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孤独
なにかを剥いで隙間風は記憶を交う 老婆が列車に振った手は記憶の底で固まって 暗い間隙で写真は微かにほてる 月光は涙に淀んで 老婆は思う 旦那の満月のような目を やわらかい愛撫を 時計が打った 歓喜が尽きたあとの悲しみを秒針は数える 消える記憶を 子どもを ひとつずつ
孤独 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 944.0
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-06
コメント日時 2025-03-24
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


隙間風というのは、年数の経った家の歪みから、その隙間を吹くせいらしいですね。「老婆」という言葉にかかっていると思いました。 子どもたちが大きく育ち、空の月のように、遠くでしかと光って生きている。その月光=若さが、若き頃の旦那と結びつき、「歓喜」の記憶に連想して飛んでゆく。 そんな記憶も消えてゆく。自分の脳内という「家」にいた、「記憶」=「子ども」が、まるで一人立ちするように何処かに行ってしまう。二度目の「孤独」の体験。 鋭い詩だと思いました。
1初めまして。 想い出だけでは生きていけないのでしょうか? どんなに大切な想い出であっても、いつかは忘れてしまうのでしょうか? 私はそうは思いません。 たとえ私が認知症になっても、本当に大切な想い出は忘れようがなくて、 その想い出がある限り、 私は「孤独」ではありません。 ありがとうございます。
1多く配置したものでもなく想像を奔らせるコトバが選ばれている。空行を挟むことで空間が出来、行ごとに目で追う文字列は、読みての感覚を引き起こす。その一文ごとが「なにか」そのものを感じ取れるようにおもった。 「老婆は思う/旦那の満月のような目を/やわらかい愛撫を」と遺影の前で回想している「歓喜が尽きたあとの悲しみを秒針は数える」今の状況。「消える記憶を/子どもを/ひとつずつ」忘れていくのか、数え続けるのか。日々を記憶をあいしたものを、ときに隙間風は記憶を剥いで仕舞う、こうして一篇として。はじめにある「なにか」とは確かに存在していた。時間であり命であり愛であると感じました
2ありがとうございます。 隙間風というイメージからふくらんだ文章です。意識しませんでしたが、老婆にかかっているのは、その通りだと思います。
0コメントありがとうございます。 私の考え方を書いてみます。記憶が無に帰すというのは自然な気がします。誰の記憶に、どのように残るのか、こちらを中心に置いてみましょう。長い人生のあいだ、私たちは幾度も他者に触れています。仮に記憶がなくなったいわゆる認知症のときでも、他者の目に一切触れないということはないでしょう。必ず誰かの記憶には屑かもしれませんが残る。他人に一切興味を向けない人々が大半ですが、その中にも周囲をじっと観察する目はあると、私は信じています。ですから、自分の記憶のことなんて考えずに、私もその慧眼になろうと思うのです。まるで、見る対象に、未来の私の一部も含まれているかのように。
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