作品投稿掲示板 - B-REVIEW

前田ふむふむ


投稿作品数: 4
総コメント数: 39
今月は0作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィールはありません

前田ふむふむの記録 ON_B-REVIEW・・・・

活動的B-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

活動的投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

透明な統計表

2017-09-12

距離

2017-09-05

愛の名前

2017-08-25

黄色の足跡

2017-08-17

こんにちは。弓巠さん 僕は、とても、怖い詩であると思いました。 そういう意味で、とても新鮮です。 語り手の主体が「僕」であるとして、読んでいくと、 「悲しい数字」は、数字の持つ不条理を言っているのでしょうか。 「数字は豊かだった たくさんの花が根を生やして たくさんの毒をあずけていて」 数字で表れるものに対して、否定的ではなく、 善悪両義的であるといっていますね。人間社会において、数字で表せる数量はそういう面を持っているのは、確かですから、それを語っているのでしょうか。 数字を、いいこ、だといいながら、君に、強制的に飲ませていく、 口から溢れるくらい何十年も飲ませ続けるわけですから、 壮絶な現代社会の現状の比喩だとおもいました。 数字で溢れる現代社会は、留まることはないのだから、 「大丈夫、大丈夫だよと、言って そのためにどこまでも不安だった」 のでしょうか。とても、実存的ですね。 最終連は、 「いつか 数字に触れる手が 樹々の透明になるといい 君が覚めて、眠るままに」は 語り手、僕が言っているのであつて、 君が感じている感慨ではないように思われます。 語り手「僕」が、持つ、あきらめにも似た、数字に関わる諸々の行為から、 解放されたい願望にも見えますし、 直接的に読めば、「僕」の「君」に対する、競争社会のなかでの、どろどろした悪意のようなものが伺えます。 語り手の悪意で、「透明になること」を望めないのも関わらず、そういい放つ、社会のエゴを、代弁して、「僕」が言っているように思えるからです。 最後の「君が声を出さないように」というところが、何も文句は言わせないというような、 怖い表現だと思いました。 まりもさんも言っているように、 従順な君=よいこ、に対して父権的なもの、強者、権力側の立ち位置で、「僕」は、 数字の比喩で、従属させているように思います。 この詩は、数字というものに、囲まれて、GDPが代表するような数量で価値を考えている現代社会への痛烈な風刺であると 読むことができると思いました。 (いいこ)

2017-09-24

こんにちは。 詩は、「私は」とか「あなたは」とかで,テキストを引っ張っているのが 多いけど、それを使わないと、 詩って、こんなにスマートでカッコよくなるのかなと、 新しさも感じました。 一人称で詩を書く僕には、とても新鮮でした。 (椅子と沈黙)

2017-09-22

はねひつじさん、こんにちは。 遅くなり、すみませんでした。 ご批評ありがとうございます。 「すごくいい詩ですね。」、もう嬉しすぎてしまいます。^^ そう惹かれる気持ちって、大事ですよね。 僕も、大事にしたいと、思っています。 ありがとうございました。 (距離)

2017-09-22

こんにちは。いろいろあって、 遅くなり、申し訳ありませんでした。 Bananamwllowさん、良いというご評価、ありがとうございます。 まりもさん、 きめ細かく、丁寧なご批評有難うございました。勉強になります。 2、ですが、 これは、詩を書いているとき、脳裏に浮かんだフレーズなので、 どうしても、花も、蔓も,葉もない、殆ど原型をとどめていないものを 自分だったらどう思うか、という事を書いたのです。 頭に浮かんだフレーズなので、やや観念的なのかもしれません。 詩は、難しいですね。 3.11の東日本大震災のことを書いていますが、 この出来事を、自分だったら、どう書くかというチャレンジであったので、 好意的に受け取って下さり、ありがとうございました。 (透明な統計表)

2017-09-22

間違えました。詩の番号6を5に訂正をします。よろしくお願いいたします。 (透明な統計表)

2017-09-14

こんにちは。 白島さん。ご批評ありがとうございます。 素晴らしいと、賞賛されると、少々はずかしいです。^^ でも、とてもうれしいです。 この詩の原型は、同じ題名で 2013年に初めて書いたのです。 でも、内容が極めて同情的になり、 実際、災害を受けていない、関東地方の人に、本当にわかるかと、 言われ、酷評を受けたのでした。 でも、僕でも書ける、震災の詩とは、どういうものなのかで もう、5-6回、書き直しました。最初の原型は、一部を除いて 留めていません。何度も推敲、修正を重ねました。 これは、そういう思いで書いた詩です。 ですので、ご評価を頂いて、凄くうれしく思っております。 有難うございました。 エルクさん、こんにちは。 ご批評ありがとうございます。 傑作^^であるか、どうか分かりませんが、 「愛の名前」も僕の言葉で書けているかなと思いますので、 そういう意味で、白島さんの、ご批評も手伝って、何とか、書けていると思いました。 そういう意味では、似てるかなと思いました。 震災の詩は、後いくつか納得できない書きかけがあるので、こういう方向性で、 書いていこうかな、と思いました。 とても、おほめ頂き、大変うれしく思いました。 自身にもなります。ありがとうございました。 (透明な統計表)

