作品投稿掲示板 - B-REVIEW

中田満帆


投稿作品数: 25
総コメント数: 114
今月は12作品にコメントを付与しました。
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poetry and prose, paintings, photo, and sounds. / a missing person's press /

中田満帆の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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着想はいいのだが、語りへの没入と行数が足りない。熱量を持って30行は欲しいところだ。 (ミリタリー俺)

2024-03-13

短詩をやるならコクトーから学べることが多いとおもいます。 (七分間)

2024-03-12

かつて酔いどれ詩人であったわたしにはもっとビートをと求めてしまう。18歳のわたしにとってのバイブルは中上哲夫詩集『下り列車窓越しの挨拶』であった。ウイスキー、ウォッカを通院の挙げ句、急性膵炎にアルコール依存症である。 (酔いどれは真実を吐くが誰も気にしない)

2024-03-12

書き手がじぶんの言葉を書きあぐねているという感触が一貫して感じられる。なにをいかに語るか、これを明確に決めないかぎりは構成力も持てないだろうとおもう。 (だから)

2024-03-12

ナンセンス詩を書きたいという意図は通ずるのだが、それが未消化のままで泣きにも笑いにも転化されないところがダメだとおもう。 (けしからん)

2024-03-12

題名はともかく、「54階で話す未来のこと」という一行が気になって読んでみた。ポイフルというのは検索するにグミの一種らしいが、まずそこでつまずいてしまった。短い詩ながら構成力の欠如と、イメージの喚起力のなさが露わで痛々しい。 (酸いも甘いも甘い人)

2024-03-12

堕胎児の写真をむかしいくつか見たことがあった。森山大道の写真だとおもう。人間になる寸前で生きることを絶たれた存在についておもうのは反出生的で自己優越的な思弁でしかなかった。胎児の語りとして書かれる、この詩は”墮”胎としており、人間存在そのものへの恥ずかしさみたいなものを感じる。ただ語りの手法に見るなくがなく、内容にふさわしい文体を作者が獲得しているとはいいがたい。 (墮胎)

2024-03-12

破調には破調にふさわしい人生と暮らしがあるとおもっている。酔いどれた山頭火然り、病に伏す放哉然り。半端な健康人として田中教平氏にはもっと堕落と破滅を味わい、その文学を豊かにしてもらいたい。 (自由律俳句集成「冬から春へ」)

2024-03-12

テーマ性に乏しい。題名に書かれてあることを、書かれてある通りに咀嚼しただけといえる。語り手と対象との決定的な疎外感、そして起点と消失点を見失ったおもいめぐりのなかで、辞が澱んでいる。 (雨降りの憂鬱)

2024-03-12

モダニズムの時代は終わったんですよ、といたくなる詩形だ。内容も思考を酷使させるもので、眼にも耳にもよくない。そして「お金がほしい」ではあんまりだ。俗惡すぎる。 (fを越えてゆこうよ)

2024-03-12

しっかりとした着想と形式があり、最後まで読ませてくれるのだが、最終連の終わりで躊躇いが見えている。「コックはそこ」では歯切れがわるい。 (コック)

2024-03-12

全体としてイメージが散漫で、内容にふさわしい文体、そして分量に乏しいように見える。愛にたどり着くまでの道程が描かれていない。ただ文字としての「愛」がそこにあるだけで、語り手は愛の経験を思弁するわけでも、暗喩するわけでもなく、ただ唐突に惑星図のなかから「愛」を取り出したに過ぎない。 (日月)

2024-03-12

追記:もちろん、blogやTwitter──Xだって? ジョニー?──に詩的なことは書くかも知れませんが、あくまで「詩的ななにか」でしかありません。何卒、ご容赦ください。敬白 (幸福な朝食、退屈な夕食〈仮題〉)

2024-01-08

 丁寧に読んでくださってまことにありがとうございます。この詩の辞の解説、または答え合わせをできるだろうとはおもっています。ただそれをする意味があまりわかりません。けっきょくこの詩には『食卓をめぐるダンス』という題名を与えました。次回の、最後の、詩集の終曲の前奏曲として書きました。もう詩も、ネット詩もやめます。そのためにいまは書いています。消化試合です。  詩の批評、詩作品以外のことは当事者では書き得ないとおもっています。実作をとるか、批評をとるかです。寺山修司が「歌別れ」以降に歌論を書いたように、わたしも「詩別れ」をしてから詩論を書くべきでした。だのに、わたしはあまりにも多く詩について、詩にまつわる問題について発言し過ぎました。この21年のあいだ、そうして来ました。しかしじぶんがとうに鼻につく老害でしかないということに気づいたので、それを含めてやめることにしました。純粋に愉しみとして詩に接したいです。この詩は「ただいまアリゾナ州トゥーソンにてキャデラックの卵巣から電波を受信しました」というフレーズを使うためにつくった詩です。あの詩句はTwitter上のジョークのつもりで、発信して、なかなか喜ばれ、じぶんでも気に入っていたものです。ようやく作品にできて善かったとおもっています。 (幸福な朝食、退屈な夕食〈仮題〉)

