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最終列車
夜更けに植物たちの呼気が肺胞を満たし ぼくはしずしずと座席におぼれていく 鶏頭の形をした虫みたいな小さな生き物が 呟きのように車内灯に集まり始めている 窓の外では乗り遅れた人が持て余した手で 自分の柔らかい体を触りながら 出発を心待ちにしている様子が見て取れる かつて駅弁を買うために 真っ暗なホームに一人降り立った父は 二度と帰ることはなかった 後日、配達人になり成功をおさめたと 母の独り言でぼくは知ったのだった 湿った掌で手書きの切符がふやけたまま 最終列車はホームを滑り出す 植物たちは受粉を終え 恍惚の中、一斉に産卵を始める
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最終列車 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1405.2
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2023-09-02
コメント日時 2023-09-19
項目 | 全期間(2023/09/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 この詩のタイトルにもある「最終列車」とは、作者の人生のメタファーでしょうか。 そして「植物たち」とは自分の周りの人々、特に若い世代の人々のことでしょうか。 詩の難しさは日常的な言葉を用いては詩と見なされないことが多いという点にあると思います。 かといってメタファーを多用すると、何について描かれているのか、読み手に伝わらなくなっていまいます。 それが伝わらなければ、それについて書かれている表現の巧みさや美しさも伝わりません。 そのバランスが難しいところです。 例えば、 「夜更けに植物たちの呼気が肺胞を満たし」 とは、どのような状況をその表現で表しているのか。また、 「鶏頭の形をした虫みたいな小さな生き物が」 とは、何の生物を喩えたものなのか。 それがわからなければ、表現の巧みさも判断できません。 言い換えれば、理性も感覚のバランスです。 無論、そんなパターンを打ち破るために、全くの感覚としての語感のみで読ませる詩もあります。 でもこの詩は全体を観たところ、そのような類の詩でもなさそうです。 色々書きましたが、植物、呼気、肺胞、鶏頭、虫、受粉、産卵、それらの言葉から何かイメージが湧きそうな気もしますので、もう少しだけ状況や心情などがわかるような部分があれば、いい詩になると思います。
1済みません。誤字がありました。 理性も感覚のバランス→理性と感覚のバランス たいへん失礼しました。
0なぞだ。
0読みやすかったです!
0以前、たけだたもつさんが「戦っている」と仰っており その意味がわかりかねている一人なのですけれども なんだろう、そのテキストとやわらかさと反対に硬質さ、硬質さがきわだっていますね。 読後感も、テキストボリュームも良くて しかも、そのビーレビューという媒体に作風を寄せてライティングされていますよね? これだけ書けて、一体何と戦っているのか?思索の空の向こう。 いつも遠目にみて、必ず、いて下さる大先輩です。感想コメント失礼しました。
0こんにちわ。 たもつさんの作品は参加していたサイトが被っていたこともある昔から読む機会がありました。 ご存じの通り、私はたもつさんの作風と真逆ですし、恐らく、たもつさんの作品のことがよく わかりません。 ただ、たもつさんの作品はビーレビで拝見している限りにおいては、日常的な生活の描写が多く、 一定のテンポのようなものがあり、たもつさんの生活の息遣いやリズム、生活環境の在り方が伝わる 物となっていると思います。私はどうしても、常に、自分を壊すことを模索しているので、そもそも が詩の在り方が違うのでしょうが、そこで、たもつさんに質問です。 たもつさんはなぜこのような作風を続けておられるのでしょうか? 教えていただいてもよろしいですか?
0植物の繁殖と誰かの記憶と心境が、列車の発車と共に織りなしてくる。 かなり難解かつ謎が多い。 にもかかわらず読んでいて魅力を感じてしまいます。 ある意味これぞ詩なのかもしれません。
0tasakiさん、いつもコメントありがとうございます。 色々な視点で見ていただくのは、やはり勉強になります。良い気づきになりました。
0田中さん、コメントありがとうございます。今後の課題を抽出しています。
0エツヤさん、コメントありがとうございます。読みやすいのは大事なファクターだと思います。読みやすい先を考えてみます。
0田中恭平さん、コメントありがとうございます。ポンコツな先輩で恐縮してしまいます。 戦うとは何だろう、と自分でもふと立ち止まって考えます。恐らく毎日の呼吸も歩行も戦いの末、手に入れることができたのではないかと考えます。
1Ceremonyさん、コメントありがとうございます。 何故、このような作風を続けているのか、その答えはCeremonyさんの中にあると思われます。水と油、混ざることもなく、構造が違えば性質も違う。けれど、何故、水は水なのか、油は油なのかを考えると、案外同じ理由に辿り着くのかもしれませんね。 と書くとあまりに塩対応なのですが、動機を持つことが限界の始まりであるならば、私の限界は内に進んでいくことであり、Ceremonyさんの限界は自分を壊すことにある。本当に正直言えば、まだ何も書けてないので、書けるまで続けるしかない、ですよね。
0羽田さん、コメントありがとうございます。これぞ詩、という言葉は嬉しい一方、これが詩であってはいけない、という自分への問いかけは忘れてはいけない、と感じます。
1そうだね、 いつも 知らないところで 進んでいくね、、
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