2017-09-13

こんにちは。まりもさん、 とても、細部にわたり、丁寧な、ご批評ありがとうございます。 「しずかさ」というのは、  僕が感じたのは、「静か」とは、違う、緊迫感のある、都会という圧倒的なもの中での 一瞬訪れるであろう、安堵感のようなものの発見が「しずか」だったのですが自分では、納得しても、読み手に渡った時、混乱させるようでは、 やはり、まずかったかなと思いました。 四連目は、「距離」「しずか」という語彙が、 少し、観念的になっているかもしれません。 やはり、ここだけ難解になってますね。 詩の構成の厳密さは、副次的にできてきたのですが、 主眼は、詩の内容の緊迫感をある種の閉塞感だそうとしたのです。 都市生活者として持つであろうものですが ビルビルばかりの圧倒的な都会の中での 自分が都会に対抗する、内面で意識する真の安堵感のある「夜」と「しずかさ」の詩なのですが「街」も決して、対抗するものではない、という詩でも、あります 「靴音」を聞いたとき、単に夜でない、安堵した「夜」があらわれ、 「影」は単なる影ですが、「影」が街路灯の光によって、できているいう発見をしたとき、 安堵感のある「しずかさ」を始めて見出しているのです。 アウフヘーベンみたいな感じです。 アウフヘーベンみたいなものが「距離」感なのです。 でも、その「夜」「しずかさ」も都会の威圧があるから成り立つのであって、 また威圧するものも、アウフヘーベンみたいにすれば、「しずか」の発見があり その意味で、「夜をつくり そして しずかである」のです。 そういう、心の動きを詩にしたのでした。 それから、 街路灯に照らされた「影」あるいは「街」がなぜ、「しずか」なのか、と問われれば、 僕がそう感じたのであり、そうじゃないと言われれば、身も蓋もなくなる 危うい詩を書く上での主観的な表現にすぎません。 緊迫感を出すために、観念的になって,難解になったところは、 まだまだ、だと思いました。 とても勉強になりました、ありがとうございました。 (距離)

2017-09-13

こんにちは。m.tasakiさん わー、イメージが浮かんできたのですね。 うれしいです。 私が、深夜散歩したとき、の様子を詩にしたのでした。 ご批評有難うございました。 こんにちは。Amagasasasiteさん、 ご批評ありがとうございます。 フアンタジーを感じるという、ご批評、大変新鮮に受け取らさせて頂きました。 また、こころの揺れ動きを感じて下さり、ありがとうございました。 こんにちは。宣井 龍人さん、 ご批評有難うございました。 「しずか」「しずかさ」という言い方は、 僕が、その散歩の経験でイメージとして感じたものが、 一般的にいう「静か」「しずけさ」というものと、少し違うので、どう現わしたら いいのか、考えて、「しずかさ」という言い方になりました。 これは、僕の主観的な感じ方だったのです。 そのほかも細かに読んで頂き、ありがとうございます。 ご指摘は、貴重な参考とさせていただきます。 ありがとうございました。   (距離)

2017-09-11

こんにちは。硝子さん。 2連目から、6連目まで、ユニークな比喩を混ぜて、 良くかけていると思いました。 最終連は、唐突に終焉してしまうのと、 当たり前の記述なので、もう少し、自分の言葉で、 工夫してほしかったかな、と思いました。 才能の片鱗が見えますので、書き続けていけば、上手な詩が書けるようになると思います。 さて、 ここからは、私見ですが、 詩の基本の話をいたします。 1連目の「語られない言語できみは僕たちの別れについて話す」 というところです。 これは、多分、詩をこのように書くという、説明で、 書き手が、一番言いたいことだろうと推測されます。 詩というものは、 1.書き手が一番言いたいことは、原則、書かないほうがいいのです。 書かないことで、 読み手に、任すのです。そうすることで、詩は読み手を通して、深みが出るのです。 詩自体も、多様性のある深い詩になるのです。 2.それから、詩というものは、原則、説明しては駄目なのです。 詩は、論文や散文ではないのです。 いきなり、一連目で、何を言わんとしているか、の読み方の指定をされたら、 二連目以降、苦労して書いた詩は、蛇足になってしまいます。 1連目の詳細が、2連目以降、という図式になってしまい、 詩を味わう以前の問題になってしまいます。 極論すれば、1連目を 削除しなければ、詩ではない、といえるかもしれません。 つまり、1連目を削除すれば、詩になるのです。 かなりキツイことを言いましたが、どうかご容赦ください。 どうか、上手に受け取ってください。 まだ、詩を書き始めて、浅い方だと、推察されます。 誰もが通る道です。僕も最初そうでしたから、いろいろ教わりながら、成長するのです。 4連目から6連目まで、とてもユニークな書き方で、才能の片鱗が伺えました。 たくさん書いて、がんばれば、成果は何れ、付いてくると思いました。 ご健闘を祈ります。 (語られない言語)

2017-09-08

こんにちは。m.tasaki さん、 詩は、暗闇の白い花という、とても幻想的な世界を、 濃密なイメージのタッチで、よく描けていると思いました。 また、「悄然とした」というような難しい言葉を添えて 書かれていることに、そして言葉の選び方に、 配慮があり、良くかけている作品だと思いました。 松尾真由美さんの世界のようでした。 以下、私の全くの私見ですが、 ただ、書き手の癖なのでしょうか。 散文的な手法が入っていて、どうも気になりますし、 イメージが薄まってしまう感じがします。 それは、 その薄く白い花弁は― その その闇に抗うが如き― その なお断続する   ― なお その粘性を  ― その その花の   ― その 今 揺らめいている ― 今 以上を,除いたら、すっきりして、もっと詩らしくなるのではないでしょうか。 除いて読んだら、僕個人的には、良くなったと思いました。 純然たる散文詩でしたら、使っても、もちろん良いかもしれませんが、 このようなイメージの詩では、不要に思いました。 でも、濃密な詩で、僕の好みの詩でした。 (暗夜の白花)

