なんせすべてが朽ちてしまうのに、(――手をあげて。)
柔らかいまばたきが 非情な拍手を熾していた。
とぷんとくれた凪に、過ぎた谷間の火蓋も日当たりは欲、
痩せた風もなく、あらゆる臭い そして、揃えた色もなく痛い。
ためらいがちに塗りつぶす感覚を
はなしの真んなかに定義するには。
ほら、気が触れた口と共にダンスする。
いきのよい兄妹たちや、
来るはずもない客人を馳走して
わたしは破れた時間を引き連れて行く、
その意志は足がついているか。
二枚舌の魚のよう
今に均しい浄夜を汲み出して、
冷却したメタファーにそっと手をあてる。
なら吸い殻というには南に向けて
皮肉にもどの子の指先も、
縒れた手紙のような水槽の。
目の前が圧縮された無限の図形をもつ
白いペンキが発光した空模様は、
夢窓。その距離は、自由とは
浮き彫りにされているレリーフを、
紐解く。と、ともに赫いてくれるなら、
それで、と唸った
市販の洋間に孵化した楽観がまた脱糞した。
いたいほど味気ない。近々、骨を折り 伏せられた急流に
横たわり 雷鳴に包まる。酸いを舐める酔うな読経も
その硬さや残骸の軌跡や荒々しく、容姿と晒されている。
磨り減ったシャム猫、とも呼んで
暗緑色のコトノハは、キネマで。
手から手へと吹き抜け、
あちこちに性器をおちつける
幾重にもゆるんだ返事も 故に怪訝そうな字名を
美しい、と称するなら。わめきの奥に固有の訛りを
記憶から消してくれ。芥子粒ほどもない赤 錆る。
とでも選り分ける錘に身寄りはないから 達磨、
知らず知らずに 眼差しも眇め時に感化される、
原色の造花。第二頸椎の哀歌だ
あなた、と焦点をあわせる、だからだね。
煙たげに、ためらいながら口にする暗譜も然り。
いつかの熱病は領域の無い鴉だ。と、ひっそりと
痛んではやはり怖いのだ。今ここでひとかどの傷口の
糸をゆすぐ翼よ。
呆れ顔を意味し。
まもなくぴたりと停まる
吐き捨てられる、存在はひしゃげたキャンドルに
ああ、鳥が耳をよびだす めくらな黄金は。
重力を忘れたトランペットが、
血肉を作る未完の虻蜂なら。
岩石や木の幹にも重なる
ゆたかな沈黙を弾く風がきて 色々と抱きあげる
何かしらのゆとりがなくては、跳ね返る街に埋もれゆく
テーブル上の陶器が、二客 また。よくよく思い出して
放射されたそこなしの曙に覆われてしまうでしょう。
星座がのそのそと水きりの塚へ。
気の毒な程 とりつかれているか、いしぶみは。
断ち切られた多次元を置き去りに、どこか湿るようになる
不安定なラヂオか (かみさまはここにいる)
遠ざかってきた (すませ/つづける)
あけすけな中りといきどころの往来がにわかに活気づく
だが――この歌声に、耳を貸さない
あれこれの蝶や霧が日常を繰り広げるのです
バタバタとなぶる音。働きかけるには 目覚ましく
浮かぶ泡をピシャリと閉じるには無機的で これを見て
身を寄せる斉しく/充てがわれた感情に対し/釈す為に.
