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他人軸の方が、ずっと楽だ
「自分の軸で生きなさい」 そんな声が毎日飛び交う タイムラインを泳げば 誰もが“らしさ”に溺れてる 「アイデンティティを持て」と叫ぶ その言葉を疑う暇もない だけど本当に確かな人は そんな言葉、気にも留めない 他人の声で動く世界で 自分の声はノイズになる 矛盾だらけの教科書を 誰もが聖書みたいに信じてる 自分軸なんて持つな、哲学は病んでしまう アイデンティティは呪い、孤独を招くだけ 他人軸で笑えばいい、流れに逆らわず 「自分らしさ」は幻想なんだ、愛されるための仮面 「嫉妬や比較を捨てて、自分らしく」 みんな美しくなりたがる でも嫉妬や比較をする自分を直視する 勇気のポストはどこにもない 傷つかないための処世術 それが「自分らしく」の正体 本物と向き合う人は 気味悪がられるものなんだ 可愛がられる人がどんなか知ってるかい? それは「特別になりたい」に踊る人 自分軸のフリして他人軸で生きる人 何故なら、操りやすいから 自分軸なんて持つな、みんな対して求めてない 孤高の影は不気味で、輪の中に入れない 他人軸で笑えばいい、演じていれば平和 「アイデンティティ」なんて言葉に 興味持たぬ奴が本物さ 哲学なんて奢りだ 答えを追うほど壊れてく 「本当の自分」は 見たら戻れない場所にいる 「自分らしく」いたいって 誰かに言われてる時点で それ、もう他人軸じゃない? 自分軸なんて持つな、理解されずに終わる アイデンティティはナイフ、触れれば血が出るだけ 他人軸で生きればいい、それがきっと“自分らしい” 悲しくて、優しい世界で 今日も仮面を選んでいこう 他人軸の方が、ずっと楽だ ねえ、それでいいよね?
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他人軸の方が、ずっと楽だ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 587.9
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-12-08
コメント日時 2025-12-26
| 項目 | 全期間(2026/01/28現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


他人軸、自分軸。どちらか分からないけれど、どちらにしてもそう思うようには一方的なものではないかもしれないという気がしている。人と人が影響し合い生きていく社会。この公の場所で、他人軸に引きずられながらも誰もが自分自身の時間と熱を持ち、自分軸に他人を手繰り寄せ引き寄せているように思えても、他人もまた自分に強い影響を与えている。 平易な言葉でとても複雑で難しく哲学的な悩みを表しているように感じました。 導きたるは、こう言った深い問題に解を出すには、古典を読み触れることですかね。そこで生まれる解釈と誤解の連続のような日々よ。簡単に答えは出ない。
0さて、中卒で無学なわたしには「アイデンティティ」 とは何か、そもそもわからないのですが、他方、 「他人軸」? もよくわからない。というのも、 他人軸がわかるのなら自分軸もわかるはずじゃないかと。 つまり自分軸も他人軸もなにか抽象的な概念の裏表であって ほんとうのところそんなものはどこにもないのではないか? 無学な中卒の考えにすぎませんが、 世の中には抽象的な概念というものがあふれている。 それをなにか実在のように思い込む 人が多いのですが、それはまあモンキーやトカゲよりも劣る人間 の堕ちこんだ陥穽でありまして、 たとえば「幸福」という概念、こんなものあるわけないのです。 というのも、では生まれてから死ぬまで幸福な人は「幸福」を 感じ取ることができるでしょうか? 幸福という「実感」は 不幸をさんざん味わってはじめて「ああ、しあわせだ」とこう 感じるものです。つまり「幸福」を感じるには「不幸」が要る。 この二つのものが繰り返し波のように訪れなければ幸福もない。 てことは、ながつづきする幸福などないのです。 そしてほんとうに生まれから死ぬまで幸福だった人は 「ああ、幸福だった」とは実感しないでふつうに生きて死んで いくだけです。 自分軸がどういうものか知らないし、アイデンティティがどういう ものか知りませんが、ひとつだけ確かなことは たとえば虫歯の痛みはだれも他人が代わって痛がってくれません。 代替不可能なもの、それが「痛み」です。精神的であれ肉体的であれ、 「痛み」こそはあなたの属性そのものですし、その痛みが消えた時は 幸せを実感し、また痛みを味わう。これが人生じゃないでしょうか。
0「自分らしさ」への強迫と他人軸への逃避が鋭く描かれ、現代的なSNS文化の欺瞞を突いて感嘆。 アイデンティティを求めるほど呪いになる逆説が痛切で、仮面を選ぶ結末に静かな諦念が滲みます。
0三嶋由紀夫さんの「人は自分の為に生きて、自分の為に死ねるほど強くない」という言葉を思い出しました。「他人軸」自主性を重んじる人からすると情けない事かも知れませんが、僕はコミニュティで持ちつ持たれつの姿勢で生きてきた日本人さを感じてしまいます。
0他人軸のほうが、ずっと楽だ。 ねえ、それでいいよね。? って問われたなら、うんうん、それがいいよ。って言いたくなってくる。 うんこに塗れる社会の下で活きる。生き方としてはね。 腹切り作家の三島由紀夫などは最後まで自分軸で生きた人間だろう。 戦争に参加しなかった自分を最後まで責めていた。 あれだけ名声を勝ち得ても尚満足感には浸れなかった。 それもノーベル文学賞を逃したことが尾を引いていた。なんて よく言われるが実際どこまで焦燥感に囚われたのかは疑問だ。 皇国日本の再建を目指して自衛隊を立ち上がらせようと決起にはやった人物なので、 賞という名誉に、人一倍執着していたのは有るのかも知れない。 反対に自分軸で活きた芸術家に岡本太郎がいる。 彼などは戦争で兵士に取られ、上官には殴られるや、民間人を殺す場面やら、 散々な地獄を見て敗残兵として大陸から帰国した。 武器を取り徴兵される。 人殺しに加担する戦争など二度と懲り懲りだ、という平和主義者であった。 独特な彼の絵柄には、 そんな反逆的な精神が色濃く滲み出ている。 いまでも大阪の街を見下ろしている「太陽の塔」 あの屹立する姿の表と裏を見れば、彼がどのような社会を見つめていたのかがよくわかる。 そんな岡本太郎も芸術を論破しようとする輩は認めなかった。 「芸術は正しい。神聖な芸術がすべてだ。などという人間を信用してはならない」 彼は芸術を至聖のように語ることを悉く拒否している。 彼の中で、名誉に輝く芸術などはじめから切り捨てていたのだ。 このような「他人軸で生きたほうが楽だよね」というメッセージを読めば、 真っ先に浮かび上がるのは、ロシアに攻め込まれているウクライナのことが念頭にあがる。 侵略される以前にもう少し和解の方法はなかったのだろうか、と。 政権思想は永久には続かない。 先のことは誰にもわからない。 多くの犠牲者を出すことになるならば、 もう少し他人軸で合わせ妥協してもよかったのではないか。 その国のことなので、 安易に、これはわたしにもなんとも言えないのですが、
0歌詞とポエムのあいだのような作品。切実な気持ちがもう少し伝わるとより良いかと思った。
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