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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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いいこ    

君の体に数字を流しこんでいく 何よりも 悲しい数字を 君は眠い、見えてなどいない けれど頷いて、頷いて ゴクゴクと飲んでいく ここではないどこかを考えながら、流しこんでいく 数字は豊かだった たくさんの花が根を生やして たくさんの毒をあずけていて けれど数字は浮き上った ゴクゴクと喉を鳴らして 君はいいひとなんだよ、いいひとなんだよ そう口ずさみながら 亡くしたものだけが美しく見えたりも した 数字は何も教えなかった だけど君は飲み続けた これからも 何年も、何十年も バラバラになったとしても 口から溢れた数字が唇を潤ませた 泡が何度も君を開いて 落ちていった 大丈夫、大丈夫だよと、言って そのためにどこまでも不安だった いつか 数字に触れる手が 樹々の透明になるといい 君が覚めて、眠るままに 飲んだ数字は空に帰って 僕は笑わせられてしまって 君が声を出さないように……


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作品データ

コメント数 : 13
P V 数 : 1079.0
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-09-21
コメント日時 2017-10-11
項目全期間(2024/04/20現在)投稿後10日間
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前衛性00
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2024/04/20 20時24分30秒現在
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    作品に書かれた推薦文

いいこ コメントセクション

コメント数(13)
まりも
(2017-09-24)

こんな良い作品に、なぜ、コメントがついていない! まず、いいこ、という題名。あなたは「いいこ」ね、と誘導されていく。あるいは、「いいこ」でいれば愛してもらえる。周囲に馴染める。そんな「いいこ」になろう、「いいこ」でいよう、という意志と、その意志に抗う感情の葛藤を予感させる題名でした。 裏切らない冒頭一行目。驚きがあります。 飲み込んでいく数字とは、なにか。点数?偏差値?ポイント?感情を数値に換算していくような不気味さ。 〈たくさんの花が根を生やして たくさんの毒をあずけていて けれど数字は浮き上った〉その数字が、体内に流れ込んできたあとに芽吹く不気味さ・・・。その不気味さを実感している語り手。〈亡くしたものだけが美しく見えたりも/した〉無くしたもの、ではない。もっと強い言葉。永遠に不在とさせられたもの、愛する者を失う、その喪失感に匹敵する「亡くした」。 僕、と、君、との関係性が曖昧ですが・・・僕、がもう一人の僕(君)に「数字」を飲ませる、口から泡を吹くように吐き戻されているのにも関わらず、それでもなお、毒となって花開く数字、を、飲ませ続ける・・・僕。 僕、と男性のイメージで語られているけれども、御受験期の(父性的な権力を持った)母と、その息子、娘、との関係性。 企業であれば、ノルマ、という数字に人間性を蝕まれていく同僚や部下と、それを強いる自分、である僕。 最後の〈数字に触れる手が/樹々の透明になるといい〉ここに、浄化への切ない願いが、美しく歌われていると思いました。

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前田ふむふむ
(2017-09-24)

こんにちは。弓巠さん 僕は、とても、怖い詩であると思いました。 そういう意味で、とても新鮮です。 語り手の主体が「僕」であるとして、読んでいくと、 「悲しい数字」は、数字の持つ不条理を言っているのでしょうか。 「数字は豊かだった たくさんの花が根を生やして たくさんの毒をあずけていて」 数字で表れるものに対して、否定的ではなく、 善悪両義的であるといっていますね。人間社会において、数字で表せる数量はそういう面を持っているのは、確かですから、それを語っているのでしょうか。 数字を、いいこ、だといいながら、君に、強制的に飲ませていく、 口から溢れるくらい何十年も飲ませ続けるわけですから、 壮絶な現代社会の現状の比喩だとおもいました。 数字で溢れる現代社会は、留まることはないのだから、 「大丈夫、大丈夫だよと、言って そのためにどこまでも不安だった」 のでしょうか。とても、実存的ですね。 最終連は、 「いつか 数字に触れる手が 樹々の透明になるといい 君が覚めて、眠るままに」は 語り手、僕が言っているのであつて、 君が感じている感慨ではないように思われます。 語り手「僕」が、持つ、あきらめにも似た、数字に関わる諸々の行為から、 解放されたい願望にも見えますし、 直接的に読めば、「僕」の「君」に対する、競争社会のなかでの、どろどろした悪意のようなものが伺えます。 語り手の悪意で、「透明になること」を望めないのも関わらず、そういい放つ、社会のエゴを、代弁して、「僕」が言っているように思えるからです。 最後の「君が声を出さないように」というところが、何も文句は言わせないというような、 怖い表現だと思いました。 まりもさんも言っているように、 従順な君=よいこ、に対して父権的なもの、強者、権力側の立ち位置で、「僕」は、 数字の比喩で、従属させているように思います。 この詩は、数字というものに、囲まれて、GDPが代表するような数量で価値を考えている現代社会への痛烈な風刺であると 読むことができると思いました。

