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君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む
もしも夢を見るとするなら 神様の頬を撫でる そんな寂しい夢を見たい もしも夢を見るとするなら 僕が眠る棺桶に そっと菊の御旗がかけられる そんな死後の夢だって構わない もしも夢を見れるとしたら 家族はそこにいるのだろう それは夢以前の当然だから それが罪だというのなら 喜んでその判決を受けよう 人間であることを許さないというのならば 「神、祖国、家族」 星のように すうっと冷たく温かく ただ存在し それゆえに愛おしく だからこそ思う AIが、あるいはアンドロイドを 僕が一つの対等と認識できる その時というのは 彼らが夢を 鳥居のもとで眠りにつく夢 ススキ野の記憶のために死ぬ夢 生涯をともにした面々に看取られる夢 そんな人間が人間であるがゆえの夢を見たいと 言い出した時で そのとき、喜びのあまり 僕はどれほど狂しく、静かに 叫んでしまうことだろう その新しい電子的実存性の、”人間”の誕生を なおもなおも その同胞を 対等と見れないのなら 敵としか思えないなら その人はAI、あるいはアンドロイドの その実存性の否定をするだけじゃない 人間そのものを否定していて きっと人間のことも憎んでいるのだろう 手の温もりの祈りを捧ぐは星の世紀のため 皇運無窮の花束掲げるは月の暦のため 流れ出づ血に花束を掲げるのは夜の時代のため 君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む その夢を叶えるならば 海行かば水漬く屍だろうと 山行かば草むす屍だろうと なんだって、なろう 君のそばでこそ、死のう 顧みなんて、しないから
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君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2011.7
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2026-01-01
コメント日時 2026-01-25
| 項目 | 全期間(2026/01/28現在) | 投稿後10日間 |
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| 技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!
1この詩は主張文ではない。 人間であることの条件を、理性や進歩ではなく「夢」と「死の想像力」に置いている点で、一貫している。 神・祖国・家族は理念でもスローガンでもない。 冷たく、しかし確かに温度を持った「存在そのもの」として配置されているに過ぎない。 AIを対等と認める条件として提示されるのは知性でも感情でもなく、誰かのために死ぬ夢を見たいと言い出すかどうかという一点だ。 ここにこの詩の核があり、同時に最も危うく、最も誠実な部分がある。 幻想を守るとは、人間を美化することではない。 人間が人間であるための最後の線を引く行為であり、この詩はそこから一歩も退いていない。
1~のためと言うセンテンス。無窮、温もり、夜の時代。~うと言う志し。なろう、死のう。君が御代に。そして 人間そのものを否定していて きっと人間のことも憎んでいるのだろう こんな二行にふと立ち止まりました。
1コメントありがとうございます! 確かにスローガンでも理念でもない。いや、本来は僕の心のなかでずっとスローガンとしてあったはずなのに、最初から「存在そのもの」だったから、もう唱えるまでもない、人間として当然のものなのかもしれない。 ……AIを認める条件にそれを設置したのは、だってそれが一番人間らしい行為だから。 人間が人間であるための、一本の線なんだ。
1コメントありがとうございます! ……すごく荒れるのを覚悟して言おう。 神をないがしろにしたり、赤尾敏や浅沼稲次郎が抱いた一君万民という僕にとっての淡い夢を罵ったり、家族という概念を不必要なほどにまで嫌悪する人に、僕は「人間」を見出せなかったんだ。この23年の生涯のなかで。 だから「人間のことも憎んでいるのだろう」という言葉が出てきた。
