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夢
どのように頑張っても、そのレンズの先にあるささやかな物語が裸眼では不確かにしか見えないことについて。一日の始まりは丸眼鏡をスタンドに掛けて、エミールはいつも朝にしか眠らない、ということはそのまま眠り続けているのだ、お昼ご飯もろくに食べずに、懐かしいドラマが始まろうとも決して起きることのないエミールは、昨日はたちの誕生日を迎えた。エミールの大好きなホットドッグを油で揚げた食べ物と、たぶん80cmはあるだろう巨大なワンホールケーキにロウソクをきっかり20本立ててお祝いをするために集まったエミールの家族、友人、飼っている犬(名前はまた後で書くとする)が秋晴れの日曜、今日の主役の登場を今か今かと待ちわびている最中もベッドの中から動き出そうとする気配もみせず、つまりすやすやと気持ちよさそうに部屋の中で寝息を立てていたのだった。これにはエミールの両親も顔を真っ青にして、大慌てで100mほど階段を駆け上がると、エミールの部屋をとても静かに開け、エミールの肩を優しくゆすぶって、エミールを何とか起こすという一大イベントをつくづくやってのけていた。19歳の誕生日も確かそうだった。当のエミールはというと、ごきげんよう、お父様、お母様。というお決まりの挨拶をしてから、今何時かしらと訊いたそうだ。お父様、お母様。つまりエミールの両親はどちらも陸上の選手だった。オリンピックの選手村で意気投合して5年後にエミールが生まれた。陸上競技から引退した彼らが立ち上げたのは、陸上運動を取り入れたエクササイズに特化した小さな会社だった。これが世の中の潮流にマッチしてトントン拍子で事業は拡大していきおおよそ彼らの生活の基盤を作りあげた。だから両親は、エミールが色とりどりの光らなくなったサイリウムを次々と投げ入れている、しかも大量のカップ麺の容器等で占領されたゴミ箱の中身を目撃するたびに、小さなため息を口から逃がした。しかし誕生日くらいはエミールの好きな物で部屋中を埋めつくしたり、エミールの好きな食べ物をたらふく食べさせてやりたいとする彼らの親心は生涯消えることはなかった。エミールはときどき丸眼鏡を外した。でもそれは目が疲れたからとかそういう理由からじゃなさそうだ。だって丸眼鏡を外したエミールの目はいつもより大きくて、たくさんのものをこの目で見てやるぞって顔で身体全体がうずうずしている気がする。エミールが作るご飯は天才的に美味い。見ているだけで涎が垂れそうになる。ふたつの目が大きくなり、本当に見たいものがあれば確かさと引き換えにしても丸眼鏡を外す。というエミールの気持ちが手に取るように分かった。ねぇ君、目が見えなくなっても見えるものはあるのかな? そんなエミールが起きてくるのはいつも決まって夜の9時を回ってからだったけれど、階段を下りてこの部屋へやってくるまでに要する時間は少なく見積もっても10分以上はかかっているので、彼女に両親の運動神経が遺伝しなかったのは想像に容易い。しかしエミールは19歳で卒業した大学の首席スピーチの一人に選ばれていて・・・。要するに遺伝子は実に複雑だっていうお話さ。おまけにエミールには、友人がたくさんいた。さっきのケーキの話を例に出すと、エミールの誕生パーティーには結局、エミールと両親、そのおじいちゃんとおばあちゃん、そして友人ご一行様を一人残らず端から端まで余すことなく足し合わせると総勢80名が集まっていて、ケーキは81等分にされた(ケーキを奇数に切り分けることに関して、彼女の他には右に出る者がいないとされる腕利きのパティシエによって)。昼食に用意された料理は片っ端からみんなの胃袋に消え、そのつどキッチンからいい香りを漂わせた料理の数々が運ばれて、パーティーに絶え間なく彩りを添え続けた。シャンパンやジュースなどは3人の大男がおよそ10m先から助走をつけて、一斉に満水の浴槽へ飛び込んだとしてもまだ彼らの肩を優に浸すほどに用意されていた。みんなが集まっている部屋は、折り紙の輪飾りや動物の形を模した風船、『Happy Birthday My Sweet Emil!』というスワロフスキーをこれでもかとキラキラに塗したメッセージ、季節の草花をあしらった可愛いガーランド、魂を震わせて鳴り響くダンスミュージック、皮肉屋のサルが登場するアニメーションだけを永遠に見せるテレビ、エミールが子供の頃から肌身離さず今でもまだ大切に読み続けている「スイミー」と「はらぺこあおむし」のマスコット、それから沢山のプレゼントと集まってくれた友人たちの笑顔で隙間なく埋めつくされていた。それはエミールの見返りを求めない性格のせいで、つまりお父様とお母様の教育がしっかりと彼女の性格を穏やかに育んでいった証ってことでいいだろう。穏やかすぎてエミールは、今もまだぐっすりと天蓋付きのベッドの中で眠っているけどね。夢は忘れるものよ。あるときエミールがそう言った。楽しい時間には終わりがくるんだよって。だから夢は忘れてしまうんだろうね。人間はみないつか死ぬ。時間が夢を追いかける。死ぬことにだって意味はあると思うんだよね。死ぬことは練習できないけれど、夢は繰り返している。エミールがおばあちゃんになっても、きっとエミールは夢を見続けるんだろう。エミールがおばあちゃんになって、安らかに天に召されてしまっても、きっとまた君はエミールとしてこの家族の元に生まれればいい。そんな夢が、薄ぼんやりとした世界の先で確かに君を待っているから。眠っているエミール、丸眼鏡を掛けたまんまだ。エミール、ねぇ、エミール。君は一体、どんな夢を見ているんだろうか? 今晩起きた時に訊いてみようと思うけど、たぶん僕の言葉は、みんなにワンとしか聞こえていない。つまりそれが、僕の名前だ。