2017-09-08

こんにちは。夏生さん。 おおいなる自然の素晴らしさと大きさを述べている詩ですね、 人生を肯定的に語り手は見ているのか、 好感を持てる記述が続きます。 語り手は、とてもいいことがあり、 自然の大いなる偉大さを見出したのかもしれませんね。 宗教的な法悦でも、得たように賛美しています。 しかし、「時は流るのではなく 繰り返しているのではないか」と 人生に対してある種の疑問を持つ、 その自我の現れ(自分の内的な思いを含む)をも、 大自然は、飲み込んで、 あいまいにしてしまう。 自己をも超える自然のすばらしさを、高らかにうたった詩という点では 良くかけている詩であると思います。 しかし、 確かに自然は、一個の自己の問題など、打ち消してしまうものかもしれない、 大きな存在です。 ここからは、私見ですが、 でも、語り手は,もっと足搔いてもいいのではないか そんなことで、納得してしまうのか。 現代詩が、自己の内面の問題を語るのなら、(いやそうではないと、 議論も分かれるでしょうが、) ある意味では、この詩は自我の敗北宣言のように感じます。 自然の素晴らしさだけを語るのなら、 「時は流るのではなく 繰り返しているのではないか」 等といわずに、 自然美を、そのよさを、徹底的に、語りきってしまう方がよかったように思いました。 テキストの詩文は、丁寧に、書かれていて、好感を持ちました。 でも、これが、語り手の現在の人生観なら、それでとても、いいとも思いました。 (光、ほどけて)

2017-09-07

こんにちは。まりにゃんさん 一連目で、あらゆる事象について、分からない、知らないことばかりだけれど、 自分が認識できたところだけは、語れると 述べているようにみえます。 そして、星々の獣道という暗喩の場で 詩的なイメージを喚起させて、ひとつひとつ、確認しながら、世界を眺めていこうとしているのでしょうか。 そもそも、「星々の獣道」というのは、凄い暗喩で、僕なりにイメージするに、 私だけの、私の主観的な視線という意味としてイメージできるかもしれません。 その道に立って、そこから見る、事象の姿を、繊細な暗喩のイメージで 語っているのでしょうか。 事象に対して、あたたかな目線がイメージとして伝わってきます。 そして、 「鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ」 ここは、イメージとして,やや不安定な波乱を含んだ感じがして、アクセントのようになって、美しいと思いました。語りが人生についてなら、そういう部分も,勿論ある訳ですね。 全体として, 比喩が美しく、イメージの連続性が、とても、心地よく、 時に、視覚的、聴覚的、臭覚的と多様に広がっていきます。 事象(自然を中心に)を語っていますが、人生を語っているように、 多義的に読める詩です。 飛躍していえば、「産毛に抱かれる日」は出産をイメージできます。 とても、美しい詩だと思いました。 (道へ)

2017-09-07

こんにちは。白島さん。 とても、おしゃれですね。 読んだとき、ひっくり返りそうでした。 かっこよすぎて、びっくりしました。 言葉を極めて多彩に扱っている こういう詩も書けるんだと、ただただ感心しております。 とくに、最後の連は、こういう言い方を、良く思いつくなあ、と 只々,凄いと感心してしまいます。 (塩の柱)

2017-09-06

こんにちは。花緒さん。 一連目の異次元と、二連目以降の日常性が乖離 していると、いうことですね、 一連目は、いきなり手探りで行く暗闇を、夜ではないと、 言ったところに違和感があったのかなと思いました。どう見たって夜ですからね。 それを言わないで、夜じゃないといっている、詩の始まりだな、と思っていただければ 良かったのかなと思いました。 でも、そこが異次元と感じたのかもしれませんね。一連目は 題名の「距離」ということを言うには、必須な部分なので、 僕としては、とても重要な部分なのです。 この詩は、僕が、多分、初めて、厳密な構成で詩を書いたものです。 夜の否定、肯定、しずかさの否定、肯定、 展開部分、夜としずかさの肯定、という 構成で書いてみました。 ご批評、有難うございました。 こんにちは。白島さん。 「ただ、5連目以降、同じような内容を伝え過ぎていて、やや冗長と感じました 」 5連目は、はじめて、「わたし」が周りの状況と、行っている行動を 述べているのです。とても、大事な部分です。同じことは言っていないのですが。 「>わたしは ただひとり孤独を >帯びるだけだ 特にこの2行はいわずもがな、」 こころの吐露をして、生身の人間を表現したかったのです。 そして、ここでは、そういうものは、無力であるという事もです。 いわゆる、そんな情景や感傷めいたものは、「街」「夜」「しずかさ」によって、 つまり6連目によって、一瞬のうちに粉々にされるものなのですが。 「もっと思わぬ飛躍(その場から離れて)があった方が、より抒情性が深まったのでは」 ですが、留まらなければ、多分、私が言いたいことが、言えなくなってしまうと思ったのです。ただ、飛躍ということですが、この詩で、いままで、なぜ、そう思うのかに, 「街」という言葉を出して、新たな段階に入っていくように飛躍しています。 この詩は、これ以上削ぎ落としたら、詩が破綻するくらいそいでいるので、 無駄な言葉は書いていないと思いますが。 「ただ、前半の緊迫感、抒情性など、力作ですね。」 おほめ頂き、ありがとうございます。 丁寧なご批評、ありがとうございました。 (距離)