ひろわれたばかりの文字列に呼応せよ
わたしたちはことばもえらべない
特別なものはないけれども
そのすべてがきっといらないものだった
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 1166.6
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-17
コメント日時 2025-01-30
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1166.6
2025/12/05 22時36分12秒現在
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(みんな様子見なのかな…ならば先鋒三明参ります!)と威勢よく出てきてはみたが、いったん陣に戻りまーす…でもねでもねだいぶんaoi作品に慣れてきた感じよーあーだこーだここがこーでしょとか書きませんし書けませんよねー書き手が求めているのはそーゆーことじゃないんだと、はい。僕の反応としては、aoiさんが作品投稿されました…僕は読みました!しっかり目に入れました!脳ミソにもかすりました!と逐一報告するだけですかねー(陣引き上げまーす)
0あったはずの何かがなくなったのと全く同時に、なかったはずのものが新たに生まれてきて、全体の数としてはこれまでと変わらないのだけれど、たしかに何かが変わってしまったときに抱くであろう違和感。そして、なくなってしまった何かの不在をざりざりと口内でいつまでも味わっているのに、実のところ、何がなくなったのかは分かっていないときに感じる、名前をまだつけられていないもどかしい心の動き。知りたいのに知ることのできない、分析したいのに名前もまだ与えられていない、未知の部分が私の内側にあって、A・O・Iさんの作品を読むとそれが刺激されます。意味不明な文章を書いてしまってすみません。 >わたしたちはことばもえらべない 特別なものはないけれども そのすべてがきっといらないものだった その通りかもしれないですね。
0書き手はね、何にせよ、読んでいただいたことにあたりまえに感謝します。読み手は自由読む権利があります。なのでいいたいことあったら遠慮せずじゃんじゃん言ってください。それにたいして、わたしが受け入れるか跳ね除けるかは、ものによりけりですけど。 というわけでお読みくださりありがとうございます。読まれないものだと思って出してるので、ありがたいだけですよほんとにね。まあこれさ、9月に書いたやつで、まあ落選したやつなのでー自分ではよく書けたと思っててーーそういう自画自賛でいいんだもーーーバラしてない散文のやつ、現フォにあるから読んでね(宣伝
0ハツさん、コメントありがとうございます。相変わらず美しいコメントを書きますね、感覚を言葉にするのって難しいですから、そういっていただけると嬉しく思います、そしてとても素敵な感性をお持ちだなとおもって、羨ましく思います。わたしはどうも一つに定まらないガチャガチャしてるのでね。 この詩は散文詩の形をとっていたものなので、ぶっちゃけバラす必要もなかったんですけど、現フォでもう出しているので、そのままでも面白くないのでこうしましたが。偏向冊子の方にも入れていただいたので、結構自分では気に入ってる作品です。 まあ最後の段下げの部分ですよね、コレあらかた書いてから最後ざっと書かされたところなので、コレがその時に、言葉にならない詩そのもの、なのでしょう。まあ、ノイズになりたい ですね。何が聞こえるのか見えるのか、感じたものだけが重さを含み、でも、わからないものになりたいです(これも、いまかかされた そんなかんじですが(*_*;) 未だに自分の書き物が何なのかわからないです、でも方向は定めているつもりですから、極めたいですね、先も見えないし終わりなんてないでしょうけど。
1分かりやすいタイトル。と言うのは、私でも入りやすい、という意味での。 私はAOIさんの思想や哲学なるものが映る作品が好きで、今の時期はそう読んでいます。エクリチュール分析は、また修行を積んだのちにできればと…。(そこにも思想は含まれているわけなのですが) 直近の合評会でも話したように、抽象的なものがない混ぜになる傾向の強いAOIさんの作風の中で、具体物が現れるとやはり緩急がつく。 抽象的なものは隠喩として、裏に具体物を秘め、具体物はそれ自体が何を象徴するか、裏に抽象を含む。と、今になって整理がついてきたような。適切な語ではないかもしれませんが。 「ノイズ」という概念。私個人の感覚を媒体とするなら、人間は「モザイク画」であるべきだと思います。アイデンティティ、在り方・生き方など、本来はノイズでありモザイク画であるはずなのに、効率や楽さを求めレッテルを貼る現代人。 という視界があるのではと、だから、本作品は自分にとって「入りやすいな」と思ったのです。AOIさんの詩の入門編としても良いかもしれません(きついですかね?) レッテルなどで固定したところで、どうせ「すべて朽ちてしまうのに」と始まるその明快さ。しかし、そこからすぐにAOI迷宮に引きずり込まれていきます。丁寧に読んでいきましょう。 ここで頼りになるのが、「具体物」なのではないでしょうか。一読してみるとやはり異様なのが、「ラヂオ」ではないかと。「不安定な」という形容詞がついていたり、「遠ざかって」「きた(=来た?)」