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『藤井龍平の肉迫』より。   

作成日時 2018-10-21
コメント日時 2018-10-23

〈 私は詩人ではない。 詩人としての体位に既に私はない。 あの時 ある一葉の詩を見て、詩を書き重ねて、重ねては消して、そしてやっと見つけたある意味での「答え」をネットの詩投稿掲示板に初めて貼り付けた私は確かに詩人だった。 ある一葉の詩を見て、初めて憧れに似た感覚を忘れられず、ただ純粋に、ただ執拗に近づくことを願ったあの頃の私は誰がなんと言おうと確かに詩人であった。 忘れられない、詩があった。 ただ、私は舞い上がっていたのかもしれない。ある投稿掲示板を見つけた。その名前は最早語るまでもないある場所だが、その、先程述べた作品はなぜか「優良」という破格の扱いを受けてしまっていた。私の自制心は壊れていった。眺める臭いが灰色に近くなった感覚、というと詩っぽくなってしまうがこれは詩なんかではない。 私は詩人ではない。 気がつけば私にとっての詩はツールであり、道具であり、言わば恥を隠すズボンのようなものだった。人間の5欲の中で、特に私は「名誉欲」に溢れていた、とは後にわかる事。私は、 認証されたくて。認識されたくて。許容されたくて。誇示したくて。認められたくて。認められたくて。認識されたくて。許容されたくて。許されたくて。認められたくて。認められたくて。その為に詩へ愛を注ぐようになっていた。私が私である為の詩。私が私としてある為の詩。恥を隠す為の詩。それだけ。が私の、アイデンティティ。 「 「世界の日本の学校の教室の一角の一角」 「男の地下道の中心音」 「遠くで船が往く」 「つばさ」 時間が経ち 「性と恋」 「ピルエット」 「白い目」 「Ha・Ha・Ha・・・」 「夏風」 「灰の様なこころ、灰のようなこころ」 時間が経ち 「シクラメン」 「零れ落ちた灰を」 「俺のギター」 「文明天国」 「藤井龍平の肉迫」 これらは全て、詩ではなくてな。オレを認めさせるための。大賞とるための。熱のこもった最高の作品達だ。だからここに紹介する。みんな見てくれ。 実を言うとな、沢山コメントしただろ、あんなものもな、私の作品を認めさせるための、もっと言うなら私を認識させるための、ただそれだけの「偽善」だ。あ、全然コメントのない詩に、あえてコメントしたこともあったなぁ。コメがすくねえと数少ないコメントしてくれた人の名前は覚えてるもんだろ。だからコメが多い作品にコメントしたりはしねえ。はっきり言うとな、人の作品なんてどうでもいいんだよ。正直良いと思った作品なんか殆どない。ない。俺が最高だ。だけど俺の作品なんかいまや誰も見向きもしねえだろ。それは俺という存在が認識されてないからだ。いっそのこと運営に名乗り出れば良かったかもな!ハハハ クソ、だけど推薦にすら選ばれねえ。箸にも棒にもかかりゃしねえ。なんだこの場所皆オレの事を分かってねえこんな素晴らしい詩がこの場所にあるか?あ?ねーだろ!わかったらとっととオレの作品にコメントしやがれってんだけっどいつもこいつも分かっちゃいねえどいつもこいつも分かっちゃいねえどいつもこいつも認めちゃくれねえだからこんな場所おさらばだ! 」 これは私が最後に残した詩であり、運営側に即座に削除された、言わば問題作だ。これを「詩」と呼ぶものなど誰もいまい。あの時と同じだ。私は自らの名誉に狂って去ってしまったのだ。 〉 そう言って長い長い彼の話がようやく一区切りすると、古汚いマンションのベランダでモクモクと煙草の煙が流れました。そして地球を汚します。 彼の差し出した1枚の紙切れに、一葉の詩が書かれていました。 それは、、と彼が続けます。何年かして書いた、と。しかし私は、、と。 続けますが私はその詩のあまりの稚拙さに逆に吸い込まれていく感覚を覚えてしまい。忘れていた感覚。それはピカソが辿り着いた真意に私も巡り会えた感覚。 彼の話もそこそこに、私はその詩を眺めました。余りに稚拙。そうとしか言い様のないその詩は、果たして彼にむんずと取り上げられクシャクシャに丸めて捨てられます。…。 〈 私は詩人ではなくなってしまった。詩をツールとして使い。詩を道具として使い。 〉 そんな彼はなぜこの話を私にはじめたのか。その理由は明らかなのです。 彼は、彼の心を、告げることで、私に、認めて欲しいだけ。 私に肉迫して欲しいだけ。