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徐々にでいいから
(2017-09-25)

面白いです。数字を体に流し込んでいく。ごくごく飲んでしまう。 ユニークだなと思う反面、人はみな、数字を飲んでいるのかもな、と真剣に考えを巡らしてしまう、実感が伝わる詩に感じました。リアルな詩に感じるのは何故か。もっと考えたくなりました!

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mu
(2017-09-25)

はじめまして。大変美しく、また、悲しい詩だと思います。素晴らしいです。 私自身の好みとしては、「数字」がもっと抽象度を増し、育つもの、根を張り、水を汲み上げ幹を伸ばし、降り注ぎ、「僕」の頭上を覆い尽くすものとして、動き回っていてほしい、循環を繰り返していてほしい、と、思ったりもしました。でも、そうすると、この詩のうちに流れる静謐さが失われてしまうのかもしれません。 それにしても、この「飲まされる数字」という言葉は、イマジネーションを掻き立てます。 「ゴクゴクと飲んでいく」という表現はどことなく、ツェランの死のフーガを連想させますし…震災のことなのでは?とか、戦争と虐殺のことなのでは?とか、年齢という歳月を積み上げることの空虚感なのでは?とか、いろいろ……。 と、いうか、最初「悲しい数字」という言葉を読んだときに、思い起こされるものは、私には一つしかありませんでした。それから、批評を読み、詩を読み返し、別の読み方を探してみましたが、どうも、私には、はじめに受けた印象から逃れられませんでした。 震度XX、死者数XX、負傷者数XX、上空XXを通過、半径XXキロに渡って壊滅的打撃、あれからXX年、など…。私たちは、とらえ難いもの、咀嚼し難いものを、数字で無理矢理のみこもうとします。というか、否が応でものまされます。 「数字は何も教えなかった/だけど君は飲み続けた」 死者が数字に置き換えられたとき、それはもはや人間ではない。どんな家に住み、どんな暮らしを営んでいたか、誰を愛し、家族は何人いたのか、庭でラヴェンダーを育てていたのか、それとも、ベッド脇に服を吊している貸家だったのか、誰も気に留めなくなる…彼らは、無機質で事務的なただの数字になる。 というような言葉を思い出しました。(出典は分かりません。正確でもありません。誰かの名言なのか、小説で読んだのか、映画のセリフなのか…とにかく、このような意味の言葉です。)そしてそれは、恐ろしいくらい真実です。 そんな仕方でしか悲しみを飲み下す術を持たない私たちは、それ故に、「君はいいひとなんだよ、いいひとなんだよ」と、「大丈夫、大丈夫だよ」と、口ずさんでいなければならないのかもしれません。「亡くしたものだけが美しくみえたりも/した」のだとしても……。 死者に向けられた言葉は、同時に私たち自身に向けられたものでもあります。 「僕」と「君」の境界が曖昧なのもそのせいなのかもしれません。 人様の詩に批評などするのは初めてなので、ちゃんと批評出来ているのか、自分の解釈を書き連ねているだけではないのか?そもそも、見当違いの読み方をしているのではないかと、甚だ心許ないですが、素人だと思ってどうぞご容赦下さい。 もちろん、詩はなぞなぞではないので、正解も不正解もないことはわかっていますが……。 私には、そんなふうに読めました。(批評というものは、作品に踏み込む行為では無く、こちら側に引き寄せる行為なのですね。とかく私の場合は……。なので、ここで書かれている事は、詩作品そのものとは別の次元で機能しています。一種のオマージュというか…コラージュというか…) 失礼ついでにひとつだけ。最終連の、「大丈夫、大丈夫だよと、言って/そのためにどこまでも不安だった」から、「いつか」への繋がりが唐突で、少し解決を急ぎ過ぎているように感じました。いっそ、宙に浮かせたままでもいいな、と……。けれど、その後に続く「いつか/数字に触れる手が/樹々の透明になるといい」という詩連は、作中、最も音楽的な美しさを有しているので、切り捨てるのは間違いでしょう。「いつか」へと続く適切な詩行があればいいのですが…野暮ったくならない程度に…難しいですね…。始めにも書きましたように、この詩の持つ美しさは、言葉数を切り詰めたことによって生まれる、張り詰めた静謐さだと思いますので、それを損なうことだけは、何としても避けた方がよろしいかと……。それに、あまり筋道立てると、「数字」という言葉の抽象性によって引き出されるイメージの多様性も失われるでしょうし……。そう思うと、手を加える必要などないのかもしれません。 物理学では、数式で万物を言い表すことができるそうです。そうして、数字に捕らわれた天才物理学者は、周りの景色が数字に見えはじめ、ミイラ取りがなんとやらで、精神の均整を保てなくなった者も少なくないと言います。 あながち、数字というのは隠喩とは言い切れないのかもしれませんね。数字は私たちの周りで蠢き、そっと息を殺して、飲まれ、そして空に帰るときをひっそりと夢見てるのかもしれません。 長々と失礼しました。

