立つことを厭った
私の
弱いあしから
流れ出た透明
その中でじっとした
私のこころ
どのようにか
角が立ち
どのようにか
色づいていた
私のこころは
あなたが愛でてくれて
そのために
かたちを覚えていた
いまは低いところや
高いとこを
つかないように
ふよふよ、と
街に溶けて
見えなければ
だれも醜いとは
思わない
それもいいね
まだきれい
だから
このまま蒸発して
気体になりたい
あわよくば
あなたの肺の
なんて
考えてみたけど
空をみて
気体の集まりでさえ
色がついているよ
くもりに変わる境界さえ
ぼんやりはっきり
だから
透明のまま
あなたに消えても
どうにもならない
かもな
なんて
ああ
このこころは
どうすれば
あなたに見てもらえるか
なんてさ
透明にいる
心地よさを
覚えてしまって
えらんだ色を
だれかに見られる昼間に
おびえて
また透明になったのに
あなたの色に嫉妬して
見えないふりをした
その日から
あなたも透明
きれいな
でもすべてはかわってゆく
そうでしょう?
知ってたくせに
じぶんで選ばなくても
かわる
なんてこと
さ
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 1006.6
お気に入り数: 2
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-05-10
コメント日時 2025-05-14
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1006.6
2025/12/06 03時54分59秒現在
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まず、ひらがなのタイトルを漢字に当て嵌めました。 「透明も酸化する」ではないかと思います。 ダブルミーニングかと思ったのですが、 「東名も参加する」と、高速道路の運動会になってしまったので、我ながらセンスがないな、と思いました。 詩には、ひらがなが柔らかく使われておりますね。 ただ、どうなのでしょう。 詩そのものが、 作中にある、“ふよふよ”と言う印象になっており、 切実さが薄れています。 だけど、それさえ“狙い”なのかもしれません。 ことば尻がなんとなく軽い印象です。 透明が酸化したなら、鉄のような鈍色になるのではないか、と、 なんとなく思いました。 内容はとうめい。です。 クリスタルを思わせます。 重苦しい内容を如何に軽く書けるか? という、ある意味、実験的な詩なのかもしれないと、思いました。 ありがとうございます。
0形容詞が、とても効果的で良質な作品だと思います。数多の言葉を使わずとも、語彙が的確に発揮されている。 褒め殺しではないのですが、簡潔されているのも、いかにも詩趣が有って良いと思います。
0切実さが薄いのは、この詩を書いている私に切実さが薄いからだと思います。まさに、ふよふよ、としているようなものなのです。(表現はしないがそういう人は多いと思います) 苦しくないのに苦しそうに書いたり、美しくないのに美しく書いたりすることは詩を“サムい”ものにしてしまいます。 “切実さが薄い”というレモンさんの感想は自分が詩の中で取り繕わないでいれたのだと思わせてくれる言葉でした。(幾度も自分に素直ではない詩を書いてきたので、それは嬉しいことです。) 透明が酸化したなら、どういう色になるのでしょうね? 私に分かることは何らかの色がついてしまうということだけです。 感想ありがとうございました。励みになります
1透明と色というキーワードを使って、愛に関する心情を述懐しておられると思います。 健気さが、詩において働いて、自分の特別に関して、ごまかしがない。心動かされる一篇でした。
0この詩に出てくる“透明”は実体のないものです。それ故、透明を描くには形容するしかありません。だからご指摘のように形容詞が印象的になったのかなと思います。 書いている時には意識していなかったのですが、ご指摘を受けてある意味必然であったようにも思えました。 気づかなかった部分にも言及して下さりありがとうございます。励みになります
0こんばんは。 〝それもいいねまだきれい〟 の流れが特別にすきです。
1書いている時には何しろぼんやりした心のありようを書いていたので、透明が何を表しているのかということは意識していなかったのですが、確かに“愛”でもあるかもしれません。 透明であれば愛を拒絶されることもからかわれることもない。抑制を続けるうちに自分で愛を認識することも出来なくなっていく。他人から見て透明であった愛は、次第に自分にとっても透明になっていくでしょう。 もしそうならば、それがこの詩を書いている私が、この“透明”を愛であると認識出来なかった理由にもなるのかもしれません。 自分の詩を再解釈するきっかけになりました。ありがとうございます。
1そこは自分でも気に入っている部分です。呼吸感を感じられる詩を書きたかったので、1番滑らかに読めるその流れの箇所を褒めてもらえたことを嬉しく思います
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