明るい朝の歌 - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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明るい朝の歌    

よく生きているひとは ぼくは好きだ 朝焼けを背に鍬で畑を掘り返す老婆 肌着姿で自転車を走らせる老爺 昨日と今日の夢のあいだで背を伸ばしている子ども 駅のホームで サラリーマンは曇っている 煙草のけむりは捩れた鉛の不平 制服の娘はイヤホンをつけて騒々しい世間に耳を塞いでいる それでも 電車がくれば乗り込んでしまうのだ よく生きているひとは ぼくは好きだ 夏に街は 熱を浮かべて門を閉ざしていく たくさんを知り尽くして万能を指向しながら 世界はいずれひとのものではなくなるだろう かといって飛び立った世紀だ 自然に帰れるわけがない そんな日に よく生きているひとは ぼくは好きだ 生きていれば間違いなんか腐るほどある だが怯んだところで 悔いたところで 何変わることがあるものか 堂々としくじりたまえ それが正しい道だ よく生きているひとは ぼくは好きだ 不幸にして禍々しい波に呑み込まれ 浮かんでこれずじまいだった人々も よく生きたひとは ぼくは好きだ



明るい朝の歌 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 27
P V 数 : 7713.3
お気に入り数: 5
投票数   : 4
ポイント数 : 28

作成日時 2020-10-28
コメント日時 2020-11-25
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/03/19現在)投稿後10日間
叙情性107
前衛性22
可読性42
エンタメ11
技巧32
音韻33
構成54
総合ポイント2821
 平均値  中央値 
叙情性1.71
前衛性0.30
可読性0.71
 エンタメ0.20
技巧0.50
音韻0.50
構成0.80.5
総合4.73
閲覧指数:7713.3
2024/03/19 16時24分55秒現在
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    作品に書かれた推薦文

明るい朝の歌 コメントセクション

コメント数(27)
r
作品へ
(2020-10-28)

「よく生きている」のニュアンスが、冒頭から末尾にかけて、しだいに普遍的になっていき、生きている「みんな」への歌となっているところが良いと思いました。 ただ、タイトルがなぜ「明るい朝」なのか読み込めませんでした。

1
ryinx
作品へ
(2020-10-28)

とても素敵な詩だと思いました。 多くの日常を生きる人々が描かれ、 季節の単語、夏。という言葉が使われていますが、僕の中では夏、特に夏の終わりにはとても切ない感覚があります。 この詩で特に印象に残ったのは  よく生きている人は の「は」の部分です。 印象に残ったというより、この言葉の使い方が特に好きです。 声に出してみると、とても言葉の音が綺麗で、 けれど一般に明るさでイメージされるような情景が並んでいるわけではなく よく生きているひと が と特定の生き方や人物に限定することなく  それでもよく生きている人は  僕は好きだ という言葉からは、いっそう言葉の世界に広がりを感じるのです。 特定の価値や状況や生き方や具体的な限定は個人的には感じず、それでも  よく生きているひとは  僕は好きだ  よく生きたひとは  僕は好きだ なにかより大きな広がりを持ったイメージを感じるのです。  そんな日に と一箇所いつかの日を想起させる箇所があり、 その後に続く  よく生きているひとは  僕は好きだ の流れが作中でも一番好きです。  

1
つつみ
作品へ
(2020-10-29)

>よく生きているひとは >ぼくは好きだ 「よく生きている」とはどういうことなのだろうと想いを巡らせました。 第2連の厭世的な雰囲気漂う朝の駅に、規則的に停まる電車。ぼんやりと何便もやり過ごしてしまうことなく、この電車に乗り込んでしまうことが「よく生きる」ということなのかも知れません。 第3連は正直どう読めばいいのか考えこみました。 >熱を浮かべて門を閉ざしていく は、コロナ渦で閉店していく商店街が目に浮かびました。 >たくさんを知り尽くして万能を指向しながら >世界はいずれひとのものではなくなるだろう これは、AIが大量のデータベースから知識を習得し、人間がやってきた仕事ができるようになったこと、さらにコミュニケーション能力も発達し、人間を超えるかという議論などが頭に浮かびました。そんな世の中でも、人間が得意とする分野で活躍しようとしている人は「よく生きる」ことなのかなと思いました。 第4連は作者の強い想いが満ちあふれており、読みやすかったです。 >それが正しい道だ 自分の歩いてきた道は正しいのだ、と自分のことを信じながら生きていこうと思わせてくれる詩でした。

