作品を読む
澤あづさ氏の詩批評を根底から批判します
わたしはネット界の文芸批評の大御所といわれる 澤あづささんの批評に以前から疑問を抱いてきま した。 最近ヒマができたので、たまたまAOI氏の詩を検 索していたらAOI氏の詩ではなく鯖詰缶太郎さん の『紙、ふぶき。』という詩への批評文──【鯖 詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例】が目につき ました。 わたしは何気に、一読して、詩もますいが批評も これはちょっとまづいぞと思いました。 しかし、多くの方が詩や批評に絶賛のコメントを 書いています。AOI氏もコメント欄で詩を評価され ていたので、多分、それで検索にこの批評文がひ っかかって出てきたのだと思います。 そこでこの批評文を材料にして「こういう批評は あまりやってはダメ」という見本を初心の投稿者 さまに指し示すつもりで「澤批評」への違和感の 所在を語っていきたいと思います。 この批評文「詩情を集約する者は幸いである」と いうことばからはじまっているのですが「詩情を 集約する」とは、ものの本によると「人生の儚さ、 あるいは自身の内面から溢れ出る熱烈な感情や情 緒を、冷徹かつ知的な視点で抽出し、たった一つ の詩や言葉の中に凝縮・表現することを意味する」 らしいです。どうやらそれが「紙飛行機」という 言葉らしいのですがわたしはこの言い回しには大 きな間違いがあると思うのです。がしかし、 この重厚な文言から始まる批評文を批判するまえに、 まずわたしが鯖詰缶太郎さんの『紙、ふぶき。』 という詩をどう解読したかを示しておきます。 そのうえで、澤あづさ氏の読解と比較してみて下 さい。以下、直感と実感だけで解読していきます が『紙、ふぶき。』の一連は次のよう に始まります。 やけに 緑の看板のコンビニエンスストアの 多い街でした 人でいるのが いやになれば 紙飛行機に なれる街でした 「やけに」という言葉には、通常、否定的なニュア ンスや、納得のいかない違和感、異常さを表す意味 が含まれます。 つまり、その否定的なニュアンスが 冒頭にあるということから、書き手が「緑の看板の コンビニエンスストアの多い街」に嫌な気分を抱い ていることが推測できます。 そこから次の「人でいるのが いやになれば紙飛行 機に なれる街でした」ということばが出てきます。 「紙飛行機」は「そこ(いやな町=同型のシスマテ ィクな建物が乱立する町」)から離脱できる「簡便 な何か」の比喩的な象徴と考えられますが「紙飛行 機」にまとわる多様多層な詩的イメージだけが先行 して書き手の「紙飛行機」が何であるかを特定しず らくなっています。 しかし「紙飛行機」になるのは人間である書き手で すから、ここで「紙飛行機」になった人間の状態を 「紙飛行機」の特性から容易に推測することができ ます。 【紙飛行機の特徴】 ●浮遊感・高揚感 ふわりと軽くなり空を舞う。 エンジンや乗客などから解放されて空に浮いている。 ●主体性の喪失と風任せ 紙飛行機は風や気流に身を任せて飛びます。 その場の気圧や流れ(風)に身を委ねて風まかせです。 ●危うさと脆さ 紙飛行機は華奢で、いつ墜落するかわからないし、ど こに落ちるかもわからない。 つまり、まっすぐ飛ぶこともあれば、予想外の方向に 曲がることもある。 ここまで書けば、人間が「紙飛行機」になった状態が 推定できます。 人が「紙飛行機になる」とはつまり酒を飲んで酔っ払っ た状態であると考えられる。 さらに、 「いやになれば紙飛行機に なれる街でした」とは、昼 間からでも立ち飲み屋が開いているような横丁があり、 コンビニでいつでも酒が買える町であることを示して います。以下、 【酔いの特徴】を「紙飛行機」と重 ねて列挙してみましょう。 ★意識の浮遊感・高揚感 紙飛行機がふわふわと空を舞うように、酔いが回って頭 が軽くなり、 日常の悩みから解放されて空に浮いているような心地よ い感覚。 ★主体性の喪失と風任せ 紙飛行機は風や気流に身を任せて飛ぶ。酔うという行為 も、自分の意識がアルコールによって支配され、理性で はなくその場の雰囲気や流れ(風)に身を委ねる状態を 指します。 ★危うさと脆さ 紙飛行機は華奢で、いつ墜落するかわからない。アルコー ルの酩酊もまた、限界ギリギリの危うい精神状態であり、 紙のようにペラペラになった脆い理性を表すのに適して います。 