◆詩を開放しない老害どもへ - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

湯煙

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

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終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

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◆詩を開放しない老害どもへ    

たぶんボクは詩というより 旧い映画から【語り】を学んでいます 巨額の製作費を 回収しなければならない 映画にとって、 観客との乖離は たとえ芸術性を犠牲にしてまでも 避けなければならないという 大前提がまずあります ひとつゝの描写に関しては じつは名作も凡作もあまり大差なく、 歌舞伎の大見得のような一幕でもなく 地味なシェークンスの積み重ねによって ありふれた日常のどうでもいい情景や 使い古された何の変哲もない描写は、 観客の千種万様な読解のなかで (けして異化ではなく) 断片の集積として新しい感動を稔らせ、 作品の見応えが全く変わってしまいます 継ぎ接ぎだらけの怪物こそが、 映画では、まさに芸術なのです、、 だからボクの書く 凡庸な詩も、 エイゼンシュテインや グリフィスの流れを汲む 小津や黒澤、 ルーカスやスピルバーグらとともに モンタージュによって 歩行し、 そして踊ります (爆) 優れた文章表現というものは 確かに、あります。 でも作品というものは やはり断片の集積なのです。 歌舞いた老害詩人がタターンと足踏みをし、 見得のように首をまわして呟く――    ざわめく甲殻類のあてどない足音が  夕映えの瞳に句読点を並べ、  愛はさらに不毛の愛の渇きに藻搔く  おまえはエウロパの海のように  丸く、地下を転がるタコ焼きだった ――みたいな、 じつに難解なワケワカメな詩は、 でも本当は大好きです。 あはは 、、


◆詩を開放しない老害どもへ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 9
P V 数 : 536.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2024-02-18
コメント日時 2024-02-19
#現代詩 #ビーレビ杯不参加
項目全期間(2024/04/28現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:536.8
2024/04/28 13時28分46秒現在
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    作品に書かれた推薦文

◆詩を開放しない老害どもへ コメントセクション

コメント数(9)
takoyo
takoyo
作品へ
(2024-02-19)

えー、糾弾された老害から一言いわせていただくと まず、何が言いたいのかちんぷんかんぷん。 まず映像表現と言語表現をいっしょにしていることが 間違っている。 全然べつの次元、ステージ、分野のはなしなのにそれ をいっしょにしているのは、どちらについてもよく分か っていないからだとしかおもえない。 そういえばここに常連投稿されていたイカイカ氏もよく そんなことを言っていた。 理路を示してそうじゃないのだよと分かりやすく説明 してやっても人の話を聞けるだけの聡明さがなかった。 得意満面に書いている以下の文言、詩のつもりなのだろう けど  ざわめく甲殻類のあてどない足音が  夕映えの瞳に句読点を並べ、  愛はさらに不毛の愛の渇きに藻搔く  おまえはエウロパの海のように  丸く、地下を転がるタコ焼きだった ちっとも面白くないし、詩になってない。 こんなものより吐白氏の詩の「継接ぎ」のほうが万 倍おもしろい。 上のもどき雑文がなぜダメかと言うと本人がいう ように一見「継接ぎ」のように見えて、全部実は 順接だからですよ。次の文言がちゃんと跳んでない からあたりまえに予測できる。 甲殻類といえばとうぜんエビなんかも入る。エビと いえば足がいくつもあって海だ。海といえば夕映えの 海だ。そしてエビといえばタコ。ぜーーーんぶ あたり前にだれでも想像できる非常にワンパタの 面白くもなんともない一見だけ跳んでるように 見える詩だ。こんなもの現フォ以外、どこに出しても だれも相手にしない。 わたしも現フォのトップ10の一番上になったこと あるけど、まったく恥ずかしかった。あんなところで トップ10に入るなんて辱められているに等しい。 ある男がある特定の仲間によっていつもイイネされて、 トップ10の常連になっている。そういう場所だ。 だからあまり投稿しなくなった。 あんなところでちっとばかりイイネがついてトップ 10になったからっていい気になってはいけない、むしろ ぜんぜんダメだと思った。 (中にはたまにいいものもあるし田中宏輔氏の詩は別 格だけどね) ほんとうに何か詩についてわかっているならまず 詩の〈老害〉とは何か、詩の〈開放〉とは何かはっきりさせ てから語らないと。ばくぜんとした「感じ」だけで 書いているからこんなちんぷんかんんぷんで幼稚な 文章になる。詩の「老害」といえばこれこそがその 老害としか思えないのだが。 ほんとうに謙虚になって一から出なおされてはどうか。