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2019/07/16 05時27分28秒現在
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コメント数(15)
カオティクルConverge!!貴音さん (2018-10-21):

メタでメッタメタにしとりますな ぶっちゃけがはっちゃけてますな 固めのペイントボールを沢山ぶつけられてる感じ でも始まりと終わりはキチッと決めている これは当たりのゴールデンバットを吸ってるような気分になる詩だ

じゅう (2018-10-21):

拝読しました。作品内の詩の部分の始まり、「を他の作品のタイトル群の「に紛れ込ませる手法、面白かったです。全体としては、自己顕示欲を詩という形で提出してきた男(著者自身?)の照れ隠しのような詩と捉えました。自分で気付いてるということの表明でもあるんだと思います。でもまたその照れ隠し自体がまた自己顕示であり、恥ずかしいような気分になるのを感じました。でも、詩を書く人、感性と作品を繋げる人はだれしもそういう側面を持っているものではないでしょうか、と自分は思います。

蛾兆ボルカ (2018-10-21):

詩を書くことに躊躇いや恥らい、その他ネガティブな想いを抱いて、詩を書いている他者にそれを示そうとする人が現れるのは、インターネットの特徴の一つに数えられると思います。 それは現代的で新しい現象とも言えるし、ネットの詩のサイトでは見慣れた風景とも言えます。 でも、詩(純粋な詩?)と詩作そのものを蔑まず、詩をツールとして使うことへの嫌悪ないし自己嫌悪に特化して作品化するのは、斬新で面白いかも(^^) それをやると、この作品が示してしまうように、自己承認を求めるツールとして詩を使うことへの否定になる、そしてそれはより深い矛盾を含む、ということは、私にとっては発見でした。 確かに詩をコミュニケーションのツールと考えることへの否定は、通説とか常識の地位にある、人気の思想だと思います。 でも、そうした考えの人々の多くも、自己承認のツールとしては否定してないのではないでしょうか。 自己承認は、まあ、求めるよなあ、と私は思います。 そこを否定しちゃうというのは、斬新ではあると思います。

ふじりゅう (2018-10-21):

貴音さん、コメント拝見しました。 私たばこはほとんど吸ってなかった為「ゴールデンバット」がいかなるものか分かりませんでしたが、日本最古のたばこの銘柄だそうですね。その特徴は(wikiによると)湿気などを要因として風味が一定してない、と。なるほど言い得て妙であります。 さて、「メタ」「ぶっちゃけがはっちゃけ」とのお言葉頂きました。メタだと思います、それが良否を分けるのではないかと。ただ非常に好意的に受け止めて頂き嬉しい、と並行して、ホッとしたという心境です。ボコボコに叩かれることも覚悟していましたので 笑。 ぶっちゃけ、に関してですが、ぶっちゃけな部分がないとは言えませんがほぼ創作物でもあります。勿論ですが、コメがすくねえと俺を覚えやすいだろ、だからコメの少ない詩にしかコメント書かねえんだ、などという薄汚い心境でコメントを書いているわけではございません。作中の藤井龍平は、私が抱えている承認欲求を人間として汚く感じるほどに肥大させた結果であると言えます。その意味でぶっちゃけた部分がないとは言えませんが、さすがにこれが私そのものではない、と一応、念の為書いておきたく存じます。 他方で、自己の承認のための詩、承認のためのコメント、という部分を汚らしく書いたという点についてはぶっちゃけました。それは認めます。 始まりと終わりはキチッと決めている、につきましては、メタな要素を多分に含んだ詩ですので、少しでもその内輪ネタな雰囲気を取り除ければ、との思いからですがキチッと決めているとのお言葉、感謝であります。 長くなってしまいましたがコメントありがとうございました。

ふじりゅう (2018-10-21):