どこに落ちるかわからないし、まっすぐ飛ぶこともあれ ば、予想外の方向に曲がることもある(「どこを飛んだ のか」)。酔いもまた、記憶が飛んだり、思いがけない 行動をとったりする予測不能さを伴います。 以上、これでもうこの詩の解読は半分終わったも同然です。 これをふんまえると二連以後の会話は容易に解釈できます。 たぶん 陽がでている間に 紙飛行機になる のだろう と思っていましたが タバコ屋の ヨネさんは それを 聞くと 笑っていまし た 紙飛行機になってしまうのに 朝も夜もない じゃないか と なに ばかなこと 言って んだい とでも 言わんばかりに 笑ってい ました (訳:酒飲んで酔っ払うのに朝も夜ももないでしょ) ヨネさんは 紙飛行機に なりたくはないのかい? そりゃ 紙飛行機になったさ 人間やっとるし こういう街だしな (訳:そりゃ、酒のんで酔っ払ったことはあるよ、いつ更地 になってコンビニが建つかわからないご時世だからね) 紙飛行機 なったんだけどさ どこまでも 飛んでいけたけど 爺様がな 追いかけてくるんだ あれは 情けない顔だ った 連敗続きで もう明日にでも 力士を やめようとしているガリガリの相撲取りくら い 頼りない顔しててな いかんでえ いか んでえ って 十二指腸震わせて その声 出しとるんか って言いたくなるくらい 細 い声で言うんじゃ とてつもなく ばかばかしくなってな 紙飛行機になって 飛んでるのも どこか ばかばかしくなってな くしゃくしゃくしゃー って やめたんじゃ ここは長い割にあまり大した意味はありません。 要するにタバコ屋って代々続いた店が多いのです。戦後の 混乱期に営業を始めて80年続いているような店がほとん どですから、ヤケになって酒のんでいる場合じゃないぞ代 々つづいた家の伝統を守れという爺様の声が聞こえてき たのでしょう。相撲とり云々は爺様の顔に書き手の好みの 形容が託されているだけです。 十二指腸うんぬんもそうです。 そんな爺様も 死ぬ間際は ところ どころ 紙飛行機になっとったなあ まあ 飛んでいく って気持ちええもんなあ 飛んでいってしまいたいもんなあ 「そんな爺様も 死ぬ間際は」と語ることから書き手とは かなり親交があったことが伺えますが、「紙飛行機になっ とたなあ」というのは「酒を飲んで気晴らしするようにな っていたなあ」ということです。 紙、ふぶいた 紙飛行機が うかんでいた これは自分ではないだれかが酔って自在になっている姿と いうよりは書き手がいやな現実から離脱して「紙飛行機」 になった姿を憧れのように見上げている像でしょう。 総合するとこの詩はおそらく書き手とタバコ屋のヨネさん とはヨネさんの父親がらみの付き合いの長い間柄で、タバ コ屋がつぶれて駐車場やコンビニに替わっていく時代の町を 嘆息をもって嘆いている風景であると考えられます。 全体としてこの詩は解いてみれば「ああ~やんなったなあ、 酔っ払いたいなあ」という気持ちを「紙飛行機」に「集約」 (澤あづさ氏談)しただけのものです。 この詩にはさまざまな問題点があります。 結論からいえばこの詩は ①「紙飛行機」という詩的なことばに依存しすぎている。 ②象徴(「紙飛行機」)を展開しないでただ置いている。 ③さまざまなことばだけで意味の緊張を作らない ④読者に“雰囲気だけ”を渡してしまう つまり、象徴を提示しただけで運転していない。あとで述べ ますがこの“空白”があるからこそ、澤あづさ氏はそこに妄想 からくる自分の巨大な物語を流し込めてしまった。 澤あづさ氏の読みが「作品の言葉から離れている」具体的ポ イントをあげてみます。 ① 紙飛行機=離婚届 作品には一切書かれていない。 紙飛行機の象徴性を単一の寓意に固定してしまう。 ② 緑の看板=家庭・新生活 作品には「緑の看板のコンビニ」しかない。 そこから家庭制度を読み込むのは批評者の妄想。 ③ ヨネさん=戦前の日本女性 作品には時代設定も社会背景もない。 つまり批評者の外部知識の投影。 ④ 爺様=父権制の象徴 作品の爺様はむしろ弱く、情けなく、滑稽。 つまり父権的な暴力性は描かれていない。 ⑤ くしゃくしゃ=離婚届を握りつぶす 作品には「紙飛行機をやめた」としか書かれていない。 ⑥ 死ぬ間際の爺様=ヨネさんに捨てられた夫 作品には「捨てられた」という描写はない。 これらはすべて、 作品の言葉ではなく澤あづさ氏の妄想物語です。つまり詩の 批評といいながら身勝手な根拠をすべて外部からもってきて 作品をネタに勝手なモノガタリをつくっている。