別枠表示
夏の場面
子供たちが整列をしていた 何をしているのだろう、とよく見ると 整列をしていた 身体の隅々にまでしみわたる雲のように なだらかで滑らかだった 透明な水を植物にあげて 話すことなどもう残っていないのに スクリーンには音声がないままの 汗ばんだ映画が映しだされる 先ほどの子供たちはすでに 映画の中に出演していて、よく見ると 整列をしていた 鶴を折るのが下手なので 練習すべきかどうか迷っているうちに 数年が過ぎた その間に子供たちは 整列するのに必要な肩幅を 少しずつふわりとさせていった 昨日始まった夏が 明日には終わってしまうかもしれない 一番端っこに並び 隣の子からもらった折り紙で また一から鶴を折り始める 台があれば良かったのに 映画はいつまでも 夏の場面を往復している
夏の場面 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1753.9
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2023-07-02
コメント日時 2023-08-06
項目 | 全期間(2023/09/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 夏のひとときの幻影のような詩ですね。 小学校か中学校のときの思い出でしょうか。 冒頭の3行、 「子供たちが整列をしていた 何をしているのだろう、とよく見ると 整列をしていた」 というところは、ただ整列するということだけのために整列している、子供たちの素直さを表していると同時に、全体主義にもつながりかねない、一抹の恐ろしさも感じます。 でも、そこ次の、 「身体の隅々にまでしみわたる雲のように なだらかで滑らかだった」 という表現はとても新鮮な印象を受けました。 音声のない映画、折鶴、明日には終わってしまうかもしれない夏。 それらは思い出の儚さを伝えてくるようで、仄かな郷愁を誘います。 不思議と印象に残る作品です。
0記憶のなかの一場面、 ワンシーンを映写しているイメージ - 子供たちが整列をしていた 文字列そのものに清冽な印象を受けます。 色彩でいうと青味のかかったような、どことなく郷愁を誘うような。 - 透明な水を植物にあげて 水は透明な場合が多いと思うけれど、言葉に必然性を感じます。 最終行 - 夏の場面を往復している 繰り返し想起された記憶の描写だろうか
0tasakiさん いつも丁寧なコメントありがとうございます。感謝しかありません。 tasakiさんの思いとどこかで繋がることができて良かった。
0ryinxさん コメントありがとうございます。 そこ触れていただけますか、と少し舞い上がっています。最後はどうなんだろう、自分でもぐるぐるしています。
0命は永遠ではないっすね。そうか映画ならぼくはただ泣けばいいのかな?永遠ってどんな永遠なんだろう。そんな感じっす。
0「よく見ると」という語句が置かれた前後のイメージが同じであることによる見間違いではない、幻でないという表現手法が効いていて、タイトルとの連動も、なるほどと、そう頷けます。しかし、言葉の演技として本作を読んだ場合、演技をしていることがわかりやすい。作者が「演技をしている」ことがわからないという、その域までレトリックが到達することが、作品の望ましいところではないかと思います。
0三浦さん コメントありがとうございます。 なるほど、ふむふむ。 確かに、やっと手に入れたおもちゃを宝物のように撫で回している作者の姿が見えてきます。きっと、この作者は無邪気なんだと思います。ねえ。見て見て、と大切なおもちゃをお披露目するような。 有益な情報をいただいたのでまだもう少し頑張れる気がします。頑張る。
0よんじゅうさん コメントありがとうございます。 そんな感じっすね。
0>整列をしていた >話すことなどもう残っていないのに >整列をしていた >また一から鶴を折り始める 詩文の、上から順に繰り返しを行っている個所を抜き出してみました。 正直一読した時は分からなかったのですが、この詩は、詩全体で最終行が示す通り「夏の場面を往復している」のですねえ。 そこに妙な味付けがなくて、透明な水のようにさらさらと飲み干せてしまう気持ち良さがあると思いました。 それだからこそ、何度でも夏の思い出を反芻していられるのだろうなあと。 よい詩をありがとうございました。ぺこり。
0桐ヶ谷忍さん こんにちは。いつもありがとうございます。また、詩へのコメントありがとうございます。 最初は、往復している、ではなく、繰り返している、で納めたのですが、なんか違う気がして、直感で往復にしました。 コメントを読んで逆に自分の直感の裏づけがとれた感じがしました。ありがとうございました。
0白黒のフイルムが切れそうな映像の中の 整列した裸足の子供たち 丸坊主で、制服は汚れている その次に学生帽、女学生、学徒、 そのあとにMPのヘルメットのあとのじいちゃんばぁちゃんたち の整列が見えて来るような。 暑い夏です。蝉の声と重なりそうな、 連なる列と、折り鶴と、 並ばなくてもいいのかな、そろわされなくていいのかな、 とか、感傷的といわれそうな、気持ちにさせられました
0ABさん、コメントありがとうございます。変身遅くなって申し訳ありません、と書くと仮面ライダーになった気分ですが。 ABさんのイメージ、伝わってきます。暑い日が続きますね。今週は特に、こちらも暑くなるそうです。整列するスポーツ選手たち、大変だろうな… ABさんもご自愛ください。
0こんにちは。 僕にとってたけだたもつさんはスターですね。何されているんだろうと思うけれど きっと詩を書いている。そう認知されるまでがとおいんですよね。 僕は、フラジャイルな感覚って言ってるんですけれど、脆弱さ、っていうと違って 弱弱しさとも違って、こわれやすさなのかなと思う。僕はそれに走る。 たもつさんはそういう、こわれやすさを、ふわっとした形で書かれるというか 基本的に、こわれやすいもの、ふわっと、なんですけれど、巧み、匠、その反対のことも 挿入される。 >数年が過ぎた >その間に子供たちは >整列するのに必要な肩幅を >少しずつふわりとさせていった その、こわれやすさに僕は走るけれども、こういったことは出来ない。 正直に書いて、スターは往々にして、イメージを抱かれますね。 近年かな、たもつさんが、かなり複雑な、使われている言葉は、手頃なものですが 複雑な作品を書いてらして、正直、あっ、そっちへ行くの?と イメージを裏切られた気持ちになったのですけれど、さいきん たもつさんが「戦います」ってよく口にされている風で、なんとか納得した印象です。
0なだらかで滑らかなのが雲で例えられている。映画に出演している子供たち。 「昨日始まった夏が 明日には終わってしまうかもしれない」 こんな認識にもどきっとします。そして 「映画はいつまでも 夏の場面を往復している」 こんな最後。詩にループが生じ、厚みが生じたと思いました。
0