うつつ - B-REVIEW
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エセ詩人

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詩人の生きざま

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羽田恭

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久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

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きょこち(久遠恭子)

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だれのせいですか

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ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

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うつつ    

朝の紅茶はダージリンと決まっている。夜の網膜に色を乗せた絵筆を洗うとちょうどこんな色になるのだろう、ミルクを垂らすと渦を巻いて濁ってゆくその錆びた鉄の色は、ひと欠片の躊躇いも示さずに透明を手放し、トクンと音をたててから、ささやかなつぶやき声さえもその乳白に埋め込んで、ただ微細な振動だけを残してここで静かに。   私は窓を開けて空を眺めていて、そして私は扉を開けて隣の部屋を覗き込んでそこに佇む。その先の白い部屋で丁寧に本の頁をめくってから頰をついているのもまた。微かに震える薬指をマグカップに添えた温もりで朝の手触りを確かめながら、決して破けないようにひどく丁寧な、それでいて初めて桃の皮を剥くときのあのたどたどしさで、薄い表面の皮膜を一枚ずつ。 鶺鴒。強いもの。美しいもの。私の小さな掌でそっと包むことができたとしても、その鼓動の素早い高まりさえ、決して手に入れることはできないのだろう、その身体がどれだけ伸びやかに糸を空に引き伸ばしても、その小さな羽根が孕んだ慎ましい酸素の渦のたった一つでさえ私には。 唇にふれた陶器の表面の控えめな曲率は確かに、このように硬質であったなら、私の瞳は、瑞々しく磨かれた大理石の冷淡さで液体を冷やしながら、毅然と線を引くことができるのだろうか。 ここに一人、そこに一人、また埋葬が始まる。腐敗した養分を枯葉に吸わせ、煙は揺れて炎は共鳴する倍音、景色はそこで始まっていた。


うつつ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 23
P V 数 : 3084.2
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 27

作成日時 2019-09-11
コメント日時 2019-10-01
#テキスト #アドバイス募集
項目全期間(2024/04/20現在)投稿後10日間
叙情性114
前衛性10
可読性00
エンタメ00
技巧70
音韻30
構成50
総合ポイント274
 平均値  中央値 
叙情性1.81.5
前衛性0.20
可読性00
 エンタメ00
技巧1.20.5
音韻0.50
構成0.80.5
総合4.53.5
閲覧指数:3084.2
2024/04/20 07時31分54秒現在
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    作品に書かれた推薦文

うつつ コメントセクション

コメント数(23)
三浦果実
(2019-09-11)

一つ一つの節のおしまいのこだわりがsurvofさんらしい。survofさんらしいと言われることが嬉しいことなのか残念ながらなことなのかわかんない。けどね、そのこだわりのタッチは労力使ってると思う。なぜにそこが、場末のネット詩なのかと謎だったりもする。けれども、そのレトリックをここでずっと見つけていたい。

0
survof
(2019-09-11)

場末のネット詩って私にとってサイバーパンクの残骸みたいなものなんです、多分。ここは取り壊し直前の九龍城の屋上みたいなところで、頭上すれすれを飛ぶ飛行機の音を聴きながら最後まで鳩を一匹一匹丁寧に育てるみたいな、なんか自分でも何言っているかよくわからなくなってきましたが、要するにそんな感じなんです。

0
ほば
(2019-09-12)

ミルクを垂らす描写や鶺鴒が糸を空に引き伸ばす様子、淡々としていながら確かに存在する感覚が読んでいて美しいです。叙情的だがセンチメンタルに傾向し過ぎていないのは最終連の埋葬といった他者の存在により世界が閉じてないからかな、と感じました。一言だと、素晴らしいですね。

0
ふじりゅう
(2019-09-12)

美しい。これにつきます。それも、直球で投げた先にある真っ当な美しさではなく、なにか諦めのような、何かを投げやったような、そしてそこに、我々読者ですら侵入することが拒まれているような、そんな捨ててしまったからこそ生まれる特殊な美、のようなものを本作から感じました。読もうとしても、読めない、近づけない。それは、あまりに早く切り替わる場面、展開にある気がします。それが悪いとかそういったことを申し上げたいのではなく、あえて我々読者を近づけないようにしているのではないか、と何となくその様な事を感じました。そもそも、詩において意味をつかみ取ろうとするのは間違いかもしれなくて、読んだときに感じる現実との乖離、それより生まれる、各々がもつ独特の詩世界に浸ることもまた詩の面白さなのではないかと、そのようなことを感じました。

