作品投稿掲示板 - B-REVIEW
お知らせ

海江さん。   

作成日時 2017-07-27
コメント日時 2017-07-30

海江さん。彼は今年還暦を迎える職場の同僚だ。 彼は唐突に言う。「話は変わるけど……忘れた」 話も変わっていないし、始まってもいないのに「忘れた」 職場は言葉を失うどころか笑いに包まれる。 海江さん。彼は手作業を主にしているのにほとんど手が動かない。 彼は思いついたように言う。「今年は……結婚を、する」 相手もいないし、現実味にも欠けるのに「結婚を、する」 職場は嘲笑や失笑を越えて温かみに覆われる。 海江さん。彼は運動が得意だが、文字が読めない。 彼は遠慮がちに言う。「俺が、文字を読めないのをどう思う?」 飲み屋での打ち明け話に、僕らはただ「そんなことは関係ない」と答えるだけだ。 海江さん。彼は3才の時、地元の駅に兄弟とともに捨てられた。 そんな身の上話をする海江さんに悲壮感はない。 ただあったことだけを口にする素直さで満ちている。 僕らはそんな海江さんが大好きだ。 だけどある日海江さんは天使になった。 僕らを喜ばせ、楽しませ、勇気さえ与えてくれた逸話の数々を残して。 だけどある日海江さんは天使になった。 彼の起こした笑いと奇跡のすべてを、神に栄光を帰して。 僕らは涙する。海江さん、永遠に。 僕らは彼に手を振る。海江さん、永遠にと。 海江さんは、あの浅黒く陽に焼けた顔に少年にも似た笑みを残して、天国への扉を開く。 僕らは涙する。海江さん、永遠に。 僕らは彼に手を振る。海江さん、ありがとうと。 ゆっくりと瞳を閉じて、祈りの手を合わす海江さんは、天国へと入り、もう二度と僕らのもとへ戻らなかった。 僕らは閉ざされた天国への扉を、群青の空のもと見つめるしかない。 僕らの口からこぼれるのは海江さんへの感謝の言葉だけだった。 それは2017年7月の酷暑厳しい夏の話だ。


項目全期間(2019/11/22現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:93.9
2019/11/22 20時19分10秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(17)
竜野欠伸 (2017-07-27):

こんばんは。 こちらの作品には、障がいを持った人間をモチーフにするとのことで賛否両論があると思います。 ①肯定的に捉えるとして。 貴作品には、障がいを持つ人間像を生き生きと描いています。これらはとてもヒューマニズムに満ちた作品でもあることから、寛容な社会をもとめていくにあたってはメッセージ性があるとも考えられます。海江さんの死の直前まで、その生と死のあいだにも横たわる障がいに目を背けることなく、わりと人間のリアリティとしての生き様を描いています。 ②否定的に捉えるとして 海江さんの人生の出自が明らかにされていますが、海江さんの命として最大のリアリティが、海江さんの生としてではなく、海江さんの死として、やはり印象として残る点です。障がいを持って、多くの人間が死を迎える点については、嘘ではありませんが、どれほどの真実味を持つものか、これらのショートメッセージ文学では、まだ明かされてはいないのだろうと安直に考えてしまう点です。命たるものの真実性を明かしていくに当たって軽薄にも見えなくものないのです。

stereotype2085 (2017-07-27):

竜野欠伸さん。 コメントありがとうございます。肯定的に捉えるとして。の文面、感想、つまりは反応こそ僕が求めていたものであります。僕は海江さんのヒューマンな側面にひたすらスポットをあてたかったのです。 一方否定的に捉えるとして。の文面は、少し悲しくもありました。軽薄に見えなくもない。残念です。海江さんへの愛着と愛情を淡々と書き記すことで奥行きが出るとも考えていたので。 最後になりますが、この海江さんなる人物。「障がいを持った人物」としては描いてはいないのです。そう捉えられたとしたらまた一つ残念でなりません。海江さんは、障がい云々の前に一人の愛すべき人間であるということを書きたかった。伝わらなかったとしたら、僕の実力不足です。残念でなりません。