2017-09-06

こんにちは。僕は、夏を主眼に読んでしまい、季節の流れを読みませんでした。誤読したようですね。失礼しました。 でも、その誤読でも、詩の良さが十分出ていて、映像を思わせる良さがありました。とても良い詩です。 (「おくわ」伝説)

2017-09-04

こんにちは、白島さん。 作者が、村の繁栄を願いながら人柱になったおくわ伝説のことを 思いながら、村の繁栄を願う、夏祭りがおこなわれている この対比がとても、鮮やかに出ていて、このテキストを、より ダイナミックにさせていると思いました。 全体として、コンパクトに4連でまとめていて、 とても密度も濃く、語られている情景が、見事なほど、 リアルに読み手の僕に、ひしひしと伝わってきました。 また同時に、 「河原で白い首の女」「銀色の あやしくふるえて光るもの」 「鵜匠の庭の剪定鋏が水面のひかりをさらに光らせた」など、 夜なのでしょうね。この世とあの世をつないでいる 境界をイメージ出来て、エロスさえ感じます。 ただ、1連目の、僕の誤読かもしれませんが 少し弱く感じました。 「染めるころ」「せいだろか」という語り方が、 やや感傷的なせいかもしれませんが、 「染めるころ」を「染めていた」としたなら、 2連目以降の、きっちりとしたリアルな強さが出たのではないかと思いました。 でも、そうしたら、全体がギスギスしてしまうかもしれないので、 あくまでも、僕の好みの感想です。 勿論、見事に纏めた、とても、良い作品だと思いました。 (「おくわ」伝説)

2017-09-02

追記 しばし考えましたが、 まりもさんが、仰る、共依存というのも面白いかもしれません。 極めて危うい盲目的な愛という意味では、 とても魅力的な読み方だと思いました。 (愛の名前)

2017-08-28

こんにちは。まりもさん、 ご批評有難うございます。 僕は、詩で男女が足を絡ませるというような描写をしたのは、 初めてだったと思います。 恋愛詩の、独特のベタな詩になるのが、いやで、 比喩が強烈になってしまいました。 これは、「愛」を書いていますが、どちらかというと「熱愛」かもしれません、 例えば、愛し合っているとき、今日は何時に寝ようとか、明日の朝食は何にしようとか、 明日、何着て出かけよう、とか考えていないですよね。 共依存となると、そう読めるかと、ちょっと考えちゃいますが まりもさん、の仰るように 「あなたなしでは、生きていけない」みたいな一時の、盲目的な恋愛感情、 お互いの長所も、短所(この詩では、ここに重点を置いていますが)=剃刀を飲み込むように 二人だけの「秘密」として 認め合ったとき、の「愛」のイメージという感じです。 そんな感じを、まったく真逆な一種の暴力的なイメージの比喩で表現した試みです。 大体、読んで下さっているので、 嬉しく思いました。 ネタバレすると、詩の深みがなくなると思い、 ネタバレしても、プラスアルファー、謎めいた心理的な奥行きを 比喩に盛り込もうと、試みてみました。 有難うございました。 (愛の名前)

2017-08-27

こんにちは。ハァモニィベルさん。 ご批評有難うございます。 そうですか、 細部まで、読み込んで頂き、ありがとうございます。 今後は、そういう部分も含めて、 上手に、書けるよう、 努力していきたいと、思っています。 有難う御座いました。。 (愛の名前)

2017-08-27

こんにちは。花緒さん。 ご批評有難うございます。 好みの一作といって下さり、大変うれしく思います。 ひとの原初的なイメージで書いてみた試みです。 「愛」のすがたは、多分、詩において ありきたりな表現は、いくらでもあるので、 もう 殆ど、 出尽くしていると思います。 今までに無いようないイメージ像をチャレンジしてみました。 好意的なご批評ありがとうございました。 (愛の名前)

2017-08-26

こんにちは。三浦果実さん、 ご批評有難うございます。 この詩の大きな建物、船の様子は、 全部、比喩です、 大変だったけど、がんばって書いてみました。 これは、SMとか、そういうことではないです。 SMは、痛いし、人に暴力を加えるのも嫌ですね。 よくドラマや映画のアクションシーンで 殺人シーンなど、思わず眼をそらしてしまいます。 僕は、ケガとかで血をみると気持ち悪くなるし、 注射を打たれるのが、いい大人になっても、怖いのですね。 人は、存在するだけで、人を傷つけていると思うのです。 他人とのかかわりにおいて、また同時に存在するだけで喜びも与えている それが人間関係だとおもいます。 「恋愛」において、愛することは、相手に多くの喜びを与えあうこと、 同時に、相手から、多くを奪い、無償の犠牲さえ、喜びとなり、 時に、多くを傷つけることになる。 相手の欠点を認め合い、許しあい、自己犠牲も厭わず、 相手から受けた強いこころの痛みも、許しあい、 欠点だらけの お互いが 暗黙に、承認しあったとき、 「愛」というものがうまれるのだと、思います。 そんなことを考えながら、心の問題を、 一種の「かたち」ある極端な比喩で、表現したのでした。 ありがとうございました。 (愛の名前)