0
survof
(2019-09-13)

帆場蔵人さん やっと帆場さんにコメントもらえた、笑!!嬉しいですね。この作品は書くのが本当に苦しかったです。いつもはわりとサラっと言葉が出てきて、また同時に視覚的イメージも言葉と連動してインタラクティブに発生し、それがまた言葉に還元され・・・という過程がとても滑らかに進んで、それなりに作品としてすっとまとまることが多いのですが、今回は書く前に自分のなかで描きたい視覚的イメージがものすごいはっきりしていた分、それと向き合って一つ一つ正確に写生するような過程が必要でした。それはデッサンするときに正確に形を捉えるまでに何回も何回も修正するようなそんな苦しさでした。同時に非常に深く自分の中に潜って書いたので作品完成後ちょっと精神的にダウンしましたね、汗。でも、ずっと描きたいと思っていた自分のなかの心象風景がある程度納得のいく形で一つ形にできました。

0
survof
(2019-09-13)

ふじりゅうさん >我々読者ですら侵入することが拒まれているような、そんな捨ててしまったからこそ生まれる特殊な美 >読もうとしても、読めない、近づけない 帆場さんへのコメントにも書いたのですが、普段は自分でも立ち入らない自分のなかの風景に立ち入ってそれをデッサンするようなそんな過程からこの作品はできました。つまり私自身もこの風景にある意味拒絶されていたともいえますし、あるいは立場を変えるなら私が拒絶して見ないようにしていた内面の景色をあえて描き出そうとしたのかもしれません。それでも私にとってはとても大事で折に触れてきちんと向き合わなければいけないそんな景色なんです。なのでこの感想をいただけたことはとても嬉しいです。 >読んだときに感じる現実との乖離 ときどき、私は離人感的な感覚を覚えるんですよ。自分の目のなかにもう一人の自分がいて、自分の目という窓から景色をのぞいているというような感覚だったり、あるいはそれと同時にもう一人の、あるいはもう数人の自分が俯瞰して自分を見ているというようなまさに私の現実が私の知覚から乖離し分散していくような感覚です。そしてこの感覚はこの作品において私がもっとも描きたかったもののひとつです。ふじりゅうさんの読者としての感性の鋭さにまたもや驚かされました。

0
トビラ
(2019-09-14)

描写が丁寧ですね。 丁寧に切り出した木材を精緻に彩色して組み上げて作った、個人的な社のような作品だと思いました。それは、survofにとっての聖域といっていい情景なのかもしれませんね。 ただ、ちょっと気になったのが、あくまで個人的にですが、この情景、頭を銃で撃ち抜いて自殺する前という印象を受けてしまって、そういう意味で、これでいいのかな?と思いました。この作品は、この作品でこれでいいとしても。

0
こうだたけみ
(2019-09-14)

本作に対するコメントではないのですが、「詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない」の朗読がやっと録れました。大変遅くなりました。 同作品のコメント欄にSoundCloudのリンクを貼りました。よかったら聴いてください。

0
トビラ
(2019-09-15)

survofさん、コメントで敬称が欠けていました。すみませんでした。

0
survof
(2019-09-15)

