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ときには花となって   

静かな視界 
作成日時 2017-11-11
コメント日時 2017-12-07

 

私は梅雨空の とある山の稜線に花となって咲いてみる 霧が、風にのって、私の鼻先について それがおびただしく集まって、やがて ポトリ、と土の上に落ちるのを見ていた 私はみずからの、芳香に目を綴じて あたりに神経を研ぎ澄まし、聞いている たなびく風が霧を押しよけていくと うっすらと太陽が光りを注いでくる 豊満な体を、ビロードの毛でくるみ 風の隙間から羽音をひるがえし 花蜂たちがやってくる  ひとひら舞い、するとその羽ばたきを忘れ、落下し やがてまた思い出したように空気をつかむ そのように、落下したりあがったり きまぐれな空気の逢瀬を楽しむように飛ぶ それは蝶々  私は、そのように 花になったり、花蜂になったり、蝶々になったりしたが またこうして 稜線の石になって黙ってそれらを眺めている


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庵真悠一庵真悠一 (2017-11-11):

生活から離れすぎている。たぶん宮沢賢治が好きかもしれない。けれどもイメージで書きすぎている。と言うのは、ただこの詩のような風景を頭の中に浮かべて書いているような印象だから。 そんな方法じゃいけないと思う。もしそうゆうような詩が書きたいのなら、安部公房の小説を詩に輸入しなきゃ駄目だと思う。具体的にいうと、夢の中に出てきたものから感情を言葉を発掘して、詩を書くというようなあんばい。

静かな視界静かな視界 (2017-11-11):

庵真悠一様、こんばんは。 宮沢賢治氏はあまり好きではないですね、というか、かなり読んでいて苦痛になります。 です、ます、とかの口語調が好きではないからです。 冒頭の、生活から離れすぎている、とのことですが、ジャンル的に生活詩というものもあるようですね。  この詩は、もちろんイメージと言えばイメージですが、私の実体験をデフォルメして書いているだけなのです。 安部公房氏とかほとんど別次元だと思います。 といいますか、かなり断定的な切り口ですね(;´・ω・) そんな方法じゃいけないと思う・・のでしたら、どんな方法が良いのでしょうか? とりあえず、感想ありがとうございましたm(__)m

庵真悠一庵真悠一 (2017-11-11):

自分は断定から作品の中に入っていくことにしています。そして、自分が生活から離れすぎているといった理由ですが、自分のはそのときあなたが全くイメージとして書いているとしか思えなかったからです。その考えからはあなたの実体験がデフォルメされているとは考えられない。またそうゆうところは、生活とはほとんどかけ離れていると考えざるえない。自分は生活があってこそ詩があると思っています。生活から生まれた詩だからこそ、共感したり、深いところで慰められたりすると思うんです。けれども、イメージからうまれた詩はそう言った性質をなかなか持たない。何故って、ほとんどが自分のことしか考えていないから。 けれどもイメージから頑張って作ろうというそう言った試みをしているのなら、安部公房の創作方法が役に立つと思った。だからささやかなアドバイスをと思って、そういわせてもらいました。 返信ありがとう。

庵真悠一庵真悠一 (2017-11-11):

谷川さんの本パッと開いたら詩について書かれていた。 別に詩には意味がないらしい。自分はそれを読んでいて納得した。 すると、もうここには来ない。だから最後に言いたかったのは別に俺の言ったことは気にしないでということです。さようなら

静かな視界静かな視界 (2017-11-12):

庵真悠一様、おはようございます。 私の生活形態は、一年の中でもかなりアウトドアの時間が多く、つまり深い山域や稜線は、生活の一部であることからこう言う詩が生まれています。 勤務仕事であっても、草花や昆虫、野鳥がいたるところに徘徊し、生活の一部になっているというのが現実です。 よって、花蜂や蝶々や雫は私の目の前で繰り広げられているという事です。  安部公房氏については、今後、機会があったら読んでみたいと思っていますし、宮沢氏の作品も参考にできる部分は参考にしたいですね。  谷川氏の作品については、割と読んでいますが、作者が意味がないと言い切るのはどんなものでしょうか? 意味はきっとあるのだとは思いますし、詩を書くという行為は、御自分が何かを言いたいがための手段であろうと私は思います。  

まりも (2017-11-25):

作品と共に、レスの往還も興味深く拝見。 詩は、作者が(心中で)真と想うもの、真と感じるものについて歌ったり語ったりするのだから、~かもしれない・・・というような憶測ではなく、~だ、~である、と断定した方がよい、と言われますが・・・ 批評の場合は、どうなのでしょうね・・・作者に寄り添って、作者に(自分の考える)代案を提示するなら、断定よりも~の方がよい、的な言い方の方がいいのかもしれないけれど・・・ 批評、というスタイルの、自身の詩論の提示であるなら・・・つまり、批評スタイルの作品であるなら、断定する方が面白いかもしれない。 庵真さんの、作者への提案の部分と、ご自身の詩論の提示の部分を、より明確に文体を変えると、返信レスが、よりユニークな批評スタイルの作品となるようにも思いました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-25):

まりもさん、確かにその論法は面白いですよね。 昨今、批評とは言うけれども、現実的には第三者がその作品を自分なりに解説しているにすぎないと思います。 庵真悠一さんのように、ばっさり言ってくれる人はいません。 そのスタンスはなぁなぁな批評ではなく、私は好感を持っています。  

沙一 (2017-11-25):

表題の「ときには花となって」という発想が好きです。 自然のなかに同化する心地よさを、読み手に感じせてくれる詩だと思いました。

夏生夏生 (2017-11-25):

