一日半 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

わたしがいのることは

とても甘く、奥深い言葉の数々でした。

最初拝読した時、相手のとの思い出が甘ったるくて、でも相手の見えない面を知ろうとしてしまう無意識の欲求に感じました。しかし、もう一度読み返したら、最後に晴れやかな空みたいなTRUEENDを信じようとする描写が印象的でした。

^^

わたしがいのることは

とても重い

みんな経験したことがあるであろう、とても重い"ちょっと"が詰まっている。

錠9

生きる

声なき声を拾いたいと思ったことはあるか

わたしは、ある。 あなたの胸を叩き 何故なのかと問いただしたい そう呼び止められた時 わたしは何と答えられるだろうか。 静かにだが確かにこの詩からは 張りつめた足音が聴こえる

ぼんじゅーる

天皇陛下万歳

知的破産者及び愚昧界の金字塔

平成天皇と存命中に呼び不敬を極め、大正・令和を外す選別賛美。明治から平成まで乱暴に万歳する時代錯誤と挑発精神が光る奇作。

大人用おむつの中で

好きです。

切れのいい、知性あふれる現代詩だと思いました。

ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)



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一日半    

   一日半                 田中教平  腰を痛めていたカナは先日、自暴自棄になって、大根一本とキャベツ一玉を含んだ買い物袋を肩にさげて、近くスーパーマーケットから帰ってきた。やはり悪かったのか、今度は脚を痛めた。腰と同じ右側であった。  夫のユウスケといえば、この日、朝から鬱っ気が酷かった。既に起きていたカナに訴えて、本日は通所している事業所への出勤を控える事にした。ユウスケは焦り、その分だけ家事をこなした。次第に疲弊してきた。 「体調が悪いという割には鼻歌が出るんだね」 そう、カナに告げられ、ユウスケはムッとした。体調が悪いからこそ鼻歌が出るのだと言いたかった。  ユウスケの頭の中を占めていたものは、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト、真島昌利、そしてサンボマスターのラインナップでカバーしたザ・クラッシュの「白い暴動」という曲だった。  その曲のライヴ動画を思いかえす度に、というか、時間があれば自然思い出している、曲の印象の方からこちらにやってくるのは、ユウスケにしても不思議な事であった。 「俺、ストレス溜まっているのかな」  山ほどの家事を終えて二階リビングの炬燵で眠っているカナを尻目に、ユウスケは体調を安定させる為に散歩に出る事にした。  ポケットに、キーと、スマフォと財布を入れた。未だ一月の末である。外は寒い。  自宅から裏道を通って大きな十字路のある道に出る。十字路にはコンビニエンスストアがあって、ユウスケは入った。店員が一人、片足をひきずるようにして、作業している。ユウスケは脚を悪くしたカナの事を思った。それから、コーヒーとチョコレート飲料を買って出てきた。  十字路を西方向に歩いてゆく。外気の寒さで、肺が清められてゆく感覚があった。  路上に三台、車がちらかって停まっていた。警官が何やらその車の持ち主であろう男性と話し込んでいる。どうやら事故であるらしい。 三台の車の内の一台は、正面が大破していた。  ユウスケがその現場を抜けてゆこうとするとき、警官とドライブレコーダーを確認していた若い女性が、目を、カッ、とさせてユウスケの姿を捉えた。ユウスケは(おや)と思いながら、遂に女性は何も告げなかった。 ただ、怒りか、泣きたい心情があってそれを誰かにぶつけたいのか。ユウスケが去った後も、女性はただひたすらに路上に立っていた。 (今日は悪い気の流れている方へ、出てしまったのかもしれない)  ユウスケは歩きながら考えた。ユウスケは浄土真宗本願寺派で、占いの類は信じない事を旨としていたが、日の良い・悪い、は気にするは、この方位は良い・悪い、考えてしまうタチがあった。ユウスケとカナの自宅は、裏道を入って、更に奥に入った所にあったが、 ユウスケは常々、こう、自宅が奥の奥では、気の流れが悪いんじゃないか?と考えていた。 そうして、ユウスケとカナの持病──精神病もよくならないし、カナも腰を悪くするのではないかと。そして、ユウスケとカナの自宅に至る為の小道に、ブロック塀があったのだが、持ち家の老婆が施設に入ったのか、空き家になると、それからブロック塀も取り壊される手筈となり、ユウスケは内心、これでよく気が巡る、と喜んだ。しかし、実際は、ユウスケとカナの持病も一進一退の状況が続いていた。  ユウスケは神社に向かった。一月の初めの頃、カナといっしょに初詣に行った神社だった。さて、ここで気を引き締めて、再度、お参りをしようか、とも考えた。しかしその計画は早々、崩れた。頻尿のユウスケが尿意に襲われたからであった。神社のトイレが使用不可能である事が分かると、気を急いて、今来た道を帰った。路上では先と変わらず、三台の事故車。若い女性の姿は見受けられなかった。  ユウスケはコンビニエンスストアで用を済ませた。又、カナの為に、チキンを買っていってやろうと思い、店員に注文した。ちゃっかり、自分の分もチキンを買ったら、しめて五百一円だった。これを高いと思うか、安いと思うか。いいや、安いとは思えない。それでもカナの笑顔がユウスケの喜びだった。自宅には急いで帰った。  炬燵にカナは未だ眠っていた。炬燵で眠りつつ、痛む腰や脚をかばうから、変な恰好になる。しかしその顔は笑顔で、朝寝を満喫しているようだった。赤子のような顔だな、とユウスケは 「ただいま、チキン買ってきたよ」 と声をかけた。  炬燵の上にチキンを並べる。しかし、カナはあまりそれを喜ばないで、身を起こすなり 「今日、買い物についてきて欲しいんだけど」 と言った。 「買い物?いつから?今から?」 「そんなに気がかりなら、午後からでいい」 ユウスケは半ば納得した様子で、考え事をしながら、ベランダに出ると、ハイライトを一本喫った。しかし、あまり美味しくない。  というのもユウスケは、五日前に禁煙外来にかかった。こういった郊外都市になると、どこで禁煙外来をしているのか、それを探すのも以前は一苦労で電話をかけまくったものだが、スマートフォンのネットワークにAI機能が搭載されてからは、禁煙外来、〇〇市、 と入力しただけで、判明した。  腎臓と肝臓が永い喫煙習慣に対してダメージを負っていないのか、血液検査をした後、身長、体重を計測されて、それを終えると医師との問診があり、ユウスケはチャンピックスという薬を服用しての禁煙を開始する事になった。チャンピックスという薬は、最初の一週間は服用しつつも、煙草を喫ってもいい事になっている。ユウスケは最初、服用後、三日でやめてしまおう、とも思ったが、やはり口寂しさと日頃の習慣があって、喫ってしまった。しかし、煙草を喫っても、スッキリとした心地ではなく、なにとなく、モヤモヤとした心地になった。  そこにカナが来てまたユウスケに訊いた。 「ねぇ、あたらしい鍋買っていい?」 「ん?鍋?鍋は新しいの買わないとね」 「どこで買うの」 「そりゃあ、ホームセンター」 「いっしょに行ってくれる?」 ユウスケは苦笑して 「鍋くらい、ホームセンターで一人で買えるだろう!」 と言った。カナも少し笑って 「一人で鍋買いにいくの、さびしいと思うけど。後で高い鍋買って、なんて言わないでよね」  ユウスケがこういうときに考えてしまうのは、カナとの共依存の関係にあるんじゃないかという事だった。  共依存というのは、元はアルコール依存症者のいる家庭で顕著な、夫、妻なり、親、子なりの関係だった。  共依存にはイネイブラーと呼ばれる存在がキーになるのだが、問題を抱えている者に対して、イネイブラーは世話を焼きすぎてしまうのだった。  ユウスケもカナも、精神疾患を抱えているが、その事に対して一方では、一般的な健常者より相手の状況がよく見る事ができたので、勝手が良かった。  しかし、普段の生活でいえば、夫、妻という関係を尊重しつつ、敬愛しつつ、度が過ぎているような事になってしまう事が多々あった。  基本的に、カナはユウスケといっしょでないと、外出しなかったし、外出しても、先のコンビニエンスストア、スーパーマーケット、ドラッグストアが精いっぱい足をのばした方で、一方、原動機付自転車に乗る事ができたユウスケの活動範囲は広い。  カナは、とおく古書店に向かっていたユウスケのスマートフォンに何度も「さびしい」というメッセージを送った。ユウスケは焦りつつ、自宅に帰った。  