落ちてきちゃったか。
まだ小雨で、本降りはこれからっぽい。じっとりと重く生ぬるい空気は、湿った地面から低い空まで続いていた。
それなのに。
鈍色の雲が世界を覆ってしまっているのに、両腕が羽に変わってしまったんじゃないかってぐらい、肩の付け根が軽かった。
なんか変な重力。手の振りにも、踏み出す足にも抵抗らしい抵抗がない。まるで、優しく手を引かれながら歩いているかのような心地だ。
街の機嫌が良いんだろうな、そんな風に流して歩く。
ちょくちょく通る裏道へ入る。
何も変わっていないのに、何だか覚えの無い景色たち。
ああ。思い返してみれば雨の中、この道を通った記憶が無いじゃないか。
肌触りが違う、明らかに違う。
好き。いつもより親密というか。無機質なはずの道路も建物も、なんだか僕を快く招いているかのような、体温じみた温もりさえ感じられて、好き。
早く帰らないと濡れてしまうのに、僕は急ぐ足を止め、大きなガラス越しにがらんとしている店内を覗いていた。
流行りに乗れないアパレルショップ。
ここを通る度、ショーウインドウに飾られた独創的で華やかな衣服が目を楽しませてくれていた。流行らなくても僕は好き。それが近年の流行だ。
でも今日は、展示物が全て片付けられていて、店内の広さを錯覚してしまうぐらい空虚な部屋に変わり果ててた。
『雨休業』
雨が降ったらお休みらしい。
営業も、展示も。
ガラス越しに見る電気の消えた店内は、喪失感を味わえるほど、寂しい寂しい。
喪失感? どうして?
ここから服を買ったことはもちろん、お店に入ったことさえないのに。
何だろうね、この感覚。その正体を知りたくて、水滴に濡れるショーウインドウにおでこを当てて覗き込んでみる。
閑寂としている部屋の隅に、裸にされたマネキンが背筋を伸ばして立っていた。
自然な角度で腕を広げ、そのままだ。骨の揃いが良いせいなのか、いつまで経っても微動だにしない。
雨に濡れたガラス越しでもわかるぐらい滑らかに、映えて見える肌の質感。マネキンには顔があるけど無表情。欲も悩みも削ぎ落とされた安堵の面(おもて)。
作り物の風情を晒し、人間よりも綺麗に生きてる。眺めているうちに、あのマネキンが羨ましくなってきた。
おお。
気が付けば街が狭い。
ガラスの向こう側だけを凝視していたからか、うごめき、姿を変えていく街に気が付けなかった。
変化したのはこの街だけか。いや、もしかしたら、この星が丸ごと変質しているのかもしれない。
仮にそうだとしても、目に見える景色が僕にとっての世界の大きさだ。空はあっちのビルの隙間からそっちの山のてっぺんまで、大地はこの道の曲がり角から曲がり角まで。僕にとって世界の全てである街が、雨に溶かされたドロドロの姿で、ショーウインドウに映り込んでいた。
仮に握れば、指の間から水が噴き出す街。形を失わせるほどドロドロに蒸し上げた後に、清らかな雨で叩き直そうとしているかのよう。
なんて思っていると、ガラスの向こうからこちらを見ているマネキンと目が合った。
動かないで
生ぬるい風だ。
これは息吹だ。
創造主である人間が目を離した隙に、人工物は皆甦り、人工物を束ねる街が大きく息を吐いたんだ。
街の呼吸を見てしまった。そんな街の姿を、人間の僕が見てはいけなかったのに。
雨に濡れたまま動きを止めていたから、街は僕を人間として認識できなかったんだ。人間は雨を嫌う生き物なのだと、街は長い時間を掛けて学習したはずだから。
生きていることを知られた街は、僕をどうしてしまうのだろうか。
恐らく許してくれはしない。
日が暮れる前に消されてしまうだろう。
そう悟ってしまった途端に、僕は心底恐ろしくなって、振り返ることも見上げることも出来なくなってしまうのだった。
僕をじっと見ていた人工物がある。あのマネキンだ。あのマネキンが僕に目配せをしてみせた。
そこに居たら街に喰われちゃうよ?
