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象と井戸
白い子供を抱いていると 焼き鳥のイラストが大きいんじゃないかと 言う思いの中海化した椅子に座れない 海の成分は全てお茶 座ればズボンと下着が お茶で濡れてしまう ドジっ子の入る余地はなかった 鳥居を前にして 穴が太くなって行く 井戸の穴は大きいものだ クーラーは設置できないので せめて水が湧く井戸で有って欲しいと思い 井戸に象の飼育施設を 搬入した 桜の満開の頃水が湧くだろう
象と井戸 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 604.0
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-03-31
コメント日時 2025-04-28
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


こんにちは。 以前のブツ切りのような表現から変化している印象です。 >桜の満開の頃水が湧くだろう この締めくくりが締めくくりに相応しく、 とても素敵です。 ありがとうございます。
1詩全体で、神聖な雰囲気が通底しているようです。「鳥居」が主に目立ちますが、「白い子供」を抱いているところや、「象」というのが神秘の象徴のように現れている(実際には現れていないため)と感じました。 「井戸」というのも、「イド」のことなのかなと。その大きな「イド」の中に、いつか知恵や力を持つ「象」を飼い、湧き水を望んでいる。「せめて」と書かれてあって、本当は「クーラー」を設置したいらしいですが、ここら辺はいったい何なのでしょう… 前半、「焼き鳥のイラスト」や「ドジっ子」という言葉による世界観の不安定さは絶妙ですが、途中で出てくる成分の狂った海というのを清浄にするため、井戸の湧き水を欲しているのかもしれません。 座れない、そして下半身(性の部分)が濡れてしまうところからも、人間の文明・繁栄の危機みたいなものをユーモラスに描いていると、感じました。(そう考えると、湧き水よりも「クーラー」が先に浮かんでしまうのは、現代人っぽい) 良い詩でした
2ちょっと横やり。 ミハイさん。 「象」で思い出したのですが、 (たぶん)ヒンドゥーの神様であるガネーシャは、 頭が象です。 あと、確か仏教だと、 お釈迦様が産まれるとき、お母さんが「白い象」の夢を見たとかで、 やはり聖なる生き物です。 そんなことを思い出しました。 エイクピアさん、 横やり、ごめんなさい。
2レモンさんコメントを有難う御座います。最後の行ですか。季節的に桜が咲く目前だったからなのかもしれませんが、四季桜や、十月桜はまだ散り切って居なかったので、複雑な気持ちでした。ラストフレーズはそのような中で考案されました。
1熊倉ミハイさんコメントを有難う御座います。鳥居は見た事がよくある事で、自分の中でイメージが眠って居ると言う事もありますが、「⛩」と言う形がどうしても研究の研と言う字の右側、刑法の刑の字の左側に似ていると言う事が引っかかって居たからでもありました。井戸=イドは余り意識しなかったのですが、コンセプトとしては反映して居るのかもしれません。焼き鳥のイラストやドジっ子はこの詩の中で、どんな意味を持つのか、自分でも未知数なものとして、導入した側面がありました。海化した椅子のイメージでは、座れないと言う事から、特に下半身とかはイメージしなかったのかもしれませんが、濡れると言う動詞から、どうしても下半身が想起されてしまうのかもしれません。
2レモンさん再コメントを有難う御座います。(熊倉ミハイ氏へと言う事なので、この作品へのコメントではないのかもしれませんが)。仏教的な観点は面白いと思いました。摩耶夫人、白い象などは詩的イメージが広がるような気がしました。
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