2024-01-08

視覚的な文字表現で、静かな内奥をつづったこの詩篇。飛行機と電子タバコの軌跡、そして命令の声が美しい。 (vapor trail)

2024-01-07

犯意のない日常の一描写、そして季節のなかの自己確認。 (あたたかなひ)

2023-10-27

いまは来年にだす最後の詩集のために書いている。詩文学という現実と虚構の橋渡しをるづけながら、わたしはあらゆる虚無との戦いを強いられている。神というものを人類が再生産しつづけるかぎりに於いて、わたしはできうるかぎり真摯でありたいと願って来たし、これからもそうするだろう。しかし、詩文学の荒れ野にいつまでも拘っているわけにいかず、現実と集団への復帰をいま企てているところである。 (ふたつの詩の距離が平等になるまで、タンゴのリズムでレゲエを踊れ)

2023-10-27

散文表現を極めるべきだとおもった。だからこそ記号表現はノイズにしか思えませんでした。 (≪水潜り< ≫sans date, >)

2023-10-16

寄る辺もない夜と 手を繋ぐわずか そのときをおもうのは ささいな電流 流れを断ち切ろうとする天使たちだ (詩入門 五行歌)

2023-10-16

感情を書き殴ったところで詩情は生まれ得ないとおもう。ちきしょうの根源、そしてそれを劇化する態度がただの書き殴りを詩にたらしめるのだとおもいます。 (今ありうる)

2023-10-16

この詩の主人公はその女を愛しているのあだろうかとおもう。寺山修司は「不幸な女はきらいである、なぜなら美しくないからだ」と切り捨てていたが、この短い詩篇のなかで刹那的に歌われる女は美しい否か、それとも作者の眼にこびりついた残像に過ぎないのだろうか。 (ふしあわせな女)

2023-10-16

詩はむつかしい。短歌のように量産できない。あくまで降って来るのを待つことでしか表現できない。 (ふたつの詩の距離が平等になるまで、タンゴのリズムでレゲエを踊れ)

2023-10-16

バードマンは映画『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』をご覧ください。前行の『愛について語るときに我々の語ること』にも繋がります。アマプラにありまぁす! (ぼくらが幽霊になるまでに)

2023-10-10

まだまだブルースには半可通なわたしなので、デルタとシカゴのちがいも覚束ないありさまです。そうですが、心がスカスカですか。混ざり合うというは一種の比喩で、じぶんの文体を発見する切っ掛けが他者との混合だったりするということです。わたしもいま酒が切れて気分がよろしくない。 (feelin' bad blues)

2023-10-09

わたしはハードボイルドではないです。心の弱い人間です。地獄志願をしております。ひらがなはより口語的になるとおもって遣っています。 (feelin' bad blues)

2023-10-09

ありがとうございます。詩の字面を行分けに拘らずに絵画化したいわけです。そうおもって書いています。極少人のための手紙(田村隆一)になっているのなら幸いです。 (feelin' bad blues)

2023-10-06

ありがとうございます。詩でロードムービーがやれたらなとおもって書いてます。Feelin' Bad Bluesはもともと『38w』という詩につけられた仮題でしたが、今回の詩に合うおもいつけました。RY COODERのギターは好きで聴きます。じぶんはスライドギターをやらないのですが、いつか挑戦したいです。この作品は来年にリリースする最後の詩集『夜の雷光』に収録します。 (feelin' bad blues)

2023-10-06

上のコメント、m.tasakiさんのまちがいでした。すみません。 (feelin' bad blues)

2023-10-06

正直、いま詩を書いていてただわたしが描きたいのは情景そのものなんです。場面設定と人物と傍白さえあればどうにでもなるはずとおもいながら書いてます。ただ主張や思想といったもの、あるいは共感といったものには否定的で、情景の塊りが届けばいいとおもっています。 (feelin' bad blues)

2023-10-06

田中さん、ピュアネスとはありがとう。しかし実際のおれは道徳的に穢れています。堕天使的道楽で詩を書いているようなものです。 Ceremonyさん、 カーヴァーと田村隆一を片手にここまで来たという感じです。ともかくもっと錯乱したいところです。もっと崩れましょう。 黒髪さん、 「ふさごと」は房事(ぼうじ)の読み間違いでした。セックスのことです。 −さん、 ありがとうございます。 (ぼくらが幽霊になるまでに)

2023-09-27

実際、そんなに考えてつくった詩ではないですね。ただまあ、来年、歌集をまとめたら文藝は歌誌『帆』だけに絞って絵でも描きたいとおもってます。 (ムンクの星月夜)