抒情:5 前衛:1 可読:1 エンタメ:0 技巧:0 音韻:2 構成:3  
1
藤 一紀
rさんへ
(2020-10-29)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。これを書いたきっかけは朝に見た光景にたまたま目がとまったことでした。それで割りとパパッと書いた。10年前になります。少し手を入れましたが当時は別のタイトルでした。今回投稿するにあたって、「好きだ」と肯定的に言う時はやはり明るいものだろうということでタイトルを変えています。コメント、ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2020-10-30)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。また過分な言葉をいただき幸甚です。先に書いたようにこれは10年前に他の場所に書いたものでした。当時はどちらかというと、「自分にも書けそうだ」と読み手が思うような書き方をしておらず、もう読みにくいものを書いていました(ありふれた、と思うような書き方を忌避するのはある程度共通したあり方なのかもしれませんね)。ところが近所のおじさんが畑で野菜だかの出来を眺めているのを見て、その光景を「なんかいいなあ」と思った。初めて見た光景でもないのにその時どうしてそう思ったのかはわからないけど。そのうちに「よく生きているひと」という言葉が出てきたというわけです。あとは割りとパパッと出来たように思います。告白体で平明で読みやすい、なんというか当時としては小っ恥ずかく避けていたスタイルですが、「書いたものはしようがないな、えい」という感じでアップしたように思います。今回投稿するにあたって粗さや甘さを残しつつ、若干手を入れました。また10年を経過した現在の考え方に変化がない(嘘がない)と読み直してみて思ったので、投稿に踏み切った次第です。泣いている子どもでも酔っ払っているおじさんでも、よく生きてるなあ、と思う時嬉しくなり、気持ちがほぐされるのを感じることがあります。 コメント、ありがとうございます。

1
藤 一紀
ryinxさんへ
(2020-10-30)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。「よく生きているひとは」の「は」、ホントなんで出てきたんでしょうね。自分でもよくわかりません。でも、いま思うに「よく生きているひとが」とした場合、やはり御指摘にあるように、「よく生きているひと」はどんなひとかという特定が必要になるからではないかと思います。けれども、どんなひとが「よく生きているひと」なのかわからないわけで、言えばみんな「よく生きている」かもしれない。そういうところから「は」にしたのだろうと思います。そこはぼくもよく出てきたものだと思うので、目をつけて下さって嬉しく思います。夏の終わりは鼻がむずがゆくなりますね(^^) コメント、ありがとうございます。

1
藤 一紀
つつみさんへ
(2020-10-30)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。これを書いた10年前はコロナウィルスはもちろん東日本大震災も発生していませんでしたが、金融危機が起こり、多くの工場が稼働しなくなったり派遣切りが横行したくらいの時期だったように思います。小林多喜二の「蟹工船」が読まれたり、共産党に入党する若者が増えたといわれたのもこの時期ではなかったかと記憶します。そういう意味ではなかなかにしんどい時代ではあったと。そのような状況を傍目に社会は前に進み、それでも踏ん張って毎日を生きている人たちがいると思った。もしかしたらこれを書くきっかけになった近所のおじさんの、長年いろいろあった中で生きてきてそこにある姿と、大変な状況のなかでへこたれながらも生きている様子とが重なって「よく生きているひと」という言葉が出てきたのかもしれません。いま、つつみさんのコメントから振り返って考えてそのように思い至りました。細部まで入って読んで下さって、書いたものととして有難い限りです。ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2020-11-02)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。ぼく個人としては悩みを漏らすひとが周りにいて、苦境に立たされながらもなんとか凌いで頑張っているのを見ていたので、書きながらやっぱりどこかでそういう人たちを思い浮かべていたように思います。しかし、自分で読み返している時になんだか自分に言い聞かせているような気もしてきて、無意識に「そういう人々」のなかに自分も入っていたのではないかしらんと思いました。まあ、自分もなんとかかんとかという感じでしたので。ただ、書いている時はそこまで明確な意図はなかったですね。言われてみればそのようにも読めるなあと頷かされました。参考になります(^^) コメント、ありがとうございます。