2017-08-25

こんにちは。りんさん、 人間は社会的動物だから、 他者とのかかわりで生きていられるわけですね。 それらが、すべて腐ってしまったら、 自分も無傷ではある訳ないわけですから、 同様に腐っていると そう読めば、謎が解けるのですが、 それが分かっても、この詩には、 見事な全体喩というのでしょうか。 それが、十分機能していて、 自分が、ゴミになるという、終わり方は、衝撃的で、 詩として、とても味わいがあると思いました。 とても良い詩だと思いました。 もう一つの「手作りの命」も面白く比喩が効いていてよい詩ですが、 語り手が、「親」であるという事がわかると、 十分ありうる内容だな、と思ってしまうと、 詩としての味わいが消えていくように思いました。 「死体をつくる」は衝撃ですが、最後は、なんだそうなんだ。 という受け取りをどうしてもしてしまいました。 (不法投棄)

2017-08-25

こんにちは。エルクさん。 あああ、凄い怖いリアルな夢だったのですね。 夢を見た後に、感動されたというのも、また凄いことですね。 何か、凄すぎて、目がくらみました。 そのご体験、エルクさんなりの、自分の言葉で、オリジナルの詩ができそうですね。 試みられるのも、良いと思います。 自分事ですが、 僕は、達観したような詩は、決して書きたくないのです。 詩を書く上で、いろいろと、無い知恵を振り絞って、安易に分かってたまるかと もがいてもがいて、います。 そこから、ふと、浮かんだ言葉が詩になっていきます。 そして、できると、ある達成感がありますが、 しばらくすると、まだまだと思うようになり、 いつまでたっても、本当に納得した詩は書けません。 多分、その繰り返しで、徐々に成長しているのだと思いたいのですが、 そうした詩作の日々です。 ラカニアンさんは、残念ですが、このサイト見ていないと思いますよ。 これからの、エルクさんのご活躍祈念しつつ 失礼します。 有難うございました。 (黄色の足跡)

2017-08-25

るるりらさん、こんにちは。 ご批評有難うございます。 勉強させて頂きます。 黄色を選んだのは、前にも書いたのですが、 どの色でもよかったんですが、 イメージとして、黄色が、この詩を描くには、 一番良いのかな、という所で、選んだのだと思います。 黄色=光のイメージと、宗教画につかわれるひかりをイメージさせる いうのは、 救いのイメージと受け取る読み方もできるようなので それも素敵な読みだとおもいました。 「この詩には八月十五日終戦記念日もあるので、日本人が多くいる地域ですね。だったら、猿を喰らうのは猟奇的行為ですね。」 さりげなく書いている所を、なるほど、猿を食べる習慣のある所だったら、 日常習慣になりますが、日本だったら猟奇的ですね。 猿に限らず、犬や猫を普通に食べるところもあるので、 猿を食べる行為また この謎の病院を 日本であるということを、 僕は無意識に、保険を掛けて書いていたのかもしれませんね。 細かいところをと見込んで頂き、ありがとうございます。 るるりらさんの読みは 黄色の光を希望のように捉え 語り手が、自らが、自らを乗り越えていく、そういうような読みをされて この暗い詩に、光明を齎せるようで、とても新鮮でした。 とても勉強になりました。 有難うございました。 (黄色の足跡)

2017-08-24

こんにちは。エルクさん、ご批評有難うございます。 勉強させて頂きます。 猿の夢見たのですか。凄いですね。 僕は見たことないので分かりません。 夢を見て、怖かったか、逆に楽しかったのか、興味がありますね。 不謹慎ですいません。 さて、テキストですが 大変、深く読み解いていただき、ありがとうございます。 答えのないものや、言語化できないものを、言語で書いているような 詩ですので、いろいろと、多角的に読んで頂くと とても、うれしいし、そういう読み方もあるのかと、そうかそうかと、 僕が、新しい発見をしたり、教わることがあるのです。 「猿の肉を内に取り込むことで、抱えている恐怖や葛藤のようなものを内化(対象化)しようとする一種の儀式にも見えるわけです」 というところは、なるほどと、そういう風によめるかと、新発見で ほんとうに、「ふむふむ」となってしまいます。 これから話すのは、あまり言わなくてもいいことなですが、 この詩を書いた動機みたいなものを言います。 エルクさんのみた夢の「猿」は 精神分析学的に言えば、 フロイトやユングのいう、人間の深層イドのおくのリビドー かも知れませんね。フロイトに限れば、性欲動になりますね。 仏教でいう「天・人・餓鬼・畜生・地獄・修羅」の六道輪廻の思想、 業の思想、因果論 仏教における苦 キリスト教の原罪 フロイトの根源的な欲動のエス、超自我、自我 ユングの原型 等を素人はだしで、表層的に学んで、 それらに共通する、人間の持つ根源的な何か、を 自分風にアレンジして、 かなり独断的に書いたのが、この詩なのです。 だから、分からないものの、正体を、自分なりに比喩をつかって 語っているといってもいいのです。 でも、自分風にアレンジに当然、私の偏見的な主観が入っていますから、 分からないものが、なお分からなくなってしまっているかもしれませんね。 そんな感じの詩です。 エルクさん、改めて、ご批評有難うございました。 蛇足ですが、 詩人の詩を書く行為は 言語の力で、現実の対象に、限りなく近接しようという試みですから、 ジャック・ラカンの僕の表層的な誤解釈かもしれませんが、 ジャック・ラカン的には、いかにしたら、精神病になることができるかの 訓練、あるいは試みのようですね。 ラカンでなくても、文学理論でいっても、 言語と現実はイコールに絶対ならないから、大丈夫ですが。 ラカニアンの伊藤浩子さんに違いますといわれるような底の浅さなので、 この辺でやめときます。 ありがとうございました。 (黄色の足跡)