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右肩ヒサシ
(2017-09-26)

弓巠さん、こんにちは。 僕は数字は人に対しての悪ではないと思います。人間の主観がある型の中で成立していて、その型の本質が数字ではないかと思っているからです。どんなにあがいても、主観は数字という形で表されてしまう人間の枠組みからは逃れられない定めです。悲しいけれど主観の理不尽は通らない。大人はそれを数字を飲み込ませるという愛に溢れた暴力で子どもに教えていかなければならないのです。むしろ夢や愛という言葉をむやみに振り回して、人を絶望に追いやる連中が危険です。 飲んだ数字は飲んだ人よりも早く空っぽの浄土に帰っていく、無理筋かもしれませんが、僕はそう読んで「ココロ無き」数字を擁護したいのです。浄土には善もなければ悪もない、喜びもなければ悲しみもない。実質のない枠組みだけがあって、それが美しいのです。

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弓巠
(2017-09-26)

まりもさん、コメントありがとうございます。 評価していただいて、光栄です。 人は人より上に立って、いいこ、いいひとという暴力的な言葉を使って、なんらか支配してしまう、あるいは嘘をついてしまう。まるでそれを相手のためであるかのように。 そしてそれに気づいているからこそ、「僕」は葛藤している。まりもさんが具体的に例を出して下さったのは嬉しいですね。私は抽象的なイメージとして「僕」と「君」の閉鎖的な関係、依存的な関係に数字を投影させましたが、まりもさんの例えはごもっともで、「僕」と「君」の関係性は暴力性と誤魔化しをもそのままに、社会の中にも続いていく。そういうことに自分の詩ながら気づかされましたね。 亡くしたの部分など、細部まで読み取っていただけて非常に嬉しいです。ここには、「僕」の何かしらの不在性のようなものが刻まれてもいるんです。 まりもさんは最後を「美しい」とおっしゃってくださいましたが、不穏のなかに美しい何かをあらしめることができればな、と考えています。

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弓巠
(2017-09-26)

前田ふむふむさん、コメントありがとうございます。 前田さんは、「数字」を社会的な側面から捉えてくださったのですね。そうして、それに関わるといくことの実存的不安と。 「数字」という言葉の取り方によって、この詩はどのようにも読むことができると思うんですね。個人的な、閉鎖的な関係についての詩とも、社会的な葛藤を孕んだ詩とも。「君が声を出さないように」という言葉が、「透明になればいい」と同居していること、それもある意味暴力なのかもしれませんね。 「僕」は悲しいと思いながらも、しかし続けていく。支配してしまう。騙してしまう。それはマクロにも、ミクロにも存在している。前田ふむふむさんの読みのおかげで詩としてのスケールが広がったように思いますね。

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弓巠
(2017-09-26)

徐々にでいいからさん、コメントありがとうございます。 ユニークである反面普遍性も感じるとのお言葉、嬉しいですね。リアルだ、というお言葉をいただきましたが、それは私の狙いとしてあって、いかに特殊でいかに普遍的に書くか、ということを問題にしていきたい、という考えがありますね。 たくさん考えてくださると光栄です…!

