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もうシラフには戻れない
わたしたちは、信じている、 この世界、の存在を 無意識に、 視点がなければ 物語は、</void> 産み落とされ、意志もなく 足並み揃わぬ道の前 おくりものを恥じる、 (肉体があることが、ただ気持ち悪いだけ) 素粒子状の塩をパスタに使う どれだけの塩を買えば きょうの佇まいは保てるか? どれだけの資源があれば わたしはわたしを保てるか? いや、そもそも、 保つ必要はどこにあるのか 生きる必要はどこにあるのか 死ぬ必要はどこにあるのか とおくで流れる懐かしい音が、 殺意を濁らせ、 ナイフを隠している 関係性の中にある糸の、 実像なき、観念で 語られることはなにもない それは肉体も同じで 極限まで離人して 神と同じ目線に立つと なにもかもがどうでもよくなる 小さいことで騒いでるだけ たかが一個体の、 悲しむのが正常だ、 泣くのが正常だと、 言い伝えは多いものの、 きっと、正常に悲しめない 愛を送ることができない 危険なプログラムが実行されている この世界全体で 神話という名の トレーシングペーパーで この世の図面を写し取る いまの基盤は昔の図面 危険なプログラムが実行されました 紛れたトロイの木馬が 人々の神話をとおく滅ぼすだけ 後には神の名を模した 離人症が待ち受けるだけ 地獄に熱いイメージがあるのは ファイヤーウォールが 搭載されているから 危険なプログラムは破壊され 現世への持ち出しを許さない 小さなちいさなUSBメモリは 今現在枯渇しているのに やっぱり世の中は 認証された世界では 大きいものが正義なんだな すべてが大きくなった世界で わたしたちの認証を不要とした 世界は、 わたしたちの居場所を どこに設定するだろうか、 もうシラフには、戻れない
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もうシラフには戻れない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 662.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-12-24
コメント日時 2025-12-27
| 項目 | 全期間(2026/01/13現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


むつかしい詩なので全体が読めたという自信は 到底ないのですが、 書き手の苦悩というか絶望のようなものの根拠 というか原因というか情況のようなものは、な んとなく「ああ、そういえばそうだよな」と感 受できたような気がします。 ただ、そういう部屋にいてそういう部屋にいる 自分を書き手が鏡に映しているから、この詩の ようなものになるような気がするのですが、 そのような部屋にいる自分を鏡に映すのではな く、一度、部屋の窓を開けてみてはどうかなと、 少し思った次第です。 窓をひらくと例えばガザあたりでは子どもが無 差別爆撃で腕をちぎられ、それを拾おうと母親 が泣き叫んでいる。インテリが暖房や冷房の利 いた部屋で紅茶を飲みながら内面の閉じた苦悩 に懊悩しているとき、たとえば東南アジアのカ カオ農園では誘拐され売買されてきた子どもた ちが五歳から働かされ過労のため平均寿命は二 十歳だという。しかし飽食平和のつづいた世界 でも珍しい国ではインテリがチョコレート菓子 をつまみながら、 関係性の中にある糸の、 実像なき、観念で 語られることはなにもない それは肉体も同じで 極限まで離人して 神と同じ目線に立つと なにもかもがどうでもよくなる 小さいことで騒いでるだけ たかが一個体の、 と懊悩している。でも、 不思議なことにこの神のような「たかが一個体」 に対する視線は、ガザを無差別空爆し、妊婦を 無差別に狙撃して笑うイスラエル兵の視点とまっ たく同じだという奇遇。 いや、わかるのですよ。批判しているのではない。 この詩の作者ではなく書き手の懊悩はわたしにも よくわかる。「わたしたちの認証を不要とした世 界」への絶望はあります。しかし、窓をあければ そもそも「システムに認証(認識)すらされない」 まま、単なる数字として消えていく子子どもたち が山のようにいて、精神以前に肉体を返せと叫ぶ 母親がいる。インテリ特有の懊悩のみなもとになに があるか、その懊悩の辛さもわかります。 でも窓をひらけば「贅沢なこといってら」という声 が聞こえてくるような気がしてならないのです。
1お読みいただきありがとうございます。 > そのような部屋にいる自分を鏡に映すのではな >く、一度、部屋の窓を開けてみてはどうかなと、 >少し思った次第です。 とのことなんですけど、こちらは全編日本語で書かれており、間違ってもヘブライ語ではありません(日ユ同祖論は考慮しないこととする)ので、当地の人々にとっては聞き流されるレベルの話です。あくまで日本圏内の話として読んでいただければと思います。 あと、このような日本語のサイトでガザの惨状について語るだけ語って、あなたは何をもたらしたいのでしょうか?私は「国境なき医師団」に募金をしています(毎月3000円ほど)。身体的な都合があるため、ボランティア参加はできていませんが。
