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火事場騒ぎの狂騒から遠く離れてしずかに投稿された秀作
この連作小説は非常に繊細で知的な文体が特徴的な”青春の蹉跌”の物語ですが、これだけの文章を書く人なのだから、当然、通俗的な世間の感性とは隔絶していて、そのために凡庸な周囲とは摩擦や違和があり、当然、そこからの抵抗があり、理不尽な懲罰がある。 これは文学的で鋭敏な感性がいつの時代でも、どこの場所にいようと受難する、全時代、全国共通の、いわば誠実に生きようとする者の桎梏といっていいものでしょう。作者の分身と思わしき少年は知性の代償ともいうべき、いわく言い難い生きづらさ、息苦しさを覚えながら絶望しているのですが、その絶望や生きづらさが、逆に、炎天下にある人がふとした空気のうねりを、そよ風のように涼しく感じるように、ほんとうに奇跡のように、たまに触れあえる人のやさしさを敏感に察知してしまう。この二つの、壁のように大きな地獄と、かすかな希望の狭間にあってしずかに息をしていた人の若かりしこころの記録です。 この連作小説の十章に”グリコ遊び”のエピソードがあります。 「グリコの論理」という表題ですが、 これは1970年代から1980年代にかけて子どもたちのあいだで爆発的に流行した、ジャンケンで勝った歩数だけ階段をあがれる遊びだそうですがわたしは知りませんでした。 ジャンケンで進める歩数にはルールがあって、 通常のグリコでは、勝った時の歩数が以下のように決まっています。 ●チョキで勝つ:「チ・ヨ・コ・レイ・ト」で 6歩 ●パーで勝つ:「パ・ア・リ・イ・ド」で 6歩 ●グーで勝つ:「グ・リ・コ」で 3歩 見た通りグーで勝っても3歩しか進めません。 ある生徒がこれは「不公平だ」といいます。「グリコーゲン」で6歩にするべきなんじゃんなかろうかと。 しかし頭のいい小説の主人公はすぐにこのルールの裏にある高度な心理戦の要素を見抜いて口ごもります。つまり、「ジャンケンの、どの手を出しても期待値が同じになるように、ルールの欠陥を修正したい」という、非常に合理的な思考をする"頭の単純"な仲間たちに対して誠実に「マジレス」を返していいか迷うのです。さんざん迷い、躊躇し、自問自答を繰り返した挙げ句、やっとの思いでわざわざ3歩である理由を伝えると、理解する人はいなく、 「ごめん、私社不だから分かんない」 と一笑に附されてしまう。弾けるように仲間たちも笑う。 この「重いこといってんじゃねえよ」「空気読めよ」という思考放棄の冗談によって誠実な態度が硬直野郎として嘲笑われる体験、わたしも中学生時代さんざん体験してきたことです。それでわたしは学校がバカらしくなって、中学ニ年で学業を放棄したのですが笑 こういうこと、非常に身につまされるというか、よくわかるような気がするのです。ネット掲示板でも同じです。こういう人います。一生懸命真面目に感想を述べると「長い!」「もっと短く書けねえのかバカ」 と外野からさんざん誹謗されてきました。三浦果実という方でしたが。軽いノリを強制する人がいるのです。でもひとそれぞれですからねえ。それを認めてあげないと。 どの章も秀逸なエピソードで満ちていますが十一章がもっとも現代の風化した倫理の時代を鋭くえぐっているのじゃないかと思います。 今、このサイトが消滅するだのしないだのと、わざと大騒ぎしてCWSという投稿サイトに投稿者を誘い込もうとする煽りが火事のように広がっていますが、そんなものに騙されて不安を感じているヒマがあったら、タイタニック沈没騒ぎの空疎な宣伝に迷わされず、静かに投稿されたこの秀作を、読むことをお勧めします。
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火事場騒ぎの狂騒から遠く離れてしずかに投稿された秀作 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 282.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2026-01-30
コメント日時 2026-01-30


takoyo2おまえがネット詩全体の癌だ 消えるなり何とでもしてくれ よくわかった ホントに愛想も尽きた これからは名前も見たくねえ
0俺にも近づくなよ 名前も出すな 倍返しにしてやる
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