でも、わた しの平易な批評をみて下さい。自慢じゃないですが直感や実 感だけを頼りに解読したにもかかわらず、 全部、詩のなかのことばだけから解読しています。勝手な妄 想を外部から恣意的にもってくるという無茶な真似はしない で詩のなかのことばの関係性を根拠に類推しています。 しかし、澤あづさ氏ならこう反論するでしょう。 ポストモダン批評は物語的な読みを認めている。 バルト、デリダ、ラカン以降らは確かにこう言いました。 ●作者の意図は絶対ではない ●読者の読みは複数あってよい ●テキストは多義的である ●読みは生成され続ける つまり、 「読みの自由」を大きく広げた。しかし、ここが誤解されや すいのだけど、ポストモダンは決して作品を無視していい、 どんな妄想でも正当化できる、読み手の物語を押し付けていい とは言っていないのです。 むしろ逆で、テキストの細部に徹底的に忠実であれ というの がポストモダンの本質です。 たとえばバルトは「作者の死」を唱えたけれど、それは「好き 勝手に読め」という意味ではなく、テキストの内部で起きてい る言語の運動を、作者の意図に縛られずに読む自由を与えたと ということです。 つまり、読みは自由しかしテキストから離れてはならないとい う二重構造をもっています。澤氏の読みは、テキストの言葉 を無視し、自分の巨大な物語(家父長制・離婚届・戦前の女性 像)を持ち込みそれを「集約」と名付けて正当化し断定的に語 るという構造をもっている。 これはポストモダンの自由ではなく、ポストモダンの“誤用”で す。 一方、わたしの解読は結果としてテキストの語彙、トーン、象 徴の働き、語りの軽さ、内部の論理、これらに忠実に読みを組 み立てて読解している。わたしは直感に吉本の表現転位論を用 いてこの詩を解釈しましたが、改めて眺めてみるとこれはポス トモダン批評の本来の姿勢に近い。笑 つまり、わたしの読み のほうがポストモダン的に正しいという変な結果になりました。 澤氏は冒頭で「詩情の集約」といいましたが「紙飛行機」をこ う扱っている。 ★紙飛行機=離婚届 ★紙飛行機=女性の抑圧 ★紙飛行機=逃亡と追跡 ★紙飛行機=死の間際の解放 しかし、これはすべて詩作品にある言葉ではなく批評者の物語 です。紙飛行機は詩の中で象徴として展開されていない(置か れているだけ)なのに、澤氏はそこに“詩情の核”を見たふりをし ている。これは「詩情の集約」ではなく、詩情の“捏造”です。 澤氏のこういう傾向性にもうずっと以前から眉をひそめていたの ですが、しかし、 しかしですね! 意外に評判がいい。笑 あのA・O・I氏ですらもろ手をあげて彼女のこの詩の批評を評価 している。がっかりしましたが、でも、ネット投稿板ではまずこ れからも澤あづさ氏の批評は好感度をもって迎えられるでしょう。 その理由を語りだせば、みるも無惨なネット投稿詩人たちの愚かさ が露呈するだけだし、それはこの雑文の主旨ではないのでこのヘん でお開きにします。 ※それにしても鯖缶さんには失礼ですがこの程度の平明で象徴性のな い希薄な詩をちゃんと読めないでもろ手をあげて褒めているひと たちが、以下のようにそうそうたる顔ぶれ 澤あづさ 田中恭平 new おまるたろう 完備 A・O・I 熊倉ミハイ スパムーチョ であったことに、あらためてがっかりすると同時に、同じくこのよう な無茶な批評がまかリ通っている現状になにか脱力感しか感じ ません。 希望はこの雑文を読んだ若い方が、ネット投稿板の空気に騙されず 自分の感性を信じて詩を書いていって下さることのみです。
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作品データ
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投票数 : 2
作成日時 2026-02-12
コメント日時 2 時間前


要するに、鯖詰缶太郎さんが山田2を筆頭に年配の詩書きたちにあきらかに好かれてないのは、それなりに理由があるんだろうな、という関心の持ち方で、オモロく読めた。 >この程度の平明で象徴性のない希薄な詩 と述べているように、山田2が嫌悪するのは、サブカル・オタク表象の洗練化の方向ということだろう。文学が「平板」ではない、「生活者」の知覚がないといけない、という(だからこの文章は本質的にじじいの説教である) それを踏まえても、たしかにこの国が「漫画の国=サブカルの国」では全然駄目だとは、私も危惧するところであるが。
