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冷たい   

作成日時 2019-11-30
コメント日時 2019-12-12

ピアノの肋骨をなぞる青白い指。透明な。 魚を分解して作った最新の音です。が星を暖め、それを遠くから見ていた。 ガラス越し。人工の星。 落ちていく夢を見た またどこかで―― 誰とも出会わず。 眠って起きて眠って起きて眠って ――起きた、繰り返した朝。   誰とも出会わずに、   歩きながら、遠くの雨音や爆発の、音を聞いた。 これが、わたしで あるときは、魚の展開図 を描きながら 火に焚べて、 それから、静かに、 星の降る音を聞いた。 それは、落下してゆく冷たいピアノ そのとき、傷が、寂しさが 燃え上がる。 わたしは、 透明な枯葉を踏んでどこまでも歩く、 歩いてゆくだろう。 またどこかで いや、もうどこかで―― 宙を使った会話をする。 少しずつ小さくなる。 それはわたし自身。 雨が降っていて、 誰かがそこに、 声が返って、 さよなら? 君は誰? 本当? あぁ 。


項目全期間(2019/12/14現在)投稿後10日間
叙情性1515
前衛性66
可読性00
エンタメ00
技巧22
音韻00
構成33
総合ポイント2626
 平均値  中央値 
叙情性53
前衛性22
可読性00
 エンタメ00
技巧0.70
音韻00
構成10
総合8.710
閲覧指数:1169.8
2019/12/14 17時52分58秒現在
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コメント数(10)
エイクピア (2019-12-01):

最後の連。「少しずつ小さくなる」が文字通り一文字ずつ減った行の短さに現れて居る様で視覚的効果があると思いました。最初の連も印象鮮烈でピアノの擬人化、人口の星のイメージ。落ちて行く夢は流れ星のイメージなのだろうかなど。そのあとを読んで行くとピアノを魚に擬えて居るのかもしれないなどとも思ったりしました。タイトルに即した「冷たいピアノ」と言うフレーズがありました。これは清冽なイメージで、渓流の水のイメージで夏などの。アマゴやヤマメイワナがいるようで清冽でした。

萩原 學萩原 學 (2019-12-01):

「魚の骨みたいな回路図が嫌」との意見をネットで読んで、何でだよ魚の骨、シンプルでしなやかで綺麗だろ。と反発したのを思い出しました。でも実際のピアノの骨には物凄い張力が掛かっていて、伸び縮みできるように設計された肋骨とはとても呼べないほど頑強であるらしい。 でも僕自身は頑健には程遠く。入院中の病院で風邪を引き、夜中にトイレに起きて嗽する度に、これも風邪気味な看護師に心配される有様。今では看護婦とは呼ばないらしい、可愛いのに。雨が降って流れていってしまえるなら楽なのに。

星空そとば (2019-12-01):

>>エイクピアさん 最終連の >それはわたし自身。 というのは、詩世界そのもののことを指してる感じですね。全体的に、円城塔的な世界観を取り入れてみたくて書きました。 意味を超えて綺麗なものを作ってみたくて、小笠原鳥類さんなどを参考にしながら書きました。上手くいっているといいのですが

星空そとば (2019-12-02):

>>萩原 學 ありがとうございます

なかたつ (2019-12-02):

