環境のなかで葛藤してきたことの詳細を読者に悟られること無しに、作者自身は告白ができており、そんな、《黙秘の文学》として詩を利用している、そんな作品のようにも思えます。」 ありがとうございます。そういう読みも魅力的ですね。 勉強になります。 ただ、母が年寄であるという以外、作り話です。猿の夢なんか、見たこともありません。 この詩は、何か(何者か)を書いているとして、読み手が独自に読んで頂ければ、幸いなわけで、 何にも言っていないといえば、まあ、そうかなというような、 何の説明もない、不親切なテキストです。 また、詩というものは、本来、説明を書いてはいけないものだと、思っているのです。 そういうことを教わりましたので。 (詩の形態により、説明する場合も勿論あるとおもいますが) 長々と、初めての御方に、無礼な物言いで、不快に思われたら、 ほんとうに、ご容赦ください。 批評の場は、ぼくにとって、真剣な勉強の場でありますので、 また、お互い様、勉強であると思いますので、ハァモニィベルさんのご批評で 大きな収穫がありました。 ある種の、苦悩とか、葛藤を、余白の部分から読み解いて、頂いているので。 有難うございました。感謝。

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ハァモニィベル (2017-08-22):

前田ふむふむさんへ 私も長々とコメントを書く以上、真剣に読んでいますので、それに対して、お体裁でないお返事を頂けて嬉しいです。 私のコメントにも書き手の趣旨がありますので、 「ダリ風のシュール」と断っているのを「シュール」と断定的に裁断されるのは、 明確にするため、というよりは、曖昧な詩の世界的な捉え方なんでしょうか。 私は、批評畑の人間なわけでなく、何畑の人間でもない悲しいシロートですが、 批評コメントを書くときは、批評的に明晰に発言するだけです。 >僕は、母が猿であると、どこにも書いていません。 作者の意図としては、曖昧にした筈だ、ということでしょうかね。 曖昧になってないので、そこは不味いな、と正直に、(わたしの)意見を述べました。 私が、明確に書くのは、議論が錯綜しないようにという配慮のつもです。 わたしは、《母親のこと》と書いてしまっている感じがする、と言い、 作者さんは、「どこにも書いていません」と言いましたね。 では、果たしてどうなんでしょうか? ラストシーンで、  介護ベッドで寝ていた母は、「起き上がって髪を梳かしている」 これは、まあ、ベッドに座っていると解釈できるでしょう。 立ってはいなそうだ。  一方、主体は不明だが、母に朝食の「支度をしている」人(か猿)がいる。 「(朝食の)支度をしている」というと、 通常、立っている感じがしませんか? で、その主体が >振り替〔ママ〕えると >一頭の黄色い猿がすわっていた 「すわっていた」と書いてますよね。 わたしは、《母親のこと》と書いてしまっている感じがする、と言い、 あなたは、「どこにも書いていません」と言いましたが。 私が、先にコメントで、  《ラストに鏡に映った猿は、 自分でもあるように描く方がよく》 と敢えて、言ったのは、  なんで、猿が「すわっていた」と書いちゃうんだろうな、 という意味でした。それは、批評畑の人間じゃないと分からないことではありません。 ふつーの国語力があれば、わかる指摘なのでした。 そもそも、 >なにも、説明していないので、 >猿が、何者か、分かっちゃうのが、逆に、僕は、驚いています。 と言えるのかどうか、よく検討してみて欲しいと思いました。 「なにも、説明していない」ように書いていただけると真摯な読者はたすかりますし、 再コメントする必要も省けますので。 まあ、 >僕は、そんなことは、どうでもいいのす。 >・・・・ >まあ、猿で行こうか、という感じです。 とあるので、そんなに真摯に読むものではなかったのでしょうかね。 とりあえず、(わたし)という読者が、(わたし)なりの見解を、明確に書くと、 「断定」感をつよく感じられてしまう作者の《御様子》なのに、 >読み手が独自に読んで頂ければ、幸いなわけで と、も言ったりして平気なわけですね。 科学もひとつの主観であると言われて久しいのだから、 「断定」も、べつにひとつの意見であって多様に在りうる見解のなかの一つにすぎず、 あえて、「断定」などと過敏に反応する必要はないし、 「説明していない」などと、言いながら、 テキストは説明が加わっていることに、気付かない。 それでは、たんに、論理に鈍感なだけ、という印象が拭えませんね。 >無礼 >不快 については、(相手が小人であれば)わたしの方が恐縮なくらいです。 たいてい、小人ではなさそうな人に批評コメントしているつもりですが、 わたしの場合には、  書かれた へのへのもへじ をみて、天才ですね、と褒める方が不快だし、  作品の大きさに合わない箱へ詰め込もうとする論評のが無礼です。 >お互い様、勉強であると思います それは、まさにその通りですね。真剣に書いた者と真剣に読んだもの同士が、 率直に、やはり真摯に真剣に、誤魔化さずに話し合えればうれしいですね。 わたしは、詩も批評も、教わらずに書いていますが、 優れた人や作品からは学びたいといつも夢見ています。

