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月夜
朧月夜 光満ちたり 棚引く雲が 時の流れを静かに示す 舞う風が夜を晒す 夜半二時 底から吹き募る風 空に粉のように星散り敷かれり 見上げながら胸をふるふ 光と闇に溶け入る涙 夜ごと闇深く光輝く空 別世界のように 統べる月明かり ――夜空を超えて 花開いたバラ星雲のように 太陽風を受けながら 永遠が脈打つ 悲しみは涙の先に潜む 光を孕む夜 ――あなたの声が、かすれる 光のごとく 喜びを与えたい
月夜 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 886.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-06
コメント日時 2025-10-06
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


こんばんは。 >>別世界のように >>統べる月明かり ってなんだろうと、幻想的に見えますね。この詩の中ならば光と闇か?風、空、涙か? と考えてみたり。 >>花開いたバラ星雲のように このイメージもなかなか鮮烈というか、バラ星雲って調べたら本当に在るのですね。驚きました。 >>光のごとく >>喜びを与えたい 光と喜びは、分かちがたく結びついている予感が僕にはしますが、黒髪さんはどういう風に取られていますか?この詩のイメージですと、光をさらに喜びでプッシュする、喜びを光へ押し上げる、僕はそういった風に受け取りました。
1生と死は隣り合わせだが、死はカタリの外に出ている。 確かに月夜は、生?光では無いが、「光のごとく」ではある、あり得る。 、、、、、 描写が正確なところが良くて、感心しました。
1なるべく、字句通りに書いてはいるのですが、解釈は多様にできますね。光がないと、何も見えず、喜ぶわけにはまいりません。バラ星雲って、きれいじゃないですか。
1そうですね、死の克服です。光のごとく。描写は正確を心がけました。ありがとうございます。
0>> 光と闇に溶け入る涙 この一文がとくに好きです 月夜ですからもちろん夜、暗い情景が浮かびますが、だからこそ光が映えるんですよね 涙に反射した月明かりがキラキラしているのも目に浮かびます
1夜空を超えての1行後の世界観がパッと明るく極彩色(バラ星雲だけど私にはなぜか極彩色)。最終行も希望に満ちてよいなあと思わせてもらいました。前半、後半の差がいいですね。
1慎ましやかさと恭しさ、秘めた親密さを感じました。それでいて綺麗で少し非現実的な印象を感じました。
1涙に嘘はなく、光と闇を辿って来て、両者を調停するような力があると思います。
1夜空を見てると、夜を越えたいなあって思うこと、あるでしょう。極彩色は、正に宇宙の神秘です。最後は、人間に戻ってきました。
0慎ましやかですか?ありがとうございます。現実を超えたものこそ、求めるべきものだと思うんですよ。
1浸ってしまいます。 自分の上にも星空がかかったようでした。 光のごとく 喜びを与えたい 太陽のように無条件に誰にも注ぐ健康的な光ではなく、夜という闇だからこそ輝く月の光。 どこか優しく穏やかで、包み込むような感じ。 そんな喜びを与えられたら、なんかじんとしてしまいます。 丁寧で繊細で、耽美的ででもどこか人肌の優しさを持つ詩のように感じました。 ありがとです。
1どこか古文調の感じられるような、月光に包まれた感じの詩で良いと思いました!
1書くとなると、抒情、叙景、叙事になったり、自然、人、抽象、などですね。その組み合わせで出来事を書いたりしますが、今回は叙景詩にしてみました。夜の月の情景に、取りつかれたように美しさを感じたことを、書きました。たくさん褒めて下さり嬉しいです。ありがとうございます。詩というものは、本当に、奥が深くて、まだまだたくさん書きたいと思っています。
0夜になると、月が見えて嬉しいんですよね。雲とのマッチングも最高です。歴史に左右されない空や海は、詩だと定番ですね。
0いかにも詩でございという在り方が気に入らない。詩的言語を盛り込み過ぎだ。
1そうですね。習作として、いじりました。もっと、カフカみたいにバーッと書いた方が、自分らしいのが出来るみたいです、いまは。結局詩というのは、詩人が自分の詩情を言葉に乗せられるか否かなので、詩情の再現をする、ということになり、自らの詩情を育ててきた経験が、言葉の中で一気に展開されるものなのじゃないかと、個人的には思っています。推敲のしすぎには、元の詩の不十分さが、結果として現れるようです。ただ、言語実験といった方向にも、現代詩は向かっているので、よい詩が書ければ、その過程はそれぞれの人に任せられていると言えるでしょう。
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