1
杜 琴乃
作品へ
(2020-11-08)

応援歌のようであり、鎮魂歌のようでもあります。 他の方もあげてますが、 >昨日と今日の夢のあいだで背を伸ばしている子ども この一行は本当に美しいですね。心臓を撃ち抜かれました。 「ぼく」という人物が、いまどういう状況で、どんな人生を送ってきたか、いま悲しいのか悔しいのか嬉しいのか、そういうことは一切書かれていなくて、ただ目に映る景色を肯定するやさしい眼差しだけが描かれています。この「ぼく」になら、いまぜんぜんうまく生きていない私(読者)のことも肯定してくれるんじゃないか、という気持ちにさせてくれます。包容力を感じました。 まだ低いところの朝日が放射状に満遍なくまぶしく街を照らしていくその明るい朝に、目を細めつつ人々の生活を見つめる眼差しもまた、朝の日差しのようだと思いました。

1
藤 一紀
杜 琴乃さんへ
(2020-11-09)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。「なんかいいなあ」と感じた事実を皮切りにして、「よく生きているひとは ぼくは好きだ」という言葉がでてきて繫がった。あとはそれを響かせるためにどうするかで言葉を選んでいったと思います。引用していただいた箇所は恐らく、老婆、老爺とつづいてきて、老婆が朝で老爺は昼という流れから夜の子どもが浮かんだのだろうと推測します。で、書いた当人は、響かせるための言葉選びや流れの側になんとなく耳を傾けて素直に書いていたから、引用していただいた箇所がいいのかどうか、まったくもってわからないのです。コメントを拝読して「ああ、そうなのか」と感じているくらいです。 >「ぼく」という人物が、いまどういう状況で、どんな人生を送ってきたか、いま悲しいのか悔しいのか嬉しいのか、そういうことは一切書かれていなくて、ただ目に映る景色を肯定するやさしい眼差しだけが描かれています。 この点については「ぼく」が世界に向けて(また恐らく自分に向けても)「よく生きているひとは好きだ」(そういうひとは好きなんだなあ)と得心しながら発話することがメインになっているので、「ぼく」の個人的事情などは混ざっていないのだと思います。そこに《肯定するやさしい眼差し》を見て取ってくださって、これも非常に嬉しく思います。 もういったいぜんたい、なんとお返ししてよいやらで色々書きましたが、コメントに感謝します。ありがとうございます。

1
藤 一紀
さんへ
(2020-11-09)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。 青臭いですよね笑 いや、スコーンと突き抜けたように青臭いものを書いてしまったのです。たぶん、それまでのどこか「ぶったような書き方」や「どこかしらにつきまとう上から目線的な書き方」に飽き飽きしていたんじゃないかと思います。肩の力抜いて素直でストレートなものをやりたかった時にたまたま出てきたのかな。読み直してみて、今なお小っ恥ずかしいのですが。笑 ときにABさんの『ネジ 締めたろか』は10月の月別表示に隠れたんですね。もうしばらく前から、たしかもっと以前に投稿されていたはずだと思い、比べてみようと遡っていたのですが見つけきれませんでした。「あっれれー、おかしいぞー」というコナン君的なつぶやきを繰り返していたのですが、結局見つからなかったので後日コメントさせていただきたく思います(^ ^)

1
たわし
作品へ
(2020-11-10)

よく生きているひとが ぼくは好きだ ではなく よく生きているひとは ぼくは好きだ になっているところが好きです。

2
かずや
かずや
作品へ
(2020-11-11)

何でしょうね。 湿気た夏の朝。 まだ、暑くなりきらないけれど蒸し暑い一日になるそんな予感を十分に感じました。 濁っているかも知れないがこの世界は限りなく美しい。 そんな心象です。

1
戸ヶ崎朝子
戸ヶ崎朝子
作品へ
(2020-11-12)

藤さん、今日は。コメント有り難うございます。「明るい朝の歌」のように頑張って生きたいものです。浮かんでこれずに終わってしまう人生こそすごいと思います。野の花のような生き方を見習いたいものです。とても共感出来る作品ですね。一日の始まりにこんな詩に出会えたら、その日はきっと素敵な日になるでしょう。