2023-09-20

じぶんの置かれた状況や、じぶんの嗜癖、じぶんの過去はきらいだけれども、いまの作品はなんのかんのいっても好きですよ。ただ昔よりも書くのはむつかしくなった。10個、書けたとしてそこに1個好いのがあるかないかで。もっとほかの分野に触れないとだめだ。生きているうちに愛されようとするのはたぶんまちがいの入り口のようなものなのだろうと諦観しております。 (ムンクの星月夜)

2023-09-20

少しばかり手を加えてみたのですが、やはりぎこちない作品におもえます。褒めてくださるひとには申し訳ない気持ちです。なんだか瞞しているようで。これは呻きであって歌ではない。 (ムンクの星月夜)

2023-09-20

改稿の試み)  さみしさがどうにもならないとき、口のなかで爆発する薄荷飴を数えて、  ひとつの動作から、もうひとつの動作へと移ろう、おれは孤立者  いままであったことのぜんぶ、経験のぜんぶを蔑すだけで、  たった1日から1週間までが消滅する、おれは孤立者  いままであった裏切り、じぶんでじぶんを  追放してしまったことを悔やみつづけるだけのときがつづく  そして恐怖ともにのみ、なにかを信じようとして、  それが見つからないことに苛立つゆうぐれ  ぜんぶが無意味なのかも知れない  過去をつれあいにして、  場面から場面へブロウアップをつづけるおれ  深夜の摩耶埠頭から、この新神戸まで、  走りつづける大型トラックにはどうやら、  おれの妄念を消し飛ばしてくれる短い叙情詩を書くための、  鉛筆すらもないということが、  ちかごろの農家学と、  占星術師との交わりのなかで、  判明したらしく、  ダリのポルノよりもムンクの星月夜が好きなおれは秋霖のない銀河で、  ジャニスの"Move Over"を踊りながら、あの娘とかの女の友人たちについて、  どうしても考えてしまう悪癖を片づけようとして、  抽斗の銃を磨きつづける。 (ムンクの星月夜)

2023-09-20

昔はもっと情景があったはずだのに、最近は観念的過ぎてしまい、じぶんでも納得はしてません。べつのジャンルに眼をむけるなり、ちがうことをやらないと頭打ちですね。『帆』聴いてくださってありがとうございます。 (ムンクの星月夜)

2023-09-19

さいきん読書が捗らない。外的刺激が乏しいなかでひりだしたものがこれです。「だめな詩人がだめなのは詩人の書いたものしか読まぬからだ」とシオランは書いているが最近のわたしがそうで。前作『ぼくらが幽霊になるまえ』や『友だち』のようにはなってくれませんでした。もうちょっと外部の世界に接続してみようとおもいます。 (ムンクの星月夜)

2023-09-19

ラジオってのにはガッツがなければだめだ。 太陽みてえにおまえを照らす、 ガッツってのがなけりゃだめだぜ、 乾電池は必要ねえ、 おまえさんの太陽で発電するでっかい太陽みてえな、 ラジオを抱えて、ニューアークまで逃げるラジオがいるんだぜ。 (ラジオ)

2023-09-14

しりとり、と隣人がいった、ためになるおこないを責めて、手のひらは白紙だ、だから連帯を拒んで、でまかせの歌を唄った、たそがれの駅、きもちいいきみの声、得がたい光景のなか、彼方からの光りはなぜか、かぜのなかからする、ルンペンひときれかじった夜、ルンパが停止した夜、ルーペンスの絵画と踊って、てのひらに描いた印象画、がなってる子供、もはやルールのないしりとり。 (しりとり)

2023-09-13

ずいぶん軽い魂じゃないか。日常のなかでたやすく忘れることができるのなら。日常の雑記に魂が掻き消され、その重さが読者にですら伝わらない、軽さ。 (私の魂)

2023-09-13

遠さに叙情を持たせたいのなら、もっと相手と自己との関係性についての描写が必要だったとおもう。それがたとえ相手を傷つけることになっても。 (遠いラブレター)

2023-09-13

わたしも俳句の出発は自由律なんです。はじめて買った句集が『山頭火全句集』でした。 参照先にしてくださるとはうれしいことです。 (サービスエリアにて発見(2018))

2023-08-26

短詩型は構成力の綻びが見えづらいという得点があるものの、凝縮力というものをどうしても求められるとおもっている。この詩はその叙情の凝縮が足りず、読んでいて”気づき”を獲られる瞬間が残念ながらない。 (淡いの)

2023-08-18

>蝉時雨夕にさしかかりて已みぬ色衰へる定家葛に この歌がいいとおもった。しかし全体的に旧作よりは低調のようにもおもわれた。諧謔あるいは微苦笑が足りないようにおもう。すべてものに歩み寄るなにかが決定的に欠けているように感じる。 (短歌:『灰と雨』)