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まりも (2017-08-22):

ベルさんとふむふむさんの議論、分量、熱量、内容共に、非常に興味深く拝見しました。 ベルさん、「ふつーの国語力があれば」って、なんだか、反論されてムカッとして言い返したみたいな感じに読めましたよ(笑) 勢いで書いちゃったのかな・・・ ふむふむさん、たぶん、黄色であることは、無意識的な必然だったのではないかと、私は思います。ベルさんが教えてくださったような、文化的伝統も絡んでいるのかもしれませんが・・・穏やかで暖かい黄色ではなく、注意信号とか、蜂や毒蛇の黄色のような、本能的に危険と察知される類いの黄色。 その色が、全体を貫いていて、なおかつ、猿のイメージが鮮烈。これはやはり、ウサギや犬や猫ではダメだったんだろう、と思うし・・・その猿が、なぜ思い浮かんだか、作者本人にも明確な説明はなしがたいのであろう、と思います。 だからこそ、いろんな人の、多様な意見が読めるという掲示板って、面白い場所だな、と思うんですよね・・・ 自作について熱く語る作者と、これまた、自身の見立てや解釈や読み方について熱く語るレッサーと・・・でもって、それを拝読して、ほお、とか、なるほど、と思う読者と・・・三つ巴の熱量。おいしく頂きました❗

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前田ふむふむ (2017-08-22):

まりもさま、こんにちは。 僕も、熱くなってしまいました。 。 ハァモニィベルさんが母が猿であると読めるなら、それも一つの読み方なので、 それで、このテキストを読んでいっても、間違いではないと思います。 テキストは読み手にゆだねているのですから。 まりもさんの読み方も、その方向性のようですし。 別に母に見えても全然良いのです。 僕が言いたかったのは、 「振り返ったら、母が猿に見えた。」とはっきりと記述しないと、 必ずしも母は猿ではないという事なのですけれど・・・。 読み方は一元的ではなく、多様であるので、いろいろと読める可能性があるのです。 それを分かってほしかったのですね。 ちょっと、熱くなって、テキストの一部の読みの まりもさんの読み方を含めて3種類の可能な読み方を書いたのですが、 まりもさんがいらっしゃって、思いとどまりました。(笑) よく考えたら、書き手が詩の説明するのは、 一番いけないことですから、詩がつまらなくなるとも思いました。 議論はとりあえず終了ということにします。 議論、楽しんで頂き、ありがとうございました。

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エルク (2017-08-23):

こんにちは、似た夢を見たことがあり何かコメントを残したくなってしまいました。 細部を語る丁寧な描写が全体の雰囲気を生々しく醸成させていきますね。 黄や白の鮮明さが闇に差し込み浮かび上がるのは何処までも苦悩する内面のより深い苦悩。 その深さを色に喩えられた思考や言葉で測っている、そんな印象を受けます。 現代社会において食べる、という行為は他者に生かされている、ということを実感できる数少ない行為、他者に敬意をあらわす機会でもありますが、ここではどちらかというと超自然的なものを取り込み乗り越えようとする行為に見えたのですが、そういう観点で語ると夢のなかで猿の肉を内に取り込むことで、抱えている恐怖や葛藤のようなものを内化(対象化)しようとする一種の儀式にも見えるわけです。 深い闇に浮かぶ白い睡蓮の花はまるで再度浮かび上がるための目印であるかのように要所でリフレインさせる。(この読みは少し強引かも、ですが 笑)光明のような刃のイメジで深みに潜り、昇るときにも象徴のように「黄色い」受付券を握りしめている。作者が自身の内面を渡るうえで必要な心の拠り所として機能させているんでしょうか。もしくは精神に異常をきたしているかもしれない可能性を匂わせているので、自身を外(現実)に繋ぎ留めるための命綱として機能させている、とも読めるかもしれないですが。 鏡や窓越しに見るものや景色に何をみるのか。古今東西神話などでは嘘を見抜く道具である装置が、この作品ではちょっとニュアンスが違いますね。本物を映しているのか、自分という主観を通して歪んでしまった光景なのか、自分自身でも半信半疑で物語が締めくくられる。 ジャパニーズホラーと仰っている方もいますが、わたしも一読して同じ感想を持ちました。解決したかのように思ってもまた新たな疑問が浮かぶ。そんな終わりのない苦悩に猿の夢は夢の枠を越えて再生され続けるのかもしれないですね。