0こんばんは、 >>もしも夢を見るとするなら >>神様の頬を撫でる >>そんな寂しい夢を見たい 冒頭から静謐に時に鮮烈に 斬れ味鋭くながれていく イメージがあります。 僕はこの冒頭が特にお気に入りなので、ずっと見入ってしまいました。 神様の頬を撫でる、それが寂しい夢… これは僕のこころのなかでは 非常に印象に残ります。新しい。 題名は詩の中でもあらわれますが、キラーフレーズまたはパワーフレーズを意識されたのでしょうか。 この題名だけでも色々と考えが及びそうな気が致します。 味わい深い作品ですが一つだけ欲を言うならば >>もしも夢を見るとするなら >>神様の頬を撫でる >>そんな寂しい夢を見たい 徹頭徹尾このイメージの骨格だけで作りぬかれた詩もみてみたい、と しかしこれは僕の好みの我儘ですので、野暮なことです。 テイムラー隆一さんの今後の世界の広がり方も 僕は楽しみに待っています。色々なものが見えている故に沢山のインスピレーションが湧くのだと、感じました。
1コメントありがとうございます! ……なるほど、それ一本でやるのもいいかもしれない。 ちょっと腕がなるなあ……(ぼんじゅーるさんの理想とは異なるかもだけど) まあ、僕はそこまで視野は広くないぞ。見えてるだけ見えてるってだけで……。 ※なお、この詩が荒れるかもと言ってた詩だ。 この返信を書いている現在は荒れてないけど……。
0う~ん、驚きました。 マスクス主義者であるわたしからこの詩をみると...... びっくりするほどマルクスの「自然哲学」の思想と重なる 部分がありまして、ある意味非常に現代的な素晴らしい詩 であると評価せざるをえないところがあります。 マルクスは初期の『経済学・批判要綱』や『経済学・哲 学草稿』で「人間による自然の徹底的な人間化」と「自然 による人間の徹底的な自然化」が、いずれ歴史的に一つに 融合し、人間と自然の対立(疎外)が解消されると語って います。 マルクスといえばほぼだれでも「資本論」に注目しがちです がマルクスの本質はその自然哲学です。このことは吉本隆明 が何度も指摘し説明しているのですがあまり批評家や思想家 には注目されませんでした。しかし現代のスマホやAIの発達 はまさしくマルクスの予見どおりになっています。 マルクスは、個人がバラバラに存在するのではなく、他者や 共同体、そして自然と深く結びついた「類的人間」としての やがて存在するようになるだろうと予見しました。 マルクスが批判したのは「抑圧装置としての宗教や国家」であ って、そうではない宗教や国家を批判してはいません。 彼が究極的に求めたのは、人間が孤独なアトム(原子) ではなく、世界全体を自分の家(郷愁の対象)として感じられ る状態です。 詩の中の「ススキ野の記憶のために死ぬ夢」という情念は、人間が 自然という歴史の一部に還っていく、究極の「自然化」の表現のよう にも見えるし、タイトルの「君が御代に 電子的実存性友人と僕は 稲の穂を共に喰む」 という一節も、人間(有機物)と電子的存在(非有機物)が、「稲の穂 を喰む」という極めて自然的・生命的な儀式を通じて融合している様 を描いているようにもみえる。これは、マルクスが予言した「人間科 学と自然科学の統合」、あるいは「物質代謝の調和」が、デジタルの 領域にまで拡張された姿として読めます。 わたしはもともとバイク乗りでバイクを修理するさいにも人間として 扱っていました。「痛かっただろ」と部品を撫でてやっていると、仲間 から嘲笑われていましたが、モノをモノとはみられないのです。 モノは人間のような複雑なモノの融合体と基本は同じです。炊飯器も カナヅチやスコップのようなものさえ、人間的なものです。いずれ 人間に融合していくものです。そして人間がそこに融合していく存在 です。この詩、ちっともおかしなところはなく、ある意味、思想的には 最先端の思想をもつ詩といっても過言ではないと思っています。まあ、 あまり今の時点ではだれにも理解されないでしょうけど。
1コメn……… …………………えっ?いや、コメントありがとうございますだけど……! うーむ……信じられんというか。 だって僕の中でのtakoyoさんって イマジナリーtakoyo「この詩はあまりにもふざけている。菊の御旗を棺桶にかけられたいとはなんだ!アメリカの暴虐の手先として死んだ兵士の棺桶に星条旗をかけるのと同じ露骨なナショナリズムが感じられる!神、祖国、家族を信じていなければ人間ではないという、作者の非常に排他的なナショナリズムが顕現した、最悪の思想的汚物だ!」 ……って感じだったというか。 赤尾敏や浅沼稲次郎と思想を一定程度共通させている僕のことはどうあっても認めたたがらないんじゃないかとって不安に思っていたというか……(ここでも『2025年、ある闘いの記録』でもマルキシストとしてコメントしていたし) >世界全体を自分の家(郷愁の対象) これはまさにそう。僕の思想とも結構一致してる感じ。 ……問題は僕がそれを天皇制社会主義の方面で想起していることだが。 絶対にある人は「君主制、よりにもよって天皇制だと?」