2023-08-18

いい詩が書けるならチャップブックをだすかも知れない。それこそ「for missing the magazine」の第二弾とか。でも執行猶予は3年6ヶ月でパイになったし、来年の詩集のために詩を書いたら、短歌に絞るつもりです。もしもわたしを友人だと認識してるひとがいるとして、そのひとに伝わればいいかなとおもっています。 (友だち)

2023-08-10

 ご丁寧な回答、誠にありがとうございます。当面の作歌を中断して、挙げられている作品を読み、勉強しようとおもいます。立ち止まって短歌について考える時間が必要であると感じました。村木の第2歌集は『日本の古本屋』で偶然知りました。値段は¥5,000ちかくで、著者謹呈本でした。われながら運がよかったとしかいいようがありません。  ちなみにわたしは歌集と歌誌をだしています。お時間ありましたら読んでみてください。リンク先に無料の立ち読みデータがあります。全文読めます。  第1歌集「星蝕詠嘆集」  https://www.seichoku.com/item/DS2003458  歌誌「帆(han)」2022 夏 《初号》  https://www.seichoku.com/item/DS2003577  歌誌「帆(han)」2023 春 《第2号》  https://www.seichoku.com/item/DS2005291 (輝きは祈りのなか)

2023-07-25

わたしの短歌の出所についてみじかく述べます。前衛短歌については若い頃に触発されて現在に至っています。塚本邦雄はあまり深追いしてませんが、寺山修司について熱を上げるあまりに孫弟子(=門下生・森忠明の弟子)になってしまったので、まあ、影響されるのは仕方がないと割り切っています。イヨネスコ?──残念ながら『禿のプリマドンナ』を伊丹十三経由で読んだまでです。詳しくはないです。むかし『新アララギ』で活動していたのですが、どうにも写生一筋のあの流派には馴染めませんでした。わたしはあまり短歌の読解、分析が得意でない。論理めいたものがあって詠んでいるわけではなく、どちらかといえば視覚的な効果を狙ってつくっているからです。前衛短歌、そしてライトヴァースのハシリであった平井弘、村木道彦にも影響を受けました。いまは手元にある、村木の34年ぶりの第2歌集があります。価値観を更新するために必読な本がありましたら、是非教えてくだい。今後のヒントにしたいです。 (輝きは祈りのなか)

2023-07-22

いつもありがとうござます。ではがやはりおなじ歌誌をつくっている関係としてはあまり此所でなれ合いのようなことをするのは不公平なのかともおもいます。ご健在を祈ります。 (輝きは祈りのなか)

2023-07-22

うーん、くそ長い。そもそも日本の自由詩って呼ばれるものは翻訳文学から派生したなにかであって”なにか”以上のものではないんだよ。所詮はものまねでしかない。短歌こそが日の本の、本流本元の詩文学だぜ。ツッコミ待ちなのかも知れないけど、”われ”や”とは”なんざ文語の文章読んでりゃ、いくらでも突き当たるっての。それとも文語が解せないのか。あんたは無駄口叩くまえに澤あづさ氏に謝って来いよ。あのひとはわざわざ金払っておれの短篇小説を評価してくれた恩人なんだよ。 (輝きは祈りのなか)

2023-07-22

個人的事実を詩的現実へと還元するに足る証拠がない。つまり科白を支えるための背景美術をこの詩は持っていなかったのだ。 (学校)

2023-07-20

短詩刑、とくに俳諧の類いは才能の有無が明確になる。 コクトーに学ぶがいい。 (ある朝に見た夢)

2023-07-20

まずい詩人は、そのまずい改行で、よりまずい詩を存在させる。母恋地獄篇を語るにはあきらかに熱量が不足している。 (母)

2023-07-20

構成力を持たない書き手ほど、空白を使いたがるのはなぜだろうかとおもう。傍白のように形取られた虚無がかれの内奥を蚕食しているのだ。 (Comic Sans)

2023-07-20

文字の表現だというのに、字面が汚い。言葉数は多いが構成力が乏しいので行の強弱がない。 (轢けよ、馬鹿)

2023-07-19

加筆・訂正しました。 https://mitzho84.hatenablog.com/entry/2023/07/18/113743 (【希望】ヤ_サイ 一株 【秘密厳守】⇒(001))

2023-07-18

あたらしい詩にあまりよいものがなかったので、旧作からマシなものを見繕ってだしただけだ。それ以上の意図はない。おれはおれを愛してはいない。それに愛を以てして過去作を撫で回してもいない。両眼にアイスクリームでもつまってるんじゃないかとおもってしまいますね。 (それはまるで毛布のなかの両手みたいで/詩篇:2019(抄))

2023-06-29

題名は変えたほうがいようにおもう。若いエネルギーを感じるが、残念ながら拡散してしまっている。1行空けも、改行もやめて、それこそフル・オートのマウザーのように言葉の弾丸を射出しつづければいいのだ。 (Life)