とありますが、「ラヂオ」としてじんわり輪郭を持ちながら現れてくる。「かみさま」の声でも流しながら、でしょうか。「かみさま」の声にかかったノイズ成分によって、私たちは産まれた? そのノイズの身体を取り戻す旅か? とか考えながら、この「ラヂオ」を念頭に置きながら二読目に向かいたい。 しかし第一連、読めない。火と凪、風が漂う世界、読めなくてもいいかもしれない。手や瞼以外に具体物が現れないのだから、ということにしておく。ただただ感じられればいい連。 第二連、おや、モザイク画の話とリンクしているようだ。そう、モザイクをためらいがちに塗りつぶす責任は、自分に背負わされるのだよなぁ、と思いながら。ここらへんで動作も気になってくる。(冒頭の拍手やダンス)来るはずもない客人、…うぅむ。 第三連、身体感覚の麻痺。意志とは何処にあるか。 第四連で大事なことを思い出した。「熱」である。モザイクやノイズになるには「熱」が必要だと思われる。流動性は熱だ。たとえば面白いメタファーは多様な解釈という熱に流動していくもので、そうあるべきで、そこに手を当てている。しかし、第一連の熾された拍手などは、少し悪いイメージの熱として書かれていると思う。「非情」、悪い熱もある。その場限りの熱のようだ。 やはり。第四連、その場限りの煙草の「吸い殻」が出てきた。熱は「子」のためにあるのだ、創造力の熱ともいえる。ここまでくれば、第四連の後半の痛切な思いも伝わってくるので割愛。しかし、ここでおさえておきたいのは「縒れた手紙のような水槽」だ。具体物。それが直方体の水槽ならば、そう、ラヂオと形状が類似するよう。おや、「かみさま」はやはり「子」だったかもしれない、と思いながら次の連へ。 第五連、アンビバレント。双方から引き裂かれているような一行。 第六連と第七連はあまり直視したくないような事が起きている気がする。現代の生死の明滅に、「味気ない」と冷たい怒りが沸々と湧いているよう。第一連にもあるように、この詩は無風で始まっていたはずが、ここでは風が私たちの手を吹き抜けていく、まるで救いから見放されているような感覚。 第八連は、追っていなかった「言葉」の問題か。気が触れた口、二枚舌、コトノハなど節々につながりそうな言葉が出てきていたが…。 訛りやわめきなども、人間の持つノイズ。その火(熱)=芥子粒ほどもない赤が、人類史という記憶から消されること、その懸念。第九連、原色という分かりやすい色で造花にされていく。声の発端の場所ととらえたい、第二頸椎は。ああ、哀歌… 第十連、やはり熱が出てきた。やはり、見方を変えれば病熱なのだろう。流動性は痛みを伴う。怖れが来る。 第十一連の「停まり」から、本当の終わりが始まるような展開がなされる。なぜなら次の連から具体物が無造作にボコボコと生まれていくからだ。安直に、天使らの呆れ顔が浮かぶ。 この連以降、硬い物体が色々と出てくる。街自体も硬く、柔らかな存在を跳ね返しては埋めて隠す、そんな社会となる。 不安定なラヂオが唯一の救いのようで、しかし我々の手では掴めない距離にある。 さて、「あけすけ」(=分かりやすい、ノイズなどない)な対話、往来も活気づいてしまうようで…。 しかし、蝶や霧といった自然たちはノイズを忘れていなかった。この段下げから、私たちが踏み入ることのできない領域が描かれる。 そして、私たちは本当に「ことば」を選べているかという訴え。次第に、すべてがいらないものだったとして、私たちの言葉も消えていくのだろう。しかしそれは本当の無。数多の声を織り交ぜて無を作り出す「ノイズ」とは、ゴールが一緒でも丸っ切り違うのだ……。 という、長々と、自分にとって気持ちいいだけの解釈かもしれませんが…。終盤、すみません、駆け足になってしまいました。 合評会で私が指摘したことが、この詩では面白く達成されている気がしたので、コメントしました。 良い詩です。
0さてまず、ミハイさんの考えた見解を見てみることにする >「ノイズ」という概念。私個人の感覚を媒体とするなら、人間は「モザイク画」であるべきだと思います。アイデンティティ、在り方・生き方など、本来はノイズでありモザイク画であるはずなのに、効率や楽さを求めレッテルを貼る現代人。という視界 これですね。でも其のレッテルがないと測れないものですよね。なんせ自分から見えることや知り得ることなんてほんのすこしだもの。時間が足りなすぎる、この足では何処へもついて行けないね。そうだなわたしはそれをラベルといいたいけどね。だから言葉というラベルを貼る、私が其のヴィジョンでみるとこんな感じだろうか。 ラベルを貼られたひと、もの、ことば、伝わる熱、触れること、「あなた、と焦点をあわせる」 コレを鍵として解いていくかな、と作者自身も自分の詩の違う見解をたのしめる、詩の醍醐味です。おもしろいね まあこれはこれはノイズになりたいというtitleからも想像は容易くあるように、読み手が読み手のココロで自由に読めるものですが。(そもそも詩というものは答え合わせをするものではない)自然とこう思えた、とすれば、自分の中にあることを点と線で結ぶようなことだから。だからミハイさんの中にそういった問題意識があるのかもしれません。なんてね☆ >抽象的なものは隠喩として、裏に具体物を秘め、具体物はそれ自体が何を象徴するか、裏に抽象を含む。 