一方で、ユウスケは家事が苦手で、家計のやりくりも含めた多くをカナに負担させていて、ユウスケは常日頃、自分を薄情にさせるのは、自分の無力ゆえだと自分を責めた。  これはユウスケやカナどちらかが、悪いという事ではなかった。互い、世話を焼きすぎてでも、家庭を維持しなければならない余裕の無さのようなものを、互いの疾患自体が、作り上げていたということだった。  ユウスケは思案を巡らせて、今日、体調不良で事業所に行けなかったけれども、その先方への連絡は、自分で入れるべきであった。 カナが米を炊いておいてくれたけれども、それを茶碗に盛るのはやはり自分でするべきだったと反省した。  一通り反省を済ますと、ユウスケは一階に向かい、書斎のノートパソコンを立ち上げた。 そして今日のあらましに順々、想いをめぐらしながら、それをWORDに書きつけていった。  すると、カナが現れて 「何?小説?」 と訊く。  暫し二人は無言であった。 「カナさんもさ、小説を書くじゃない。でも小説というものをどう定義している?」  カナはまたはじまったと思った。ユウスケがこう小難しい議論をしたいときは、決まってストレスを感じているときだ。しかし、その口調はマイルドな、ユウスケがユウスケ自身に問いかけているような口調だった。  又、暫し、二人は無言であった。同じデスクで、一方は日記に近い、今日のあらましを書き、一方は出来たばかりの小説の直しを行っていた。  ユウスケが呟いた。 「とにかく、小説らしい小説が一番いけない。芥川龍之介では歯車、あれば一番良い」  言いつつ、ユウスケは芥川龍之介の「歯車」の筋を追ってみようと、後ろの書庫を探ったが、無かった。  カナが黙っていた。カナは実はユウスケの持っている文庫や書籍は全部把握していて、その「歯車」が収められている文庫は、ちゃっかり、今、隠れて読んでいたのであった。 「昼食は、ねぇ、ご飯でいい?」 ユウスケは文庫を捜すのをやめて、時計を見た。昼の十二時十五分だった。 「ああ、いいよ、僕、卵を落として食べるよ」  自然二人は書斎の暖房を消し、照明を消し二階、キッチンへ上がっていった。  ふたり昼食を済ませた。ユウスケは卵かけご飯を、カナは納豆ご飯を食べた。カナの調理でウィンナーを焼いたものも出た。  皿を洗いながら、ふたりで言い合った。 「昼飯で困ったが、結局の所、米だったね」 「朝、昼連続で。でも、お米は飽きないわよ」 そう聞いてユウスケは、世に、生活保護を受けているひとは、ともかくお米を買う。三食でもお腹いっぱいになるから、という方が多いという情報を思い出した。  実際、生活はカツカツだった。一か月、障害年金、二人合わせて十四万円で生活せねばならぬ。以前はユウスケも働いていたが、意識が混濁し、入院してしまって以降、まともに職に就くことは難しかった。そうして、リハビリの面でも利用させて頂いている事業所だが、今朝のように体調を崩してしまいがちで、ポツポツとした利用だった。 「ねぇ、買い出し何時に行く?」 ユウスケはハッとして応えた。 「そうだねぇ、今一時だから、二時」 一時間、暇になった。ユウスケは書斎に戻り、今日のあらましを総点検した。そこから不要なエピソードを排す、作業を行った。記憶について語られたエピソードについて、ユウスケが知っているものはシャーロック・ホームズ氏によるものだった。曰く、記憶と言うものは箪笥の中の衣類と一緒であって、箪笥に充分衣類が入っていては、あたらしい物は入らない、だから、不要なことは忘れてしまおう、という言葉であった。この言葉を初めとして、この端的に物を云う探偵をユウスケは好んだ。 また、ユウスケは原稿のコピーを残さない男であった。原稿のコピーは不要である。作は作として成ったら、次が遺稿になるかもしれないのだからそれに力を注ぐ。だからユウスケの書斎はさっぱりしていた。書斎が乱れているとしたら、それはカナのなんでもコピーしておく習いに起因していた。 「ねぇ、見てみて、ほら」 と言ってカナが書斎に入ってきた。体温計を手にしている。『三十七度二分』を指していた。 「風邪じゃん。インフルか、インフルB型か、コロナか」 「疲れて当たり前だった、どうしよう、今日、もう、買い物行けない」  カナは自室の寝室で養生する事になった。 買い物といっても、たいした事はなく、餅の小包装されたもの、計一キログラムを一袋、後はコンビニATMでお金を下してくるといったものだった。渋々、ユウスケ一人で行く事となった。 「小豆、小豆って言ってもユウちゃん、分からないでしょう」 「ふむ」 「まあ、まだあるし。明日、買いに行けばいい」  ユウスケはコンビニエンスストアに向かい、それからドラグストアに向かった。幸い餅はまだ大きな棚で展開されていた。ユウスケはトボトボと帰った。 「ああ、ユウちゃん、携帯忘れていったでしょ?悪いんだけど、アイスが食べたいの」  ユウスケは段々苛々しはじめた。苛々を鎮める為にも、また歩いて出かけた。  コンビニエンスストアでバニラのアイスとジャイアントコ―ンを求めたが、いつものバニラアイスが、バニラのアイスでなくて抹茶のアイスしかなかった。カナが好むか分からないが、他のバニラアイスで代用する事にしたので、いつもと別のバニラアイス、抹茶のアイス、ジャイアントコーンと三つ買って帰った。  カナはバニラアイスを食べた。途中で味が感じられなくなったと、ちょっと弱気だった。  ユウスケはカナの寝室で、床に横になっていた。古いブルースを小さな音で流して聞いていた。 「あのさ、ロックだと割と方向性が分かるんだけど、ブルースになると方向性が分からないよな」 「方向性?」 「ブルースってさ、演奏していると、演奏している奏者も、ブルースに染まってゆくって事が言えると思うんだな」 「ふうん」 「ロックだと、演奏者と聴衆の一方通行同士になりがちなんだけれど、ブルースの場合はどうだろうか。まずは演奏者が自分自身で自分のブルースにスウィングするというか、ノラなきゃならない。それはロックの典型的なエイトビートに自身もノル、という事とはちょっとニュアンスが違う気がするな」 「何か難しいね」 カナは咳きこんだ。 「大丈夫かい?」 「お母さんからLINEが着たよ。サーカスのチケット、いるなら明日届けるって」  カナがユウスケにLINEの文面を見せた。 「どうしよう、わたし。風邪なのに」 「いや、マスクをすれば問題ないんじゃないか?それにしてもさ、今朝の僕の体調の悪さ、 あれはやっぱり風邪だったかもしれない。だから、うつしちゃってご免ね」  ふたり溜息をついた。 「さっき、電話で相談していたんだけど、やっぱりしっかりとした発熱外来で診てもらわなくちゃ駄目よ、って。肺炎になる可能性もあるし。だからユウスケさん、わたしを病院に連れていって欲しい」 カナの確固たる意志がみてとれた。その事を考えていたユウスケも不意をつかれたような顔をして、それからスマートフォンで近隣の病院を検索しはじめた。 「ここだね、耳鼻咽喉科」 病院は徒歩圏内にあった。そしてこの家庭に車は無かった。あるのはユウスケの通勤用の原動機付自転車だけだった。  ふたり外に出るともう夕方であった。ユウスケがカナの手を握ると熱かった。手をとられたカナが握りなおすように力を込めた。  ゴミ集積場を過ぎ、大きな建築会社の広告看板を過ぎると、すぐに耳鼻咽喉科の病院があった。  受付を済ませると、カナの握っていた番号札は五十一番であった。伺うと、今、三十番だという。 「すいません、家が近いもので、一旦、家に帰っています。なにしろ、妻が疲れちゃうもんで」  一時間ほど自宅で待つ事にした。ふたり話し合い、その間に夕食を済ませてしまう事にした。  カナはフランスパンをガリガリと切り、多くをユウスケの皿にやった。今朝作っておいたシチューを温める。このシチューには大量の大根が入っていた。 「いただきます」  二人、夢中で食べていると無口になる。ユウスケは思い出したように 「美味しいね」 と言った。カナは 「なんかわたしの方がお肉入ってて、ご免ね」 と一言言ったきりだった。  一時間経ったところで病院に再度、向かった。  待合室で待っていると、ユウスケの知っている人が病院の受付を済ませていた。その人は、ユウスケが以前勤めていた会社を、ユウスケより先に退社した人だった。こういうとき、ユウスケはどうその人に接すればいいのかわからない。ただ世間は狭いので、やはり悪い事はできない、というのは、以前会社に勤めていたとき、その先にやめた人というのが、この地域の新聞の内容を取り上げて話題にしていた事を思い出した事が大きかった。  ユウスケもカナも、さびしい二人暮らしというとそうではなく、それが希薄に思えても地域に包括された存在であり、社会性を持っている。社会参画したいのにできづらい事はあったが、社会的責任を伴いつつ、尚、ひっそりと誰に迷惑をかけるでもなく暮らしている。  