2023-06-29

わたしはこの作品に甘美さへ埋没しようとする男を見た。しかし現実の外皮に触れようともしない姿勢に焦らされるばかりで、読み終えたところで嘆きしか見えなかった。 (あなたを想う)

2023-06-29

過去あるいは現在を非日常、非現実までに異化して高めようとする意思が欲しいところである。 (鳩の死骸)

2023-06-29

さまざまな感情や思考、情況や過去、そして音楽、画像がひとつの混沌を映しているが、その混沌がけっきょく混沌のまま放出され、あとにはむなしい自己意識しか残存しないという現実をわたしはこの作品に観るだけだ。たぶん、作者には自己を笑うゆとりないのかも知れない。 (水面と空)

2023-06-29

冒頭の「人は心の中に愛を隠している」という詩句でわたしはいきなり挫折してしまう。わたしには愛はない。執着があるだけだからだ。──もちろん、そんなことは他人にはどうだっていいことだが、この作品に一貫する、ふるめかしいソープ・オペラの響きがなんとも貧相に聞える。他人のなかに愛を見いだすのは一種の才能かも知れないが、それをひとに説くにはあまりにも論理に欠けている。 (Lily)

2023-06-29

冒頭のテンションを維持できずにけっきょく破綻している。 (テトロポリカへ)

2023-03-17

私怨のエネルギーが延々とつづく、この冗漫さに慈悲なし。 (むくわれている)

2022-04-26

修辞は驟雨のように存るが、残念ながら人間がひとりもいない。 (脚本の死)

2021-12-14

主張としてもっともなのだけれど、詩としてはやはり欠落している。それは詩情であり、概念だ。自己紹介ならだれにもできる。 (これは詩だ)

2021-12-14

黄金の時間にたどり着くまでの行為・描写が丁寧さに欠けている。もっと細密な描写が必要だ。でないと物足りない。 (黄金の時間)

2021-12-14

ドラマ性を持たせたほうがいい。 (チーズを食べた)

2021-12-14

「何の為に詩を書くのか」という疑問に陥っている以上は詩も、小説も開けないだろう。必要なものは開きなおりだ。だれに見せてはかまわない痴愚、それが文学だからだ。 (見えない光)

2021-12-01

見るかぎり、くそだ。きみはかれらにおしろいをかけてもらってるいるだけの畜生だ。しろねこ社 Painter Kuro、百均なんか信じるな。不貞であれ、不成立であれ、不文であれ、人生のまちがったところにしか詩はない。 (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-01

それだけか? じぶんの殺意の根源についてなぜ語らないのか。こたつを爆破しろ、ポケモンを絶滅させよ。としかおもえない。 (全員殺してやると思ったあの日)

2021-12-01

勧善懲悪の事故予防をする必要がない。たしかにまちがった正義でひとを叩くひとはいるが、そんなものは淘汰されるのだ。作者の無用な気づかいが全面にあって作品を作品たらしめている。 (勧善懲悪の事故予防)

2021-12-01

散文のマナーがわかっていないひとの文章。断絶が激しい、滑らかとはいえない文章。 (枝がしなり羽撃く果実と砕け散る果実とは)

2021-11-20

言葉数は多いが、なにも表現していないに等しい。 (♪~(・ε・ ) )

2021-11-20

最終連はうまいとおもうが、それに至る過程がひどく退屈だ。撲りたいならば、そうすればいいし、罵りたいのならそうすればいい。ただその結果を想像の域を超えて受け止める能力にこの詩は欠けている。 (ポケットを彷徨う)

2021-11-20

題名も内容もなにかを預言するには甘すぎる。安易に決着してしまった悲しい詩である。 (出発出発出発)

2021-11-20

いえばいいとおもいますよ。それを怨嗟や好悪を超えた言語で語り得るのなら。 (the daydreaming in a young town )

2021-09-30

わたしはアンリ・ミショーを読んで散文詩に目覚めました。自由詩は演技を強要する。いまのわたしにはできないことだ。なのでいまは詩集をつくるために散文詩を書いています。ありがとうございます。 (the daydreaming in a young town )

2021-09-30

コメント、ありがとうございます。 (the daydreaming in a young town )

2021-09-19

詩情が途切れ途切れで、行分けのたびに死んでいる。筋の通った世界が欲しいところ。 (色彩)

2021-09-14

>割れた砂時計 >狂ったデッサン >捨てられたヘアゴム >腕の取れたぬいぐるみ ここら辺のカタログ話法をもっと生かせたらともう。 (憧憬)

2021-09-14

自己愛撫に充ちていて、そのさきがない。孤絶している。 (コンマ0秒からの脱出)

2021-09-14

まあ、肉欲と詩はちがうよな。 (これは詩ではありません。)