竜野欠伸 (2017-07-27):

stereotype2085さん 賛否両論説は、悲喜こもごもの詩だと考えられたからです。心配などは、余計でもあるかもしれません。「障がいを持った人物」と敢えて書いてみましたが、概ね、現代をこのテーマを標題として設定するのであれば、やはり必要な、フレームワークやらフィールドワークが隠れていると、考えた方が現実味があるのでは、と申し上げます。それだけ、福祉を生業とする人間が幅をきかせている社会だろうし、少子高齢化社会と呼ばれながらも、高度情報化社会でもあります。ショートメッセージ文学が何らの助力できる分野でもあるはずでしょう。決して、批判的な或いは批評的な意味合いで、「障がい」と云う言葉をもちいている訳ではありません。法律用語としての「障がい」が社会を縛るのであればあるほど、ほとんどの人間がその縄をほどこうとする側の人間であろうとします。自分としても、縄を見つけたところもありますので、いつか遠くないうちに、これらのモチーフを詩にします。問題意識としてのきっかけを下さりありがとうございます。

stereotype2085 (2017-07-27):

竜野欠伸さん。 今一度コメントありがとうございます。フレームワークやらフィールドワークが隠れていると、考えた方が現実味がある。なるほど。いつか遠くない内にこれらのモチーフを詩に。楽しみにしていますね。問題意識としてのきっかけを。いえいえです。

花緒 (2017-07-27):

これは、、、なんとも評が分かれそうな作品ですね。伝わってくるものがあると思います。上手くまとまっていると思います。書き過ぎていない感じが、優れていると思います。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、文脈によって捉えられ方が変わる気がします。弱い人間の死を題材にすることが、ある種イージーではないか、紋切り型の表現ではないか、といったツッコミは当然ありうるとは思います。が、この有りうる批評に対して、作者は、書き過ぎない、ことを選択したのだと思います。そのように読者に感得させるに足る作者の力量を感じます。しかし、その上でなお、ある種の紋切り型をなぞってはいないか、弱者を登場させないと描けないことなのか、という突っ込みは残り得る気がします。色々言いたくなるのは、この作品に力が宿っているからだとも思います。

蛾兆ボルカ (2017-07-27):

やや熱を帯びた 真夏を過ぎて 悲しみの向こうに からりと乾いた汗は 優しい匂いがするのかもしれない コメント欄を隠すTwitterでシェアFacebookでシェア 花緒 花緒 (1 時間前): 初めまして。生きること、と、悲しみ。相反する訳ではないのかもしれません。ポジティブとネガティブが対比された作品ではないですが、生、と悲しみが、繰り返しリフレインされ、ぐるぐると回っていくところに、音楽、があるのかもしれません。後半、もう一段伸びやかさが欲しかった気もしなくはないですが、楽しく拝読いたしました。 蛾兆ボルカ 蛾兆ボルカ (3 分前): この詩は結晶度が高く、何万年もかけて育ったクリスタルのように美しいと思います。 にも関わらず、これは今月亡くなった方に捧げられた、今月書かれた、機会詩です。 話が脱線しますが、私は、人生のほとんどの場面は、たった一つの言葉でしのげると思っています。「俺はまだ本気出してない。」と、いう言葉です。 でもこの言葉でしのぐからには、一つの言葉をときどき言えるようでいたい。「俺は、キメるときは、キメる。」と、いう言葉です。 しかしそれは、難しいんだな。 機会詩を書くときに、この詩のように、結晶として書くというのは、日々の鍛錬が偲ばれるし、亡くなった方との交流の素敵さを証すものだと思います。 人が死んだとき、人間に何ができるか。ある関係にあるある人は泣くでしょう。例えば、最愛の息子を亡くした母親の誰かは、涙が涸れても泣くでしょう。因みに、涙って意外とすぐ涸れますね。本気で泣くと、一晩で、泣いても出てこなくなります。それでも声だけで泣きつつけたひとを、私は知っています。 そんなこともしてあげられないひとは、何をするか。 詩でも書くしかないよなあ、と、思うのですが、なかなか難しいことですよ。 この作者は、それをしっかりやっているなあ、と思いました。 (続く)

