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ねねむさんの本音
ねねむさんが投稿した「思い出とかさぶた」という作品、「作品」というよりも、サイトに宛てたラストメッセージという趣であるが、意外なほど反響を呼んでいる。ねねむさんの意図に反して、今月の目玉作品の一つとして、成功してしまったといえるかもしれない。かつて、たしかに主戦場にしていた場所、憧れの詩人に出会った場所、知的交流のイロハを学ばせてもらった場所、エトセトラエトセトラ。 文芸誌に作品が掲載されるようになった今、「ここでの学びが今の自分を作った」と本人の弁では改めて謝意を伝えたいとのことだったのである。しかしスレッドを見ればわかる通り、待ち受けていたのは、あまりにも手洗い歓迎?、、邂逅?、、であった。そこまで叩く必要があるのかと、個人的にはちょっと理解しがたい(なにせ私は2024年から参画している新参者だ)部分もあるのだけど、ネット詩歴の長いベテラン勢、各々ヒートアップされている。 ネット詩を詩壇への通過点と見なす、ねねむさんのベタでナイーブなヒエラルキー意識が、今この場所を唯一無二の現実として生きるネット詩人たちのプライドを激しく逆撫でしたのだろうか。ねねむさんにとっての「思い出(かさぶた)」は、アクティブユーザーにとってのはリアルタイムの「傷口」。良かれと思って送信した感謝のメッセージは、ここ最近ゴタついてる当事者たちには安全地帯からの冷笑にしか映らなかったのかもしれない。 私個人の意見としては、ネット詩と詩壇はもはや関係がないというべきで、ウケる傾向、どんな人間に人が集まるかの資質、求められる学識、空気感がまるで違う。ねねむさんはネット詩ではレジェンドにはなれなかった。だから主戦場を変えた。本当のところ、それだけなのではないだろうかとも思う。 2024年ごろ、佐々木春というたいへんに書ける人が現れて、あっという間にネット詩カルチャーの中心となっていたのは衆目の一致するところだった。ところが現代詩人会の賞をとったのは、佐々木春と比べると大駒一枚分落ちる(...とビーレビ全員が思っていた)熊倉ミハイだった。今、ツイッターの方で黒田清輝が炎上しているが実力の伴わない権威主義というのは、いつの時代も変わらないのである。権威が見ているのは「優劣」ではなく、別の文脈で「(そいつが)使えるか」だからである。 ネット詩のいいところは本音を言えるところだ。干されるとか文壇政治から手ひどい仕打ちを受けるとか、そういうしがらみめいたものがない。いや、ネット詩で活動している、色のついた詩檀の方はそうじゃないだろうが、大半にとっては「そんなの関係ねぇ」だ。逆にいうと、それだけ。本音をいって入門。だからビーレビはヘドロでドロドロである。ドロドロだからこそ、たまに蓮の花が咲く。私はそんな風にネット詩を思っている。
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ねねむさんの本音 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 163.9
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作成日時 2026-02-15
コメント日時 1 時間前


熊倉ミハイは佐々木春さんに比べて飛車角一枚分落ちる。Bレビみんながそう思っていた。 確かに佐々木春さんは好い書き手だ。 しかし熊倉ミハイくんが佐々木春氏よりも落ちるとは思わない。 それは彼が現代感覚を乗り越えようとしている書き手に見えるから。 きみは何故佐々木春氏よりも落ちると思うのか? 人間関係の扱いが上手くできる。 パフォーマンス的に彼のほうが詩人会には合うだろう、 と推測されるからではないのか? 僕にはわからないね。
0つまらない井戸端談義に推薦枠使わないでほしいな。笑 少なくともわたしは真面目に文学やるために推薦枠使ってる。 しかし、しょせん、おまるたろう氏は何も書けないので人の噂話が関の山だ。 だれがだれより書けようが書けまいが〈詩〉にとっては大した問題じゃない。 〈詩〉とは結局すべて自分の問題なんじゃなかろうか。 やれ詩誌に書けるようになっただの、詩人の大会で表彰されただの、やれ、 武田地球は凄いだのってそんなもの知ったことだろうか。あなたの問題だろ、って。 詩を書くことの到達点がそういうことだと思っているわからず屋が多い。 片足は詩もどきに脚をツッコミ、もう片足は世俗的な出世意識にまみれている。 そしてそういう態度や姿勢の臭いにへきへきして叱咤したら嫉妬だとか、 わたしをだれだと思っているんだろう? そんなものにまったく興味ない。 ま、興味あっても詩壇入りは出来なかっただろうけど。笑 ねねむとか武田地球のいやったらしさは、そのまま今の詩誌にむらがる自称詩人 たちのいやったらしさそのもので、正直、わたしはおまるたろう氏やねねむや 武田地球をわたし個人としては詩人ではなく芸能人だと思っている。 テレビに出ている芸能人と同じ字だけど、また違った意味での芸能人だね。 だから文学極道で管理人やってたバカがH氏賞の選考委員になったとたん、 過去の黒歴史を隠すために文学極道のアーカイブを特定の人以外見れないように 消してしまった。芸能人が過去を消すのと同じだ。 かつて詩人であることは世間さまに対してすこし恥ずかしいことであった。 不良といわれた。落ちこぼれと言われた。それが詩人であることがかっこよい ステータスになったとたん、知的特権階層が寄ってきて、猫撫で声で語りはじめた。 ぞっとする。 さらにはおまるたろうのような方までが 首を突っ込んできた。ま、おまるたろう氏の場合はみていて微笑ましいから そう悪くはないが。アホ貝も、どこで間違ったか詩なんか書き始めた。 焼き鳥屋のおやじでもやってりやよかったのだ。笑 お似合いだ。 おまるたろう氏は散髪屋のおやじだな。客と世間話しながら髪を刈ってやるのが お似合いだ。わたしはお二人のようになれないから文学を唯一の枕にして 人生を旅しているしがない根無し草だから、うらやましい。 でも、ねねむだからなんだか知らないけど、言葉使い、発想すべて間違ってるよ。 詩がなんであるかも知らない。こういう連中が詩人だとかいわれているあいだは 詩はいつまでもどこかに埋葬されたままだ。いつかまともな人たちがあらわれる日まで。
0それとアホ貝。こんな与太話のために推薦枠使ったようなものを もう上にあげるのよそうよ。真面目に投稿している人たちに悪いから。
0>真面目に投稿している人たちに悪いから。 お前が言う
0笑 おまえが言う2
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