僕は慌てて傘を投げ捨て、マネキンに誘い込まれるように、店の入り口に立つ。
怒れる声でヒューゴォオーと唸り声を上げる街。その様子をリアルタイムで映し出しているガラスが、ひっそりと左右に滑っていった。
自動ドアは誰でも彼でも受け入れてくれる。マネキンはそれを知っている。人工物であるからこそ、人間よりも詳しく知る。
こちらへどうぞ。
思った通りの硬質な声で招かれた。
本日は雨ですから、お披露目はお休みにしましょう。
お披露目とは、雨に濡れてる僕の服のことを言っているのだ。
僕は覗き込んでくる街から体を隠しつつ、いそいそと衣服を脱いでいった。
しゃがみ込んで身辺を畳む。
街の中で生き続けるのは、こんなにも難しかったのか。
知らなかったなぁ。
正しく肌色の細い手を取り、立ち上がった。もう学んだからふらついたりはしないけど。
台風が過ぎ去る頃にはきっと、きっと僕も、人の垢を落としたマネキンになっていることだろう。
天然の人工物に。
真珠みたいね
題名
『おまねきん』
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 756.9
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-11
コメント日時 2025-02-12
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
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2025/12/05 17時36分47秒現在
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初めまして。 明らかに自意識過剰なのですが、 もしかして、私の「お花さん」をまねてタイトルを付けられたのですか? 色々と考えさせられる内容でした。 印象に残ったのは、 背筋をまっすぐに立つマネキンと、 最後の「真珠みたいだね」のひとこと。 オチはついたと思っていたので 不意打ちで、ハッとしました。 ありがとうございます。
1実によく書かれた文章です。感情溢れ、言葉の効果に富んでいる。話の展開も、無理がなく、 期待を裏切らない(伏線回収)。ユーモアと意識が、読者に語り掛け、マネキンになる私 という不思議なことを、矛盾なく描いている。とても面白かったです。
1何とも不思議な作品です。 街が生き物であることに気付く、それは活気が溢れているとかの意味ではなくて、どこかで心臓が鼓動している生き物であることに。 生き物である街に対して親近感はなく、監視されている警戒感の方が強いらしい。 僕の行く末はマネキンなのか、そして最後にタイトルは変換される。 SFちっくなショートショートのようでもありましたが、やはり私は詩と読めました。 作品全体が何かの暗喩なのかなとも思います。
1初めまして、コメントありがとうございます! 作者名は隠していますが初めましてです。 えーーーーと、たくさんコメントを頂いてからで言い出しにくいのですが、 “このタイトルは誤字です” お真似さんみたいになってごめんなさい。『おまねきん』が正式なタイトルでした。 投稿する直前に題名を考えたんですけど、途中でトップページに載っている作品を眺めていたので、もしかしたら御作お花さんに引っ張られてしまったのかもしれません。 不本意ではありますが、誤字が何か役割を果たそうとしているみたいなので見守りたいと思います。 内容が何も無い作品なんですよね。ストーリー性もほぼ無い。テーマや伝えたいことがあるわけでは無く、このシーンを自分なりに表現したかっただけなので、どこか1つでも印象に残ってくれたのなら良かったです。最悪、読後の感想が「なんだったんだこれ?」となってもおかしくない作品ですから。 真珠みたいだね。 本作品で、詩文らしく飛躍させたのはこの一文だけ。他は普通に散文、のつもり。最後にちゃんと機能していたみたいで嬉しいですね。 ありがとうございました。
1コメントありがとうございます! たくさん褒めてもらって恐縮です。 小説ベースの書き方なので、一人称で感情を乗せる強み、散文としての伝わりやすさと途切れない流動性、山と谷。そんなところを活かしてみたつもりです。 一方で詩としての言葉の面白味や未知の雰囲気。そんなところが伝わっていてくれたら良いなって思いながら書いてました。 ストーリーだけ読んだらただの変人ですけども。 この作品では言葉の効果を褒めてもらえたのが一番嬉しいですね。 詩のサイトに小説の作風。最後まで読んでもらえたことが一番の成果です。
1コメントありがとうございます! 言葉の組み合わせが生み出す形容しがたい不思議な感覚や、疑問や問題点を明示していないのになぜか考えてしまう感覚。これらは詩が作り出せる旨味の一種なんだろうなって気がしています。 小説だと読者へ答えを書かなければストーリーが成り立たないですからね。 自分では暗喩を含めてはいないんですけど、もしかしたら無意識に組み込んでいるかもしれません。自分は欲が無ければ文章を書こうとは思いませんし。もしあるとすれば、欲の類いでしょうね。 あーーーと、ごめんなさい。タイトルは誤字なんです……正しくは『おまねきん』になります。 おまねさんも、なぜか本編に引っ掛かってしまったので、これはこれで。 小説か詩か。 自分で分析するなら、小説ではないから消去法で詩に分類する、でしょうか。作品の目的がこのシーンを表現する、なので小説とは呼べないかな~って考えてますね。
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