 こういう作品にコメントをつけるのは難しいです。というのは、見えている世界が僕とは違うからです。言い換えるならば、世界の見方が個的であるということであって、たとえば、「ピアノの肋骨」という出だしからしてそうなっています。ピアノに肋骨はありません。それでも、その意外な結びつきに想像を寄せるならば、肋骨は白いものであり、線状になっているものであり、白鍵のことであるのか、それとも弦のことであるのか。しかし、重要なのは語り手のフォーカスは「青白い指」にあるのであって、そのピアノを奏でている誰かを見ているということであり、「ピアノの肋骨」が何であるかということはさして重要ではないということになります。その「誰かを見ている」ということは、「それを遠くから見ていた」というフレーズにも表れているのですが、ただ、語り手が見ているのは人物だけでなく、「落ちていく夢を」も見ています。  この「落ちる」というフレーズは、その後にもいかされているものであり、「またどこかで———」の「———」の部分、ここは言わば、当てはまるフレーズがあるはずなのに、言葉にすることができない=言えないものであって、つばを飲み込む=落とすような様子が浮かび上がります。  そして、場面は展開し、繰り返される朝を過ごす中で耳にする「遠くの雨音や爆発」の音は、最初に出てきた「魚を分解して作った最新の音」と対比されているものなのでしょう。だからこそ、思い返したいという欲望を込めて「魚の展開図/を描」いてしまうのです。火に焚べることで、展開図はきっと灰になり、天に昇り、「星の降る音」になっています。語り手の外部にあった、ピアノの思い出=魚の展開図の形を焼失したはずなのに、語り手の内部にある「傷が、寂しさが/燃え上が」っています。「透明な枯葉」というのも、どこか焚火の印象とマッチしているように感じます。  そして、自らに言い聞かせるようにして、宛名のない独唱として「またどこかで/いや、もうどこかで———」とまたつばを飲み込む=落としています。  最終連は「少しずつ小さくなる。/それはわたし自身。」というのは、焼失して灰になった「魚の展開図」と自らを重ねているように思われます。  全てに共通しているのは、音、です。音というのは、言うまでもなく目に見えないものです。しかしながら、音というのは、時には場所を示してくれるものであり、はたまた、時には記憶を示してくれるものでもあります。音が鳴るほうに目を向けてしまうことがあるのは、現実世界に生きる私たちにもよくあることですし、ある音を聞くことによって、何かの記憶が思い起こされることも時にあるでしょう。途中では「遠くの雨音や爆発の、音」を聴いていたはずの語り手は、最後になって、実に近い場所で「雨が降ってい」る音を聴いている、というよりも、「少しずつ小さくなる」ことによって、雨に同化しているのでしょう。だからこそ、「わたし自身」は場所を越えて「宙を使った会話」をすることができるのだと。つまり、「わたし」が描いていた「魚の展開図」は、火に焚べたことで灰になり、「星の降る音」となって、「わたし」に降り注いだのですが、「わたし自身」は「宙を使った会話」をするために、「少しずつ小さくな」り、雨、いや、雨の音と同化したのではないでしょうか。それは、「わたし」は誰かを見る存在であったところから、「わたし」が誰かから見られる存在になるという転換をも示しているのだと感じました。だけど、音だから、その姿は見られることはないという無情さがあるような。

コーノ@基本的に眠い人 (2019-12-03):

コメント欄を拝見すると、皆様非常に機知に富んだご意見をなさっていて、特段そのような批評の才を持ち合わせていない私は拙い言葉でしか意見が述べられないことが恥ずかしいですが、投稿者様の作品を読み、これは好きだ!大好きだ!と素直に感じ、コメント差し上げようと思います。 無数、作品を拝見してきましたが、投稿者様の作品の特に写実的な美しさがある文体に感動しました。 それはまるで夢、あるいはある、もの悲しげな曲のために作られた群像のような、そのような美しさを感じます。 白鍵をなぞる指からガラスの星へと、急激に(あたかもシーンの変化のようにパッと)変化する、地球規模の劇画のようなダイナミクスが、妙妙たる視覚効果を生み出しています。 ーー私もそのようなものを書くことに憧れています。この憧れと、作品の美しさをもってして、おそらく今私は(恥ずかしながらも)コメントを書く気が起きたのだと思います。 長々と失礼いたしました。 伝えたいことは、好きです。大好きです。という一言のみです。 素晴らしい作品を生み出してくださりありがとうございます。 これからも良い詩生をお過ごしください。

星空そとば (2019-12-03):

>>なかたつさん この詩を書いたのが他人だったら、ぼくもコメントをつけるのは難しいと思います。 言葉と言葉の間には、色んな距離を考えることができると思っています。例えばそれは意味だったり、コロケーションだったり、家族的類似性と呼ばれるものだったり等、とにかく無数の種類の距離があります。この詩は、意味やコロケーションなどの意識されやすい距離とは違う距離で単語を選んで、なるだけ美しい響きのものを作ろうと意図して書きました。意味を気にせずに響きから言葉を選んでいく作業は、文章を書くというよりは、作曲で音を選んで和音の進行を作ってくような感覚に近かったです。 この詩で採用した距離空間は、個的なものと言われればそうなのかもしれません。ぼくとしてはある程度普遍性もあるんじゃないかなと思って書きました。

星空そとば (2019-12-04):

>>コーノさん ありがとうございます。精進します

おむすび 健太郎おむすび 健太郎 (2019-12-08):

尻すぼみ感がいいですね。

星空そとば (2019-12-12):

>>おむすび 健太郎さん ありがとうございます

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