1コメントありがとうございます。 こうやって関心を持っていただけるのはありがたいのですが、 おまるたろうさん、あまりにもトンチンカンなコメントに のけぞってます。笑 すごくわかりやすく解説したのに、 ちっとも読めてないみたいなのでこちらあ汗です。笑
0>ちっとも読めてない あっ。バレちゃった。
0ここ最近の山田2は「AI神経症」じゃないかな。
0AIにこんな直感的な批評は書けませんよ。笑 わたしがAIを使うのは長い詩の場合ですとそこから動物やモノ を特定して単語を全部抜き出させるとかいった仕事と、それから、 自分の書いた批評を忖度やおもねりなしで、徹底批判させるときです。 この雑文も書いてから徹底的に間違った知識や論理の不整合、それから 徹底的に辛口に批判させています。 AI神経症というより、もう詩に絶望して、これまでやる気なかった批評、 そろそろ本気だしてみようとしているだけです。
1全体に A=A´ みたいな読みになってません?。毎度、 (山田2は最近、現フォにも駄文を書き散らしてるが、全部そんな感じ) 読みにアブダクション要素が殆どなく、まさにAI並みの凡庸な読みでしかない気がしますけどね。 澤あづささんの評論は着眼点はユニークだけど、いっこうに思考と論理が深まりきらない人っていうイメージがあり、 個人的に共感できないのだけど、 それでも山田2と違って「A=A´」レベルではないわけで。さすがにそれなりに読ませるよね。
2●作者の意図は絶対ではない ●読者の読みは複数あってよい ●テキストは多義的である ●読みは生成され続ける こう仰るなら 「これは詩ではない」という態度を取るのを辞めたらいかがでしょう。 たしかに 評判に比べて作品の内容は チープに感じましたが、 これまでのやり取りから見たように takoyo2氏はダダを否定してらっしゃるように思える。(それもまた面白くていいが) また、作品の表層だけを分析するくらいならAIにもできます。文章を組み立てるくらいはするでしょうが。 AI使ったところで批評ですし、 いいですけどもね。 takoyo2さんの熱量は本物でしょう。 しかし、その熱ゆえに言葉は荒く品性を欠く。他者を貶めるような発言。 あなたが望む世界を実現するための手段としては自己矛盾を抱えているように思う。 ましてや 「私と関わらないていただきたい」という発言は私には敵わないと白旗をあげてるようなものです。 どうかコメントへの返事待ってます。 より良い対話が出来れば嬉しい。 そのためには ・問題提起 ・解決方法 を明記していただきたい。 他者を貶める言葉遣いは慎み、 建設的な殴り合いをしましょう。 最後に言っておきますが、 takoyo2さんのことを先輩として慕ってますし、作品も好きです。 この批評文も 的を射てると思います。
0面白かったので立ち寄らせて頂きました。 takoyo2さんの読解を読んで中々いい詩だと感じました。 最後の部分だけちょっと違う読み方をしました。 〜〜〜〜 そんな爺様も 死ぬ間際は ところ どころ 紙飛行機になっとったなあ まあ 飛んでいく って気持ちええもんなあ飛んでいってしまいたいもんなあ 〜〜〜〜 死ぬ間際にそばにいるのは親族、つまりヨネさんの言葉だと私は読みました。〝ところ どころ〟という箇所がわざわざ改行されているのは、もう意識が混濁していて半分あの世で半分この世のような状態ではないかな、と。(つまり生真面目な爺様は最後まで酒を飲まずに死を前にやっと紙飛行機を味わえた。) そう読むと、 〜〜〜 紙、ふぶいた 紙飛行機が うかんでいた 〜〜〜 ふぶいた、というのは〝散った=亡くなった〟ということではないか、と。 そう読み進めると、紙飛行機が意味するのが酩酊だけではなく〝紙〟が人間の儚さ、頼りなさのように思えて、 〜〜〜 ゆうやけ とけるまえに まどろんでしまえよ 〜〜〜 ゆうやけがとけた後の漆黒〝死〟が訪れる前に酩酊するように安らかでありたい、と、そう言っているような作品に思えて中々よい作品に感じました。 ちょっと作品本文から離れたコメントになってしまいましたが、takoyo2さんの読解から自分の読解を新たに開くことが出来た〝楽しめた〟ということでご容赦を。