じゅうさん、コメント拝見しました。 「に関してですが、申し訳ないです、という心境です。なぜならそこまで、考えてなかったからであります。 さて、自己顕示欲について。まずはじめに申し上げたいことは、確かに私(藤井龍平→ふじりゅう)をパーツとして用いた作品ではありますが、筆者をベースにしつつも承認欲求を限りなく肥大させたカスの「藤井龍平」が本作のサブ主人公ですので筆者(私)ではない、という事であります。これに関しては確かに分かりにくいと思いました、申し訳ありません。 さて戻りまして。作中の藤井は「藤井龍平の肉迫」をビーレビに投稿したことを後悔しており、しかしそうなってしまった原因については他者、または境遇、に押し付けています。確かにそれを恥じている、という部分はそうですし、自分で気付いてる、事もそうだと考えます。しかし気付いている、というのは過去の自分に限った話で、結局は私を承認してほしい、ための過去話である、という事実に気付かない主人公は結局、承認欲求塗れです。その意味で「照れ隠し自体が自己顕示」とのお言葉、非常に鋭いと考えます。 誰しもそういう側面を持っているものでは、とのご指摘、確かにその通りだと思います。自己顕示欲を持っていない人はほとんどいません。認められることに無頓着な人はほとんどいません。が、問題なのはその度合いですよね。彼は完全完璧に、詩、コメント、その全てを承認欲求にガン振りしています。また、その話も結局、恐らく話しぶりや態度などから、主人公に承認されたいという欲求に塗れていることが分かったのでしょう。確かに作中の感情を完全否定出来はしません。しかし、側面、であれば私は問題ないと考えます。両面が自己顕示であるからこそ、彼は社会不適合者なのです。 非常に鋭いコメント、ありがとうございました。

ふじりゅう (2018-10-21):

ボルカさん、コメント拝見しました。 詩作に対するネガティブな思想を示そうとする、それがインターネットの特徴の一つ、とのこと。あまりそういった作品に出会えてはなかったので、そうなのか、という感じですかね。純粋に勉強になります。 詩をコミュニケーションのツールと考えることへの否定、は人気の思想、だと。確かに人気そうではありますね。正直考えてない訳では無いです、もっと言うと、色んな(ネット)詩人の方々と交流できることは、(こうした、作品を触媒とした交流を含めて)嬉しくもあり楽しくもあります。 自己承認の否定、についてですが、完全否定ではない、つもりです。行き過ぎた承認欲求を否定しているだけであります。その意味では、詩をコミュニケーションのツールとして、を題材とした詩についても、いき過ぎると確かにダメなのかと。いつかそういったアプローチでも詩を作ってみたくもあります。 斬新とのお言葉、ありがとうございます。また、本作を好意的に受け止めて頂き嬉しく思います。コメントありがとうございました。

帆場蔵人 (2018-10-22):

失礼します。 読みながら深夜にもかかわらず、ぶっちゃけ具合に爆笑してしまいました。承認欲求、どう足掻いても無くなるもんじゃないですよね。人を褒めて伸ばすときって、そこを突いていたりしますから、成長という方向に進めば良いのですが。なかなか。 認められたい!そんな自分の顔を見たようでもありました。

ふじりゅう (2018-10-22):

帆場さん、コメント拝見しました。 爆笑ですか、それは図らずも笑いを取れたと言うことであり感無量です。承認欲求というものは意外と自分では気づかないもので、知らず知らずのうちに自己顕示に塗れていたという事はよくある話のように思います。かく言う私も、承認欲求は高いほうなのかもしれないと、常々思っております。その通りですね、いい方向へと働けば良いのですが、悪い方向へ働くとどうしようもなく厄介なのが承認欲求ですよね。好意的なコメント感謝致します。

̶み̶う̶ら̶か̶じ̶つ̶ (2018-10-22):

僕のギターがあるところが、本作を感傷があるものとして私は受けた。そもそも論をやるとき、往々にして理屈が先行する。その理屈がまた自虐を補完する。本作も自虐が全面にある。私には本作が不快な自虐とは映らない。なぜならば自虐を自覚しているようで、自覚していないから。自己陶酔感が強い。それはいいことだと思う。詩は自己陶酔が多分にある。かもしれない。

ふじりゅう (2018-10-22):

