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何気ない日々の語らいにだって太陽はある
高校の頃、真剣10代しゃべり場という番組が好きだった。人と人は、こんなにも深く語り合えるのかと感動した。しかし、今はむしろ逆のことを思っている。人の心というのは、分解して分析しようとするほどに分からなくなるものなのだと。 分かっていてもそれは分かった気になっているだけだと思うし、そもそも人の心が分かると思うこと自体がおこがましい。「マナーは、明るい」は、そんな、いわゆる"分かれば分かるほどに分からなくなる"機微に、さりげなく触れている。 マナーが明るいのは、深読みと深入りをためらう 適度への意識と、目に見えないものへの尊敬を大切にする 礼節がそこに、あるから どうしてだか人は、そもそも心は目に見えないものであるということを忘れがちだ。いま振り返ると僕がしゃべり場に惹かれたのは、徹底的に内面を掘り下げ合う対話に、心というものが見える化されたように思ったからのように思う。もっと言えば把握できたと、そう思ったからだと思う。しかし、繰り返すけれどそれはおこがましいことだし、もっと言えば幻想にすぎなかったに違いない。 後年僕は、まさに「マナーは、明るい」と思わせてくれるような女性に出会った。彼女は職場の同僚で、僕よりも10近く歳上だったにもかかわらず、いつも僕に不思議な敬意を示すように話してくれた。不思議なというのは、彼女はいつも、"わたしは今しがたあなたという出来事に心震わせています"との感嘆を胸に抱いているかのような、そんな瑞々しい敬意に満ちた話し方をしてくれたから。 マナーは、宇宙の中を駆け巡る太陽のように、明るい そんな彼女を思い出しながら、この一節を読んだ。大げさでもなんでもなく、人は人にとって、それこそ太陽のようであり続けるのだと思う。そのことへの感謝を忘れずに、まさに太陽のように尊敬し合うべきなのだと思う。 たしかに、僕の同僚だった彼女のような人にはそうそう出会えるものではない。でも、何気ない日々の語らいにだって太陽はある。和気あいあいと語り合っているさなかにふいに訪れる、沈黙の瞬間。そんな折り僕は、相手の胸中の広大な余白を思う。そこには、何も語られないことで、逆にあらゆることが語られてしまったかのような、目眩のような何かがある。 そんな分かり合えた感を信じることができるなら、いたずらに言葉を尽くそうと思うこともないのかもしれない。 もっと言うと、"ことさらに深い、本当の関係"なんてものの存在も怪しい。すべての人との関係が本当の関係であり得るなら。 そうして僕は、グーッと素朴な感性に舞い戻っていく。つまり、人を好きになるのに深い理由なんていりはしないのだと。好きだから好きでいいのだと。それこそ一目惚れなんかでもいいのだと。 人を分からないままに、その輝きの理由を分からないままに、しかし分からないからこそ、しかとありありと感じるということ。好きになるということ。そのとき人は、きっと、紛れもなく生きている。
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作品データ
P V 数 : 167.5
お気に入り数: 1
投票数 : 1
作成日時 2026-01-11
コメント日時 2 時間前


自身のエピソードも披露されてとても味わい深く、また丁寧に書かれているため、スラスラと読めました。人と人との関係も星と星との距離のように、分からないぐらいが丁度いいのではないか? そんな風に感じました。取り上げて頂き、作者冥利に尽きます。
1作者である万太郎さんから感想いただけた上に、投票までしていただき、ホントに書いてよかったと思いました♪ 昔は、それこそ距離をゼロにするくらいの関係こそ真の関係だ、それ以外はすべて紛いもんの関係だと本気で思ってましたが、最近つとに距離ある関係から感じること、学ぶことが多く、そうしてついに考えがガラリと変わったなと感じていたところに、万太郎さんのタイムリーな作品を拝読したので、批評させていただきました。 そんな僕の、いわば成熟の記録(←自分で言うか 笑)を褒めてくださり、感無量です☆♪☆
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