0
藤 一紀
たわしさんへ
(2020-11-13)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。挙げていただいた箇所、リンクスさんへの返信にもなんとなく思い浮かぶ理由を書きましたが、実際のところ、自分でもよくわかりません。でも「よく生きているひとは」でないといけなかったのだと思います。その後に「ぼくは」ときて、「は」が続くので一般的な日本語表現としてはおかしなところもあるような気がしますが、そこは「他の誰がなんと言おうと」という意をもたせるために、多少妙ちくりんでもそれを選んだように思います。コメント、ありがとうございます。

0
藤 一紀
かずやさんへ
(2020-11-13)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。ぼくが暮らしている土地は盆地なので湿度も高く夏場はかなり蒸し暑くなります。そういった気候のなかでの生活が言葉を選ぶ際に知らず現れたのかもしれないですね。濁りや汚れと感じるものがあるからこそ対比として美しいと感じることもあると思います。この世は限りなく美しいかどうかはわかりませんが、限りなく美しいと「感じられる時」はごくまれにあります(^^) コメント、ありがとうございます。

1
藤 一紀
戸ヶ崎朝子さんへ
(2020-11-13)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。書いた本人としては特に共感を狙って書いたものではないのですが、そう言っていただけるのは嬉しく思います。共感されることって滅多にないと思っているので。 > 一日の始まりにこんな詩に出会えたら、その日はきっと素敵な日になるでしょう。 作者冥利に尽きる言葉と言う他ありません。そのような詩に運良くめぐり会ったことはありますが、言われるだろうとは思ったこともないので。苦笑 とても励みになります。コメント、ありがとうございます。

0
田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2020-11-14)

よく生きているひと こころに響く言葉でした。

2
ほば
作品へ
(2020-11-14)

あまりにストレートにみえる、よく生きているひと、という詩句ですが考えれば考えるほどに拡がりがあり心が身体が引き伸ばされては戻りストレッチされてほぐれました。ただいま、感想が言葉にならない状態でして、とりあえず、浮かんだものを書き連ねました。

1
藤 一紀
田中宏輔さんへ
(2020-11-15)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。「心に響く言葉」と言ってくださって嬉しいです。ありがとうございます。

0
藤 一紀
ほばさんへ
(2020-11-15)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。考えてみたらおかしな感じですよね、「よく生きている」って。なんなんだろ。ぼくはとりあえずうまいこと解説ができません笑。コメント、ありがとうございます。

0
藤 一紀
さんへ
(2020-11-15)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。ああ、そうか。「よく生きているなあ」というのはすぐ出てくる感慨ではないですね。なかなかうまいこと生きられなくてヒイヒイやってる期間があって、それを抜けたところでようやくポロンと出てくるものかもしれない。 >外をみつめることが、内をみつめること なるほどです。勉強になります。 コメント、ありがとうございます。

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藤 一紀
さんへ
(2020-11-15)

こんにちは。読んで下さってありがとうございます。書いた言葉が、優しい気持ちを持ったものみたいにつながっちゃったのかな。直球勝負ってコワイものありますね。 コメント、ありがとうございます。

0
アオ
作品へ
(2020-11-22)

日常を訥々と描いた作品と見受けました。生活に対する愛が詰まっていて、読んでいて心地よいです

1
二ノ宮橙子
二ノ宮橙子
作品へ
(2020-11-22)

藤さんの他者への暖かい眼差しを感じられました。

1
藤 一紀
アオさんへ
(2020-11-25)

こんにちは。読んでくださってありがとうございます。結局薬局、日常の外には出られないので、日常ってやつをもっときちんと愛せたらいいのになあ。なかなかうまくはできないもんです笑 頑張ります。コメント、ありがとうございます。

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藤 一紀
二ノ宮橙子さんへ
(2020-11-25)

こんにちは。読んでくださってありがとうございます。「他者への暖かい眼差し」というのを持てる時がごくごく稀にあります。もしかしたらこの時はそんな状態だったのかなと思ってみました。その程度にはほぼ気紛れでいい加減なやつでございます(^^) コメント、ありがとうございます。

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