2021-09-14

じぶんが死んでいるのか、生きているのかがわからないときがある。夜なべてひとがひとでないときに決まって、ファールボールが投げられる。たぶん、おれが死んだあと、「前向きな詩」が立ちあがるのだろうとおもう。 (びしょ濡れアリスちゃん / 葵みのり)

2021-09-01

季節にも宇宙にも不感症になってしまった作者の、断面が見える。それはとてもさみしいもので、読んでいておもわず、何かがパチンと弾けた。それはきっと咲くことの無意味さなのだろうか。 (咲く)

2021-09-01

 これは抜粋なので、これで完結ではないですが、それも面白いかもしれません。カーヴァーの「浴室」みたいでね。  物語は死なないでしょう。いくら小説や映画、演劇と入ったものを駆逐したところで宗教があり、人生がある。 (出禁になるための散文)

2017-03-10

言葉の解体、というのが正確な表現なのかはラジオのうえに置くとして、過剰におもう。文としては読みづらい。もし人工音声による朗読でもあれば愉しいかも知れません。   あなたはひとあしごと   に   こうふくをふみ   くびからてん   に   つられ   むねをいっぱいにひろげ   いのりつづける  凡夫のわたしにはこれぐらいのことしかいえません。失礼。 (呪文)

2017-03-10

 いま再読していて「さようなら」というのはちがうな、とおもいますね。「いつかお会いしましょう」とでもやったほうが清順らしかったのではとおもいます。  わたしは高校時代からケーブルテレビで日活映画を観るようになり、熱中するようになりました。それ以外に娯楽がなかったわけです。もちろん友人なんてとんでもない。僻地暮らしに熱くなれるものはそれぐらいです。 (鈴木清順が死んだあとに)

2017-03-10

田中恭平氏へ  「営み」という題名は、わたしにはいまひとつしっくりと来ないのですが、田中式ユーモアの光る作品であるとおもいます。ただ緊張と笑いの使い方にまだ犯意や企てといったものが緩いように見えます。 (営み)

2017-03-10

kaz.というひとはなんなの? おれを批判するのに天才死人への発言を持ってくるし、詩と学校教育の区別もわからない。評者に咬みつく詩誌がどこの世界にあるんだよ? (色彩)

2017-03-08

 では、あなたは《 (色彩)

2017-03-05

まあ、蟹のように生きるられればわたしたちは若返ることもできるでしょうけどね。ただ陸運局の許可がでるかどうかはわかりませんし、岡井隆が佳子ちゃんや真子ちゃんとおまんこしてるかどうかを想像するのみです。 (色彩)

2017-03-04

 え? 海外の他人の詩があなたの作品を擁護することなんてないでしょうよ。《北園克衛や新国誠一くらいでしょうけど》っていいますが、わたしはかれらを連想してはいませんし、そう決定づけることによって、なにを勝ち誇っているのですか。《添えられた飴に囲まれた傘の中の禁の字》? それもわからないですね。飴はなにに添えられているんですか?禁の字は文字に過ぎませんし、そこに傘が囲ってあっても、だからなんだとうわけです。  当然ながら、あなたはあなたの詩を書くことしかできないし、わたしはわたしの詩を書くことしかできません。ひょっとしてあなたは1585年9月9日に死んだリシュリュー枢機卿のモノマネ芸人ではないのですか? (色彩)

2017-03-04

☓映画には持ち場が必要だ ◎映画には見せ場が必要だ (鈴木清順が死んだあとに)

2017-03-03

kaz.氏へ 《記号とそうでない部分がまったく巧く結合されていない》からでしょうね。装飾で終わってしまっている。肝心の地の文は駄洒落のようなものだし。 岡崎乾二郎よりも洲之内徹に触れたほうがいいじゃないですかね。《死体死体死体死体したいしたいした》? 一貫した主題もわたしにはわからない。それこそ知りたいものですよ。 (色彩)

2017-03-03

ふたたびのふたたびなのだ!  わたしの場合、こういったスタイルを持った作品の系譜というものをまったく知らないから、そういった無知な読みになるのかも知れません。なぜ海外生活のなかで出来事を細微に書きつられながら、「藝術としての詩」というものにこだわりつづけるのだろうかとも考えてしまう。わたしは批評家ではないし、批評をうまくなりたくはない。  かつて高校時代、「万人の共通コードは好悪の感情のみである。好きだ、嫌いだ以上に説得力を持った言葉を私は知らない。とにかくものを伝える以前に不要なコードが多すぎる(1988、岩見吉朗)」という考えを愛唱していたわたしには、この詩から感情表現や身体表現(あッ、主観だな!)が乏しいので、読んでいて語り手と共有できるものが見えて来ないなというわけです。最后に「痛み」についていえば、それはたとえばドストの書簡集で「借金や病気の話がいちばんおもしろい」といった程度であったり、この作品に見せ場がないという意図もある。わたしは読み物であるなら、愉しませてもらいたいとおもっています。生活や日常のなかにいながらにして、それをおちょくってしまうような飛躍やアクションは欲しいとおもう。ただ現時点では「異国の生活」以上のものは、門外漢のわたしには読めて来ないというだけです。失礼 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