蛾兆ボルカ (2017-07-27):

すみません。 操作が下手で、不注意もあり、コピーに失敗しました。 上記は、(蛾兆ボルカ)と、あるところから下がこの作品へのコメントで、その上は他の方の他の作品へのコメントを、間違えてコピーしてしまったものです。 (続けます) この作品における天使とか、天国という言葉ですが、詩とは何か、ということを、暫定的にせよどう考えるかで、評価が別れるかなあ、と思いました。 私は一般論としては、吉野弘の詩論を信頼しています。 彼は、詩とは、対象(作者にとって大切な、特別な何か)を褒めることだ、と述べていました。 特別なものを褒めるためには、用意された言葉なんかない。そのための唯一無二の特別な言葉を作るしかない。それが詩だ、というロジックであり、なかなか強力な詩論だと思っています。 しかし私は、しばしばこの詩論を捨てて詩を書きます。 この言葉で書いてしまうのは安易なのではないか、というまさにその言葉をあえて選ぶのです。 それは、また異なる、詩とは降りてくる言葉だ、という詩論の帰結です。 その詩論を実感するとき、それに逆らうことに私は意味を見出しません。言葉とは、みんなで作るものだからです。 この詩で、天使という言葉がこのフレーズに使われたということは、人類の歴史の(微細ではあるが)一部であり、この天使という言葉の運命のひとつだ、と、私は考えるのです。 以上です。いろいろミスがあり、すみませんでした。

stereotype2085 (2017-07-28):

花緒さん。 コメントありがとうございます。まず「この作品に力が宿っているから」「書きすぎていない感じが優れている」等の賛辞に感謝します。これも一重にモデルとなった人物の力強さ、そしてある種の魅力によるところも大きいと思います。では「弱い人間の死を題材にすることがイージーではないかとのツッコミも当然あり得る」とのご指南ですが、実は私は、この「海江さん」なる人物のモデルとなった方を「弱い人間」とは微塵も捉えていないのです。モデルの人物は、この詩の序盤に描かれたビハインドとも取れる要素を覆すほどのエネルギーに満ちており、誰にも負けない芯を持っておられます。それこそ私にとっては彼のビハインドなど「関係ない」のです。私はこの詩で「海江さん」なる人物の死してなお「残る部分」をあぶり出し、描きたかったのです。ただ花緒さんのご指南にあるように「紋切型ではないか」との解釈も充分にあり得るという点を心に留めておきたいと思います。ありがとうございました。

stereotype2085 (2017-07-28):

蛾兆ボルカさん。 賛辞、または勿体ないほどのお言葉をありがとうございます。「何万年もかけて育ったクリスタルのように美しい」。これは純度の高い人生を歩んでこられたモデルの人物の人となりによるところが大きいと思います。機会詩についてのお考え、考察、そしてそこから繋がる僕へのお褒めの言葉。涙がかれても声だけで泣きつづけた人がいる、などの逸話を何度も読み返し、ボルカさんの「詩でも書くしかないよなぁ」との想いに同意しつつ、嬉しく感じました。ありがとうございます。 吉野弘氏の持論は、強力で求心力もあり、もっともだと思われます。この作品においては僕は、言葉を作りませんでした。天使、天国という言葉を用いたのは、「海江さん」なる人物の死の前では、素朴な民間信仰にも似た感慨が芽生え、言葉への考察も、使う単語への慎重さも吹き飛ぶというニュアンスを含めたかったがためです。「海江さん」を失ったあとでは、詩人の、言葉への敏感ささえ無力であるかもしれない。そんな余白、余韻を作るために、天使、天国という言葉を用いました。「天使という言葉の運命のひとつだ」とのボルカさんの印象深いコメントを、心に留めおきつつ、返信を締めたいと思います。ありがとうございました。

stereotype2085 (2017-07-28):

