たたみかける雨に墓碑が洗い流され
無記名のひとつの白い板
数千枚の白い板は誰のもの
晴れた日遠くのグランドから聞こえる声
知る人ぞ知る樹木
四季それぞれの花鳥草木
誰もいない
誰もいない霊園の午後
やがて訪れる火葬の順番
寝台列車に揺られるように
寝台列車に乗るときめきのように
寝台の上に寝転がって
はい、おしまいと焼かれたい
立ち会いは数人の借金取りたちと
飲み屋の女性たち
棺には酒を入れてくれ
数枚のシャガールの絵も
原罪など知らず
阿弥陀が迎えに来ると思っていた
点火までは
話題もないだろう
褒められたのはタバコをやめたこと
スペースシャトルに乗るときめきのように
宇宙へ飛び出すときめきのように
俺を焼いてくれ
煙になって
それがフィクションと分かっていても
涙や四季それぞれの花鳥草木
静けさ
俺もいない誰もいない霊園に
また、雨が降る
洗い流され、無数の白い板が消える
のち晴れて何もない丘
昔霊園があった
今は、ただ
花鳥草木
作品データ
コメント数 : 14
P V 数 : 802.1
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 30
作成日時 2025-09-01
コメント日時 2025-09-07
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 5 | 5 |
| 前衛性 | 2 | 2 |
| 可読性 | 6 | 6 |
| エンタメ | 8 | 8 |
| 技巧 | 4 | 4 |
| 音韻 | 3 | 3 |
| 構成 | 2 | 2 |
| 総合ポイント | 30 | 30 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 5 | 5 |
| 前衛性 | 2 | 2 |
| 可読性 | 6 | 6 |
| エンタメ | 8 | 8 |
| 技巧 | 4 | 4 |
| 音韻 | 3 | 3 |
| 構成 | 2 | 2 |
| 総合 | 30 | 30 |
閲覧指数:802.1
2025/12/05 20時29分24秒現在
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人の死や記憶を刻んだはずのものが自然に還っていく様子が様々な比喩を用いて書かれていて興味深く拝見しました。 「死の痕跡はやがて自然に溶けていく」という無常観と、「それでいい」という諦観。 無記名で白い板について。「死者が個としてではなく、無数の匿名性の中に溶けていく」ことの象徴であるように感じました。 寝台列車の比喩は「旅立ち」死を「旅」として期待混じりに捉えているのだと思いました。 火葬を「はい、おしまい」と軽く言うのも、死を儀式ではなく一度きりの旅の終着駅として受け止めているようで、不思議な明るさが漂います。 「借金取りたち」「飲み屋の女性たち」だけが立ち会うというのも、ユーモラスで哀しい。 誰にも惜しまれずとも、死を自分なりに飾りたい、旅立ちに自分の好きなものを連れていきたいという切実さが伝わります。
0とても良い。ただ者じゃないな
1つつみさん、もったいないコメントありがとうございます。そこまで読み込んでいただけたことは大変嬉しいです。また、よろしくお願いします。ありがとうございます
0完備さん、短くも身の引き締まるコメントありがとうございます。他作品でも気づきをいただきありがとうございます。これからも育てていただけたら光栄です。もう少しこころ、たましいのある作品を少しでも書けたらと思いますので、どうぞよろしくお願いします!
0花鳥草木の使い方がうまいと思います。この世の循環の中に置かれて、夢のような人生を過ごす。あるいはときどき苦しみがあって、試されるけれども、最後に残る悔いは、あったのかなかったのか。
0黒髪さん、素敵なコメントありがとうございます。あったのかなかったのか、まさに朧ですね
1キャッチ―だなと思った。言葉のくりかえし自体は悪ではないが推敲の余地があるように思われる。
0おまるたろうさん、コメントありがとうございます。今まで推敲をしたことがほとんどありません。あまり読み手を考えて書かないところがありますので、今後は考えたいと思います。ありがとうございます
0詩を書くにあたって何のために書くかということは色々な部分で詩作品を左右すると思う。 そもそも、誰かに何かを訴えたいとか、読み手ありきでの詩作とそうでない詩作に分けることが出来ると考える。 前者の代表的なものは商業ベースに乗るもの、または歌詞(広い意味で詩とするならば)があり、後者は芸術・文学作品としての詩ではないだろうか。 私は常に詩を書く際には読み手をあまり考えない。一方的な自己表現、または一方的な美的表現やその他もろもろの一方的な表現が芸術であり、芸術としての詩であると思っている。なので、誰かが読んでこうしたほうがいいと言われたり、この作品は何とか的ですねと言われても全くぴんと来ない。他者と作品を通じて交流を図ろうという気がないからだ。ただ、今般は、それでは自分本位になってしまい、作品や詩を書く技術が手垢にまみれてよくないと思いいたり投稿サイトに参加している。 そこで、キャッチーといわれると、そうかと思った。 ただ、自分自身意図してキャッチーな語句を選んだつもりはないし、人をあえてひきつけようという気持ちもなく、逆に自分の中にある思いを一方的に酔って書いたような感じなのですごく不思議だった。それでも他者の意見として受け入れて今後の詩作の参考にしたいと思った。 また、ついでに推敲について。推敲もほとんどしないのが自分のスタイルで、そのせいで誤字脱字多く読み手には不快感を与える。 なので最低限の見直しというのは必要だと思うのだが、こここはこうじゃないなとか、ここをこうしよう、同じ言葉が繰り返し出てるので言い直そうとかは思えない。それは誰に対して、或いは自分の中のどういう自分に対しての作業なのかというのが私には分かりづらい。 思い切って書いたら、多少は変でもその時の思い(ポエジー)をそのまま正直に呈示しようじゃないかと思ってしまうのである。雑で荒っぽいかもしれないが、まずはそういうスタイルであることは間違いない。ただ、それをそもそも売りにするとか、計算するとかという意図は毛頭ないので、色々な意見を聞かせてもらながら、詩を書く技術を向上させていきたいと思った。 今後とも様々な意見を承りたい。
1「立ち会いは数人の借金取りたちと 飲み屋の女性たち」 ココが良いと思いました。 (推敲をほとんどしないというのは本当ですか?)
0ありがとうございます。しないんですよ。よくないんでしょうね。性格が、雑なもので(笑)最近は、少し、とは思いながら、相変わらず一筆書きです。誤字脱字はチェックしたいと思います
0よくいえば、勢いで書いた『熱』、『荒っぽさ』を大事にしたいという感じですかね。。。
0しゃれてますね。 なかなかいまどきこういうシャレた 詩を書ける人いないので貴重です。 これがふつうになればいいのだけど 時代が時代ですからねえ。
0コメントありがとうございます。何とも嬉しい限りです。カッコつけの世代ですので(笑)
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