作品投稿掲示板 - B-REVIEW

中田満帆

投稿作品数: 3
総コメント数: 22
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 これは抜粋なので、これで完結ではないですが、それも面白いかもしれません。カーヴァーの「浴室」みたいでね。  物語は死なないでしょう。いくら小説や映画、演劇と入ったものを駆逐したところで宗教があり、人生がある。 (出禁になるための散文)

2017-03-10

言葉の解体、というのが正確な表現なのかはラジオのうえに置くとして、過剰におもう。文としては読みづらい。もし人工音声による朗読でもあれば愉しいかも知れません。   あなたはひとあしごと   に   こうふくをふみ   くびからてん   に   つられ   むねをいっぱいにひろげ   いのりつづける  凡夫のわたしにはこれぐらいのことしかいえません。失礼。 (呪文)

2017-03-10

 いま再読していて「さようなら」というのはちがうな、とおもいますね。「いつかお会いしましょう」とでもやったほうが清順らしかったのではとおもいます。  わたしは高校時代からケーブルテレビで日活映画を観るようになり、熱中するようになりました。それ以外に娯楽がなかったわけです。もちろん友人なんてとんでもない。僻地暮らしに熱くなれるものはそれぐらいです。 (鈴木清順が死んだあとに)

2017-03-10

田中恭平氏へ  「営み」という題名は、わたしにはいまひとつしっくりと来ないのですが、田中式ユーモアの光る作品であるとおもいます。ただ緊張と笑いの使い方にまだ犯意や企てといったものが緩いように見えます。 (営み)

2017-03-10

kaz.というひとはなんなの? おれを批判するのに天才死人への発言を持ってくるし、詩と学校教育の区別もわからない。評者に咬みつく詩誌がどこの世界にあるんだよ? (色彩)

2017-03-08

 では、あなたは《 (色彩)

2017-03-05

まあ、蟹のように生きるられればわたしたちは若返ることもできるでしょうけどね。ただ陸運局の許可がでるかどうかはわかりませんし、岡井隆が佳子ちゃんや真子ちゃんとおまんこしてるかどうかを想像するのみです。 (色彩)

2017-03-04

 え? 海外の他人の詩があなたの作品を擁護することなんてないでしょうよ。《北園克衛や新国誠一くらいでしょうけど》っていいますが、わたしはかれらを連想してはいませんし、そう決定づけることによって、なにを勝ち誇っているのですか。《添えられた飴に囲まれた傘の中の禁の字》? それもわからないですね。飴はなにに添えられているんですか?禁の字は文字に過ぎませんし、そこに傘が囲ってあっても、だからなんだとうわけです。  当然ながら、あなたはあなたの詩を書くことしかできないし、わたしはわたしの詩を書くことしかできません。ひょっとしてあなたは1585年9月9日に死んだリシュリュー枢機卿のモノマネ芸人ではないのですか? (色彩)

2017-03-04

☓映画には持ち場が必要だ ◎映画には見せ場が必要だ (鈴木清順が死んだあとに)

2017-03-03

kaz.氏へ 《記号とそうでない部分がまったく巧く結合されていない》からでしょうね。装飾で終わってしまっている。肝心の地の文は駄洒落のようなものだし。 岡崎乾二郎よりも洲之内徹に触れたほうがいいじゃないですかね。《死体死体死体死体したいしたいした》? 一貫した主題もわたしにはわからない。それこそ知りたいものですよ。 (色彩)

2017-03-03

ふたたびのふたたびなのだ!  わたしの場合、こういったスタイルを持った作品の系譜というものをまったく知らないから、そういった無知な読みになるのかも知れません。なぜ海外生活のなかで出来事を細微に書きつられながら、「藝術としての詩」というものにこだわりつづけるのだろうかとも考えてしまう。わたしは批評家ではないし、批評をうまくなりたくはない。  かつて高校時代、「万人の共通コードは好悪の感情のみである。好きだ、嫌いだ以上に説得力を持った言葉を私は知らない。とにかくものを伝える以前に不要なコードが多すぎる(1988、岩見吉朗)」という考えを愛唱していたわたしには、この詩から感情表現や身体表現(あッ、主観だな!)が乏しいので、読んでいて語り手と共有できるものが見えて来ないなというわけです。最后に「痛み」についていえば、それはたとえばドストの書簡集で「借金や病気の話がいちばんおもしろい」といった程度であったり、この作品に見せ場がないという意図もある。わたしは読み物であるなら、愉しませてもらいたいとおもっています。生活や日常のなかにいながらにして、それをおちょくってしまうような飛躍やアクションは欲しいとおもう。ただ現時点では「異国の生活」以上のものは、門外漢のわたしには読めて来ないというだけです。失礼 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