ユウスケはきっとそんな事を最低限でも証明したくて、小説なり詩歌なり書き、この地域の新聞が取り上げてくれる、市のコンテストに応募していたのだと、自覚した。  カナの精神病はユウスケより重度だった事もあってか(毎日三回を限度とした頓服薬の使用が欠かせない)、より切実な表現欲求であり、カナにとって小説とは自己に向かってくる刃を受け、それをはねのける盾のようなものだった。 ──「五十一番さん、中待合室どうぞ」  カナはその後、診察室に通され、ユウスケも後を追っていった。 そのとき、計測した限り、カナは三十六度四分で、熱は無かった。鼻の粘膜からウィルスの感染を調べる検査も行ったが、インフルエンザ、コロナ、どちらも陰性であった。  ふたり病院の会計を済ませ、薬局に向かい、風邪薬を貰った。医師曰く、これで先、土曜日、日曜日休んで快方すれば、それは一時的な風邪であるし、それでまた熱が三十八度など出れば、又、病院に来てもらう、という事だった。  薬局を出ると外は真っ暗だった。 「カナちゃん、暗い顔するなよ、ジュースおごってやるよ」 「いいの、でもわたし、いろはす、でいい」 「俺はコーラにするかな」 「コーラ、百九十円するよ」 「なに、買ってやるさ」  ふたりは意気揚々と家に帰った。互いの健康を祝いながら。そして、寛解という形でしか訪れない、互いの持病の治癒を祈りながら。  キッチンでユウスケはハイライトのパックを破って、今日、何本の煙草を喫ったか確認した。禁煙手帳に記入する為であった。そして喫った本数は格段に減って、一日二十本から一日十本。しかも、その十本も満足に喫った訳ではなく、なにとなく火を点けたら消した分だった。  書斎で、小説なり詩歌なりについて研究する時間が増えていた。若山牧水全歌集という分厚い本も買って、それを読みながらいつの間にか自室の寝室に向かっていって寝てしまう事が増えた。その背景には、夜は左利き、ウイスキーの味を覚えた事も関係していた。しかしウイスキーは六十グラム、この量を越えないように、且つ水かソーダ水で割って飲む事は、今度はお酒の依存症にならない為に留意していた。  これも全て、最近は夜早く朝早いカナを眠らせてからの娯楽だった。  眠ってしまって、カナのいないキッチンに立って、サーモスのカップに氷を放りこんでいる合間、ユウスケは寂しいような気がして眼が潤んでしまう事があった。  ユウスケとカナの互いの依存度がどれほど深いかが知れた。  ユウスケは次回、診察のとき、精神科の先生に向かって、カナとの関係性が、適正であるかどうか問うてみたいと考え、パソコンにそのあらましを書いてゆく作業も行っていた。 (話が続いているか、どうか) そしてユウスケはあらましの筋が途中で断ち消えようと、小説として書いていこうと決めた。書斎の戸は開いており、そこにたまたま起きてきたカナがユウスケの背を眺めながら 「まだ、書くの」 と、一言言った。ユウスケは何故か、体中の力が抜けたようになって、今宵は、大人しく眠ってしまおう。眠ってしまってもいいのだ、と考えた。  次の日は土曜日で、ユウスケとカナは八時頃起きた。冷え込んだ朝だった。ユウスケはやはり胃の悪さと、頭の中のアルコールのひっかかりのようなものを感じていた。  ぼうっとする頭で、カナが用意してくれた卵かけご飯を食べ、且つウィンナーを焼いてくれたものを食べた。  精神の薬二錠に、漢方に、チャンピックスに、胃薬を服すと、洗いものはユウスケがした。ハイライトを喫うのを忘れていた。吸ってみても、やはりモヤモヤするだけで、チャンピックスがよく効いていた。ユウスケは書斎に向かうと、昨日のあらましを、小説として成してゆく作業を行った。  カナは食べ終えると、洗濯に取り掛かった。 一通り作業を終えて、カナも書斎に来た。 「体温ね、六度、七分です」 「そう、今日はゆっくりするんだね」 「あのさ、ユウスケ、ユウスケとわたし、家にいる時間はほぼいっしょだよね。それでわたしばかり家の事するのは、違うと思うんだけど」 ユウスケは冷静になって 「うん、そうだね」 と応えた。 「やっぱり、わたし、それだと疲れちゃう。いつも疲れちゃう」 それからカナは、疲れた、疲れた、と呟いては、なんとか洗濯物を干し終えた。そしてまた書斎に向かって、スマートフォンで昨日行った耳鼻咽喉科に相談の連絡をした。その言を聞いていると、カナは気持ちが悪くなっているらしい。しかし耳鼻咽喉科の土曜日の午前中は予約いっぱい埋まってしまったらしかった。病院が宛てにならないと分かると、カナは自室の寝室のベッドに横になった。そして書斎にいるユウスケに向かって、こっちに来るように何度も声をかけた。ユウスケは渋々、カナの寝室に向かった。寒かった。 「ねぇ、なんで暖房点けないの?」 「お金がもったいない。それに寒くない」 「いや、相当寒いと思うけど」 「そう?」 カナはエアコンのリモコンを取ろうとして、ベッドからずり落ちた。 「大丈夫かい?」 「大丈夫じゃない」 カナはベッドを直すと、毛布に包まって、眠ってしまった。ユウスケは病のカナの為に、ポカリスウェットを買ってこようと考えたが、 こう寒いとなかなか重い腰が上がらなかった。  ユウスケは朝湯に入る事にした。さくばんの湯を追い炊きした。  湯が炊けるのを待っている合間、ユウスケはまた、煙草を喫おうか、どうしようか考えて、昨日の残りのハイライトを眺めては一本手にとってみた。火を点けた。喫った。しかし、何の感興も無かったのを確かめると、消した。  朝風呂に入り、スッキリしたユウスケに、俄然、勇気のようなものが湧いてきた。コンビニエンスストアに向かい、まずATMで五千円下ろした。これは、もしも明日の朝、カナが充分、快方していたらば、電車で隣町まで遊びに行く予定になっていたからだった。  そしてポカリスウェットと、自分用のコーヒー飲料をカゴに入れると、会計を済ませて自宅に帰ってきた。 「ほら、買ってきてやったぞい」 ユウスケはカナにポカリスウェットを渡す。 寝ていたカナがハッと起きて、それを受けとった。カナは口の渇きを潤すと、また眠ってしまった。ユウスケはカナの寝室にノートパソコンを持ち込んで、作業した。ユウスケが書いていたのは、依存症に関するメモ書きだった。 ・まず、自分はニコチン依存症であるけれども、チャンピックスを服用してその依存症を解消してゆきたい。 ・お酒は嗜む程度。ウイスキーならば一日に六十グラム以上にならないように摂取する。 ・共依存の関係に注意する。考えて明確になったのは問題を抱えている、多く抱えているのは自分の方で、世話焼きや甘やかしをするイネイブラーはカナである。 ・治療と世話を焼く事の境界線を明確にする。 ・カナの家事の負担を減少させる事。  ユウスケは生活について今一度、確認してみる必要に迫られていた。カナが「わたしが家事をしている」という主張をする背景には、 調理と洗濯をしているのが主にカナだったからだ。調理は、家計との兼ね合いがあるので、 なかなかそれ行うに難しいが、自分の洗濯くらいはできる。  そして掃除。これをするのはユウスケの方であった。何かと室内が雑になってくると、頭がクサクサしてくるので、掃除も自分の担当にすればよい、とユウスケは思った。  ゴミ出し、風呂掃除共にユウスケが行っていた。  ここでユウスケは考えざるを得なかった。確かに調理はしていなかったが、カナはそれ以外の多くの家事を、ユウスケ任せにしていたのであった。では、カナといえば普段家にいて一体何をしているのか。  小説を書いていた。  又は電話していた。  それ以外に、何かしているのだろうか。カナは以前から、自分の残されている時間は有限であるから、それを大切に生きてゆきたい、 と言っていた。  カナの負担とは何だろう。消去法で考えてゆくと、調理以外に無かった。しかし、その後片付けはカナがやったり、ユウスケがしたりしていた。  こうして細分化してみてゆくと、結局、カナにとって調理が負担であるし、つまり日々黙々とこなしているから当人も自覚が無かったが、苦手な事なのであろう。  ここまで考えて、ユウスケはため息をついた。時間は午前十一時頃になっていた。昼食が近い。  という事は、カナが寝ている内に、手軽に食べられるパン等の食品を買いに出てしまえばいいのだ。  本日、カナは体調不良であるから、調理も更に負担であろう。  ユウスケはなんだ、そういう事だったのか、と思うと同時に、なんだそんな事だったのかという思いが複雑に交差していた。ユウスケは再び、外に出る決心をした。  カナはすっかり熟睡している。  ユウスケの頭はコーヒーによって冴えていた。  窓辺、カーテンを抜けて、木漏れ日が室内に届いてくる。  ふと、カナのスマートフォンのタイマーが鳴った。  それでも、カナは眠ったままだった。  