0
atsuchan69
takoyoさんへ
(2024-02-19)

コメントをありがとうございます。 たくさんの勘違いが モンタージュされている 笑 まずあなたを老害だとは思っていない そして現フォの常連は あなたが思うほどレベルは低くない また映像は、 (人が見る映像は) じつは ことばによって 組み立てられている つまり、 ことばと映像は けして 別のものでは ありません もう一度考えてみて下さい 何が言いたいかわからない それはたくさんの勘違いに因ります ボクのカチンと来るのは、 ──使いまわしされたことば── これに尽きる 老害は必ずこれを口にする 愛とか 悲しみとか 欲望とか まあ、確かによく使うことばだ  これは詩でない じゃあ、詩ってなんなんだよ、、 そーゆー難癖が 詩というジャングル、ちゃう、 詩というジャンルを閉ざしてしまった ほぼ、言いたいのはそれだけだ 老害と書いたが、 詩を書く若い人たちまで 同じ考え方をしている というか、 洗脳されている  これは詩でない じゃあ、詩ってなんなんだよ、、 老害の詩人は、 たくさんのことばを殺しながら、 今日も深い穴を掘る それは何のための穴かというと 詩という人の想いを埋める 暗くて冷たい虚無の穴だ

0
atsuchan69
作品へ
(2024-02-19)

追記 >こんなものより吐白氏の詩の「継接ぎ」のほうが万倍おもしろい。 「拡大図のとなり」読みました。 これはマジで100万倍くらい面白いと思いました、、

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takoyo
takoyo
atsuchan69さんへ
(2024-02-19)

懐の深いatsuchan69さんだから安心してこんな返信が できるのですが不快に思われたらご容赦。    また映像は、    (人が見る映像は)    じつは    ことばによって    組み立てられている    つまり、    ことばと映像は    けして    別のものでは    ありません えーーどうすればこんな曖昧で漠然とした、うわごとのような デタラメがいえるのか.....想像を絶するひどさだね。笑    映像は(中略)   じつはことばによって組み立てられている これって要するに映画はシナリオをもとに撮られている ってことをいってるだけでしょ? シナリオから与えられるのはストーリーだけで映像は与えら れていないどころか、シナリオは映像を与えてはいけないの です。ことばが映像を与えることができないからこそむしろ 逆に映画は映像をつくることができるのです。 たとえばシナリオにこう書いてあるとしましょう。  ●スネ夫、家を出る このト書きをもとに映像を組み立てるのは監督の想像力です。 想像力次第では数千、数万の「家の出かた」が想定されます。 次にシナリオにこういうセリフが書いてあるとしましょう。  ●スネ夫、妻をみて  「バカ」 この場合、怒気も荒く「バカ」というか、愚かなミスをした相手 をやさしくたしなめるように小さく「バカ」というか、呆れ顔で 「バカ」と短くいうかそれを決めるのは監督です。監督の美意識 や物語への想念が役者に対してどのような発話の仕方をするか要 求していく。 映画はことばによって組み立てられてなんかいないのです。シナ リオはストーリー(物語の成り立ち、骨組み)を構成するだけです。 ことばが映像として曖昧な自由さをもつからこそシナリオが可能 だし、それをもとに監督は映像を奔放に創造できるのです。   何が言いたいかわからない   それはたくさんの勘違いに因ります 現フォに対するわたしの見方はわたしの主観だけど、あなたの書 いたものに対するわたしの批判はちっとも勘違いじゃないですよ。 あなたは「ことば」についても「映像」についても基本の基本す らわかっていない。それはイカイカ氏と同じだ。    ボクのカチンと来るのは、    ──使いまわしされたことば──    これに尽きる 手垢のついたことばはだれだって新味を感じないのはあたりまえ でしょ。この程度のことをいうためにわざわざこんな意味不明の とんちんかんな批評詩?を書いたのですか。 詩の初心者は必ずアニメチックに「きみ」を使いたがる。でもこ れは老害とは関係ないですよ。感性の問題です。わたしはどれほ どそれらしく書かれていても「きみ」が出てくるともうそこから 先は読まない。なぜ「きみ」が嫌いかを語ると途方もなく長い文 章になるので今はそれを論じないですが、いずれにせよこんなこ とをいうのに老害うんぬんはないでしょ。笑   老害の詩人は、   たくさんのことばを殺しながら、   今日も深い穴を掘る   それは何のための穴かというと   詩という人の想いを埋める   暗くて冷たい虚無の穴だ それは老害じゃなくたんに感性がまだ成熟していないだけなんで すけどね。それよりまずはちゃんと言葉がもつ意味と像と音楽性 について深く考えることをお勧めしますね。 中途半端で曖昧な「感じ」だけで済ますのではなくちゃんと言語 と映像についての見識を自分のものにすることが大事な気がします。