念のため注記しておきますが、この海江さんのモデルは現在もご存命中です。今月亡くなられたある方の死がこの作品を書く、間接的な動機、きっかけともなっており、この詩は、もし海江さんが亡くなられたら、その喪失感を形にしようと常々思っていたアイデアを形にしております。よってこの作品は厳密には機会詩ではありません。しかしモデルの方への愛着は変わらぬものであり、彼が死した場合もなお鮮烈に「残るもの」「残すもの」があるとの感情は偽らざるものです。まず真っ先に明記しておくべきでした。私のコメに不備があったことに謝意を表します。

るるりら (2017-07-28):

こんにちは ひとことで、感想を書くとしたら 海江さんて、どんな人なんだろうなあ。と、思いました。 すこし変わったお名前だなあ。女性の名前みたいな名前だけど、海江田という政治家もいるし、彼とあるから 男性なのだろうけど、 詩として お名前を掲示する必要が、作者には なぜか あるんだろうなあ。と、思いました。  どうやら六十歳まで ご職業があったということは 収入もおありだったろうし、温かい人たちの囲まれた最期を迎えられたらしい。と、思いました。 わたしなんかも きのおけない仲間と リラックスした状況で なんとはないに たたずんでいるときには 話かけておいて 別に話の内容はなにもないような状況のときは あるような気がしました。(思春期くらいには そんな関係が私はあったですよ。いまは しがらみおおすぎて、そんな時間がないです。) 結婚願望のある独身のかたなら、多くの方が、「ことしこそは結婚する。」くらいのことは言うだろうし。  ただ もし私が、まったくの他人の六十歳の方に「俺が、文字を読めないのをどう思う?」と言われたら、六十ということは 日本だと 識字率がかなり高いはずだなあと 漠然と思います。なにから ご事情があるんだろうなあ。と私なら、思います。 しかし、お仲間の方々は、【僕らはただ「そんなことは関係ない」と答えるだけ】だということは、 海江さんは、周りの方々を喜ばせ、楽しませ、勇気さえ与えてくれた逸話の数々があるからだと思います。まったくの他人の私は 文盲である ご事情がいまひとつ 分からないなーと。思いました。だから、彼の人生も 私には分からないです。 つまり わたしには、職場のみなさんを彼が喜ばせている数々の逸話の雰囲気が この文章では 足りてないです。海江さんのよさが いまひとつ私には 伝わってこなかったです。 この話がもし実話だとしたら、海江さんを御存じの方々で 彼を偲ぶ場所でこの詩を朗読されたら良いと思いました。それならばきっと共感が得られると思います。 でも わたしの場合は なにも知らないのですから、共感は できませんでした。 どうも ご家族には恵まれていらっしゃらない方がいらした。 その方は家族はいなくとも、お仲間には恵まれておられる方がいらした。 という 感想しか 私の場合は持てませんでした。 ****************** 追記です。 コメント欄を読んで、わたしには さらに よくわからなくなりました。 ご存命中の人が亡くなったと仮定した文章。しかも2017年7月の酷暑厳しい夏に亡くなったという想定の文章は、 わたしの感覚だと 海江さん対して とても失礼だと思います。

stereotype2085 (2017-07-28):

るるりらさん。 コメントありがとうございます。これは「海江さん」なる人物の死を「想定」して書いたものではなく、海江さんを「失ってしまったら」という痛切な気持ちを、その時僕らに残るであろう「想い」を既に書き記しておきたい、忘れる前に。という動機から書かれています。彼の生死をいたずらにもてあそぶ意味合いが一切ないものであるのをご了承いただきたい。加えて「海江さん」の良さを純化して、今彼が生きているうちにしっかりと知っておきたい、という感情が書く動機の一つであり、彼との時間をより大切にしたいという気持ちもあるのです。しかしるるりらさんのような感想を抱かれる方もいらっしゃるのを、心に留めておきたいと思います。