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作品データ

コメント数 : 29
P V 数 : 1132.8
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投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2026-02-01
コメント日時 2026-02-05
#ビーレビ杯不参加 #縦書き
項目全期間(2026/02/12現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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2026/02/12 06時57分30秒現在
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    作品に書かれた推薦文

一日半 コメントセクション

コメント数(29)
三浦果実
作品へ
(2026-02-01)

最近、小説書きにトライを始めた私としては自作との比較で読んでしまったわけですが、上手いですね。ネット詩カルチャーに居なきゃなんない1人です。ただ私小説で終わらせてはダメに思います。ぶっ飛んだポエジー物語、やってほしいですよ。まだ若いんですから。

1
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2026-02-01)

まだ読みの途中で感想書きますがちょっと保坂和志的な雰囲気を感じました(じゃあ保坂和志と比べてどうなのか?とも思いました。シビアな問いですが) 残りの感想は、また後日。

1
田中恭平 new
田中恭平 new
三浦果実さんへ
(2026-02-01)

おお。三浦さんや。久しぶりです。生存確認しました。されました。小説トライしているんですか。僕は天才詩人代表の最後の宿題としての小説、ともかく原稿用紙三十枚、埋めるまで基本的に書斎から動かないと決めて書きました。ただビーレビにそのままコピーした後、改行を直さなかったので、そこはミスしてるっす。うっす、とか言いつつ僕も38ですよ。今年39になります。ビーレビ観ていても生活感のある詩がいいなと思って。だから私小説です。勿論、全部本当の事なんてありえませんけれども。ありがとうございます。

0
田中恭平 new
田中恭平 new
おまるたろうさんへ
(2026-02-01)

保坂和志さん、いいですね。彼の作品をパンセのようにノートパソコンの脇に置いてポツポツ読んでいた事も。小説の自由、かな、図書館で借りた。ありがとうございます。

0
作品へ
(2026-02-02)

面白くて没頭してしまいます。執筆してくださりありがとうございます。

1
田中恭平 new
田中恭平 new
木さんへ
(2026-02-02)