トビラさん コメントありがとうございます!「個人的な社」。確かにそうかもしれません、それよりも >あくまで個人的にですが、この情景、頭を銃で撃ち抜いて自殺する前という印象を受けてしまって こちらのコメント、ドキッとしました!というのは、実はこれを書いた時、仕事のストレスの影響なのか寒暖差の激しさの影響なのか、悲しいニュースを立て続けに見聞きした結果なのか、ちょっと自分でもよく分からないんですけど、死にたいくらいの憂鬱状態に陥ってしまい、しかもこの作品を書くことでさらにメンタルに負担がかかったのかさらにメンタルが不安定になり(なんか格好いいことのように書いてますけど、ただにメンタル弱いだけですからね、笑)その抑うつ状態を脱出するのに1週間くらいかかったんですよ。 なのでトビラさんの印象はあながち間違っていないです。というよりも、自分の奥深くではご指摘のような風景が実はあるんだと思うんです。自分の大好きな美術や音楽とか小説とか作った人たち、そういう死に方した人がすごく多い気がします。別に憧れはしませんけど、そういうの。全然憧れません。でも時々、包丁持って料理している瞬間にこれは危ないな、って感じの衝動を感じることがあります。別に悩みがあるとか苦しいとかじゃないんですよ。あまりに境界線が曖昧だなってことに戦慄するんです。あとは電車がプラットフォームにブゴーって入ってくるあの瞬間とか、時々危険な衝動を感じてぞっとしますね。しかも、そういいう衝動を感じるときの自分ってすごく幸せな気分だったりすることもあって謎ですが、最近はホームドアを設置するところが増えてきて、あれはすごく助かりますね。そういう理由のない衝動にも蓋をしてくれるので、笑。 敬称の件はホント全然気にしないでください。自分も他のコメントで同じミスしたばかりなのでー

0
survof
(2019-09-15)

こうだたけみさん いやぁ聞きましたよ!なんかすごいプロっぽくてびっくりしました。めちゃくちゃ嬉しかったです。最初の畳み掛け、あれすごく練習してくださったんだろうな、まさにあの畳み掛けは私が書きながら脳内再生したときの畳み掛けとほぼ同じでした。後半の視点が切り替わるところ以降は私の脳内再生とはイメージが違かったのですが、それがまたとても刺激的でした。あとは最後の緩み具合が特に最高ですね。あれはやっぱり朗読(音読)ならではの芸当で、あの「超どうでもいいけど眠いんだよ〜」って感じ、ああ、それそれそれ!!!という感じでした。なんども聞かせていただくと思います。ありがとうございました!!

0
survof
(2019-09-15)

北さん こんにちは!コメントありがとうございます。 >ただ、一言一言が大事にされすぎていて、力んでガッチガッチになってしまってる感が否めません。 やっぱりそうですか?個人的にはもう少し柔らかみのある部分があればメリハリがきいて緊張感がもう少しうまく出てきたのかな、という反省点があって、でも、どこをどうしたらいいんだろう、ってとこでなかなか難しいところがありました。 特にそれが出てしまっているのが、それぞれの練の終わり方の宙ぶらりんで、柔らかさを演出しようとして、でもそれしか能がないというか、いろんなところでこの小細工を使いすぎて、むしろ硬さを悪化させている感が否めないんですよ。 なのでご指摘の通り風通しが悪いとことがあると思います。そこはなんとかしたいです。 北さんのリライトバージョン、いくつかヒントになりそうな点があって超絶ありがたいです。 たとえば >トクン音をたてささやかつぶやき声 で「トクンと」の「と」を外す >振動だけ残し のように「を」を省く など、一部の箇所でこの方法を取ると確かに風通しは少しよくなり、なにより文章からくどさが抜けて、すっきりするところがあります。ただ、これはすごく悩めるところなのですが、一つ一つの言葉の情動の繊細さをシャープに強調したい、と思った場合、この方法でむしろ、言葉どうしが混じり合いすぎてしまって独立性が悪くなる、言い換えると粒立ちが悪くなってしまうのが悩みなんです。 例えば、もしかしたら >トクン音をたてささやかつぶやき声 のかわりに私の感性であれば 「トクン。音をたて、ささやか、つぶやき声」 としたい、ところなんです。 ただそうすると今度はもう一つの私の表現の意図としてあった、息の長いフレーズを紡いで滑らかな緊張感を持続させる(つまりくどい旋律をやりたい)という意図を手放さなくてはならなくなり、そこはどうしても両立したい。ただそうするとやはり風通しが悪くなりがちなんですよ。 なので 「トクン。音をたて、ささやか、つぶやき声」 ではなくさらに 「トクン。音をたてて、ささやか。つぶやき声は」 としたい、というような感じです。 音楽を引き合いに出すと、例えばブラームスの交響曲3番や彼の間奏曲のようなイメージが私のなかにはあって、それをどうしても言葉でやりたい、と同時に言葉一つ一つの粒立ちというか輪郭はガラスのように透明にしたい、というワガママがあり、でもそれが非常に両立が難しく今も悩んでいるところです。 でも演奏家でこれをできてるのって例えばグレン・グールドで、ミケランジェリは音の透明感に関して言えばこれ以上磨きがかけられないんじゃないかっていうくらいの極地ですが、旋律の息の長いリズムはどこか損なわれてしまっているようにも感じます。 やはり両立は難しいのでしょうか?悩んでたくさん書くのが一番だとは分かっているのですが、とくに北さんは音楽家でいらっしゃっるので(音楽といってもクラシックではないのかもしれませんが)、この観点からさらにアドバイスがあれば是非お聞きしたいです。