0どこか覚束ない感じの、そんな夢の中にいるかのような詩
0うん、うん。観念してますね。でも、私的には、国語よく知らんけど、名詞と言うのか、品詞と言うのか、もっと、言葉にまとまりが有った方が、作品がより良く見える気がします。知らんけど。
0お返事ありがとうございます。 募金をされているという ことですがわたしはあまり、そういうことはしてません ので投稿者さまのやさしいこころざしには敬服いたします。 ただ、私が申し上げたかったのは、支援の有無という 「手続き」の話ではなく表現の根底にある倫理的な「眼 差し」についてです。 月々の寄付が、詩の中で綴られた「なにもかもがどうで もよくなる」という離人的なシニシズムを免罪することに はならないでしょう。むしろ、金銭で解決しているという 自負が、他者の痛みを『記号』として処理する現代人の特有 の効率主義や自動化、簡素化を助長させてはいないでしょう か? この詩の語り手の意識が(意図せずとも)「持てる者の虚無」 を再生産し、遠くの他者の生存を抹殺する視点と同期してし まっているかもしれないことに危惧を覚えませんでしょうか。 作者さまは詩の中で「世界全体で危険なプログラムが実 行されている」と大局を語っておられます。それなら、ヘブ ライ語で語られなくとも、 やはり世界全体に視線をひらくべきではないか、つまり 窓をひらくべきではないでしょうか。書き手の苦悩は わかるような気がするのです。なるほどたしかに逃れが たい社会や国家の情況があります。それが人をして人で なしにしてしまうシステムがあるのも事実です。その 苦悩はまさに詩人が感受してしまう苦悩であって、詩の ことばにするのは必然であったでしょう。しかし、 その苦悩におぼれてしまうのではなく、もう一歩引いた ところからみることも大事なような気がするのです。 鋭敏な感性が軋轢に耐えられなくなってこの詩を書かせた ことはわかります。しかしそれは所詮、自分の身体を 鏡に映しているだけのような気がしてならないのです、 このボンクラのわたしには。 失礼致しました。
1コメントありがとうございます。 私の好きなクリエイターに「John Clowder」と言われる方がおりまして(最近の詩人は自分を詩人とは言わない、作るものすべて詩が混入していることに気が付いているから)、その方が作られたゲームのエンディングの方で「Life is a dream, or perhaps death is a dream.」と綴られていたことを思い出します。
0>知らんけど。 このように述べる方は希死念慮も抱いたことがないのでしょう(それを知らなければ、おそらく読めないのですが、「読めない方がいい作品」です、私はこれをずっと書きたかった)。それは健康的なことですが、ではそこから何をするか、何をすれば世界のためになるかが問題となります。健康であることは一種の王冠、では王冠を持つものが義務付けられているものとは……?
0間違いない。正解は子作りです。
0こんにちは。 僕もこの詩は難しいなと思うのですが、 それは内省を深く知っている人に 安易な慰めなどは提示できないと思うからです。 恐らく既にその人自身がある程度答えを出されているだろうから、 それ以上に新しい視点を 提示できるかというと僕は発言に迷います。 または、一度のコメントでは消化出来ないレベルの感想を持つこともあります。 こちらの詩は何度も読んでその都度 違う感想が生まれていく。 濃度の強い詩だと考えます。 第一に、僕はタイトルに強く惹かれます。「もうシラフには戻れない」と。 以後、この「シラフ」という言葉が脳裏から離れない形で読み進めました。 >>悲しむのが正常だ、 >>泣くのが正常だと、 >>(肉体があることが、ただ気持ち悪いだけ) など。刺さる言葉(刺さる、が正しいのか、零れ落ちてくるというべきか)そんな言葉も見受けられるため立ち止まってしまいます。 「隣人」という言葉が何度か出てきますが、僕のなかでそれは「シラフ」と結びつきます。 もうシラフに戻れない というのは 一番初めの自分とはなんであったか、 如何なる思想にも感情にも酔っていない(誰にも忖度していない?) そんな「シラフの自分」とはなんであったか、 この詩を読み解く時に何度も考えさせられました。 最後の 「もうシラフには、戻れない」 は問いなのではないかと僕は受け取りました。 どうやったら 私たちはシラフで居られるのか。酔いから醒めて生きられるか。 ちょっとずつ考えて行けるよう頑張りたいと思います。 思考を促す 良い詩をありがとうございました。