こんにちは。木さんは「き」さん?「もく」さん?はじめましてですね。宜しくお願いします。 没頭しましたか。それに勝る誉め言葉はないように思います。嬉しいですね。しかし、WORDからビーレビの投稿フォームにコピーする際に、改行をミスったまま投稿してしまいました。読みづらくてすみませんです。ごめん。

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つつみ
作品へ
(2026-02-02)

コメントを書く際、できるだけ自分の話をしないようにしているのですが、あまりにも自分の生活に近いものを感じたので、今回は書かせていただくことにしました。すみません。 私は精神病が寛解しなくて、結婚は無理かなと思っていたのですが、旦那さんが一緒に乗り越えようと言ってくれました。本当にこのことに感謝しています。 それでも、子ども2人を育てるためには私も働かないといけなくて、10年はがんばったんですが、やっぱり働くことができなくなってしまいました。 専業主婦になったら、家事をするだけであとはゆっくりできるんだから、本当に助かる、って思っていました。 でも、不思議なもので、専業主婦になってもだんだん家事がつらくなってしまう。 旦那さんも子どもたちもほぼ1日、職場や学校で「社会」の中で生きている。帰ってきたときくらい、家をきれいにしておきたいし、食事も美味しいものを作ってあげたい。 でもそれができない日は、罪悪感に蝕まれながら布団のなかで過ごします。それが後々起爆剤となってまた日常に戻れるのですが。 カナさんのように、何かを頼んでしまうときって、もう限界の時で、心に余裕もないから、その頼み方もぶっきらぼうになってしまい、家族を苛々とさせてしまうんです。 共依存という言葉が作品に出てきますが、私からするとある程度の共依存は、健全なことなのかとも思いました。私は結構元気なときは1人で何でもやってしまおうとして、反動が来て、鬱になる、という流れを辿るので、旦那さんはできるだけ一緒に行くことを提案します。 しかし旦那さんはイネイブラーとまでの世話好きではなくて、わたしが調子いいときは、1日中炬燵でゆったりとパワプロしてるし、私に家事を任せてもらえてるのが嬉しいとも思う。 さて、買い出しの場面は、ほんとにあるあるで、共感できるところが多々ありました。なかなかカナさんは自己中だなと思いながら、私は相手の苛々を感じ取ってしまうから、買い物を頼むときは旦那さんが苛々しないように気を使ってしまう。 ユウスケさんも精神病なのに、苛々しつつもとてもがんばっててえらいです。特に印象的なのが食事シーン。カツカツだからとりあえずおなかが満たされるものを食べている。 >今朝作っておいたシチューを温める。このシチューには大量の大根が入っていた 第1連のカナさの買い物がここで温かく伝わります。 >ユウスケもカナも、さびしい二人暮らしというとそうではなく、それが希薄に思えても地域に包括された存在であり、社会性を持っている。社会参画したいのにできづらい事はあったが、社会的責任を伴いつつ、尚、ひっそりと誰に迷惑をかけるでもなく暮らしている。 本当にそのとおりだと思いました。社会参画することが、生きる力を与えてくれたりする。仕事できるのが一番いいのかもしれないけど、今の私にとってはこうやってネット詩にコメントしたり投稿することも、ささやかな社会進出。 >ユウスケは朝湯に入る事にした。さくばんの湯を追い炊きした さくばんが平仮名なのはどういうことなのだろうと想像して、お湯のぬるさみたいなものを思い浮かべました。 >朝風呂に入り、スッキリしたユウスケに、俄然、勇気のようなものが湧いてきた。 これは本当にわかります。鬱になると私はお風呂にはいれないこともありますが、それでも意を決して入ると、ものすごくプラス思考になるんです。明日はうまくいくんじゃないかなって気持ちになる。お風呂ってすごいですね。 >「ほら、買ってきてやったぞい」 このセリフにも、初めは腰が重かったけど、寒い中カナさんのためにポカリを買ってあげられた高揚感のようなものがつたります。 >ユウスケはなんだ、そういう事だったのか、と思うと同時に、なんだそんな事だったのかという思いが複雑に交差していた。ユウスケは再び、外に出る決心をした。 ユウスケさんがどのような思いだったのか、はっきりとはわかりませんが、家事の負担については、多くの夫婦が相手に不満をもらすものです。自分はやっているじゃないか、いや、あなたより私の負担が大きい、と。でも、ごはんが作れないなら、パンやお惣菜ですませればいいよってなるのに至るのって、結構時間がかかる気がするんです。 >なんだそんな事だったのか とお互いに思える関係でありたいです。 >窓辺、カーテンを抜けて、木漏れ日が室内に届いてくる。 ここに、すっきりとしたユウスケさんの心や、すっかり安心して眠るカナさんの心地よさが反映しているように思います。 私も今から大量の洗濯物と台所の片付けがあるけれど、この小説を読んだら頑張れる気持ちになりました。ありがとうございます。

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田中恭平 new
田中恭平 new
つつみさんへ
(2026-02-02)

つつみさん、お久しぶりです。熱のこもったレスポンスを頂けて恐縮です。引用部分に付されたコメントが胸に沁みました。 じっさい、僕の生活は社会復帰へのリハビリですね。といっても、事業所をいろいろ、たらい回しになってしまったので履歴書がめちゃくちゃになっており、当分は、今いるところで、働いているのか、働いていないのか、っていう微妙なポジションに居続けるしかないんだと思います。でも、だからこそ思うんです。社会の最小単位は家族なのだと。そういう意味で、僕は個人で動けている人はほんとうに凄いなぁ、と思ってしまうんです。そして絶対に、どんな人間も地域の社会性を負う、とも思っています。これは良い、悪いあると思っていて。そういう意味でユウスケは厳しいんですよ。いい年こいて、コンビニをよく利用している男性って謎過ぎませんか?ユウスケもお金がカツカツなのにコンビニ行き過ぎなんですよ。まあやる事が散歩くらいしかないってとこも問題ですね。問題だと思いつつ、対処のしようが無いというアイディアは夏目漱石の「門」から拝借しています。実は。もし未読でしたらば、お薦めします。門の主人公の名前は、宗助(ソウスケ)なんですよ。

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takoyo2
takoyo2
作品へ
(2026-02-02)

いつもの憑依文学なわけでして、 一茶が気にいれば一茶風の詩歌を書いて投稿、 山頭火や放哉が気に入ればその文体や感性を真似る。 今回はどこやらの作家の雰囲気が気に入ったみたいで 彼に憑依しているのだけど、これは一種の才能で、 本人がいうように憑依してその好きな作家の筆体で書いて いると気持ちがよく精神的なリハビリになる。 でもそれは多分、錯覚で、麻薬と同じでそれやってると 永遠に心は空洞のままになる。憑依というのは心が空洞 でないとできない。そうすると一生、心が空洞なまま だれやかやに憑依しつづけて、書いているときは夢中で 愉しいけど、あとでむなしくなり、また別のだれかに 憑依する。こういう詩歌は、見る人が見るとどうも あまりよくないものをみてしまった気になる。 黙ってればいいのだけど、かつて運営やっていた方なの で厳しく指摘しておきたい。自分や世間に甘ったれず 少しはまともな自分の詩や小説書いてみてはどうだろ。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2026-02-03)

憑依文学なんて初めて聞きましたが、一般的に言ってそれは習作というのでは?お読みくださりありがとうございました。

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takoyo2
takoyo2
田中恭平 newさんへ
(2026-02-03)