0
survof
(2019-09-15)

追記:ミケランジェリは残っている演奏が少ないのでブラームスの間奏曲はあるかどうかちょっと分からないです。どちらかというと彼のブラームスのバラードの演奏を念頭に置いて書きました。

0
survof
(2019-09-15)

北さん 京都なんですね。私にとっては森見登美彦作品の京都はどこか夢幻的で魅力的ですし、川端康成の世界の京都は美しいと思いますが、彼らはそもそも京都人ではないのでそれが本当に京都なのかどうかは甚だ疑問ではありますが、実は私は一度だけ京都にいったことがあり、しかも修学旅行ではなく、友人に連れられての嵐山観光とその後市内にはいってパフェを食べるというもので、京都に行ったといえるのかどうかさえ怪しいようなものなですが、嵐山からの保津川下りは本当によかったです。でも京都はもう多分絶対行かないです、笑。私は実は生まれだけは西で、生後数ヶ月以降ずっと東育ちなのですが、時々親の実家に帰った時に触れ合う西の(あ、個人情報的観点ゆえのぼかしです)方言の音韻にはめちゃくちゃ憧れるものがあり、時々真似しようとしては親戚とかから散々にバカにされたりしたのでした。何回おうむ返ししても、それ違う、っていわれるので向こうの方言とかイントネーションは本当に難しい。で、たまに自分では明らかにこれ違うな、ていうイントネーションでおうむ返しすると「あ、さっきの!それそれ!」って、笑。もしかしたら日本語の音韻に関して私が見えている世界ってモノクロームなのかもしれない、と思うのでした。

0
夏野ほたる
(2019-09-29)

状況を空の上から見下ろすのがとっても上手ですね。それに、読めば読むほど取り残された静寂でいっぱいになる。幾度も読むにつれて作者の心情が有無を言わせず染み込んでくる詩を読むと、悩ましい嬉しさで満たされます。たとえその詩を創り出した感情が憎しみや悲しみであろうと、自分とは違うどこかで生きている誰かの言葉を繰り返し読んで想像して、それってコミュニケーションに近いものがあるよねなんてニンマリしてしまうのです。非対面型一方通行コミュニケーション。

0
survof
(2019-09-29)

夏野ほたるさん >読めば読むほど取り残された静寂でいっぱいになる この感想とても嬉しいです!自分が書いた言葉が自分を離れて誰かの中に染み込んでいくっていうのはとても嬉しいことです。確かに伝達という意味では一種のコミュニケーションですが、決して双方向ではない、特殊なコミュニケーション。言葉の持つ本来の意味から乖離したところで、こうした伝達が可能になるのが詩のいいところだと思っています。 もちろん、言葉の意味を大切にされる方からすると、私の作品はほとんど何も言っていないのと同じだと思います。というより、実際何も言っていないんです。何も言えないんです。だから、知覚の限界ギリギリのところで何かしらの感覚の伝達が成立するのが一番嬉しいし、もっとギリギリのところをどんどん攻めていきたいです。

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新染因循
(2019-09-30)

とても素晴らしい詩だと思いました。ただわたしの稚拙な言語能力では語れることが少ないのでいかに抜粋して書きます。ご容赦を。 >微かに震える薬指をマグカップに添えた温もりで朝の手触り ここが特に、諦念と疲労のなかに見出された静寂とした安寧を感じました。 >景色はそこで始まっていた。 在らざるものへの憧憬、というのでしょうか 全体的に、時間の川を目を細めながら下っていく老人の独白、あるいは白痴と忘却の狭間にいるような、そんな印象を受けました。