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atsuchan69
takoyoさんへ
(2024-02-19)

■ atsuchan69 ■     ↓    また映像は、    (人が見る映像は)    じつは    ことばによって    組み立てられている    つまり、    ことばと映像は    けして    別のものでは    ありません >これって要するに映画はシナリオをもとに撮られているってことをいってるだけでしょ?  ――ということなので、もっとわかり易く。 ここに一枚の犬の写真があります。 誰もがその写真を「犬の写真」だと 【ことば】で認識します。 さらに写真の犬がケアンテリアだとか チャウチャウだとかも (映像を) 脳内で翻訳された【ことば】で認識します。 特に日本語は、 ――映像を―― より正確に【ことば】に翻訳します そもそも言語の持っているイメージの喚起力は、 逆から見ても然りなワケで、 ボクが言っているのはつまりそーゆーことです 映像において、「伝えたいことが伝わる」ためには 【言語化】が必要であるように、 ことばにしても「伝えたいことが伝わる」ためには より鮮明な【映像化】が必要である、 と言っちゃっても、 チャウチャウとチャウ、チャウ、チャウ、 チャウチャウ? チャウチャウチャウチャウ、 けして間違いではないと思います、、 ところが老害(←年齢は関係ない)の推奨する まっとうな詩の書き方の場合、 ありふれたことばを使うなというので 「伝えたいことが伝わらない」 難解でカチンコチンな詩になってしまう それでも、 プーチン大統領に起因する不条理に反対する、 偉大なる日本現代詩人会の HP を覗くと 投稿された入選作品には、 けっこう凡庸(失礼)なことばで綴られた、 それこそ誰かに「これは詩ではない」と言われそうな、 ごくありきたりな(失礼)、 大人しく、 行儀の良い感じの詩が選ばれている そりゃあ、そうだろう ドスケベで【H】な、ちゃう、 H氏賞を主催する、 プーチン大統領に起因する不条理に反対する、 偉大なる日本現代詩人会様なんだぞ、  ざわめく甲殻類のあてどない足音が  夕映えの瞳に句読点を並べ、  愛はさらに不毛の愛の渇きに藻搔く  おまえはエウロパの海のように  丸く、地下を転がるタコ焼きだった もしも↑こーゆーヘンな詩が なぜか入選しちゃったら これはもう、 タイヘンなことになるのは間違いない 金正恩様がパンツの中のミサイルを発射し、 スケボー爺ちゃんが踊りながら タコ焼きを串刺しするかも知れない ――だろ?  ということで でわ

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atsuchan69
takoyoさんへ
(2024-02-19)

あ、そうかといって 表現の多様さはアリなわけで、、 「甘いリンゴを齧る」を 蜜に踊る舌とエデンの果実 でも 紅い欠片の夢の歯応え でも たたた、タコ焼きとちゃう林檎や、ごっつ美味いわ でも それは作者の思いのままですが

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takoyo
takoyo
atsuchan69さんへ
(2024-02-19)