習作というのなら習作でも構いませんが、わたしは 創作(虚構)は好きですがウソが嫌いなんです。 あなたの書くものは創作という虚構じゃなく全部ウソでしょ。 「ユウスケはムッとした。」じゃ済まない激しい罵り合いや、 憎悪が火花を散らしているはずなのに、そういうものを 様々な作家の感性や文体に隠れて美化し、全部隠しているのが 丸見えなんですよ。 習作はそういうことには使いません。技術の向上や練習を 目的とした「試行錯誤の過程」で生まれる作品のことです。 いつもだれかの作品の文体や感性で誤魔化している作品は 文学(自己表出)ではない。そんなことをしていると、ほんとう に心が空洞になるだけじゃないですか。どうしてバカにされて もいいから自分の文学を書かないの? 少しは島尾敏雄を見習ってはどうかと思いますよ。黒髮氏も そうだけどぜんぜん書けない読めない人たちが選評をやり 運営をやり無責任にほうり出して出ていくから、ビーレビが こんなになってしまった。そのことへのなんら言及もなく しゃらりと出てきて、こんなもので鼻の穴を膨らませている。 勘弁してよ。

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田中恭平 new
田中恭平 new
takoyo2さんへ
(2026-02-03)

ですからー、今まさに自分の文学を展開して、takoyo2さんにバカにされているなう じゃないですか。 自分の小説が下手なのはわかりきっていますよ。それでも私小説として自分の生きている日々には愛着がある。 ムッとはしますが、憎しみの感情なんていまさら湧きませんよ。だって僕、今年で39ですよ?大人なので。 黒髪さんと何かあったんですか?気にしない事ですよ。僕も黒髪さんも天然なんだから。もう。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2026-02-03)

隙ま時間にアイフォンでスクロールしながら、ちょっとずつ読んだ。完全にランダムではないが、長短の断片をきれいにならべている。これは芥川の「筋のない小説」を範にとったのだろうか。ところどころ小説的になり、またあるときは日記風の記述、音楽論や文学論、フィクションなのかリアルなのか判然としない会話、精神医学をめぐる思索、が短いながら次々と現れる。ひとつひとつ読んでいくと、作者の世界がたちあがり、緩急自在である。読後におもったのは、宇野常寛による村上春樹批判で、男性側が自らの“弱さ”を免罪符にして女性を精神的に支配する、という例の構造。これと比較したいような気持ちになった。本作は二人の関係を「共依存」という、ありていにいえばかっこわるくて、私小説的な切実で泥臭い記述で村上作品的なナルシシズムの罠をうまく回避しているようにも思える。この作品に文学的価値があるのだとしたら、まずはそこだろう。ラストは、書き手と語りが共有する「自己の安定感」(自己欺瞞)への疑いのようなものを描きたかったのかなとも思ったが、果たしてそううまくいっているのか若干疑問もある。どこか箱庭のなかで閉じてしまっているような印象がぬぐえない。

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青山杜甫
青山杜甫
takoyo2さんへ
(2026-02-03)

作品とは関係なくて申し訳ないのです。 「心が空洞でなければ憑依できない」この考え方に疑問を持ちました。 知性によって、 シャーマニズムは完成するというのが わたしの考え方だからです。 空のずだ袋は立たないように、 空の精神も言葉にはならない。 仮に憑依したとしても、 使用するのは本人の言語野、ブローカ野、運動野などなのですから、 本人の知らない言葉は出てこない。 本人の学び、 或いは教養、知性というものが 前提にあってこそ 「憑依」という狂気が発生し、 方向づけられ、完成するのです。 ですから、 心が空洞でなければ憑依は起きない、という考え方はエンジンがなくても自動車は走ると言ってるようなものです。 ただ、自分の意識で書く経験も必須だと思いますね。 〈見者〉だけでは、 いずれ限界が来るので

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三浦果実
作品へ
(2026-02-03)

約10年前からある田中恭平氏の文学極道時代からの作家像としての文脈を多少知る私からすれば、takoyo2氏の評文は、田中恭平氏へ敢えて言及されてると私は評文を読んでおり、青山氏が示す「心の空洞と憑依について」のコメントはtakoyo2氏と田中恭平氏の間にある文脈からすれば(無論そんなこと知らんという話ではあるが)少々的を射ていないと、思う。ただ、青山氏が入れたコメント姿勢には好感を持ちます。建設的です。 また、話が逸れるけれども、作品よりも作者田中恭平氏へ言及するのは私は有りではないかと思う。芥川賞選考のなかで、「太陽の季節」について選者のどなたかが、これを書いた石原慎太郎の内心が恐ろしいという趣旨が講評で書かれていた。

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2026-02-03)

文学について四六時中考えている人。「文学徒」というのでしょうが、田中恭平 newもそういえる人かもしれませんね。ネット詩カルチャーにおいても、希少な存在ではないでしょうか。暴飲、薬物、サイコパス、ソシオパス、あとはメンヘラ生産工場としてのすけこまし野郎、そんな愛すべき屑たちによって彩られている文学史。文学徒というのは、ろくでもないのであり、田中恭平 newも本質的にそういう部分がきっとあるのでしょうが。うまく「我」の部分を隠してるような印象がありますね。本作でその印象が強化された。山田2が喚いているのも、要するに、文学のシチュエーションで発揮される感情みたいなものにも基づく倫理なのだと思いますが。

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takoyo2
takoyo2
田中恭平 newさんへ
(2026-02-04)

しょせん小説や詩つまり、ただの妄想だから、かってちゃかって、 好きに書けばいいんだし、感想批評なんか無視して、そりゃ、 それでいいんでだけどね。 >私小説として自分の生きている日々には愛着がある。 その愛着を、たとえば小津安二郎的、東京物語的な静謐なリアリズム の金型に流し込んで自分たちの生活を美しい神話に昇華させることも できるわけです。それはカラスの勝手です。 ただ、公開されるとそれは読者の審美にさらされるわけでしょ? するとどうもこれはウソだなとなるわけです。 小津的な『型』だけを借りてきて、中身を心地よい承認欲求(=私たちは こんなに支え合っているという美談)で満たしているというふうに映る。 それを指摘すると「ですからー、今まさに自分の文学を展開して、 takoyo2さんにバカにされているなう じゃないですか。 自分の小説が下手なのはわかりきっていますよ。」と開き直られるのだけど、 自分の文学とはよくもいえたもので、 まさにあらゆるものと正面から向き合わない「開き直り」の作物が あーたの一連の作品であるとわたしには見えるんですよ。 この小説風日記が秀逸であるとすればそれは、「お茶の間の倫理」や 「文学的伝統」が何を求めているかを正確に理解し、その期待に応える パッケージングを完璧にこなしているからです。 でもそれはわたしには通用しませんよ。たしかにわたしはバカですが バカはバカでも文学バカで、六歳のころからジュルサンド「愛の妖精」なんか 読んでボロボロ涙を流して泣いた子だからね。途方もなく文学に耽溺 して今日まで来た文学バカですから、バカにしたきゃバカにしていいけど こんなものを書いて誤魔化す生活、そりゃ勝手っちゃ勝手だから勝手に やりゃいいけどね。笑