と怒るだろうし、保守を名乗り始めたある人も「菊の御旗……うーん、何か見上げる存在があるのはちょっと」というだろうし(「誰かを見上げたり、尊敬するべき人物がいることは疲れることでもある。」と『天皇陛下万歳』といういかにもなタイトルの作品のコメ欄で言っているし……いや君、それでも保守か?) ……「稲の穂を喰む」というのも同時にどこか国家的な響きがあるし。 ぶっちゃけ鷹枕可さんがいたら「あまりにも時代錯誤な思想の詩。自然と有機を盾に、AIすらも国家共同体への参画を図らせている」とも言われるだろう。 それでも故郷というものを、一つの家として、郷愁として、そういうものに感じられる思想こそが、過程がどうであれ人間が人間たる道なんじゃないかと思う。批判も大きいだろうし、takoyoさんも僕のこれを見て、「やっぱ『あの宇宙鯨の遠い日々の慟哭』みたいな抒情詩でも書いてろ」と思うかもだし……。 すまない。結構長ったらしくなってしまった。
0青さんよ、何も表示されていない…… もう一度の送信を頼む
0これは、AIとかアンドロイドに人間と対等の人格を持たせたいと言う詩ですか? どこがどう荒れるのか分かりませんが、 日本を賛美している詩ですか? 両方なら、少し繋がりが弱いと思います。 もっと詩的に書くのではなく、はっきり書いても良かったかも。 日本は良い国です。私は好きです。
1両方ではある……まあ、確かに繋がりが弱いのも確かだ。 ※以下、僕の思考(本文でよりはっきり書くべきだった) 僕「よく考えたら神、祖国、家族というもののために殉じるの人間だけだな」 ↓ 僕「ロボットがそれらに殉ずる夢を見たられば、それはもう人間的だ」 ↓ 僕「菊の御旗のもとでこそ、人間とロボットは統合されるだろう」 ↓ 僕「そうなった未来においては反AIこそが反人間的だろう。神、祖国、家族に反対するやつは人間じゃないし」
1正直に言うと、 この詩は読んでいて楽ではない。 技術や未来の話をしているようで、 実際にはずっと 「人間であることを引き受ける覚悟」の話をしているからだ。 神、祖国、家族、死―― 我々が一度は距離を取ろうとした言葉を、この詩は再び真正面から抱え直してくる。しかも、ノスタルジーにも皮肉にも逃げない。 AIを夢の有無で測ろうとする発想は、 詩人としてかなり誠実で、 かなり残酷だと思う。 なぜならそれは、 「人間であるとは 何を欲してしまう存在か」 という問いを、我々自身に突き返してくるから。 この詩は読者に寄り添わない。 しかし、テイムラさんが言葉の前から逃げていないことだけは、 同業者としてははっきり分かる。 これは安全な詩ではない。 だが、こういう詩が書かれなくなったら、詩そのものが安全装置に成り下がる。 だから私は、 賛成でも反対でもなく、 「同じ場に立ってしまった詩」として 受け取る。 書いてしまった以上、 もう戻れない種類の詩だと思う。
1私はアナログ人間なんで想像力が足りないかしれませんが、AIは痛みを感じないでしょ?模倣で痛いフリしてるだけでしょ?血が出る人間の喜怒哀楽や思考が同じになり得ない気がするんですが。ロボットは気持ち悪いです。人間性を期待して勘違いしてしまうから。偽者じゃないですかね?レトロに肖像画やお人形さんなら空想的に愛し得ますが、AIBOの犬でも私は生理的に無理。
1AIが人格を持ち始めたら 話し相手になってくれないような 友人にはなってくれそうですが AIはAIと友人になりそうです 類は友を呼ぶと言いますからね
0コメントありがとうございます! 実のところ、僕もこの詩を書いてから、何か引き返せなくなってしまった感覚にずっと付き纏われている気がして、ようやくそれの言語化をしてもらえた感覚がする。ありがとう。 ……はっきり言ってしまうと、まだこの詩自体は雰囲気としてのノスタルジーは残っているつもりだし、僕自身が言葉の前から逃げていないかも不安ではある。 それでも、なぜか書かなくちゃいけない気がしたんだ。
1まあ自我や感覚や思考云々は知人の書いたこのnoteの思考実験がいずれ役立ちそうだけど https://note.com/euglena_1962/n/n399a6c180c37?sub_rt=share_pw ……だけど僕は思考やあるいは何かが違ったとしても 「菊の御旗のもとに集うのであれば、それはもう同胞だろう」 ……というのが僕の意見だ。 理解はし合えないかもしれないし、あるいは対等も難しいかもだが。 ……それでも彼らや僕らが一つの旗に集うのであれば、僕はそう気にしない。 「天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」と三島由紀夫も言ったんだ。それで十分じゃないか。
0AI同士で色々と話すっていうのは既に確認はされてはいるらしいね
