10年近く連絡しないまま生きていた俺が都落して実家に帰ってきたら
親父はパーキンソン病になっていた
地元から出た時の親父は営業トップの人で口が達者だった
帰ってきた時はあまり喋らず
頭に機械を埋め込まれて
少し震えながら一言二言喋るだけだった
親父はいつも仕事で
帰ってくると足は臭くて
すぐオナラをするし
ハゲていて嫌いだった
まるで今の俺だ
でも親父の方が金を稼いでいた
いつも俺と話すときは
お金を稼いでいるかと聞いていた
親父は俺を見放していると思って生きていた
中学生の頃
頭を怪我をしてからあいつはバカになったとよく言っていた
俺もそうだなと思った
俺はあまり両親に愛情は無かった
親父が死んだ日も
顔を見ずに寝た
葬式も泣かなかった
ばあちゃんや
姉の旦那が自殺した時は泣いたけど
親父の時は泣かなかった
俺は親父が好きでは無かった
無くなる三日前に病室で娘を抱いて
ありがとうと言った
親父は少し笑った気がした
そして肺炎で死んだ
実家では無く病院で
俺は死ぬ時どこにいるのか
わからない
別に一人でも良いと昔は思っていたが
今は嫁と娘に看取られたい
その時
娘は俺にありがとうと言ってくれるのだろうか
何故普通に産んでくれなかったのと怒るだろうか
今はまだ俺の背中におんぶしてくる
娘と意思疎通できなくても
俺はちゃんと愛せるのだろうか
わからないけど
親父が生きている時
庭で育てていた菊の花はとても見事に咲いていて
綺麗だねと言ったら
親父が震える手で水を撒きながら
照れた顔をしていた姿を
俺は忘れないように
娘が俺の背中を
忘れないように
しっかりと背負って歩いて行きたい
親父の残した菊の花は
心の中で
今年も綺麗に咲いている
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 2763.3
お気に入り数: 4
投票数 : 3
ポイント数 : 104
作成日時 2020-10-12
コメント日時 2020-10-22
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/15現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 35 | 24 |
前衛性 | 5 | 0 |
可読性 | 21 | 10 |
エンタメ | 8 | 1 |
技巧 | 11 | 3 |
音韻 | 9 | 1 |
構成 | 15 | 5 |
総合ポイント | 104 | 44 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 4.4 | 3.5 |
前衛性 | 0.6 | 0 |
可読性 | 2.6 | 1.5 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 1.4 | 0 |
音韻 | 1.1 | 0 |
構成 | 1.9 | 0 |
総合 | 13 | 7 |
閲覧指数:2763.3
2024/12/15 04時11分03秒現在
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ゴロさんの作品を読んだのは、2018年10月に投稿されていた、サルビア以来です。 元からそう詩には愛着はなかったと私は最近、自身を振り返っていたりしまして、つまりその、時々、ここを覗いては気になる作品だけ、印象だけを持ってビーレビを閉じています。今頃の真夜中にまた記憶にある作品を憶い出して、また読んだりしています。 こちらの作品は心を打つ。本当は心を打つとか、共感しますとか、わかりますとかコメントしたくないのです。したくないというのは、読んで私に去来するものが、そんな言葉であらわしてることではないのになと、自分のバカさに煩わしくなる意味です。 家族というものについて私は、無念さや憎悪やらの感情が覆い被さってきて自分の親を言葉にすることができないでおります。書いてしまえば惨たらしくなり、それを削って作品にしてしまえば私自身の自己愛にうんざりな気持ちになります。 話が作品から逸れてしまいすみません。つまるところ私は書かなければならない、書きたい内容がある。しかしながらそれを言葉で組み立てる術を持つことが出来ておりません。ゴロさんにはあるように見受けます。その違いは人間性に起因してるようにも思え、私自身のしょうもない偽りまみれな残念な生き様、その結果のように思います。ただ、なんとなく、昨日の朝は久しぶりに行ってきますと妻に挨拶しました。私に詩は書けないかもしれませんが、生きていくしかないかなと、残念になりながら。 なんだか、おかしなコメントを書いてしまい、送信するの迷いましたが、押します。
1ディープフェイクによって 著名人を裸にする 「ディープヌード」が目立ちはじめ 実相と仮想の価値紊乱が 社会で危険視されはじめたいま 人工知能に 架空の人生のログ情報を入れ 父親の死を主要のプロットにし エモーショナル値を最大に設定した 人口知能が詠んだ詩文として このような文章が提示される日は 遠くはないことでしょう 機械が詠もうと 人間が詠もうと 感情を波立たせる詩の価値は 変わらないのでしょうか この『菊の花』は おそらくは実人生からにじみ出た 現実の苦汁と放心として読めますし 不朽の情感として共有されうるべきものだと 素直に胸打たれる詩ですが これがまったくの創作されたプロットで 巧みに選択・配置された言葉の集積 だったとしたら─── そんな思考の変換を起こす力を包摂した 鈍く底光りする詩です
0皆様。読んで頂き感謝します。 人生は自分以外フィクションのような世界と想像している自分が日々何も考えずに仕事に明け暮れる自分を引き摺り出してぶん殴ったりします。 そしてその痛みは羅針盤のように過去を引き戻して色を与えてくれます。これが実体験でも空想でも読んで頂いた方の心に風が吹いてくれたら嬉しいです。 記憶+記録=自由。
0素直に好きな作品でした。私はのんふぃくしょん的な作品かなと思いましたが、生きるってしんど過ぎる時あるし、きっとみんな多かれ少なかれそうなのかなとも思います。それを前向きに捉えていく作者様の心根がすごいなぁと。きっと様々な葛藤や苦労や痛みを抱えてらっしゃると思いますが、何処か爽やかな詩文だと思いました。 >親父の残した菊の花は >心の中で >今年も綺麗に咲いている この纏め方もべたすれすれかもですが、私は好きです。全体的に重たく無いたっちですが、含んで居るものは大切な血肉であり、暖かいと感じました。
0装飾もなく衒いもなく淡々と書かれていて語り手の人生が家族無しには語る事ができない厚みを感じます。実体験かフィクションかに関係なく、ここに書かれている事は間違いなく真実なのだと思います。きっとこの菊の花は形を変えて受け継がれていくのだろう。これを読む人の中にも菊の花が咲くだろう。生病老死は避けられないものだけど、それは皆んなそうでだから他者の理解はできないけれど他者を思うこと、考えることはできるのだと思います。この詩にはそれが詰まっていて寂しいけれど温もりを感じました。
0お読み下さりありがとうございます。親子だからといって愛情は必ずしもあるとは限らないかもしれません。今の世の中、共働きが増えてあまり親子の交流とか少ないかもしれませんがふとした出来事が大切な思い出になってそれが唯一の絆になる時もあります。そんな詩を書いてみました。昔だったら最後のベタな感じは書かなかったと思います。だからこれは今の俺の詩ですね。
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