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takoyo2
takoyo2
青山杜甫さんへ
(2026-02-04)

そうですか。そうかもしれないし、そうでないかも しれませんが、コメントありがとうございます。

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青山杜甫
青山杜甫
takoyo2さんへ
(2026-02-04)

「虚構(創作)はいいが嘘は嫌い」という考え方に共感します。 ただ、では田中恭平氏の作品が 本当に全部〈ウソ〉かは疑問です。 ウソと創作のちがいは、 前提の共有があげられると思います。 創作は相手も自分も虚構であると知り、 ウソは相手にはもっともらしく伝達する。 この理屈でいきますと 「開き直る」ことで ある意味、嘘と断罪したものが 虚構(創作)に姿を変えるのではないかと思います。 三浦果実氏が仰る通り、 田中恭平氏とtakoyo2氏の文脈、コンテクストはよく分からないですけど、 ひとりの文学を志す者として、 私のパンセを開き 皆様の意見を聞くことで 糧になると思いコメントさせて頂きました。 再び作品に関係ないコメントで申し訳ございません

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2026-02-04)

ちょっと後だしジャンケンで語らせて頂くと 僕の通院している病院で、マインドフルネス瞑想が推奨されていて 僕は坐禅を七年くらいしていたんですが、病態に変化がなくて、(三昧、という境地に至れたことがない) でもマインドフルネス瞑想を一年こなしたら、本当に、先におまるたろうさんが述べられている我のようなもの それから家庭内で口喧嘩したりとか、そもそも怒ることがそんなになくなっちゃったので 小説を書いても、のんべんだらりといいますか、安定した家庭を描くことになりますし 家庭内の火花バチバチとかほんと、無いんですよ。 その中で面白くするにはどうすればいいかも考えているけれど、虚構と嘘っていうことになるとまた難しいんですね。 どっちかというと、これはtakoyo2さんが以前仰っていた作文を意識して書いて、加えて、確か、朝ごはんで飯を食べる ところを描写して、詩を書いていた、と仰ってましたよね?それをキーにして、何かトルクが回り始めて 原稿用紙、30枚、一本勝負ということで書いたんですけどね。 ともかく、マインドフルネスストレス低減法というものを得て、僕は何か変わった感じがあります。 悪く言えば、人間味みたいなものが欠落しちゃったのかも知れません。

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おまるたろう
おまるたろう
田中恭平 newさんへ
(2026-02-04)

ネット詩の掲示板に小説をボンっと出してくるって、「ええ度胸しとんのー?」って感じですからね。きわめて健全なスレッドなのではないですか。 個人的な話で恐縮ですが、小説は徹頭徹尾ふざけてますからね、わたしは。遊んでナンボみたいなところがある気がするんですよ。とかく小説は「雑」の部分が大事で >この小説風日記が秀逸であるとすればそれは、 >「お茶の間の倫理」や >「文学的伝統」が何を求めているかを正確に理解し、その期待に応える >パッケージングを完璧にこなしているからです。 ...てのは、その通りなんだよな。 これ、田中恭平さんの全力とは思えなかったんです。全力を出せないっていうのは、結局才能がないってことです。いざというときに、いい女を口説けないのと同じです。ラストがグッとこないのは、腕がないからです。

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2026-02-04)

それって本当の事なのかな? まあ確かに今の還暦はパンクロック直撃世代だとしましょう。しかし、その雑の部分、「白い暴動」なり、ブルースについて語る部分は丸まる僕の趣味であって、お茶の間の倫理や文学的伝統に対してのノイズ、もっといえば依存症に感心の無い日本人が殆どだと思うので(僕は依存症という精神病にかなりオタクな面白みを感じているが)後半のブリッジは「要らない」んでしょう?ラストでグッとくることが、お茶の間の倫理観であって文学的伝統であって、それを粗野にしていることは、この小説がそもそも約束破りの破綻したものであることの証明になりませんか?

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田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2026-02-04)

うーん、ちょっと整理すると、習作なんですよ。市民文芸雑誌応募用に一作、ビーレビにこの一作、現代詩フォーラムに一作、で、初めて書いた小説たちは全部放出してしまった。作者自身の構想としてこの作は、等身大且つ破綻しているのではないか?というギリギリで書いていて、なんでかというと、小説の成功が僕にとってラストでグッとくるって事じゃなくて、そもそもこの話おかしくない?って所を狙っているからだ。ユニークというか。その、発表先の媒体のイメージを具体的にして書くというか。こういうモロモロも全部楽屋話ならば、不要なレスだし、習作だから、高尚な文学論も不要でしょう。ただ絶対、みんなこの小説は下手だし、なぜなら「おかしいからだ」と思ってるね。それでいいような気がする。今後のレスに依っては、議論をクローズします。

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おまるたろう
おまるたろう
田中恭平 newさんへ
(2026-02-04)

あ、いや、「グッとくる」というのは、まあ、NHKの朝ドラなんかでは、いまだに、古き良き寺内貫太郎一家の小林亜星と長男(西城秀樹)の取っ組み合いをリメイクし続けているが、むろんそういう文脈もあるにはあるが、まさかそこまでナイーブな受け取られ方をする想定はありませんでした。従来の小説のフィクションらしさ、劇的要素を指して述べているわけでもありません。むしろ、そういう偽物のエディプス的な枠組みを解体する方向にこそ、この作品の野心があるように思いますけどね(上記の私の読みはそこに重点を置いた) >そもそもこの話おかしくない? うーん、そうですね。このラストの等身大の肉声「おかしくない?」ということと、と同時に、日本文学の伝統である「マチズモ」への一撃にもなっているだろう。そこがこの作品を非凡にした可能性はあります。とはいえ、山田2を擁護する趣味はないが、彼は意外に文学のコードは読める人のようで、このきれいな「おさまり」具合が気に入らないと言っているようですね(そこに私ものっかったのですね)。 見方によっては、けっこうノリノリで「現代文学」をしているというふうにもみえなくはないわけです。だって、最近の小説、どれもこれも「おかしな」感じですし。 まず、小島信夫みたいな面白さは薄いように思ったですね。小島信夫って笑えるじゃないですか?ひたすらおかしいでしょう。そういう意味では、この作品におかしみはないですよ。すごくスマートなんですよね。笑えない。 これだと、ちょっと「弱者芸」...っていうと火力強すぎかもですけど、もっと小説ならではの賑わいやフリークやオブセッションがないといけなかったんじゃないかな。それで、どいつもこいつも、救いようがねーなあって感覚を前面に出していったら良かったかもしれない。ふりかえると、主要人物が二人だけっていうのが弱みになってしまったような気がします。あれこれ書いて、すみません。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
青山杜甫さんへ
(2026-02-04)

あなたの意見のほうが正しい解釈ですね。 憑依する。とは、 あるトランス状態を指して乗り移る、或いは取って代わることで、 これは何者かを対象にされる表現です。 心が空洞でなければ、とは、 精神病理学的にはトラウマのような心理的状態を指していて、 この虚実性は鬱状態を表すとも言える。 あなたの言われるようにジャーマニズム。 つまりジャーマンや麻薬中毒患者がトランス状態になり憑依するとき、 べつにこころが空洞である必要はないのです。ね。 これを発したじじいは考えを整理せずに舌なめずりして文言に酔い痴れたと思われます。 花を見ずして泥中の栗子ちゃんを拾うばかりで、ヘタな格好つけるんじゃねーよ。 と言っておやりなされ。笑