夢 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1037.5
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-23
コメント日時 2025-02-04
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


スカスカですね。 1.5Aさんは詩人としては敬意を払っているので、 こういうのは、なんだか悲しくなるのですよね。 ふりかえると、1.5Aさんの掌篇で、リーダブルな作品を読んだことは、 一度もない気がします。 この作品でやろうとしていることと、現在の文学の尖端とが、 うまくマッチしてないような感覚を覚えます。 たとえば今、ゲーテの教養小説が読まれるのか?というと、きわめてあやしいわけです、そういう意味で言っています。 ちなみに、先週、京都の文学フリマに参戦したのですけど、実験的に過ぎる(!?)風の奴らがいっぱいいました。ネット詩界隈って本当にレベル低いんだなー、とも。
0文学フリマ、死ぬまでに一度は行きたいですね。そういうところから世に出る方もいらっしゃるでしょうし、ネットも同様なのかなと思っています。全ては作り手の意欲次第だと思いますが、僕のような者の作品でも見てもらえる、間口の広さみたいなところは良いなと感じています。 率直なご意見をいただき、ありがとうございます。人間性が透けでてしまっているんじゃないかと思って、思わず鏡で確認したくなりました。鏡までの距離がちょっと遠くてやめましたが、前々作でも同じようなコメントを下さっていたと思い、胸に留め置きながら、また色々と試行錯誤してみようと思います。
0祈りですね、こういうの好きです。長さとしては長いのですけど、何かが足りていないような感じがしました。それが何かはわからないのですが、物を食べたときの感想で、味に締まりがないっていうのがありますが、そういう感じの表現が近いのかなと。なんとなくぽやーっとおいしいって感じでした。
0こういう作品書ける日本人って少ないんじゃないかなー。日本人にはない感性と言うか。そういう意味で新鮮に感じたし感動しました。個人的にすごく好みです。ポール・オースターの『ティンブクトゥ』を思い出しました。
0祈りですよね。月に祈らない日はないというくらい祈り好きなのですが、ご指摘頂いたように、純真な瞳で祈りをささげられたのか(作品の深部まで書き進められたか)と問われたら、きっと伏し目がちになってしまうと思います。眼前にただ美しい月があれば見入ってしまう、そんな言葉の要らない言葉たちをいつか自由に紙に浮かばせてみたいです。コメントを頂き、ありがとうございました。
1『ティンブクトゥ』教えて頂きありがとうございます。僕もひとつ、これを書くにあたって『僕のワンダフル・ライフ』という映画が自分の頭の中にありました。普段から映画はあまり見ませんし、動物と接した経験もほとんどないのですが、何かの拍子でテレビでやっていたのを目にして、面白いなと思ったのがこの映画でした。結局それとは似ても似つかない作品になってしまいましたが、生まれ変わる、ということ、そしてまた自分に生まれ変わりたいのであれば、そうすればいい、それは別段難しいことではなく、そんな生き方をしていくことが大切なのではないか、と少しずつ考え始めるようになりました。拙い作品ですが、好みだと書いて下さって嬉しかったです。お読み頂きありがとうございました。
0悪くないと思う、キッチリしていると言うか作品として成立していると言うか。まぁだけどそれだけとも思えると言うか。 なんかなーなんかコンビとか組んだら面白いのかなとかも思いますね 小学生と1.5Aさんのコンビで 1連ごとに交互に書くスタイルみたいな感じで 小学生をリカバリーする感じみたいな まさにライ麦みたいな感じだけど 1.5Aさんは器用な人だと思うので上手くいくのではと思うのですが