この作品は暗喩をかけまくる偏向のタイプではないので難しくもないし、そんなに考えなくても書けるやつですが、とにかく物体を想像するのがすこぶる苦手なので、うまく素材を集めないと組めないのですよね。と私はいま具体的に指摘されて書きながら納得していく感じですが。 >「ノイズ」という概念。私個人の感覚を媒体とするなら、人間は「モザイク画」であるべきだと思います。 おもしろいですそのかんがえかた。はっきりとみえるものでもなければ思い込みで形は変わってしまう、そうするとノイズよりも理解しやすいです。 >AOIさんの詩の入門編としても良いかもしれません(きついですかね?) 最初にコレは辛いのでは?なにがいいですかね、難しさレベルとして 花曇と圍 ぐらいにしましょうw >どうせ「すべて朽ちてしまうのに」と始まるその明快さ。 わたしらしいと思いますね。明るいことは一切ないので、自分はもう諦念でしかない、そこから、ですよ人生なんてもんは。まあ自分の思想をのせるしか書くことがないのでね、現実なんてつぶりたい、ですから考えに耽るぐらいしか楽しみはありません。(と脱線する) >一読してみるとやはり異様なのが、「ラヂオ」ではないかと。 ラストらへんですよね、アレわかりやすい思想のってるけど。わからないです。「わたしたちはことばもえらべない/特別なものはないけれども/そのすべてがきっといらないものだった」自分でも掴みきれないんです、だから結局言葉が、この尽くしてきたものがすべていらないものだった。だからノイズになりたいと、雑音でいいと。そのうちに自分の中で答えが見えるのでしょうね。ラヂオって意識して聴かないと雑音ですよね、ボリュームチューニングも含めて。といった、たのしみかた。自分で自分の疑問を自然と書かされてしまう、なんとも詩作っておもしろいものです(また脱線した) これは9月末に書いたものだけど。このタイプは降りてこないと(マヂで一日かかってない)かけないのでねえ。自分で意識して見せる読ませるように見えるよう、ですよね。今はもうこの場で読める人がいない。そしてコレは自分で自信を持って出して落選したものだから、書かなくてもいいなと思ってたので。合評会で言われた指摘ってどういう作品だろ?って思ってたんで、納得しました。やはりこの型なんだなーと、コレを短くかー難しいねええ。でもやるで! 熊倉ミハイさん、丁寧なコメントありがとうございました!
1最近読んだのが、ヌーヴォーロマン以降文学は芸術ではなくなった、といった説で ヌーヴォーロマンの時期、フランス文学は反小説といわれるほど多様な華を咲かせたあと とんと、次に来るべきものがなくなってしまったと。 グローバル化された社会だから言えるけれど、そうじゃないよね。ここに芸術がある。 もっと言ってしまえば、反詩ともいえる、苛烈なせめぎ合いの戦いの記録が ここにあることが僕には読み取れる。 一つ挙げるとするならば、僕は熱っぽく最初から最後まで通して読んだけれど この作品はどこから読んでもいいわけじゃないですか。 芥川のさ、歯車っていう小説が好きなのですが、あれも筋っていう筋はなくて 適当に開いたページから読める。だから、今も僕の中では歯車は曖昧模糊としていて でも、きっと芥川の中で筋のない話だからって全体の構造上、気を配ってないわけじゃない。 ともかくも、この作品は反詩でありつつ、詩でなければ成立しないというのは素晴らしい。 人を選ぶ作品だとも思うけれど、ここに言葉の宝石箱がありますよ、と言いたいですね。
0田中さんお久しぶりです。コメントありがとうございます。ココ最近で手堅く書いたのはコレが最後の気がします、こっかから先のものは模索探求のたびにでてるのでね。 ぶっちゃけ自分のものが芸術かどうかはわからない。反詩かどうかも、自分ではわからない有り様でずっと書いてますけど。とあるかたにいわれたことですが、自分はだれあてでもない手紙を書いているようなんです。だから内面がまあでるわでるわ、自分でもおもしろいのですが、やっぱずっとね、手法としても自分のセンスでしかないので、意味はとれませんし、ヒトは選びますし、でもソレでいいと思ってますから。自由に書いてくださいねと、まいかい締め切り後に背中押してもらってます。 とあるグループの合評会もそうですけど、いいであいがたくさんあって、叱咤激励されてここまできたので、もうね楽しく続けたいなと思ってます。ただやはりひとりよがりではあるので、こうしてお伝えいただけると、もちろん励みになります。やはり出すからにはたのしんで喜んでもらいたいものですからね。 この作品をどう読むかって、やっぱり読み手の心をうつすとはおもうのだけど。やっぱさ固定観念あるでしょ、意味取らなきゃとか最初から読まなきゃとか尻込みしちゃうのかな、そういうの詩にはない どころか、なんであれ本当に読み手の自由なことであるけど、結局好みや自分の詩作思想をもったまま、たがう詩に入り込むことは怖いのかなと、自分のなかで指針とする詩をきちんともっていないとやはり迷ってしまうのかなと感じます。 言葉の宝石箱といっていただきありがとうございます。そうありたいですね、ことばの可能性を探っているので、でも舐めたことしてるなとも感じてます。だから怒られても貶されても、まあそうだよなあーとは常々思ってますが。こうしてが楽しんでいただけたようなので、ほんと嬉しく思っています。ありがとうございました!
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