天才詩人氏へ──ふたたび  わたしは論理的とはいい難いし、あまり作品から離れた部分について書きたくはないのですが、気になったところがあるので手短に申し上げます。《当の中田氏は「傷つく能力」を持っていると公言できるのだろうか、という素朴かつ、根源的な疑問》とはなんでしょうか。《僻みのせいで読むに耐えない文章が──略》というのも曲解でしかない。わたしは作中や作者の態度について語るのは、失礼であるかも知れないので「──わたしの僻みでもあるだろう──」と添付したのであって、「僻みのせいで読むに耐えない」とは考えていません。それをそのまま飛躍して《自分の僻みをぶち壊すのがさきだろう》というのはミスリードではありませんかね。いかがでしょうか。  〆にある《みんな一様に何かを諦めている。純粋に「楽しい」「ゆめをあきらめない」という馬鹿げたくらい単純でポジティブなマインド。それがあなたにはない》というのも、一種の逃避に感じる。わたしは作品について語ったけれど、生き方には興味もない。そういったことはラビにでも訊かれたほうがよろしいでしょう。わたしはこの作品が「楽しい」とおもいながら、書かれたようには読めないうえに、なにかを諦めてもいない。そういったことを難ずる手法が果たして正しいのか、それこそ《素朴かつ、根源的な疑問》です。わたしは今年個展をやるし、恋人もつくる、アルバムを録音できるし、映画も撮れるし、「白鳥の湖」だって踊れる。ただ多くのひとびとよりも時間がかかってしまっているというわだけだ。他者の存在や人生を値踏みするのが批評であるというのなら、わたしはもはやなにもいうまい。 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

kaz. 氏へ  記号による詩というのは、かつてコンクリート・ポエムというものがあったし、その記号が新しくなったところで作品としてはなにも新しくはないうえに成功した試みともいえない。わたしとしては記号とそうでない部分がまったく巧く結合されていないし、ひとつの作品を貫く熱い血管のようなものは見当たらなかった。 (色彩)

2017-02-28

田中ジョヴァンニ氏へ  わたしはショート・ショートとして読んだが、枝葉が多いわりには情景や人間というものが乏しいようにおもう。主人公も生身の人間にはおもえない。ただ作者がおもしろがって弄んでいるひとのようなものに過ぎないのではないか。そのために都合よく用意されたストーリー、プロットにわたしは喝采は送れない。 (その熱く滾る硬い棒を)

2017-02-28

もとこ氏へ  作品のなかで語られていることは充分理解できる。しかし血肉が、声が通っているとはいい難い。これをだれか、ひとの肉声として読めないのです。あまりにも修辞も比喩も行も奇麗にまとめられて死んでしまっている。あまりも空想現実のなかに浸りすぎて実際の身体感覚を喪ってしまっている。 (彷徨)

2017-02-28

天才詩人氏へ やはり前作と同様にこの作品も欲ばり過ぎてしまっているという印象。もっと言葉を削ってもいいだろう。作品全体の印象が乏しいのは、言葉数としては多いけれど、作者がいったいどこに力点を置いてイメージを描いているかが不明確だということに尽きるだろうとおもわれる。わたしはこの作品を買わないだろうし、立ち読みしているあいだに飽きてしまうね。 (THE COLD WAR)

2017-02-28

天才詩人氏へ  文章としての完成度や異郷を伝える紀行文としての佳さはあると感じる。けれど「傷つく能力」というものを、この作品からも、作者自身からもわたしには感じ取ることができない。抒情や感傷をいたずらに煽り、肯定するつもりは毛頭ないが、あまりも書き手も作品がうまく、器用な人生を送っているということだけが──わたしの僻みでもあるだろう──匂い発ち、再読に耐えるものではないというのがわたしの見解だ。凝縮のなさ、異常なほどの清潔さ。たとえば「パニック発作」はあなたになにを与えただろうか。現実原則が饒舌に語られるいっぽうで、空想現実との交差がまったく皆無なところに《「藝術としての詩」とは何か》という問いはただ浮遊しているだけで、はっきりいえば空虚で場違いだ。  この作品を体験記ではなく詩文学足らしめるには、現実原則を突き抜け、空想現実と果てしなく行き来しなければならないだろうとおもう。そのために作者はまず「傷つく」能力を獲得しかないだろう。でなければ安全なるアマチュアによる、印象の弱い作者で終わりかねないだろうと考えている。 (#芸術としての詩 03)