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前田ふむふむ (2017-08-24):

こんにちは。エルクさん、ご批評有難うございます。 勉強させて頂きます。 猿の夢見たのですか。凄いですね。 僕は見たことないので分かりません。 夢を見て、怖かったか、逆に楽しかったのか、興味がありますね。 不謹慎ですいません。 さて、テキストですが 大変、深く読み解いていただき、ありがとうございます。 答えのないものや、言語化できないものを、言語で書いているような 詩ですので、いろいろと、多角的に読んで頂くと とても、うれしいし、そういう読み方もあるのかと、そうかそうかと、 僕が、新しい発見をしたり、教わることがあるのです。 「猿の肉を内に取り込むことで、抱えている恐怖や葛藤のようなものを内化(対象化)しようとする一種の儀式にも見えるわけです」 というところは、なるほどと、そういう風によめるかと、新発見で ほんとうに、「ふむふむ」となってしまいます。 これから話すのは、あまり言わなくてもいいことなですが、 この詩を書いた動機みたいなものを言います。 エルクさんのみた夢の「猿」は 精神分析学的に言えば、 フロイトやユングのいう、人間の深層イドのおくのリビドー かも知れませんね。フロイトに限れば、性欲動になりますね。 仏教でいう「天・人・餓鬼・畜生・地獄・修羅」の六道輪廻の思想、 業の思想、因果論 仏教における苦 キリスト教の原罪 フロイトの根源的な欲動のエス、超自我、自我 ユングの原型 等を素人はだしで、表層的に学んで、 それらに共通する、人間の持つ根源的な何か、を 自分風にアレンジして、 かなり独断的に書いたのが、この詩なのです。 だから、分からないものの、正体を、自分なりに比喩をつかって 語っているといってもいいのです。 でも、自分風にアレンジに当然、私の偏見的な主観が入っていますから、 分からないものが、なお分からなくなってしまっているかもしれませんね。 そんな感じの詩です。 エルクさん、改めて、ご批評有難うございました。 蛇足ですが、 詩人の詩を書く行為は 言語の力で、現実の対象に、限りなく近接しようという試みですから、 ジャック・ラカンの僕の表層的な誤解釈かもしれませんが、 ジャック・ラカン的には、いかにしたら、精神病になることができるかの 訓練、あるいは試みのようですね。 ラカンでなくても、文学理論でいっても、 言語と現実はイコールに絶対ならないから、大丈夫ですが。 ラカニアンの伊藤浩子さんに違いますといわれるような底の浅さなので、 この辺でやめときます。 ありがとうございました。

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るるりら (2017-08-24):

おはようございます。 わたしは、まず この詩の題名が魅力的だと思いました。 宗教画などで黄色がよく使われるのは、黄色は光を連想させたいからだと思います。通常では足跡はへこんでいるのですから、影をともない どちらかというと暗いはずであるのに光を連想させようとしておられる。 根拠は、この詩文全体を見渡しても黄色が随所にありますし、影の中に 様々な箇所に黄色を使っておられて、しかも 仏教的な花である蓮の花まで登場している。 この詩文において黄色は、この詩は 泥の中でこそ咲く蓮のような【光】(交感神経とか副交感神経を刺激する色)を表現しておられると思いました。   ちなみに わたしが読んだ この詩のあらすじは こんなふうです。  猿を殺すという猟奇的な夢を 見続け、猿を実際に殺して 母はその猿を調理して、主人公は猿を喰らう。 猿を食べる文化圏の人も存在してますが、この詩には八月十五日終戦記念日もあるので、日本人が多くいる地域ですね。だったら、猿を喰らうのは猟奇的行為ですね。 猿食いの主人公の彼は、病院で 様々な苦悩をかかえた人と 待合室で、治療の怖さを聞く。 恐怖していることのたとえ話に 猿の比喩が多いですね。 ≫わたしは怖くなったが 誰も帰ろうとしない ≫むしろ 嬉々としている ↑ 泥の中でこそ咲く蓮だと思いました。 ≫壁付の大きな鏡越しに ≫一頭の黄色い猿がすわっていた ≫もう弱々しいが ≫杖を携え ≫神々しいほどの聡明な視線だ ↑ 猿は 食べられてはいなかったんですね。猿の気配である足跡は生き抜くという光を示していると個人的には感じました。 「腑に落ちる」という言葉を思いました。わたしが腑に落ちたと言っているのではないです。腑、つまり 食べる。消化する。ということについて想いました。 漠然とした不安を 具象化してくれる猿が、食べられてくれて 心の病の人々が猿のような声をあげる。けれど、その不安は 消滅するのでした。題名の示唆している とおりに。 わたしも猿のように悲鳴をあげるような困難な事柄に出会うことはありますが、困難から産まれる悲鳴ごと まるごと食べて エネルギーにかえたいです。( ´艸`)

