ふたつの硝子球がぶつかり合うところに、いつもゆるやかな波がおきることを教えてくれたきみに、たくさん包んだ花弁がいまも、ゆっくりしおれていくのがわかるのを、その速度のままで眠りに落ちてみることが、空点に残されたいくつもの眩い。音を漂白されたものたちの寝息は土の中のカセット・テープに録音した、半壊の回路にただしく足裏を合わせることがルールで、根を張り動きはじめるにはまだ植物たちは呼吸しながら速い
包みかえす、低く窪んでいる場所からまだ遠くないところにいるきみに向かってピース、台形の輪が吊るされて反射する光りはまぶしい、そのそばの洗い場で掬う水の中に光る魚がうまれるとほら、すぐそこの。らららもるるるもどれもおんなじように聞こえるのはここがまだぬかるんでいるからだよ、きみにはわからないことがある、先導する犬の鼻先にリボンをつける
はじまりには括弧をつける。雨音……(読点がにじむ日、別れを告げること)衛星中継と「ピーー」フラジオ。にせものの天体のかげと偽装される足音のリズムを聞かないよハロー、ふっ、と吹くとゆっくり揺れた軌道がぼくの輪郭になるとき(誰も見てない・目をつむる)
作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 1505.7
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-01
コメント日時 2025-02-18
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1505.7
2025/12/05 22時20分49秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
お読みいただきありがとうございます( ⸝⸝ ᴖ.ᴖ ⸝⸝ )
0人間の想像したものには、秩序が付きます。大切な思いを、込められた詩に思えますが、 言いたいことをこのような形に言い表せられる人は、祝福を手にしてきた人のように、 感じられます。いくつかの達観の繰り返しの中で、人々は進んでいきますね。 決して後退しない決意を、人々は持ちます。これから、もっと先へ進んで行かれると 思うのですが、自分自身について、ホンモノを掴んでは、人と違う新しさを 作り続けて行く人には、幸がついてくると思います。人は、ホンモノを選んでいかなければ ならず、ニセモノを避けるべきです。ホンモノの地獄を味わってきた私からは、 そのように感じるとしか言えません。ニセモノはニセモノとすぐわかるし、ニセモノ でいい人なら、そうするしかないのでしょうが、私はそれらに黙ってはいられないのです。 まだ猶予の時間は、残されているので。人の地雷を踏むことが、愚かな行為と言えるのでしょうか。 極限状態を体験してきた私からは、生や時間を捨てようとしている人がいることが、いかにも 残念に思えるのです。不快も快適も踏み越えて、鉄の足を手に入れた人が、その脚力で 全ての個所を踏破していくのです。全ての言葉がポエムではないように、全ての人が詩人で あるわけでもない。詩を書いたりやめたり、歩いたり寝込んだり。全ての悪の思想を眼にしてきた 我々は、元々それらすべてをはねのける力を備えているはずです。立ち止まって息を切らしている 人に、ごゆっくりと言って、励ましてあげなければならないのです。何を身に受けようと、 迷った人を助けたり、自分の迷いを覚ましてもらったりして進んでいくしかないと思います。 この詩で、高橋高橋さんのプレイするゲームのルールを、いくつか学べたような気がします。
1「らららもるるるもどれもおんなじように聞こえるのはここがまだぬかるんでいるからだよ」、そうかもしれません。 ラララやルルルを付けた詞をこちらに載せたことがあるので、少しギクっとしてしまいました。
1お読みくださりありがとうございます( ⸝⸝ ᴖ.ᴖ ⸝⸝ ) あくまで健康的に書いていきたいです
1お読みいただきありがとうございます☺︎ 〈ららら星のかなた〉(谷川俊太郎)です
1谷川俊太郎さんの詩だったのですね。 谷川さんはもっとも言葉をよく操り愛した方でしたね。
1久々にこのサイトを覗いてみた時に、一見して、ああもうすごいなって思いました。 到底真似できないなと。どこがどうすごいのか、説明できないくらいすごいなって思っています。
2ふたつの硝子球を通して。といったかたち、視界、連想が、展開していきます。良いなーと思うんだけど、単純にきみぼくから外れない枠組みで書かれていることが勿体ない。場に合わせ読まれる栓を、抑えている、といった印象を持ちました。
1ありがとうございます、、、
0お読みいただき、ありがとうございます! 〈きみぼくから外れない枠組み〉からさらに向こうへ(セカイ系以後? あるいは抒情の完全系?)行くには私の技術が足りていません、、、
0粒子が限りなく0に近い確率で壁を抜けることがある、「トンネル効果」というあの現象?を連想しました。 速度の表現が重要そうだったり。速い速度では「through」できない、「ゆっくり揺れた軌道」で接触し合うことで通り抜けることができると、その速度を掴み取っていく詩だとも思いました。 たとえば第三連、心地よく振動する倍音を出す、「フラジオ」も出てきますしね。一貫性がある。 では、「through」とは。「ふたつの硝子球」、眼のようだと仮定すると、「きみ」との見つめ合いの先の心を知ろうとするような。「たくさん包んだ花弁」も、本心がゆっくりと分かっていくよう。 しかし、そんな希望一方向の抒情に留まらず、第一連の後半、視点が俯瞰の位置に移動し、「植物たち(=自分たち)」がまだ速いとして、お互いの理解を急ぐことを気に掛けるような、その側面も持っています。 AOIさんが指摘していますが、セカイ系は、「世界」という「全体」を見ると見えてくる現実から目を背けるための装置になると、駄目なのだと思います。「世界」の残酷さ、希望だけでなく絶望などが、「きみ」という個を見つめてもそこに凝縮されていることを描けるなら、良いセカイ系だと思います。 つまり、セカイ系から外れないままに、世界へ眼差しを向けることは、可能なのではないかな、と。この詩はそれが達成できているように思えますし、このまま書いていって欲しいと思いました。 良い詩でした。
1お読みいただきありがとうございます☺︎ ゼロ年代には、中尾太一が「絶対抒情主体」というのを唱えました。やけに長い行を積み上げていくことで、〈きみ〉にしか手渡すことのできない、再現不可能なレイアウトとして〈きみ〉に向けて書くこと、すなわちある種の〈セカイ系的な枠組み〉ではあるものの、その美しさや愛おしさ、それからさみしさをうたうことで詩を書く、という感じでしょうか。 東浩紀によって〈大きな物語の崩壊〉が語られたあとの世界=今をわたしたちは生きているわけですが、わたしは〈大きな物語〉の時代を知らない。〈機能不全を起こし〉た世界がはじめからある、という認識で、ある種のデータベースの中を生きている、とでもいいましょうか。(『動物化するポストモダン』) 社会的なことを描く詩もあっていいのだと思います。後期の茨木のり子のような。それでも、そうでない言葉を好きになってしまうのはわたしの嗜好でしかないのですけど、とにかく自分が好きなものを書く、ということでしか詩を書けないわけで、だって、辛くなったら書くのをやめたくなってしまいそうですし…。楽しく書く、というか。 長くなってしまいましたが、わたしなりのアンサーのつもりです。 あらためて、お読みくださりありがとうございました?
1