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アラン・マッケル詩撰集(*翻訳の手習いに)
すべては無意味/アラン・マッケル=作 初出『パーシー・アカデミー』誌 1963年 12月号 クウォーター・パークの酒場でめずらしく呑んでいた かれは室でしか呑まない男だった もう若くない顔で時折 笑うそぶりを見せる その口もとは 神経がやられたようにゆがんでさえいた かれはいった、「すべては無意味なのかも知れない」と そしてつけ足した、「ぼくの父がいったように」 最後に話の目的を明かした「もし金にならなければ」 職探しにあぶれ、 救済支援も打ち切られ、 せっかくの長篇小説もモノにならなかったという、 そして長い電話すえに父にそう宣告されたとのことらしい クォーツ・ヒルの職安通りで かれと最後に遇ったのは10月の第2木曜日だったとおもう 救助艇に潜り込もうとするかれを咎めて、 酒を呑ませようといったら、 かれに断られた アル中のくせによとおもった かれが命を絶ったと聞いたのは知人の文藝仲間からだ わたしはなにもいえなかった すべてが無意味であることによって 若い死者たち/アラン・マッケル=作 初出『ポエトリー・マーケット』誌 1965年 9月号 マーヴィンがティムと撲り合いを始めたそばから だれかの帽子がまわって来た かれらの情婦、デイジーだ 見物料を払えということだった 莫迦らしいからわたしはでていって おもてのポーチで夜を聴くことにした どうしてだれもが愛と憎しみの区別がつかないのかを考えながら リード線に集る虫のような心でみんなことを考えていた 二月の夜、だれもいないところで みんなことを考えていた だれかがいるところではてめえのことしかないのにもかかわらず やがて撲り合いが終わったらしくみんながわたしを呼びにきた 新しい酒がだされ、そいつを平らげるかで賭けをした 「おれたちはまだ若い、おれたちはまだイケる」 そんなオダをあげて、次々に倒れた 酔っ払った死体を算えた声 ワッツ*を預言した声をわたしは知っていたのだ *ワッツ暴動のこと。1965年8月の黒人暴動。 知らないよ。/アラン・マッケル=作 (*1974年4月、出版エージェントであるパーカー・ミラーへの手紙に添付された詩で、手紙の本文にてかつての詩人仲間に金を貸したり、金の無心に遭ったりしたということが書かれてある)。 詩人だったころの友だちが──大して友だちでもないやつがおれに電話をかけて来る いったい、どういうわけか、おれたちは仲がよかったことになっている きのうはヴィンセント、きょうはマースティン、あしたはだれだろう? みんな出版社にコネが欲しいといっているが怪しい だっておれのような三流作家になにができる? あいつら、いつまで経ってもメソメソと詩を書く まあ、おれだってそのひとりだったが。 いずれによ、斧が必要になるだろう 過去とおれとを分かつための斧が。 じぶんの両手でできることをやるだけなんだよ、人生ってのは。 (むかし、そんな唄があったような気がする) ほかの手が必要なら諦めるしかないよな。 そんなこともわからないやつらがおれのまわりにいて、 おれを訪ねて来る。なんという悲劇。 そろそろ、軒を閉じるよ、みんな。 アリス、カーナ、パーシー、マーヴィン、そしてグランドリーそのほか、 おれはきみたちのことなんか知らないよ。 いままでも、これからもね。 離別 初出『ポエトリー・マーケット』誌 1968年 10月号 わたしはアパートの浴室を掃除している エディスというなまえに憶えはない それでもかの女の名残、そして部分的な懐かしさ あるいは去っていったものについての考古学を感じさせる 舟の軌跡を奪い去っていく未明の波 この患いを遠ざける、虚構なんてない それが事実、どこまでも事実 秋のサンフェルナンド・バレーで女優が殺された 映画のなかで女優が殺された あの女優はかの女にそっくりだった ふしだらでも澄み切っていて、 男たちを気にもとめない そして地位もないままに引退した アポロ・スリートを進み、 二番目の酒場に入る ニューキャッスルを頼んでしばらく窓を眺めていた かの女の話したことをぜんぶ懐いだそうとした なにしろ、四年のあいだだったから それは骨が折れた 窓のむこうからだれかが覗き込む それはまちがいなく出逢ったときのふたりで わたしはおもわず、手をふってしまっていたんだ 道徳 初出『リトル・シティ』誌 1970年5月号 エドヴァルド・ムンクの『サン・クレーの夜』のプリントを 壁いっぱいに貼りつけてエレナ・ウースはわたしの履歴書を点検していた 赤毛のエレナ、それからわたしのうしろに控える半ダースの求職者たち 正気を失いかけた午後の陽射しがかすかに忍び込んで来るオフィス 『殺し屋について』と題されたわたしの頭のなかの草稿 なんやかんやあって検品係にいちばんで採用が決まった よしよし、あとはカフェでビールを呑むだけだった けれども廊下へでたわたしをエレナは呼び戻した そして職務経歴書の空白を指さした 「これはなんですか?」 「苦悩と研鑽の一年ですよ」 「なんですって?」 「だから苦悩と研鑽の”二年”ですよ」といったんだ 「冗談は困ります。これはまっとうな仕事なんですよ」 「それはウースさん、わたしのせいではないんだ。とても大変だったってことですよ」 「とにかく採用はなしです。お引き取りください」 わたしは一瞬で青くなった もう一週間、この町で食い扶持をさがしていて だのにたった数年の空白が理由で追いだされる そんなことはぜったいに赦せなかった 「おい、エレナ!」 わたしは怒鳴った 『サン・クレーの夜』が震撼するほどの声でだ 「おい、エレナ、おまえわかってんのか? てめえのいってることがよ!」 そしたらエレナのやつ、わたしにむかって中指を突き立てて、 さっそく警察に電話しようとする わたしは逃げたよ、エレナさん とんだ、ケツの穴だ ふたりとも。 アラン・マッケル/1940年、サウス・ダコタ生まれ。父の失業により各地を転々とする。10代から詩を書き始めるも、30代に小説家へ転身。B級アクション小説を連作。代表作に『Acid Down』、『Combat Line』がある。そのあと映画関係の仕事(そもそもどういった内容の仕事であったかも不明)をするも、’78年に失踪。’82年、アーカンソー州にて一文無しで倒れているのを発見される。州立病院にて死亡確認。身寄りはなかった。享年41。死後、有志たちによって詩集 『A Part of Story / Allan Mckelle : Uncollected Poems : 1956-1976』がだされた。 わたしは詩集を古本屋で見つけた。100頁にも充たない本の解説にブコウスキーとの類似性云々の文章があったので買った。
アラン・マッケル詩撰集(*翻訳の手習いに) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 224.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-30
コメント日時 2024-10-01
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ああ、この詩を読んで、相当勉強になったと思ったのですが、この詩人は非実在性が高いと思いました。私は本気でアメリカの戦後詩の精髄だと思ったので、そう言う点では、いかにもありそうな英語の現代詩と言う事で、勉強になったと思いました。
0原文も載せるべきだと思う。
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