天才詩人氏へ──ふたたび  わたしは論理的とはいい難いし、あまり作品から離れた部分について書きたくはないのですが、気になったところがあるので手短に申し上げます。《当の中田氏は「傷つく能力」を持っていると公言できるのだろうか、という素朴かつ、根源的な疑問》とはなんでしょうか。《僻みのせいで読むに耐えない文章が──略》というのも曲解でしかない。わたしは作中や作者の態度について語るのは、失礼であるかも知れないので「──わたしの僻みでもあるだろう──」と添付したのであって、「僻みのせいで読むに耐えない」とは考えていません。それをそのまま飛躍して《自分の僻みをぶち壊すのがさきだろう》というのはミスリードではありませんかね。いかがでしょうか。  〆にある《みんな一様に何かを諦めている。純粋に「楽しい」「ゆめをあきらめない」という馬鹿げたくらい単純でポジティブなマインド。それがあなたにはない》というのも、一種の逃避に感じる。わたしは作品について語ったけれど、生き方には興味もない。そういったことはラビにでも訊かれたほうがよろしいでしょう。わたしはこの作品が「楽しい」とおもいながら、書かれたようには読めないうえに、なにかを諦めてもいない。そういったことを難ずる手法が果たして正しいのか、それこそ《素朴かつ、根源的な疑問》です。わたしは今年個展をやるし、恋人もつくる、アルバムを録音できるし、映画も撮れるし、「白鳥の湖」だって踊れる。ただ多くのひとびとよりも時間がかかってしまっているというわだけだ。他者の存在や人生を値踏みするのが批評であるというのなら、わたしはもはやなにもいうまい。 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

kaz. 氏へ  記号による詩というのは、かつてコンクリート・ポエムというものがあったし、その記号が新しくなったところで作品としてはなにも新しくはないうえに成功した試みともいえない。わたしとしては記号とそうでない部分がまったく巧く結合されていないし、ひとつの作品を貫く熱い血管のようなものは見当たらなかった。 (色彩)

2017-02-28

田中ジョヴァンニ氏へ  わたしはショート・ショートとして読んだが、枝葉が多いわりには情景や人間というものが乏しいようにおもう。主人公も生身の人間にはおもえない。ただ作者がおもしろがって弄んでいるひとのようなものに過ぎないのではないか。そのために都合よく用意されたストーリー、プロットにわたしは喝采は送れない。 (その熱く滾る硬い棒を)

2017-02-28

鈴木海飛氏へ  内容以前に作品構成というものを考えたほうがいいだろうとおもう。読みて与える、視覚的及び心理的効果についてもっと敏感になる必要があるだろう。 (海と自画像 「No.Xー2」)

2017-02-28

もとこ氏へ  作品のなかで語られていることは充分理解できる。しかし血肉が、声が通っているとはいい難い。これをだれか、ひとの肉声として読めないのです。あまりにも修辞も比喩も行も奇麗にまとめられて死んでしまっている。あまりも空想現実のなかに浸りすぎて実際の身体感覚を喪ってしまっている。 (彷徨)

2017-02-28

天才詩人氏へ やはり前作と同様にこの作品も欲ばり過ぎてしまっているという印象。もっと言葉を削ってもいいだろう。作品全体の印象が乏しいのは、言葉数としては多いけれど、作者がいったいどこに力点を置いてイメージを描いているかが不明確だということに尽きるだろうとおもわれる。わたしはこの作品を買わないだろうし、立ち読みしているあいだに飽きてしまうね。 (THE COLD WAR)

2017-02-28

天才詩人氏へ  文章としての完成度や異郷を伝える紀行文としての佳さはあると感じる。けれど「傷つく能力」というものを、この作品からも、作者自身からもわたしには感じ取ることができない。抒情や感傷をいたずらに煽り、肯定するつもりは毛頭ないが、あまりも書き手も作品がうまく、器用な人生を送っているということだけが──わたしの僻みでもあるだろう──匂い発ち、再読に耐えるものではないというのがわたしの見解だ。凝縮のなさ、異常なほどの清潔さ。たとえば「パニック発作」はあなたになにを与えただろうか。現実原則が饒舌に語られるいっぽうで、空想現実との交差がまったく皆無なところに《「藝術としての詩」とは何か》という問いはただ浮遊しているだけで、はっきりいえば空虚で場違いだ。  この作品を体験記ではなく詩文学足らしめるには、現実原則を突き抜け、空想現実と果てしなく行き来しなければならないだろうとおもう。そのために作者はまず「傷つく」能力を獲得しかないだろう。でなければ安全なるアマチュアによる、印象の弱い作者で終わりかねないだろうと考えている。 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