2017-02-28

 どうやらここは詩についての掲示板らしい。だから教えてくれ、いったいエシャロットは神戸のどこで買えるんだ? まぁ、いい。おれの室のガスは停まってるし、7000円の滞納もある。喰うものもないのにバーテンの仕事はある。  《それはきっと外国語文学のスタイルを消費したり写真集をめくったりすることだけでは決して癒やされない、根深いなにかである。そしてそれはたとえ作者に女ができ、性的快楽に浸る日々が訪れたときも消えることはないだろうと俺は断言できる》、それはおれだって知ってるよ。おそらくあと数冊(詩も小説)もまとめてしまえたら、もうパロールってやめちまうんじゃないかな。「喪失」と「憧れ」の産物がいつまでもつづくとはおもえないしな。抽象画でもやるか、バルーン・タイムを吸うかだ。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-24

まりもさん その問題についてはわたしも答えがだせていません。翻訳文学を好んでいますし、日本文学というと戦中戦後にいってしまう。いかに「おれの日本」というものを発見するか、これがむつかしい。民俗学を紐解くべきかも知れません。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23

 みなさん、コメント、どうもありがとうございます。     もとこさんへ  わたしは元来ワナビーでなんにでもなりたがった男です。改造人間→戸隠流忍者→映画監督→絵描き→漫画家→バンドマン→小説家、そしていつのまにやら詩人と区分されるようになりました。  わたし自身が望んだわけでなにしろ、友人や愛や信頼やまともさといったものの「不在」によって作品が──水準は別として書けています。この詩はわたしの師匠である森忠明が「デパートでバッハの交響曲を聞くという行為と、聴きながらパンツを買うという行為は決して分離できるものではない。バッハの美しさとパンツを買う行為に優劣というものはない。日常と藝術をわけて考えている時点でだめだ」とかつていわれたのがきっかけで書きました。 三浦さんへ  酒を呑むなら、神戸市中央区琴ノ緒町5丁目3−5 グリーンシャポービルB1の「ローハイド」がおすすめです。ナカタミツホというバーテン見習いがいます。かれは減量を始めました。   花緒さんへ  学習障碍やいろいろなことで、わたしは言語の発達が遅く、つらく、恥ずかしいおもいをすることが多かった。「なにをいってるのかわからない」という無理解を生きてきたので、どうしても書く側の生理として「相手に確実に伝わるもの」という意識が働いしてしまいます。だからこそかえって浅くみられてしまうという弱点もあるのですが、わたしにとって大切な弱点なのです。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23

ブロスの下着(改稿案#01)  だれかおれを連れ去って欲しい  たとえそのだれかが  きみであっても  いいよ  紳士売り場ではブラームがかかってて  そいつを聴きながら  おれはブロスのパンツを撰ぶ  手触りのいいそいつを  だれもない平日のマーケットで    あんたはだれ?──知らない女がいう  あんたは救いを求めてるのっていう  おれはなにも答えられずに  ポケットからサーディンの罐を手渡した  これこそがおれにとっての救い  まちがいは多く  ただしさはあまりに少ないけれど  勝ちめのないのを知りながら  それでも連れ去って欲しい  たぶんそのだれかが  きみであったら  いいのに    やがてブロスを撰び終えておれはマーケットを去った  さっきの知らない女がアボガド・ワッパーを喰いながら  ずっとバス・ターミナルに立ってた  雨が降ってて  なにもかもいやらしくて  おれは話しかけてみた    「きのう死んだ映画監督がかつていってたんだ、    花を摘むのは少年であり、   虫を殺すのは少女であるってね」  喰いかけのワッパーをおれに渡して  女は笑いかけた  早くアパートに帰って  シュトラウスのドン・キホーテをかけながら  かの女がくそをしたあとの、  便所の水のながれをずっと聴いてたい  ずっと聴いてたいんだ  それはきっと  愛おしく  美しいにちがいない  澤あづささんへ。一介の作家志望としては6年もまえの作品を絶賛されてもあまり感じるところがないですよ。最新作がいちばんなんです。それにあなたが仰るほどに「小説としては問題がありすぎるほど詩的」とか「でたらめなくらい大胆に飛躍」していたとはおもってませんね。素直にじぶんの好きな世界を書いただけといまでもおもってます。自身を含む、零れ落ちたひとびと、青年らしい悪あがき、そして犯罪。いま書いてる「れもんの若い木々(元のデータがないので一から書いてる)」はSFなので例外ですが、まあ、そんなもんです。かいかぶっちゃいけませんよ。ほかの女性(ブンゴクで知り合って六年交流がある)から「こんな汚いものを好んで読むひとがいるのか?」とまでいわれましたし、そんなもんです。わたしの詩がいいというひともいるし、絵がいちばんなひともいる、写真がいいひともいる、音楽は… …まだいない。というわけです。 (ひさしぶりに詩と呼ばれるらしいものを書いてみたんだ、アリシア。)

2017-02-23