みうらさん、コメントありがとうございます。拝見しました。 自虐を自覚しているようで、自覚していないから、そして自己陶酔だとのご指摘、まさしくその通りですね。本作は自虐のようで自己陶酔のような感触です。そてはいいこと、とのお言葉、褒め言葉と受け取らせて頂きます。ありがとうございます。 ギターに感傷を感じた、との事ですが、うーん、それは私としては自覚がなかったものですから、なるほど、そういう見方もあるのか、といった感じです。理屈が自虐を保管する、というのは大変勉強になりました。また不快な自虐とは映らない、とのお言葉、有難く頂戴致します。かなり不快な内容も入れましたので、ほっとしました。

ふじりゅう (2018-10-22):

みうらさんへのコメント返しですが、〈そては→それは〉でした。訂正してお詫び致します。

stereotype2085 (2018-10-23):

まさに「肉薄」。良いと思います。赤裸々に内面を吐露し、恥も外聞もなくのたくるように「卑下」にも似た自己分析が続く。疾走感と迫り来るものはなかなかのものです。ただ一つ失速したかな、と思ったのはコメント書きについて言及したところ、あの箇所だけはコメントを入れてもらった人にも波及するので別の描き方、もっと筆者様の内面をエグク、エグク無残にも解体する方法はなかったかなと思います。着想はとにかくも素晴らしいです。筆者様の「勝負魂」とでも言うべきものが見えました。競い合う作品がなければ優良以上確定でしょう。これだけ覚悟の入った作品は中々珍しいので一気に読み進めてしまいました。画家ダリの伝記を出版当時、批評家たちが評した言葉「ピンクのスポットライトを浴びて展開されるストリップショー」を思い出しました。

かるべまさひろ (2018-10-23):

作中の人物もふじりゅうさんも、詩を長く書いていく未来であるとよいな、と馳せました。 内容は上手だな、と思いました。 形式が洗練されすぎかな、とも思いましたが、ビーレビは形式にこだわった結果形式が洗練されていない作品も多いので(よしあしではなく)、差別化されてて(題材もビーレビなので)特長だなと感じました。

ふじりゅう (2018-10-23):

ステレオさん、ありがとうございます。コメント拝見しました。 仰る通り、本作は勝負でしたね。いえそれは大賞絶対とったる、などそういう事ではなく、〈この内容の詩〉を投稿することに対しての勝負というか覚悟です。いわば初めて水泳においてプールに飛び込む時のような感覚。結果的には、少なくとも無難に入水に至り胸を撫で下ろしました。 さて、コメントについて藤井が述べた箇所について。ここは非常に迷いました。いえ勿論もっとエグく書く事も出来たのではありますが、詩として不快感が悪い方向で働く事に臆病になってしまった節があります。何度も読み直し、そして皆様のコメントを頂き思った事は、仰る通りこの箇所は特に推敲の余地があったのだろうと考えるところです。投稿した時の心境としては、ここまで書いてしまってはたして大丈夫なものか、とまるで逆のことを考えていましたが。ただ、お褒めの言葉を頂き感無量でもあります。 画家ダリへの批評の言葉につきましては私存じ上げませんでしたが、ストリップショーですか。ダリはそのような作風のイメージがあまりないので(溶けた時計の作品などは記憶にありますが、あの作品がダリ作であったのかどうか少々曖昧でもあります)ストリップショーとは中々に奇を衒うような批評だと感じた次第であります。

ふじりゅう (2018-10-23):

かるべさん、ありがとうございます。コメント拝見しました。 作中の藤井は一応詩作をしてはいますが、作品を公開するという精神、状況ともにない為一人で淡々と続けるに留まっています。私にもお言葉頂き恐縮です。私としては続けたい気持ちはありますが、忙しかった時期(今年の2月~5月辺り)はほとんど詩の分野に着手出来なかった為微妙な所です。が、将来的に投稿はたまにしかしないけれど、一人で黙々と書く正に藤井龍平=藤井龍平な状態になるかもしれません 笑。 お褒めの言葉を頂きありがとうございます。洗練などとんでもないです。形式ばったという観点については、私はかっちりしたそれっぽい詩が好きですので自然にそちらによってしまったのかもしれません。差別化されているとのお言葉も非常に嬉しく思いました。ありがとうございます。

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