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前田ふむふむ (2017-08-24):

るるりらさん、こんにちは。 ご批評有難うございます。 勉強させて頂きます。 黄色を選んだのは、前にも書いたのですが、 どの色でもよかったんですが、 イメージとして、黄色が、この詩を描くには、 一番良いのかな、という所で、選んだのだと思います。 黄色=光のイメージと、宗教画につかわれるひかりをイメージさせる いうのは、 救いのイメージと受け取る読み方もできるようなので それも素敵な読みだとおもいました。 「この詩には八月十五日終戦記念日もあるので、日本人が多くいる地域ですね。だったら、猿を喰らうのは猟奇的行為ですね。」 さりげなく書いている所を、なるほど、猿を食べる習慣のある所だったら、 日常習慣になりますが、日本だったら猟奇的ですね。 猿に限らず、犬や猫を普通に食べるところもあるので、 猿を食べる行為また この謎の病院を 日本であるということを、 僕は無意識に、保険を掛けて書いていたのかもしれませんね。 細かいところをと見込んで頂き、ありがとうございます。 るるりらさんの読みは 黄色の光を希望のように捉え 語り手が、自らが、自らを乗り越えていく、そういうような読みをされて この暗い詩に、光明を齎せるようで、とても新鮮でした。 とても勉強になりました。 有難うございました。

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エルク (2017-08-24):

前田ふむふむさん、お返事ありがとうございます。 勤勉な方とやり取りをしていると自分の怠惰や無知があらわになるので晒す覚悟が必要になりますね^^ 夢をみて目覚めたときは正直感動しました。自分にも攻撃的な夢を見る何かがあったんだなぁと。普段は逃げ回ったりする夢が多いので新鮮で今でもはっきりと覚えています。夢の内容は、正確には蛇の姿をした母を猿の姿をした父が殺してしまい、それに逆上した私が猿(父)を殺すといったもので、ひどく生生しい感覚だったので夢とはいえ同じ体験はしたくないですね。 言葉はそれでなくとも難解なのに、アートとして表現しようとすれば更に難解になるのは必然ですよね。ゴッホのように精神に異常をきたして初めて傑作を書く資格を手に入れられるのだとすれば…ちょっと気が遠くなります。 詩は神様を言い表そうとする言葉であり、数学は神様の言葉である。という言葉を思い出しました。 ラカン的な考え方は囚われずにありのまま物事をみれば本質を見抜ける、ということの喩えのような気がします。 それを体現している分かりやすい身近な存在が精神病患者だっただけの話で。 なので自由に語っていればいつか本質や法則のようなものに気づくことができると。 そんなことを取り留めもなく考えたり。 ああ、思慮の浅さが露呈してしまう。 ラカニアンさん、いらっしゃいましたら苦情訂正粛清懲罰よろしくお願いします

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前田ふむふむ (2017-08-25):

こんにちは。エルクさん。 あああ、凄い怖いリアルな夢だったのですね。 夢を見た後に、感動されたというのも、また凄いことですね。 何か、凄すぎて、目がくらみました。 そのご体験、エルクさんなりの、自分の言葉で、オリジナルの詩ができそうですね。 試みられるのも、良いと思います。 自分事ですが、 僕は、達観したような詩は、決して書きたくないのです。 詩を書く上で、いろいろと、無い知恵を振り絞って、安易に分かってたまるかと もがいてもがいて、います。 そこから、ふと、浮かんだ言葉が詩になっていきます。 そして、できると、ある達成感がありますが、 しばらくすると、まだまだと思うようになり、 いつまでたっても、本当に納得した詩は書けません。 多分、その繰り返しで、徐々に成長しているのだと思いたいのですが、 そうした詩作の日々です。 ラカニアンさんは、残念ですが、このサイト見ていないと思いますよ。 これからの、エルクさんのご活躍祈念しつつ 失礼します。 有難うございました。

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