0あぁ、なるほど、内容的には他の何かに似ていると思いながら読んでたから納得です^^ 余談になるけど、映画『僕のワンダフルライフ』の原作は、W.ブルース キャメロンの『野良犬トビーの愛すべき転生』なんだけど私は小説の方を先に読んでいたから大分ガッカリの映画でした。原作は第一章である野良犬トビーの短く不遇な生涯がすごく丁寧に描かれていて、そこに読者への大きな問いかけがあるのだけど、映画はそこを端折っていてもう全く人間に都合よく作られたいかにも大衆受けする安っぽい感動モノに仕上がってたね。(どんなものかとレンタルしてみたけど、私はかなり落胆というか原作への冒涜すら感じましたね。)そういう読者層の声も多くて原作者から「原作と映画は別物」とコメントさせた作品で(まぁ映画化なんて大抵がそうかも知れないけど)、加えて撮影中の動物虐待に相当する場面がネットで流れてアメリカでは映画に対してボイコット運動も起きた代物です。 更に余談ついで書くと、随分昔に私の始めた事業をある脚本家が興味を持ってフジテレビ(今話題の。笑)の当時の系列制作会社の人と一緒に取材を受けたことがあって、テレビドラマ化する話まで進んで脚本も出来たんだよね。で、その脚本が出来るまで半年くらい時間があって、その間に私は始めたばかりの事業で散々苦労してた訳だけど、その間に取材なんて一度も無くて、出来上がった脚本を読んだらもう腸煮えくり返るくらい内容が薄っぺらくて激怒して一蹴したことがあった。笑(妄想や想像で書くなら取材なんて最初から必要ないよね。単にアイデアの一つとして利用されただけに過ぎない。) その時思ったんだよね、人間って薄っぺらい感動が欲しいんだなぁ、そのための嘘というか、それは真実なんてどこにもない虚偽にしか過ぎないのにね。まぁトビーからそんな記憶まで繋がったので書いておきます。 原作ぜひ読んでほしいな。
0お読み頂きありがとうございます。確か新聞だったと思うのですが、小学生くらいの子が書いた詩が掲載されていて、それを読んだときに、スゴっ!と思った記憶が今も脳裏に漂っています。子どもたちの遊びや想像力や感受性は、ときとして大人のそれを軽々と凌駕していくんですよね。開店直後のパン屋みたいに、作りたての言葉で子どもたちの頭のなかは満ち溢れている気がします。そういったことを見習いなさいということだと受け止めさせて頂きました。ううっ、今作は受け止めるものが多すぎて胸が痛いです。せめてものお願いなのですが、吸収さんにお知り合いがいらっしゃったらご紹介頂きたいです、嘘です。
1原作と、それが映像化されたものを見たときに食い違いを感じることは、誰しもが一度は経験すると思います。原作者と映画監督が同じ人であれば、このような気持ちにはなりにくいと思うのですが、一つの作品に色々な人たちの思考や解釈が足されていっても、結局はそれを束ねる人の価値観に収束してしまうような気がします。 原作は読んだことがありませんでした。というのも海外小説の、そこに出てくる登場人物の名前がカタカナ(当たり前!)だと、僕の頭は(登場人物)のキャラクター分けが上手くできないみたいで、とは言え海外の小説に何度か挑戦したことはあるのですが、一度も読み切った経験がありません。いつも途中で枕元に放り投げてベッドの隙間に落ちています。どうやら海外の作品は映像の方が僕にとっては理解しやすいみたいです。しかし本は好きなので、海外小説を苦もなく読めるようになりたいですね。せっかく二冊のお薦めを頂きましたので、少しずつ挑戦してみようと思います。
0そう言えば以前にも海外の小説がダメって聞いた気がする。これだけ書ける書き手さんだから文章ならさぞ頭の中の回路がしっかりしてそうなんだけど。私は海外物は映像の方が苦手な場合が多いかな。似たような雰囲気のキャスティングだと顔が同じに見えちゃって最後まで誰だかわからないことが多々ある。笑 まぁ、野良犬トビーの方は主人公は犬のトビーだし、転生ごとに話が完結するし、それほど登場人物は居ないから読みやすいとは思うんだけど。機会があったらぜひ試して見て下さい^^ 誤解のないように付け加えると、私がなんでこう力説したかなんだけど、映画ではなく原作を読んでそこから1.5Aさんが作品を書いたら多分違った作品になった気がして惜しいと思ったからなのね。多分、おまる氏や吸収氏の >スカスカですね。 >まぁだけどそれだけとも思えると言うか。 みたいな感想は出なかったんじゃないかな、と。 つまり私のドラマ化の話もそうだけど一つの作品から広がる影響(リングみたいなモノ)ってそのレベルでしか広がらないんだよね、って話でした。(この作品が悪いと言う話ではなくね。)そんなことを色々考察する機会を頂けて感謝。 ではね。
1懐かしい海外の絵本を読んでいる感覚で、おもしろかったです。 私はサスペンスドラマを見てても犯人の予想とか一切せずにストーリーに没頭するタイプなので、最後の展開にもなるほど!と驚きがありました。 ケーキを81等分する部分、とても好きです。なんでケーキ一個しかないんだよと思わずつっこみたくなりますが、もし絵本になっているとして、でっかいケーキをでっかいナイフで細長く等分しているパティシエの挿絵をめっちゃ見たいと思いました。
1海外作品良いですよね。日本にはない特有の良さを感じます。絵本(絵本になったこの作品を僕も見てみたい!)ではないのですが、たとえば以前シックス・フィート・アンダーという海外作品を見ていたことがあって、面白かったのですが時が経つと共に、とてもブラックなドラマだったと気付かされていきました。 ケーキの話に触れて頂き、ありがとうございます。最後の一等分は“ワン”の分ですね。実は犬が食べられるようにケーキに工夫が施されているかもしれません。パティシエの腕は、随分確かなようです。
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