2017-08-24

まりもさま、こんにちは。 僕も、熱くなってしまいました。 。 ハァモニィベルさんが母が猿であると読めるなら、それも一つの読み方なので、 それで、このテキストを読んでいっても、間違いではないと思います。 テキストは読み手にゆだねているのですから。 まりもさんの読み方も、その方向性のようですし。 別に母に見えても全然良いのです。 僕が言いたかったのは、 「振り返ったら、母が猿に見えた。」とはっきりと記述しないと、 必ずしも母は猿ではないという事なのですけれど・・・。 読み方は一元的ではなく、多様であるので、いろいろと読める可能性があるのです。 それを分かってほしかったのですね。 ちょっと、熱くなって、テキストの一部の読みの まりもさんの読み方を含めて3種類の可能な読み方を書いたのですが、 まりもさんがいらっしゃって、思いとどまりました。(笑) よく考えたら、書き手が詩の説明するのは、 一番いけないことですから、詩がつまらなくなるとも思いました。 議論はとりあえず終了ということにします。 議論、楽しんで頂き、ありがとうございました。 (黄色の足跡)

2017-08-22

ハァモニィベルさん、こんにちは。 いろいろと、丁寧にご批評頂きありがとうございます。 では、勉強させて頂きます。 イメージですね。 そうですか、シュールにみえるのですね。それは、新鮮な発見でした。 ありがとうございます さて、 ご批評の中で、気になったところから、お話していこうと思います。 「若干、借りて来た要素が多くて」 世の中には、昔から、何万、何十万の詩や物語があるので、 完全なオリジナルなど、書こうと思っていませんし、書きようがないと思います。 必ず、どっかで見た部分があるはずで、 逆に、まったく同じようなものを書いたとしても、別人が書けば、 絶対同じものができないのも事実だと思いますが。 でも、 そんなに借り物地味て読めると思うと、少し考えてしまいます。 ふむ 「自分でもあるように描く方がよく、母親だとして描いてしまうと」 と仰っていますが、 僕は、母が猿であると、どこにも書いていません。 母の座っている所に、鏡ごしに、猿がいたように見えただけです。 語り手の私が、錯覚でそう見えたのかもしれませんし、 そして、なぜ、そう見えたのかも、説明していません。 そもそも、この詩は、長々と書いていますが、なにも、説明していないので、 猿が、何者か、分かっちゃうのが、逆に、僕は、驚いています。 答えを出さないと納得しない方のようなので、 詩を書く方というより、散文を書いたり、ご批評されることを主とされる方のように 拝察されます。 次に「引用」の部分ですが、丁寧に書かれていて、色の歴史は 知らないことで、とても勉強になりました。 でも、 この詩では 僕は、そんなことは、どうでもいいのす。 そもそも、黄色でなくても、赤でも、青でも、緑でも、何でもいいのです。 たまたま、黄色でもいいかな、という感じです。 また、猿ですが、別に猿でなくてもよかったのです。 牛でも、犬でも、猫でも、 まあ、猿で行こうか、という感じです。 でも、そういう風に読まれるというのは、書き手としては、とても勉強になります。 「作者が、人間の「黄色の」「猿」の部分に対して、苦悩よりも受容的であるのが明らかなので、 作者の苦悩の方には共感できなくなってしまいます」 ここでも断定されるのですね。 作者が、書き手、語り手のどちらを言っているのか、分かりませんが、 なぜ「明らか」と断定されるのか、またできるのか、僕はわかりません 語り手の<私>は、苦悩しているのでしょうか。何を受容しているのでしょうか 怯えているからかもしれませんね。 ここでは、子供の<私>が猿を殺す夢を毎日のようにみれば、ふつう怯えて 怖くなるでしょう。それを書いただけです。 それだけのことです。説明ではありません。、 受容と読めるのは、発見でした。 「この謎が、だいたい敏感な読者には真ん中くらいで分かってしまう。途中で犯人分かってしまったミステリ小説のようなものですね。読者は飽きてしまう。それなのに、飽きさせない工夫が施されていません。作者は、まだわからないだろうと思って、謎をつづけてしまっているので、3以降が退屈です。ただ、ここが本当は上手く書けていないと、「黄色」の含意が読者に伝わらないでしょうね。」 飽きてしまうのは、僕の力不足かもしれません。今度は飽きないように書いてみたいです。 御口汚しでしたかも。です。 ただ,3連目は、その変な病院を、本当に変だということを書きたくて、 淡々と、しつこいくらい書いているので、 飽きてしまうのでしょうね。それと、語り手は、この変な病院が とても気持ち悪くて、帰ってくる人がいないので、怯えているだけとおもいますが、 書き手は、怯えているとしか、書いていません。 「ただ、この作品は、作者が、家庭環境のなかで葛藤してきたことの詳細を読者に悟られること無しに、作者自身は告白ができており、そんな、《黙秘の文学》として詩を利用している、そんな作品のようにも思えます。」 ありがとうございます。そういう読みも魅力的ですね。 勉強になります。 ただ、母が年寄であるという以外、作り話です。猿の夢なんか、見たこともありません。 この詩は、何か(何者か)を書いているとして、読み手が独自に読んで頂ければ、幸いなわけで、 何にも言っていないといえば、まあ、そうかなというような、 何の説明もない、不親切なテキストです。 また、詩というものは、本来、説明を書いてはいけないものだと、思っているのです。 そういうことを教わりましたので。 (詩の形態により、説明する場合も勿論あるとおもいますが) 長々と、初めての御方に、無礼な物言いで、不快に思われたら、 ほんとうに、ご容赦ください。 批評の場は、ぼくにとって、真剣な勉強の場でありますので、 また、お互い様、勉強であると思いますので、ハァモニィベルさんのご批評で 大きな収穫がありました。 ある種の、苦悩とか、葛藤を、余白の部分から読み解いて、頂いているので。 有難うございました。感謝。 (黄色の足跡)