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青山杜甫
青山杜甫
メルモsアラガイsさんへ
(2026-02-04)

心が空洞であればいいという言説は、 安易な神秘主義ですからね。 うつ状態における 「家にいるのに家に帰りたくなる」という報告は、存在の本来性の欠如といいますか、空洞だからだと思うのです。 初投稿で、takoyo2氏に 「お話になりません」と評されましたが、返信したら「やっとまともな方が出てきましたか」というコメントがついたので、たぶん私たちが冷静になって、品性と礼儀を重んじれば理解して下さると思うのですよ。 ただ、 花を見ずに、泥中であっぷあっぷしていては苦しそうなので、 私が目を惹く花になるしかないですね笑笑

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takoyo2
takoyo2
青山杜甫さんへ
(2026-02-05)

わたしは言葉足らずで口下手なもので、言いたいことのわずかも 相手に伝えることができない低能なところがあります。 一応、わたしがこの作品にもあてはまりますけど、現代詩フォーラム のTOPU10を批判する文章を「現代詩フォーラム」に投稿しておりますので、 青山さんだけでなく、わたしのコメントに不審を抱かれた方々に、 もし余分な時間があれば読んでいただければわたしのコメントの意味が わかっていただけるかもしれません。↓ 【凄いぞ!TOP10 「甦るデカルト」】 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=395255 とりあえず論の出だしところだけ一部掲載させていただきます。 田中恭平 newさん、すみません。他サイト誘導目的ではありません。   透明な時間  砂時計のなかの  静寂が、  机のうえで  ふわりと膨らむ。  窓辺の光が  埃を踊らせて、  世界が少し、  優しくなった。   君のとなり  信号待ちの、短い沈黙。  君の影が  僕の影と  手をつなぐ。  青に変わっても  気づかないふりで、  もう少し。   落書き  雨上がりの空に  消えそうな  飛行機雲。  だれかの、  言えなかった言葉みたい。 これらの、まるで詩のような心的な記号(心のテンプレート) はAIが一瞬でつくったものです。 0.1秒でした。 また、これらはわたしがAIに指示してつくらせたものではなく、 googleの検索窓で、かつてあった詩投稿サイト「ぽえ」なんと かを探そうと打ち込んだ「ぽえ」をAIモードの検索窓が何を勘 違いしたのか一瞬につくりだしたものです。「まだまだ幾らで も生成できますが如何ですか?」という言葉があとに続きまし た。 おそらくAIが作り出したこの詩は、どこのネット投稿サイトへ 出しても「イイネ」がつくでしょう。なぜなら詩ではないか らです。わたしはAIがドヤ顔で作り出したこのような心のテン プレートを詩とはみなしていません。また、このような詩もどき は一瞬にしてわたしの感性からは排除されます。でも、おそらくネ ット投稿板では「ほっこりしました」「やさしさにうたれました」 etcという声が届くでしょう。 これらの詩は「構造しかない日本人」の空洞化した心に響く"詩も どき"なのですが、いまはこれが日本の現代詩の主流になっていま す。(コアなところではさすがにそうじゃないと思いたいですが) わたしが「凄いぞ!TOP10」でとりあげた方々の詩を見て下さ い。るるりらさんやそらの珊瑚さんその他の方々の詩になぜわた しが違和感を覚えたか。 あてどない雪 とけてしまうまでの つかのま 弱音はあたたかい   (そらの珊瑚「冬のいろ」) やっぱり おなかのあたりに 虹がある   (るるりら「はらぐろくも むなしくもない」) 「弱音はあたたかい」ということばが出てくる必然性や根拠はじ つのところこの詩のどこにもありません。 でも、それがどこから出てきたかが問題なのです。 「やっぱり おなかのあたりに/虹がある」という言明もかなり 強引です。でも、これらのフレーズは人々の心をなごませます。 冒頭のAIの詩の世界と相似性をもっています。 AIは世界中の詩を検索して、そこから、 空洞化した現代人の心に忍び込んだ、クリシェな心のテンプレー ト一式を、数千、数万、数億と取り込み、それを編集して詩を生成 します。なぜそんなことが可能になったかといえば、ひとつは、 現代人の心が空洞化して、そこには「みんなから共感されるみんな のことば」が埋まっており、詩を書く人が、詩を書くとき、それが わたしという自意識の実感であると誤認されて出てくるからです。 つまりは「このわたしの実感」ではないのに「このわたしの実感」 から出たもので詩を書いていると思わされているのです。だから AIは冒頭に掲げたような詩を幾千幾万と一瞬にしてはじき出しま す。心的な描写であればあるほど、これからますますAIはその感度 を高め、修辞の方法を精妙にし、音韻も思想も複雑化させてイイネが 届きやすい詩を量産するでしょう。 つまりAIは現代詩フォーラムのようなところで常にTOP10を飾る詩し かつくれないのですが、それを量産するでしょう。 ではAIに決してつくれない詩の領域があるとすればそれはどんな ものになるでしょうか。 わたしたちが今のように心を虚しくして生きている時代に、外部に 向かって言葉を発するとき、どうもAIはそういう抵抗の詩はまったく 無力なようなのです。デカルトのように「すべてを疑え」というし かない時代には「自分の実感」すらも疑えという感覚はなかったの ですが、この 「疑い」の根拠を身体にもっていくことをデカルトはしなかった。 わたしが、るるりらさんや、そらの珊瑚さんら、いわゆるTOP10詩に 違和感を覚えるときには頭は稼働しておりません。なにか知らないけど 身体がむずむずとそれを否定する、その身体感覚でまず身を反らし、 その違和感の正体をつきつめようとします。 これがわたしのいう「新しいデカルト」の方法の必要性が喫緊に迫って いるということなのですが......(あとは現フォのサイトでお読み下さい)

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三浦果実
takoyo2さんへ
(2026-02-05)

上手下手でも教養でもない「書く動悸」が今後の重要なものになるのかと、コメントを読んで考えました。勉強になりました。

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青山杜甫
青山杜甫
takoyo2さんへ
(2026-02-05)

恐らくですが、 takoyo2さんの見てきたもの 示されたものに比べれば すべてがおが屑のように見えるのではないかと思います。 空洞化した現代人の心に 「共感しやすい言葉」を量産する。 これは私も危険なことだと感じてます。 だからといって、 ではAIが書いたものと人間が書いたものを峻別できるほどの慧眼が私たちに備わっているか?と問うたなら甚だ疑問です。 ましてや、 高尚なものを書くことだけが詩ではないのでね。 その閉鎖された空間で 相互承認のゲームをしてるのが 現代詩壇でしょう。 それこそ空疎な伽藍です。 私からすれば 「共感される」言葉がかけない人間は 人の心をさっぱり理解できてない人だし、「専門的」「難解」な言葉が書けないのは凡庸な悪に染まってるとしか言えない。どちらも書けるべきなんです。 どっちにしろ 「書く動機」が大切という意見は 賛成です

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