蛾兆ボルカ (2017-07-29):

クレタのパラドックスではありせんが、例えば誰かが、 「俺は常に嘘をついている。」 と述べるなら、その言明は何も意味しない文であるとしか、受け取りようがありません。もしその言葉が本当なら、語られた台詞は嘘なわけですから。 同じ事情で、小説家が、「この作品はフィクションです。」と語ることは、とても滑稽なことだと私は思っています。 また詩は、小説ともエッセイとも、リアルとの関わりかたが違い、ある詩作品を、これはフィクションか?と、問うことはナンセンスでもあり、不可能でもある、と、詩の読者としての私は思っております。書き手としても、詩に嘘を書くということは、私には想像することもできません。

蛾兆ボルカ (2017-07-29):

そこでこの風変わりな詩をどう考えるかですが、一種の「贋作」として理解しました。 詩は不思議な文芸で、天才と称えられる贋作詩人もいますね。チャタトンという少年贋作詩人のことを想いました。 ところで、もし作者に自責の念があるのなら、自己処罰としては、海江さんが死ぬ詩をたくさん書くと良いかもしれません。色んな死に方をすると、なお良いかも。たくさん書いて、詩集にまとめると、味わい深い贋作詩集になるのではないか、と思います。

stereotype2085 (2017-07-29):

蛾兆ボルカさん。 「贋作」ですか。これは痛烈なご批判をいただきました。人を欺く意図などなくとも、フィクションにノンフィクション、もしくは「仮定」の要素を混ぜた理由でそう仰るのですね。それはまた「詩に嘘を書くということは想像できない」ボルカさんだからでしょう。残念です。ですが同時にボルカさんの心や審美眼を、期せずして、悪戯に左右してしまったのは紛れもなく事実。機会詩ととらえさせてしまったのは僕の落ち度になるでしょう。今後一層の配慮をしたいと思います。 では。

stereotype2085 (2017-07-29):

「ノンフィクションにフィクション、もしくは『仮定』」。の誤りでした。

まりも (2017-07-30):

〈職場は言葉を失うどころか笑いに包まれる。〉〈職場は嘲笑や失笑を越えて温かみに覆われる。〉 〈飲み屋での打ち明け話に、僕らはただ「そんなことは関係ない」と答えるだけだ。〉 一連目は、たとえば事故や病気で後天的に脳に障害を負った方をイメージしましたし、二連目は発達障害などのハンディを負った方をイメージしました。三連目と四連目は、精神的には「健常者」(一般的な用語法に於いて、と但し書きを付けます)であるけれども、貧困や虐待によって学びの機会を失してしまった方をイメージしました。 全体に、いわゆる社会的弱者、と呼ばれる方をイメージしながら、そこに弱さとか「庇ってあげなきゃ」とか、「守ってあげる」といった、「~をしてあげる」的な「強者」(健常者)の論理ではなく、ごく自然に打ち解けて、共に生きている状態を描いている、ように思いました。 後半、何度も繰り返される、天使になった、天国に行った・・・この文言が、いささかくどい様に思います。事実であるかどうかは問いませんが、突然いなくなってしまった、という喪失感を前面に出した方が良かったのではないか。たとえば、いつも彼が座っていた椅子が、不在のまま残されている。いつも笑いながらドアを開けて、おはよう、と言ってくれた時刻に、彼は来ない。彼、がいないことで、職場から失われた笑い、職場から失われた憩い、それらについて、改めて思いを馳せる、というような。 障害者施設での残虐な殺人事件から、一年たったところで提出された作品だったので、そうした社会批判的なメッセージが含まれているのか、と思ったのですが・・・前半の寡黙な展開を活かすためにも、後半をもう少し練り直した方が良い様に感じます。

投稿作品数: 1