2017-08-22

Kazさま、こんにちは。 北川透氏著書「詩的レトリック入門」(思潮社) 第一章「レトリックの誘惑」の29ページから30ページに最初に出てきます。 その後、この著書の全文327ページの重要な部分で出てきます。 この本は、詩の入門書であり、同時に詩論書です。 多くの方の見解では、この著書以後、この本をこえる、入門書、詩論書は出ていないという事です。詩を志すには、絶対外せない本だと思います。 内容は、1.レトリックの誘惑、2.余白論の試み、3.詩と散文の間で、4.詩作品の語り手とは、5.詩的意味論の試み、6.未知の像―詩的比喩論の試み、7.反喩の構造、 8.詩的境界について 9、詩型論の試み、からなってます。 紙誌でもネットでも、ある程度、名のある方は、全員読んでいると思います。 絶対読んだほうがいいです。 ただ皆、自分は読んでると、あえて、言わないだけです。 それから、もうひとつ入沢康夫氏著書「詩の構造についての覚書」(思潮社) これも、北川氏と違う考えも含まれる、必読書です。 このふたりを読んでないと、詩人の方と、対等に詩の話ができないです。 僕が、こういうところで、感想を述べるのは、 殆ど、この二人と、野村喜和夫氏著書「現代詩作マニュアル」(詩の森文庫) からの受け売りです。 もし、ここに挙げた本を最初に読んで、その後、もし必要と思われるのであれば、 良い本は、いくらでもありますので、お教えいたします。 最初の二冊は絶対読んでください。 それから、僕の読み方は、僕の目線で解読を試みたので、あくまでも、 一つの読みでしかありません。書き手から見たら、誤読かもしれません。 当然、別の読み方がたくさん在る訳です。 北川透や入沢康夫の本にも、書き手の<私>、語り手の<私>。読み手の<私> が別物であり、なぜそうなのか、が書いてあります。 そして、多様な読みがあることも。その多様はどこから来るのかも。 そして、誤読というもの正体も。 今後の、ご健闘を、と、思っております。 (黙すること)

2017-08-22

こんにちは。初めまして。 僕は、独善的に読んでみます。 「光のように眠い」というふり幅のある、暗喩が、 冒頭にあり、眩暈のように、戸惑ってしまいますが、 寝床で、思い巡らせているとして、 括弧( )に入れて、後を読めば、 あとは、直喩と暗喩を取り混ぜて、 大多数の国民の常識的な考え方が ごく普通に書いてある、事が分かります。 「迫撃砲という言葉を あなたは軽々しくもルビに塗る」 は、法律の条文を右寄りの法律解釈学で、好戦的に解釈することと、読める。 つまり、短絡的な改憲にたいする風潮の批判であるようです。 「時間という人生を巻き戻す かたつむりのように目を瞑り 世界からアンテナを引っ込めて」 は、憲法の発足当時に遡って、そういう風潮から、一歩引いて、考えれば、 「アカウントに鍵をかけるときのような 静かな音がした」 軍国主義を封じた、平和主義の精神の静かな声が聞こえると、 こんな風に独善的に読んでみました。 おもしろいように、僕の独善解釈と詩句が当てはまります。 比喩が巧みで、とても上手だと思いましたが、 僕は、もう少し、長めの詩が読みたいです。 北川透氏がご著書でいった 「詩的レトリックの本質は違反である」というように、 この詩のなかで、読み手をあっと驚かす、魅力的な裏切るような比喩が あれば、と思いました。 短いから,なお更だと思いました。そうすれば、多分、某誌で入選していたと 思いました。 でも、丁寧な作りで、良い詩だおもいます。 (黙すること)

2017-08-20

まりもさま、ご批評ありがとうございました 上手に読み込んで頂き、ときには、自分自身のあられもない姿を 暴かれているようで、 ドキドキしながら、ご批評を読ませて頂きました。 僕の多くの詩には、今回のように、「父」「母」がたくさん出てきます。 そのいろいろな父や母の姿、それに接する語り手の「私」は、それぞれが違う感情(自分でも分からない感情も含む)や意志を 示しています。そしてそれは、自分では、詩を書く上で、とても大事なテーマでもあると思います。 この詩は、「猿」という比喩が余りにも、極端だったので、 こういう詩は、一種の冒険でした。 でも、この詩の、語り手の、こころの中の葛藤を読み込んで下さり、 本当にありがとうございました。 (黄色の足跡)

