脱衣所で あーー、あーー。
ロッカーの白さ やっぱ残って、
惜しまあーー、ない
四段か。なんのことはない
非東北人而何為欲学於東北也
冬には 白文で 読めなきゃ
親戚は 山の 地方都市に
ハリー・ポッターが萎縮している、
質屋の倉庫の矩形の中に
昔から 港湾都市は 脱衣所に
小学生のまほ は音楽がだい好き
四辺形 たいかくせ~ そして
幸ひはまさに〈山岳〉の向こうに、
ナンノコトハナイ!
大会のないしゃべらない高校球児くんに
できればlarge-Cの球場で抱かれていたい(汗)
白いおなかに花をのせていあんしいてあげる
ベルトの金具ばかのふりではずしてあげる・・・
〈知恵の輪〉 ハノイの輪を組み換えている
ボクには知恵がないのであった。
死則爲惜耶
学――バントを送る軽率さに
なんのことばないの、なんだよう
ここはアコースティックギターの市街。
ボクのきらいな楽器が似合うらしい街。
生まれはここ、育ちはここから決める。
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作成日時 2020-09-16
コメント日時 2020-09-19
作品データ
コメント数 : 5
P V 数 : 1009.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2021/04/22現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 3 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0.5 | 0.5 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1.5 | 1.5 |
閲覧指数:1009.5
2021/04/22 03時33分03秒現在
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これは仙台(?)なのでしょうか。「白いおなかに花をのせていあんしいてあげる」という言葉が素朴なようでどこかエロティックな響きを持っているように感じました。その次の「ベルトの金具ばかのふりではずしてあげる」というのもまた幼さと成熟した賢さを兼ね備えた何かのようで、あるいはそれが「はてなようせい」なのかもしれないな、と思いました。秘密で飾られた、不思議で素敵な詩でした。
1コメントありがとうございます。(半分「!」)そうかー、ボクってエロいんだー。 本家の「はてなようせい」はやっぱりのっぺりしたキャラクターで、というのはつまり、素材が少ないからで、そういうミッシングピースをあるいは埋め、あるいは埋めずに、秘密のかんざしを挿してコンテキストを無視して飛び回る、電子の妖精とみんな遊んでたのでしょう。でもこの詩は、そのような遊び方を自ら避けるはずです。
0「脱」がキーになっているかのようで、脱衣所をはじめとして、ベルトの金具ばかのふりではずしてあげたり、知恵の輪というかハノイの輪を組み替える動作だったり、ここでふと脱構築がおもいうかぶ。脱色された色としての白のイメージ、白文、白いおなか、まっさらなものへの希求のような。さいごの、生まれた街へのささやかな厭悪、育ちはここから決めるという、先天的な環境から自由意志を以て脱していこうとするかのような表明。あるいは詩による脱構築。 詩を書こうとすると、どうしても言葉に気取りや飾り、それを修辞ともいうが、そうしたものが表れてくる。平易で素朴な言葉をつかおうとしても、それがかえって詩の修辞になっているようなことさえある。そもそも「詩」を「書こう」とすることそのものがある種の気取りなのかもしれない。そうしたことを否定したいわけではなく。 なにが云いたいのかというと、この作品における語彙は、とても真摯だということ。修辞がないわけではないのだけど、詩を詩らしく書こうとする気取りや飾り気がなく、あるいは詩を詩らしくない言葉や平易な言葉で書こうとする逆張りとしての気取りや飾り気もなく、作者自身にとってごく身近であたりまえの語彙によってまじめに自然体で書かれているのだと感じられる。たとえば漢文、ハリー・ポッター、高校球児くん、ハノイの輪、そうした作中のあらゆる語彙から作者像が帰納されてくる。それは「はてなようせい」という名や画像からそのキャラが演繹されるような仕方とは逆に。 ややもするとエキセントリックにみえるのは、エキセントリックであることがこの作者にとって自然体だからではないだろうか。
1そのために書き直したので、最後の行まで読ませることができて良かったです。 https://www.youtube.com/watch?v=BgiXBf_gShQ 聴きました。思い出して当然って思う。困ってしまいます。
0なんでこのタイトルなのか言う必要がありそうですね、2つあります。 詩そのものに関わるただ1つの狙いは、ターゲットを絞ること。ちょうど12年前に小学校入学を控えていた、同い年の人に見つけてもらおうとしたのです。その人たちが一番共感してくれる読者のはずですから。「何為欲学也」への回答は、彼らそれぞれが「決める」。語彙の件について、それは作者をあぶりだすというのには至らず、この世代の人間というカテゴリーを喚起するというだけのことではないですか?もっとも「懐疑主義」の頃と比べれば(生きることに)真摯であろうと努めていますが。(囲碁を打ってた時、他校の先生から「君の碁はなんか、熱い」って褒められたんですね。やっぱそういう、主人公らしい真摯さが根にあるんですね~。) それだけじゃないです、実は、ボクはそのことでボクが癒すべき「しゃべらない高校球児くん」を捕まえようとしていた。このシーンがなきゃつまらないよ:) もうひとつの理由は、この詩には直接関係ないのですが、ボクが詩を書くことででやろうとしていることは、ボクたちがはてなようせいさんに教え込まれた(?)所有の決まりごとそのものを拒否することだからです。これは「全裸パーク」や「「名前」禁止令」の延長ですが、オブジェクトがただ自分だけに紐づけられた状態はもったいないと思います、名付けが許されないものを見たいです。 「脱」、流石。
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