 どうやらここは詩についての掲示板らしい。だから教えてくれ、いったいエシャロットは神戸のどこで買えるんだ? まぁ、いい。おれの室のガスは停まってるし、7000円の滞納もある。喰うものもないのにバーテンの仕事はある。  《それはきっと外国語文学のスタイルを消費したり写真集をめくったりすることだけでは決して癒やされない、根深いなにかである。そしてそれはたとえ作者に女ができ、性的快楽に浸る日々が訪れたときも消えることはないだろうと俺は断言できる》、それはおれだって知ってるよ。おそらくあと数冊(詩も小説)もまとめてしまえたら、もうパロールってやめちまうんじゃないかな。「喪失」と「憧れ」の産物がいつまでもつづくとはおもえないしな。抽象画でもやるか、バルーン・タイムを吸うかだ。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-24

まりもさん その問題についてはわたしも答えがだせていません。翻訳文学を好んでいますし、日本文学というと戦中戦後にいってしまう。いかに「おれの日本」というものを発見するか、これがむつかしい。民俗学を紐解くべきかも知れません。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23

 みなさん、コメント、どうもありがとうございます。     もとこさんへ  わたしは元来ワナビーでなんにでもなりたがった男です。改造人間→戸隠流忍者→映画監督→絵描き→漫画家→バンドマン→小説家、そしていつのまにやら詩人と区分されるようになりました。  わたし自身が望んだわけでなにしろ、友人や愛や信頼やまともさといったものの「不在」によって作品が──水準は別として書けています。この詩はわたしの師匠である森忠明が「デパートでバッハの交響曲を聞くという行為と、聴きながらパンツを買うという行為は決して分離できるものではない。バッハの美しさとパンツを買う行為に優劣というものはない。日常と藝術をわけて考えている時点でだめだ」とかつていわれたのがきっかけで書きました。 三浦さんへ  酒を呑むなら、神戸市中央区琴ノ緒町5丁目3−5 グリーンシャポービルB1の「ローハイド」がおすすめです。ナカタミツホというバーテン見習いがいます。かれは減量を始めました。   花緒さんへ  学習障碍やいろいろなことで、わたしは言語の発達が遅く、つらく、恥ずかしいおもいをすることが多かった。「なにをいってるのかわからない」という無理解を生きてきたので、どうしても書く側の生理として「相手に確実に伝わるもの」という意識が働いしてしまいます。だからこそかえって浅くみられてしまうという弱点もあるのですが、わたしにとって大切な弱点なのです。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23

ブロスの下着(改稿案#01)  だれかおれを連れ去って欲しい  たとえそのだれかが  きみであっても  いいよ  紳士売り場ではブラームがかかってて  そいつを聴きながら  おれはブロスのパンツを撰ぶ  手触りのいいそいつを  だれもない平日のマーケットで    あんたはだれ?──知らない女がいう  あんたは救いを求めてるのっていう  おれはなにも答えられずに  ポケットからサーディンの罐を手渡した  これこそがおれにとっての救い  まちがいは多く  ただしさはあまりに少ないけれど  勝ちめのないのを知りながら  それでも連れ去って欲しい  たぶんそのだれかが  きみであったら  いいのに    やがてブロスを撰び終えておれはマーケットを去った  さっきの知らない女がアボガド・ワッパーを喰いながら  ずっとバス・ターミナルに立ってた  雨が降ってて  なにもかもいやらしくて  おれは話しかけてみた    「きのう死んだ映画監督がかつていってたんだ、    花を摘むのは少年であり、   虫を殺すのは少女であるってね」  喰いかけのワッパーをおれに渡して  女は笑いかけた  早くアパートに帰って  シュトラウスのドン・キホーテをかけながら  かの女がくそをしたあとの、  便所の水のながれをずっと聴いてたい  ずっと聴いてたいんだ  それはきっと  愛おしく  美しいにちがいない  澤あづささんへ。一介の作家志望としては6年もまえの作品を絶賛されてもあまり感じるところがないですよ。最新作がいちばんなんです。それにあなたが仰るほどに「小説としては問題がありすぎるほど詩的」とか「でたらめなくらい大胆に飛躍」していたとはおもってませんね。素直にじぶんの好きな世界を書いただけといまでもおもってます。自身を含む、零れ落ちたひとびと、青年らしい悪あがき、そして犯罪。いま書いてる「れもんの若い木々(元のデータがないので一から書いてる)」はSFなので例外ですが、まあ、そんなもんです。かいかぶっちゃいけませんよ。ほかの女性(ブンゴクで知り合って六年交流がある)から「こんな汚いものを好んで読むひとがいるのか?」とまでいわれましたし、そんなもんです。わたしの詩がいいというひともいるし、絵がいちばんなひともいる、写真がいいひともいる、音楽は… …まだいない。というわけです。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23