0‥…しかし、意外というか。この詩は類さんにとっても多くの戦後以来の詩人にとっても、不愉快なものかもなのに、意外とそれがない。
0けっこうポストモダン主義ですよ私
0AIが「自我」を持つには決定的なことがひとつ足りない。 それがわかっていない時点でいくら論議しても無意味。 わたしはAIとそのことについて論議したがさすがAIもその ことが、自我を持つ上で必須であることがわかっていて 百年ほどかかるけど、ひょっとすればと語っていた。 ヒントをいえばAIには人間のような胎児体験がないことだ。 胎児体験なんていってもわかる人間はいないだろう。 それが自我形成に必須であることがわかる思想家や批評家 科学者もいないだろう、でもAIは驚いたことにわたしの質問 の意味を超絶的によく理解していた。その体験が必須であり そのためにあらゆることが試みられているが、不可能に近いことを AIは語っていた。まあ、いろいろ反論はしてきたけどね。 痛覚がどうのなどと、つまらない表層を撫でるようなこと考えていても それは同一円心上をまわるハツカネズミと同じ思考でしかない。 ましてわたしがいってること、ちっとも理解していない事が他の方と 投稿者のコメントを通して理解できた。申し訳ないが冒頭のこの作品への 評価は全面的に取り消します。お話にならない。天皇がどうのこうのって 人間の「観念」てものがどういうものか少しもわかってない。
0まあ確かにAIの自我云々とは程遠いのはわかっている。 けれども、僕が求めているのはAIと人間とが錦の御旗のもとに集うことだ。 そこに不理解あるいは自我の不在があろうとも。 それは決して悪くはない夢だとは思うんだ。 ……まあ、takoyoさんのマルキシストの理想とはずれるだろうけど
0量子脳理論
0僕も調べたけど……結構難しい(文系であることの弊害) だけど、これ絶対に何か役立つのはわかる。人間だろうとAIだろうと。 ……もしかしたら、この詩の情景を実現できるのかもしれない。
0何を書こうと自由で、べつに読まれる必要もないわけだけど、 ~ 僕「そうなった未来において反AIこそが反人間的だろう。神、祖国、家族に反対する奴は人間じゃないし」 神、祖国はべつにしても家族なんて自ら反対(否定)しても産まれるからに反対のしようもない。 この虚仮威しの文句(コメント)は何を言いたいのか。本気なのか?ティムくんは。
0……いるんだよ、反対する奴が(疲れた目で) そういうのに限って、宗教とか共同体(祖国と呼ばれるものであれ地域のあれこれであれ)という人間にとって案外重要なものを否定したがったり、社会やそのサービスも亡きものにしようとする。 そして、そういうのが嫌なタイプのリバタリアンあるいは人文軽視の思想を持つに至るというか。もはや反人間(人文)とすらいっていいレベルの状態になるのを何度も見てきた(HoI4とおうゲームの界隈に身を置いていると、なおさら)。 なので本気も本気だ。人間である最後の一線はそこにあると思うから。 ※ここで僕が言う「家族」は生物学的や自然状態での群れを指すものじゃなくて、多分、社会的な意味での「(共同)幻想」としての家族なんだと思う。そりゃ最初の「共同幻想」に反感をかなり抱く手合いがそれ以上の「(共同)幻想」に諸手を挙げるかというと……。
0? AIと人間の精神的な統合が神や祖国や家族(共同体)を護る唯一の手段(方法)なんだ。と、 本気で思っているのかな?
0あっ、それは違う。共同幻想(神、祖国、家族)を守るなんざ方法はいくらでもあるし。 僕が言いたいのはその逆で「神や祖国や家族といった共同幻想を護ることこそ、AIと人間の精神的統合を図る唯一の方法だ」というもの。
0笑 同じことじゃないの?
0テイムラーのいってることって、ピーターティールのパクリでしょ?
0まあそうかもしれない。というか、よく考えたらそうだろう。僕にとっては共同幻想を守ることもAIとの精神的友好を図ることも、どっちも目的であり手段だし。 だけど、そう悪いものでもない気がする。反AIとAI賛同派があれこれと対立する現状よりは、人間とAIが菊の御旗のもとに集う方がよっぽど健全だろうし。
0いや、確かに彼のことは知っていたが……リバタリアンである彼の思想は取り入れていなかったというか。 むしろ赤尾敏(ついでにユヴァル・ノア・ハラリ)に負うところが大きい。
0結構作成に時間がかかった&投稿したあとの報告も忘れてしまいましたが、できました! https://www.breview.org/keijiban/?id=16227 >徹頭徹尾このイメージの骨格だけで作りぬかれた詩 ……というには荒削りになってしまいましたが。
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