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雨粒あめ子
(2017-09-26)

初めまして。『僕』と『君』は夫婦のような、長年連れ添った関係性のように思えます。けれども、”君は眠い、見えてなどいない”のところと、”君が覚めて。眠るままに”を読むと、もしかしたら『君』はもう亡くなっているのだろうか?という疑問が生じました。優しくて悲しい詩だと思いました。 何度か視点を変えると、また違った想像ができますね。

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弓巠
(2017-09-26)

muさん、コメントありがとうございます。 数字をより自由に、という考え方ですが、そういうやり方もあったのかな、と思いますね。ただ今回は開始地点があくまで「僕」と「君」であること、数字が、ただただ数字であることを主眼に据えました。僕自身、数字には様々な意味性を付与できると思うのですが、この詩は、あくまで数字を数字と言い切っている、それによって数字のもつ、独立した、無色透明な鋭さを生かしたかった、というのがありますね。 災害、戦争における、死者と数字の関係について、数字はどこまでいっても数字なのだ、というように思いますね。数字はあくまで純粋に、数を作っていく。そこにある誤魔化しや、けれどもそれをしてしまう、というのはこの詩における重要な側面だと思いますね。muさんの批評、とてもためになりました。思ったからを丁寧な言葉で伝えてくださり、嬉しい限りです。 最終連について、今回は締め方に少し迷いましたが、このようにしました。僕にとって「いつか」という単語はとても暴力的で、それまでの流れを変えてしまうものです。一気に現実が想の世界に吸い込まれるからですね。もう少し、このような言葉の効果を説得的に書くべきだったのかもしれませんね。 そうですね、muさんがおっしゃったような、使われるものとしての数字、というものは確かにあって、つまり数字の色を決めるのは「僕」であり「君」なんですね。muさんがおっしゃったような、数字、隠喩ではないそのものとしての数字、こういう現実であり概念でもあるものは、詩を書く上で重要に感じますね。数字が空に帰ると気を求めてる、よい表現ですね。

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弓巠
(2017-09-26)

上のコメントについて、誤字が多くて申し訳ないです

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弓巠
(2017-10-11)

Migikataさん、コメントありがとうございます。 返信が遅くて申し訳ありません。 数字は人に対して悪ではない、主観とは離れたところにある、というお言葉、僕は、実はとても共感しております。 この詩においては、実は、「僕」と「君」がかなり前提となっています。「僕」は(お言葉を借りると)「ココロ無き」数字を、自分の主観や、恣意に基づいて、「君」に呑ませていく、けれど、それをあたかもどうしようもないことであるかのように言うのですね。そうしてある種の勝手さ、暴力性、そうして、無垢であるがゆえに危険である「数字」というものが立ち現れます。この詩において、「夢や愛という言葉をむやみに振り回して、人を絶望に追いやる連中」に近いのが「僕」なのではないか、と僕は考えます。ただ、「僕」は「君」を駆り立てるのではなく、眠ったままでいさせようとするのですが。 ある意味で、「僕」は完全に主観のないはずのものであり、無垢であるはずの「数字」を、恣意的に使う、特殊な人間なのかもしれません。(書き手としては、やや主観的な考えとしての「数字」という言葉を使った、というのはあります。「僕」にとっては「数字」という”言葉”が奥深くで主観性を帯びているのだろう、というニュアンスです) 少し話は逸れてしまうのですが、Migikataさんの最後のコメントに、共感するとともに、感動いたしました。特に「飲んだ数字は飲んだ人よりも早く空っぽの浄土に帰っていく」という言葉。罪は、すべて人のものですものね。

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弓巠
(2017-10-11)

初めまして、amagasasasiteさん。コメントありがとうございます。 「僕」と「君」の関係に注目してくださり、嬉しく思っています。長年連れ添った関係にみえる、ということですが、この二人の関係の、ある種静止的なところ、閉鎖的なところは、確かにそのような関係に見出せるものなのではないか、と僕は思います。「君」は徹底的に「僕」によって無力なものとして扱われます。確かに、「君」は死者かもしれません、「僕」によって、生きる時間や歳月といった数字を飲ませられ続ける、という一つの死者のあり方なのかもしれませんね。(自分の詩についてなのに推量の表現が多くて申し訳ないのですが、僕にはそのように書くのが一番自然なのです) 優しくて、悲しい詩、よおっしゃっていただいたのも、とても嬉しいです。「僕」は恣意的な人間で、「君」に対して支配的なのですが、それでもどこか「君」に対する複雑な感情、どこか恐れるような、慈しむような感情を持っているのではないか、そう思います。

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