0
藤 一紀
(2019-09-30)

おはようございます。柔らかな水の流れに手を浸しているような感覚でした。流線型の気持ちよさを味わいました。

0
stereotype2085
(2019-09-30)

とても評判がいいので、このようなコメントを書くのは勇気がいる。まず謝っておきます。ごめんなさい。 一言で言って冗長。難解なフランス映画のよう。そこに何かしら意味があるのかもしれないが僕のような凡庸な人間は、読んでいる途中で眠ってしまいそう。 しかしその筆致と日常光景の偏執的な描写は素晴らしい。そしてラスト近辺の「ここに一人、そこに一人、また埋葬が始まる」。ここでようやく僕は目を覚ます。平凡と看過されがちな日常の断片を、ここまで精緻に描いた理由がここでわかる。そう。この詩は毎日、必ずどこかで誰かの魂が、肉体が死していくことを暗示、ほのめかす詩なのだ、と。この詩はある種のレクイエムなのだ、と。ここまで書いてようやく読んだ意義が理解出来ました。素晴らしい。ありがとうございます。 ですがここで蛇足。僕はsurvofさんの撮る「バックトゥーザフューチャー」も観てみたいと思う男なのです。いつか観てみたいです。survofさん版「バックトゥーザフューチャー」。この蛇足はあくまでこの詩を読み込んだゆえのユーモアですのでその点はご容赦を。

0
survof
(2019-09-30)

新染因循さん 「老人の独白」というご指摘、なんだかとても鋭いところを突かれた気がします。詩とはもしかしたら、老いながらも生き続けることの気慰みのようなものなのかもしれません。白痴と忘却の間、ずっと見つめて生きていたいと思っています。なんかとても芯の部分、もしかしたら伝わったのかもしれない、とコメントをお読みしてとても嬉しい気持ちになりました。

0
survof
(2019-09-30)

藤 一紀さん コメントありがとうございます!そうなんです、この詩を形に例えるとするなら私も流線型の何かなんです。「柔らかな水の流れに手を浸している」っていうご感想も嬉しいです。

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survof
(2019-09-30)

stereotype2085さん 冗長で難解に感じられ、しかも途中で眠ってしまわれたのなら、おそらく私の作品の狙いとしては大成功です。そもそもこの作品に意味などなく、そこにあるのは引き伸ばされた一瞬の時間が持つ冗長さだけです。その冗長さのなかにもし揺らぎを感じていただけたなら、その揺らぎの中に私の表現したいことはすべて含まれています。なんならまったく意味をなさない音の羅列でこの作品を構築してもよかった。でもそれでは、そのような揺らぎのある冗長さは生み出せない。あるいは生み出せたとしてもその揺らぎを誰かと共有するのはとても難しくなる。ステレオさんのコメントは全体として非常に的を射ていると思います。ラストの部分の読解、あえて意味を読み解いてくださったことを嬉しく思います。なぜなら間違いなくこれはすでに土に還った死者のための詩であり、またこれから死にゆく生きた死者のための詩でもあるからです。 蛇足: 「バックトゥーザフューチャー」は撮影にお金がかかりますし、芸術芸術言う人はみんなハリウッドをバカにしがちですけどあれって相当技術が必要なわけですよ。とてもじゃないでけど、今の私の技術力で「バックトゥーザフューチャー」なんて書けません、笑。まあ、技術だけっていう見方もありますけど、自分は少なくとも「バックトゥーザフューチャー」は好きですよ。これ告白するの結構恥ずかしいんですけど、正直言うと私はゴダールみたいなフランス映画、わけがわからなくて本当に寝ますからね。おなじミニシアター系でもジム・ジャームッシュみたいなのはすごく好きなんですけど(だって意味がないから)、ゴダールだけは本当無理です(だって意味がありすぎるから)。

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survof
(2019-10-01)

この作品は以前にオムニバスで投稿したもののから抜粋で再投稿したものです。 https://www.breview.org/keijiban/?id=3798

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