2017-08-19

(この御批評を読んで、書きたくなり、数名個人名を出してしまいましたが、まずいようでしたら、削除してください) こんにちは。このサイトに参加させて頂くことになりました。前田ふむふむです。 このテキストの批評ではなく、 私自身の思い出話になってしまいますが、ご容赦ください。 「・・・・研究会」は、僕には懐かしい思い出です。僕は、2007年の半ばから2009年の前半ごろまで、勉強させて頂きました。家庭の諸事情、(特に母のこと)、仕事のこととかに、 忙殺されて 参加できなくなりましたが、とても凝縮された日々だったと思っています。 年齢的にも遅く現代詩を知り、 2006年から、詩を書き始めて、右も左も分からない日々だったので、 何とか詩の勉強がしたいと、本来、極めて出不精の僕も、思い切って応募して 参加したのです。 I 氏は、先生と呼ぶと、僕は先生じゃない、「さん」呼びをしてくれと これは、僕の勉強のためにしていることもあり、皆さんから学ぶことが多いので、 と仰っていたのが印象的でした。二次会では、I 氏とは、詩の考え方、なぜ詩を 書いているかとか、本質的な話から、ふだんの日常的な他愛無い話まで、 幾度となく、話しをして頂いたことは、とても良い思い出です。大詩人でありながらとても謙虚で、その当時の研究会皆さんから、尊敬を集めていたのが印象的でした。 メンバーは、伊東浩子さん、高岡力さん、渡ひろこさん、長谷川忍さん、岡田ユワンさん、 永方ゆかさん、ブリングルさん、中井ひさ子さん、長尾雅樹さん等、錚々たるメンバーを 中心に20名から30名の方が、参加されていました。中には、秋田から泊まり込みで 来られた常連の方もおり、皆、少しでも、何かを持ち帰ろうと真剣でした。 特に,伊藤浩子さん、高岡力さん、長尾雅樹さんとは、特に親しくさせて頂きました。 渡ひろこさんは、朗読とか、その当時から活発に活動されていて、何度かイベントに誘われたのですが、本来、出不精の私は、かなわず、申し訳なかったと思っています。 この期間を通して、詩の何たるかの入り口を、自分なりに勉強できたと思っています。 その後、僕は、仕事のこと、家庭のこと等、切迫することが続き、 何度か、ペンを置くことがありましたが、今でも、なんとか詩を書こう、書きたいと 思っているのは、この「・・・・研究会」に参加した経験からだと思っています。 僕にとって、短かったが、素晴らしい時間でした。 (I・・・に教わったこと あるいは批評について)

2017-08-19

花緒さま、ご批評くださりありがとうございます。 初投稿です。 今後ともよろしくお願いいたします。 僕は、自分のなかに、いつも怪物がいると思っています。 それは、時に邪悪であり、神々しかったり、 姿を変えたり、隠れたり、あらわれたり、 でも、この怪物は、人間の持つ喜怒哀楽の感情などではなく、 僕にとって、表層的なものの心の奥底に住む「何者」かなのです。 その言葉にできない、「何者」を、言葉でどう表現すればよいのか、 この詩を書いた動機です。 元々、自分ですら、説明のつけられないものなので、 読み手には、なおさら理解不能になるかも知れませんが、 書き手を離れて、拙いテキストは、 読み手の解釈に身をゆだねるのですから、 それは、僕にとって新鮮なことです。 ジャパニーズホラーのようなかんじとか悪夢とか、性根が根暗なので、 そうなってしまうのかもしれません。 僕の詩は全般的にそういう傾向にあります 猿は、死の象徴というのは、このご批評を読んで 新たな発見でした。 それから、第四連は「鏡ごしに私が 母が猿に見えたのです」が 「猿が母を見ている」と読まれたのは、不思議な驚きがあり、そうも読めると思いました。 また、読みにくいとのご指摘、今後の詩作の参考にしていきたいと思いました。 ありがとうございました。 (黄色の足跡)

2017-08-19

あの、あの、どなたか、ご批評してください。つまらない、何言っている分からない、良くない出来だとか、何でもいいです。 宜しくです。 (黄色の足跡)

2017-08-19

こんにちは。このサイトに参加させて頂きました。よろしくお願いします。 自分の勉強だと思い、少しずつ感想を書いていこうと思っています。 個人的な稚拙な感想にすぎませんが、お許しを。 とても、斬新な、衝撃的な内容で、 それが、何を意味しているのか、 戦争のことなのか、震災や航空事故等の災害のことなのか、 世の中の世相の風刺を身体を使った比喩なのか、 でも、作者は、よく説明できないことを書いている。 つまり、説明できないようなことだからこそ、 書き綴るという意味では、まさに詩しかできない詩の神髄であると思いました。 後半は,触れると痙攣が出てきて、やや、意外な滑稽さで、 詩の流れを、裏切っているのが、とても、面白く、(いや深刻なことかもしれませんが)、 新鮮でさえあります。 テキストは、若々しく粗削りだけれど、其処がいいし、ぐいぐい読ませるのも、魅力的です。 ただ、中ほどの「意味なしの者ども」最後の「無意味」は、何かに怒りを伴う「無意味」と思う意見。 つまり、作者の「無意味なのだという」詩の説明ではないかと思われます。(勿論、詩の構成・内容で、説明も必要な場合もたくさんありますが)そして、やや投げやり感もあり、 このような謎のような詩では、なるべく避けたほうが良いと思いました。 できれば、最後は、拙い例ですが、「生え伸びた無意味」ではなく「生え伸びたものたち」とかで、静かに終われば、さらに詩に深みが出たのでは、思いました。 でも、迫力のあるとても良い詩だと思いました。 (裏路地)

2017-08-18

こんにちは。はじめまして。 始めて投稿させて頂きました。ご批評、よろしくお願いします。 過去作を少し、推敲し直して出しました。 (黄色の足跡)

2017-08-17