0コメントありがとうございます。 >それは内省を深く知っている人に 安易な慰めなどは提示できないと思うからです。 そうですよね。例えばうつ病の人に対して「頑張れ」は禁句なんですよね。じゅうぶん頑張ってきたのに、これ以上どう頑張れと?という気持ちになって、結局交流が途絶えてしまう、と。うつ病などの精神疾患のうち、原因が明らかになっていればその病巣を取り除けばいいし、それができれば精神科に行く必要もない、でもその原因が「治療法の確立していない難病」だとしたら…… >「隣人」という言葉が何度か出てきますが、僕のなかでそれは「シラフ」と結びつきます。 (正確には「離人」なので、単にミスタイポと思いつつ) 難病由来の希死念慮に襲われながら、歩行しているうちに思考がどんどんマクロになっていき、最終的には「生きていても世界側が消してこないなら別に生きてていいんじゃね」という考えに至り、悩みが一時的に解消する……という、一種の思考のループの経験から書かれたものです。私自身、「偶然この難病を抱えた生まれをしただけ」と考えると同時に、「私が抱えていなかったら、他の人がその重荷を背負っていただろう」とも考えます。 (ここまで悩んでいるのはその難病が遺伝性疾患であり、現在治療法が確立していないからです)(具体的な話は今後していく方針です) タイトルへの洞察ありがとうございます。「知識とは残酷なもので、それを知る前には決して戻れない」「母の胎内に戻ることはできない」ということも含めています。アダムとイヴが楽園から追放されたように、ヒネ・ヌイ・テ・ポの胎内でマウイが死したように。 シラフである(=無知であること)が良いことか悪いことか、そんな二元論に落とし込む気はないのですが、無理解は死の始まりです。 >思考を促す 私は良い芸術の定義として「思考を促すもの」が挙げられると本気で考えています。 来年こそ治療薬の承認が通って「治る病気」になってほしい(これはすべての病に対して)です。 改めて、お読みいただきありがとうございました。
1こんにちは、 まずは間違いを訂正させて下さい。 「隣人」ではなく「離人」です、 誤記、大変失礼致しました。 >>結局交流が途絶えてしまう これが結構大変なことだと僕は考えていて 家族や友人だけではなく、治療者との関係も断たれる可能性がある (とはいえカウンセラーの方や相談窓口の方などが 頑張れ、とは簡単に言わないと 願っておりますが) >>知識とは残酷なもので、それを知る前には決して戻れない にも繋がると思っていて、一度助けを求めても突き放された場合に うつ状態などにある方が 「よし、もう一度助けを求めてみよう」とはなかなか 思えないのではないか、 という気持ちがするのです。 (どうせまた頑張れって言われるだけだから、やめておこう) という考えに至ってしまうケースも少なくないのでは?と。 しかし、 ここもまた複雑な問題が多層的に絡むので一概に何が悪いと 結論づけていい話ではないと思います。 仁川路 朱鳥?|さんが抱えておられる難病がどのようなものなのか、日々どのような事で悩んだり困ったりされておられるのか 正確に把握しているわけではないので言葉足らずがありましたらご指摘下さい。 この作品は、 思考のループの経験から書かれたものということで、 希死念慮も 耐え難い考えから抜け出せない時に 要塞のように何もかもが塞がった苦しみの中で もがき苦しんでいるようなイメージがあります。 (要塞とは本来 敵の攻撃から自分を守るものですが、その中で更に自分に対しても壁がゆっくり狭まってくるような 恐怖、ここで終わりだ、脱力、 虚しさ、抜け出せない焦り、ただ押し潰されていくだけの無力感 のループがあるのでないか) と捉えたり。 >>「偶然この難病を抱えた生まれをしただけ」 >>「私が抱えていなかったら、他の人がその重荷を背負っていただろう」 この考え方を何度か目にする機会があり 本当にそうだなと思うのですが、 実際は一筋縄ではいかないような気もしていて 幅広く認知され、当たり前の考えと広がって行くまでには 恐らく長い時間がかかってしまいそうな、 そんな気配はしています。 どうしても 個人個人の意識の問題となってくると 物事の見方に対する溝、問題意識の違い、切実さの強弱 (あるいは 意見が対立してしまう)事も頻繁にある印象です。 でも訴え続けて行かなければ いけない事と強く思います。 無理解は死の始まり、というのも 身につまされる思いで 自分こそ、無理解ではないのか?と問い続けていたいし 出来うる限り能動的に こんな可能性も考えられるのでは?と自分自身が 心の片隅に置くのではなくて 動かし続けることが 重要なことではないか、 僕は考えています。 >>来年こそ治療薬の承認が通って >>「治る病気」になってほしい >>(これはすべての病に対して) 最後になりますが、 上記の想いに対して 僕も切実に同じ気持ちを抱えます。 長くなってしまいすみません。 丁寧で誠実な 学びあるお返事を頂けて心より感謝申し上げます。 こちらこそ、 ありがとうございました。
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