1お読み下さりありがとうございます。 ちゃんと読んで下さったようで感謝です。 それに「紙」というところにわたしが至らなかった 解読を下さり、目が覚めました。 >〝紙〟が人間の儚さ、頼りなさのように思えて、 そうですね、ちょっとそこのところいかにも鯖缶氏ら しい人情裏長屋的な情感がにじむところです。 かなり雑だったなと反省しています。
0>読みにアブダクション要素が殆どなく、 >まさにAI並みの凡庸な読みでしかない気がしますけどね。 何度もいいますがどれほど優秀なAIに鯖缶氏のあの詩を 批評させてもわたしのように、直感的でシンプルで的確な 批評はできません。ためしにあなたが優秀なAIに鯖缶氏の あの詩を批評させてみれば? どれほど無味乾燥な批評し かできないか一目瞭然でしょう。 ただし、いいこと仰ったんですが「アブダクション要素」は ありません。なぜかというと余計な妄想は極力排除して いるからです。わたしの批評は、現代詩に多い微分方程式の ような難解な詩を因数分解のレベルに解体し、 さらにそれを足し算引き算まで還元して、中学生小学生にも わかるようにすることです。それが批評というもので、これ ほどしんどいことはありません。 他方、澤あづさ氏の批評は批評じゃなくて新たな詩を妄想に よって生成しているから「アブダクション要素」があり、 それがおまるたろう氏のような「読めない」「書けない」素人 を喜ばせるのです。読んでおもしろいからね。でもそれは 批評じゃない。澤氏の妄想=詩です。 だから読者の快感に寄り添う読みをする澤氏がネットのような 素人ばかりの投稿サイトでは評価が高いのです。 でも作品の言葉に寄り添う批評をしているのはどちらかというと わたしであることは、まともな詩人なら一目瞭然でしょう。
0誤解があったように思うのですが、もしわたしが あなたともう関わりたくないといったとすればそれは わたしの傲慢でした。謝罪致します。──でも、 分かり会えない人というのはいるもので、互いにムダな 時間を浪費するよりも互いにスルーしてればいいときも あると思います。しかしこうやってコメントを頂いたのも 何かの縁でしょうから、ありがたく拝読させていただきま した。 >また、作品の表層だけを分析するくらいならAIにもできます。 >文章を組み立てるくらいはするでしょうが。 >AI使ったところで批評ですし、 >いいですけどもね。 このコメント部分は正直、わたしに失礼ですよ。笑 なにをもってそんな決めつけができるのでしょうか? AIに詩を書かせたり批評を書かせるということは人間(主体)が AIに従属するということでしょ? わたしはAIを検索に使役してもわたしに替わってなにかを書かせて AIに従属したことはありませんよ? そういう失礼なことをいうから多分、どこかでわたしがあなたを 忌避する宣言をしたのかもしれませんね。 そういう、人をバカにする物言いをするなら、わたしの批評のどこが AIによって生成されたのか指摘してからいってはどうです? 「紙飛行機」を「酩酊したいという書き手の願望」だというような 人間的読みができるAIどこにあります? 日本のタバコ屋の多くが終戦直後からつづく伝統をもつところが多い こと、その事実から「代々の家業を守れ」という爺さんの声という推論を 重ねられるAIがどこにあります? あなたね、根拠も示さず、そういう失礼なことを書くから多分、どこかで わたしはあなたに絶縁を申し込んだのだと思いますよ。 これからはもう、こういう思い込みだけのデタラメな発言をするようなら スルーさせていただきます。わたしも澤氏の批評にきついことをいってる ように見えるでしょうが、あなたと違って論理的に批判してます。 そしてなぜ澤氏を批判するかというと、今のネットにはびこる腐った情況 に冷水をかけたいからなんです。ちゃんと論理も理由もある。 きみのように陰湿で失礼なコメントとは違う。
0それからもうひとつ感謝したいのは、わたしはお酒を 飲んだような酔った状態にこだわりましたが、耄碌し てすこし呆けた状態もひょっとすると「紙飛行機」の ような状態ですから、書き手は爺さまが老いて臨終ま ぎわにやっとそのようなラクな状態になったという多 義的な意味で使っていたのだなと気づきました。 酒を飲んだというわたしの解釈は誤りでした。 ほんとうにわたしのような素人のアホは、合評のように いろんな方から教えてもらわないといけません。 ありがとうございました。
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