  さらに写真の犬がケアンテリアだとか   チャウチャウだとかも   (映像を)   脳内で翻訳された【ことば】で認識します。   特に日本語は、   ――映像を――   より正確に【ことば】に翻訳します   そもそも言語の持っているイメージの喚起力は、   逆から見ても然りなワケで、   ボクが言っているのはつまりそーゆーことです 失礼ながら思わず吹き出しました。 じゃあ尋ねるけど「時間」という言葉に映像があるでしょうか。笑 「観念」という言葉に映像あるのかな?  「精神」という言葉に映像あるのかな?  逆も真なりというのなら「時間が表通りから家の中に入ってきた」 という表現を映像でいますぐに表現してほしいものです。 そんなものすぐに出来るわけがないんですよ。 でも詩ならすぐに表現できる。そのまんま「時間が表通りから家の 中に入ってきた」と書けばいい。 意味は、それまで平穏に生活していた一家がひょっとして借金を抱 えて返済の時間に追われだしたのかもしれない。 その微妙な心の、居心地の変化をそのように詩では表現できる。 そういうことは、言葉ならすぐに表現可能だ。 しかし映像ではそうはいかない。笑 できないんです映像じゃ。 言葉というのはこのように〈意味〉と〈像〉の二つを持っている。 atsuchan69さんは言葉の機能の基本も押さえていない。 それでよくもまあ詩が書けるものだ。言葉と映像なんて大風呂敷広 げて講釈できるものだと思う。(失礼) わたしがイカイカ氏を小馬鹿にしていたのはこういう言語と映像の 違いの基本の初歩すらわきまえてなかったからです。 そして現フォの朝から晩まで進歩もなく似たような詩ばかり飽きも せず投稿している人たちにうんざりするのもそこです。 詩がなんであるか、言葉がなんであるかちっともわかっていない。 それから、えーっと、言葉というのは人それぞれの固有の〈時間〉 を持っていますよね。 モーパッサンの「女の一生」という本を3時間で読んでも女の一生 を体験した気持ちになれるのはそのためです。 それから言葉は固有の〈空間〉も、持っている。〈空間〉というより 〈関係性〉といってもいいかもしれませんけどね。ある人の例えば 「愛」という言葉はその人独自の広がりのなかにある。 「空」とか「海」という言葉なんかも固有の関係性のなかにある。 ほら、寺山修司の例の短歌。   海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり これがそうですよ。 これをもし映像で表現したら陳腐でしょ。はは。これもまた言語にしか 表現できない世界のひとつです。 言語と映像の違いをもっと沢山、山のように示し、講釈を垂れることは 出来ますがわたしはatsuchan69さんのような可能性のある芸術家に こういうことを是非わかってほしいのです。言葉というのはそんなあー た、簡単なものじゃないし すぐに映像と交換可能なそんな生易しいものじゃないということを。 全然別のものであるということを知ってほしい。 atsuchan69さんはもっと弾けると思うのです。   

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atsuchan69
takoyoさんへ
(2024-02-19)

色々と教えて下さり感謝しています。 ここはみなさんの場でもあるので この辺で‥‥というと まるで逃げているみたいですが、、 (笑) どうか宜しかったら今後も現フォで ポイントなしでコメントを下さい 詩に使われることばについては、 例えば【笑う】にしても 笑む→微笑む→綻びる→破顔する、 と別の言い換えを試したところで 一度使ったが最後、 ことばの異化は たちまち機能しなくなる 読者にとってはむしろ 【笑う】と 素直に書いてくれた方が ストレートに 記述されたことばの趣旨が 伝わるのでは? と、そう思うのです それでも詩における表現は、 「イメージの伝達」というよりも 記述されるイメージの ことばになる以前の伝達という なんとも知れない 空気に絵を描くような じつに荒唐無稽な 難しさがあるのかも知れない だとしたら一層、 作者は「伝わる」ことばを より万人に向けて 選ぶべきではないのか? と、そうも思います さて、 「時間の映像化」については、 もう半世紀くらい前に アンディ・ウォーホルがやっていますし、 (https://youtu.be/WiRx0CHbkP4?si=C6DKo-CiDpokhsLZ) サルバドール・ダリの絵や その他シュルレアリスムの絵には まさに「時間」や「観念」を表現するものがあります さらにメタバースのような バーチャルな世界では ――言葉に出来ないような―― どんなことも体験できるかと思いますが もうひとつ、 日本現代詩人会については ボクにも言いたいことがあるのですが、 郷原宏会長については、 経歴を調べると スゲー人だということが判りました 出雲出身ですよね、 ここではそれ以上は書きませんが、、 やはり詩壇には、 そういう優れた人が配置されるわけですか ボクなんか足元にも及びません でもまだあと少しだけ詩を書くつもりです 朝起きて 枕元にカラスの羽があったら、 その時は、 口を噤もうと覚悟しています (;゚Д゚)  

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atsuchan69
作品へ
(2024-02-22)

補足:ボクの舌足らずから誤解があるかもしれないので、 「映像=ことば」なのではなく より正しくは、 ※「映像≦ことば」であるとし、僅かに譲歩します。 ※ヨハネによる福音書1:1~5

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