別枠表示
十字架の磔
動くことができません 十字架上に張りつけられて ついに もっとも聖なるものが 世界の可能事として現れました ゴルゴダの丘に十字架が立てられ ピラトの命により刑が執行されました 人は動くことにより苦痛を表現しますが 不自由な格好で動くことができないなら 無限に近い苦しみが生じます 動けない 身じろぎもできない 自らの意志に反して 手も足も体も動かせない 逃れるすべはない 動物とは動くことが出来るということなのに 身体の重さを二本の腕だけで支えて 両脇の腱は悲鳴を上げ続けたでしょう 自由なる意志と不自由に拘束された身体 息をする自由と考える自由だけしかなく 苦しむことだけしか もはや彼には与えられていないのでしょうか 一体何日が過ぎたのでしょうか 飢えも渇きも垂れ流しの糞尿も どんな人間にも耐えられることではありません 刑と苦しみの二重の終わり 死によってしかその解放はないでしょう 死は解放の意味もあるのだと人々に示しました 別の形に移行する際の 死には死の意味があり 分からないということを受け入れるならば 安楽に死ねるのでしょう 安らかで穏やかな死 悲しみと苦しみに涙をどれほど流されたのでしょうか 涙で苦痛は少し和らげられます ぬぐわれることのない涙は 地に落ちたとうとうとした流れでしょう 人に証されます 河の側にしか文明は生まれず 故郷を彼は示しました 故郷なき民にはどこかに安住せよと 自らの住む場所のない流浪に 終わりがなければ安心できない 歴史的暴力が故郷と土地を巡って 行われました なぜ最も正しい者が最も大きな苦しみを持っているのですか 愛に報いなければならないのに神は何をしているのでしょう 神は黙りつづけます イエスも黙りつづけます イエスは最後に神を否定しました 無限である神はその事実を肯定したでしょう 否定された神はもはや全世界の人々のものです 神の無限は心の中に存在して 肯定と否定が交錯する中で 神と人との関係も 根本的に変質し 神と人間と自然とは 新たな調和へと移行したようです 神は宗教的対立で滅びるのではなく 機をとらえて世界を動かしたでしょう そして本来的な崇拝の対象となり 私たちの疑念は次第に薄らいできます 神様の愛が最も大きかった それを知らぬ人間は 自己発見していくしかなかった 神は自分の中にいて 神が言いたいのは愛だけです 神の国は実現されたのかもしれません 神にさえイエスの死は予言できなかったのです 世界はもはや神の手を離れ 天国や地獄に頼ることもなく 人の倫理を完成させました キリストは一人の人間だったのです 奇跡の人は最後まで耐え抜きました キリストの示した人間的な事実 苦しみと愛との共存を しっかり胸に刻んで行きます ありがとうございます イエス・キリスト様 間違いは常に起こり得ます 生まれればそれを正せます 最も厳しかった教師が 最も大きな愛情から生徒を叱ったように 神の厳しさはそっくりそのまま愛の表現に他ならなかったのです 有限なる人間が自らの力で生きて行けるように 自然の厳しさを教えていたのです 神を恐れる必要はありません もっとも愛深きものであるからです 人は他人を救わないではいられません その本性を神は教えたのでしょう イエス様は人々に人の心の全てを生き様で示し 愛によって苦しみを耐えるのだと教えられたんですね 天国とは愛している時にだけ人々がいられる境地です だから隣人を愛せよと言われました 町の人々を見て御覧なさい 心穏やかな優しい人たちが見えますか イエス様の心の中ではマリア様が微笑んでいたんですね 愛は死で否定されず 死は極点でない 生きることも死ぬこともなく 詩想を生と死に巡らせ 究極点も自在に超える だからもはや何も恐れることはないです 自らの自然に身をゆだねようと思います 誰もがすべを知らないのです 表面にありのままが表れれば 般若の境地に至る すべての人がすべてを知れる ある場所へ辿り着くのではなく 解脱をするのです その為に知識と実践法は残っています 苦しみを逃れるために 少しずつやってみるのがいいと思うのです 私の故郷の山が呼んでいます 川が流れています 冬の空気は凛と張り 今日も楽しい午後を迎えます
十字架の磔 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 681.0
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-03-02
コメント日時 2025-03-04
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


こんばんは。 何て優しい詩なのでしょう! 黒髪さんが語れば、 神の神業は容易いように聴こえます。 イエス・キリストを 1人の人間だと仰有って下さり、 ありがとうございます。 重ね重ね、ありがとうございます。
1優しい詩になりましたかね。神の御業は、言うは易し行うは難しですが、どれくらい それを当然と思うか、という点では、「考えればわかって来る」と思います。もちろん、 偏見に気を付けて。イエス・キリストは、本当に、一人の人間であらせられました。 神に並ぶ偉業を行った、聖なる人でありました。
1偏見。 ありますね。 特に「年下」の人物には。苦笑 ありがとうございます。
1困難の中に人が置かれた時、人は果たして感謝と共に状況を受け入れるのか、非常に興味深い題材だと思っています。
1イエス様は、人を呪わず、神を呪われたのです。
1黒髪さん、そうですね。 マタイによる福音書に書かれていましたね。 イエスは死の間際にどうして自分を見捨てたのかと嘆くシーンがありましたね。
2思い出しました。 映画「ブレイブハート」の主人公の処刑シーンで、 腹をかっさばかれ、恐らく内臓を引摺り出されたであろう主人公は、 最期にありったけの声で叫ぶのです。 「FREEDOM!!!」と。 何となく、イエスさまと重なりました。 ありがとうございます。
1神とイエスの関係やら、イエスという存在への黒髪さんのご解釈が、自分のとは違いましたが、面白く読みました。 >冬の空気は凛と張り 今日も楽しい午後を迎えます 良い午後を!
1イエスにさえ耐えきれなかったこと、しかしそれでこそイエスだと思います。人間代表です。 耐えきれていたら、意味がないんだと思うのです。
2そうですか。哲学者のウィトゲンシュタインは、自分がガンだと知らされた時、 「Good」と言ったそうです。言葉を使って、自らの死の運命に諾を言うとき、人は、 真にかっこいい。
1色んな解釈の余地があるのは、歴史にダイナミズムをもたらすでしょう。 ハツさんの今日にも、良い午後がありますように。
1そうですね。 「神の子」でありながら、やはり人間であることは変わりなく、だからこそ「人間」であるイエスが「神」の欲すること(病人や貧者への救済)を施したのは多大なる功績だと思います。
1そうですね、安息日に病人を介抱したのですから、大改革者でした。
1休息日にファリサイ派の食事に呼ばれて、その時に水疱を患った人を癒したお話ですね。 誰も助けようともせずイエスの問いかけにも黙したままの人々を前にして病人を癒した後、「もしあなたたちの身内が休息日に井戸に落ちたりしたら、救わないのか」と一喝するイエスはかっこいいですよね。
1