はじめまして、静かな視界さん。御作にコメントさせて頂きます。 私もイメージで描くこともあり。静かな視界さんほどの描写で描けたらと思いながら、拝読しました。 自分以外の生き物に思いを馳せる。瞬間、瞬間を感じてみる。その試みそのものが詩のように感じました。 庵真悠一さんとのレスの往還を拝見して。 一篇の詩から感じたこと、気になったこと、など、読み手によって様々であることを知ることができるのは、ネット詩の醍醐味だと改めて感じました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-25):

渉一さん、こんばんは。 そのまま書くというスタンスが私の芸風と言いますか、技巧は難しいのです。 素のままの食材をなるべく生かすという風でもあり、単に大雑把という部類なのかもしれませんね。 ありがとうございました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-25):

夏生さん、こんばんは。 描写に関しては、こちらのサイト主様から以前別サイトで、かなり絞られた経緯がありましたが、あまり成長はしていないのです(´;ω;`)、がしかし、こういったものを書くしか能がないので、突き詰めていければなぁと思っております。 ありがとうございました。

白島真白島真 (2017-11-27):

静かな視界さんの作品を初めて拝読いたしました。 人間、誰でも変身願望があり、それが美しい花や蝶であろうと ザムザのような怪奇な虫であろうと面白ければよいと思います。 いろいろ論議があったようですが、私は別に生活に密着する書き方などは テーマとして考えたことがありませんし、御作が密着してない絵空事とも思えませんでした。 書いた言葉が生活から拾った詩であろうと、観念的なものであろうと どこかの言葉に端々に、作者の現実社会における立位置というものは反映されるものです。 また、住みにくいこの現実ですから、創作くらいは思い切り「変身」「夢物語」「あり得ぬ話」を 大いに書いていくべきではないかとも思うのです。 この作品は花や蝶への変身譚ンいとどまるものではなく、 最後は「稜線の石になって黙ってそれらを眺めている」とあります。 ここに、この作者のしっかり根を張った生活、現実があるように思いました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-28):

白鳥さん、おはようございます。 この作品も、何の脈絡もなくふらっと書き始め、どう終わろうかと考えつつ書いたものだったと記憶しております。 でも、丸々と太ったハナアブなどは本当に可愛いもので、ちょっとだけアブになってみたい気持ちになることもあるのです。しかし、おっしゃるように、所詮現実という「石」になってしまうというものですね。 巧いこと、解説していただいて恐縮です。 ありがとうございました。

夏野ほたる (2017-11-28):

爽やかでどこか優しい風景が浮かんできて私はとても好きな詩です。 花や蝶になり、そして今石となっているその移り変わりに輪廻的な生物観を感じました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-28):

夏野ほたるさん、こんばんは。 とても素敵なHNですね。 共感いただき、大変うれしく思います。 どうもありがとうございました。

イチゴミルクイチゴミルク (2017-11-29):

はじめまして。自然に自分自身が溶けてゆく感覚を感じました。とても気に入りました。 移り変わっていく心そのものが今そこにある自分自身であり気持ちであり。 まったく違うものと対峙し対象とするものではなかっただろうと推測いたしました。 思いが自然そのものであったと。 もしあえて変化をつけるとしたら題名をいじると作品本文とのコントラストが映えるのかなとは思いました。

静かな視界静かな視界 (2017-11-30):

イチゴミルクさん、おはようございます。 拙作をお読みくださり、ありがとうございます。 題名については、あまり考えないタイプなので、今後の参考にいたします。

るるりら (2017-12-04):

この詩は、崇高だと思いました。人間にしかできない尊い視座へのメソットが この詩だと思います 「ときには花となって」というような 人間の立ち位置を放れて物事を感じることができるのは、人間にしかできないからです。 私は、むかし ガラスの仮面という少女漫画が 好きだったことがあるのですが、その漫画を私が好きな理由も、さまざまなモノに なろうとする人の心って、素晴らしいと 私は とても素朴気持ちで感じていたからです。人は、 ときには梅の木になろうとしたり 石の気持ちになろうとする。素晴らしいです。 作者は、きっと 山の稜線に立つという実体験を幾度も かさねて おられる方であろうと思いました。 心を煩わす人間関係とは無縁の 人間以外の立ち位置で 目を見開こうとする視座が すがすがしく、拝読していて とても風通しの良い気分になりました。 わたし自身も 山近くに住んでいるのですが、花を目にしたからといって 花自体になるような崇高な気持ちには なかなか なれません。私の場合は感動もなしに山林に囲まれているせいだと思います。 寝る前に目をとじて、このような視座になろうとしたら、わたしの場合は 海が見えてきました。 夜光虫が波間に浮かんだり沈んだりしている映像が浮かび とても 幸せな気持ちを体験しました。 この詩は山を思わせるのに なぜ私の場合は海を想ったのかと、再度 拝読してみました。 すると、どうやら私は、静かな視界さんが お書きになった この詩の 蝶の描写のあたりのせいで 海を感じたようです。 おだやかなこの詩の世界の時間を読もうとしていた私自身が実際にみたことのある 自然現象のなかで もっとも感動したと言っても過言ではない海の光景を わたしの場合は 思い出したようです。 静かな視界さんのこの作品の場合は、「ときには花となって 」なので花の視点ですが、最終的には「稜線の石になって黙ってそれらを眺めている」という結語になっている 石です。石なので  本来は息すらしていないようなモノの視座ですから、とても静かです。 その静けさが、どうやら わたしに 夜の海の微細な生物を想起させたようです。 人間は どのような視座に立つかで その人となりが決まる気がいたします。 静かな視界さんは きっと山の人であり、わたしは山近くに住んではいるのですが 海の人なのだと思います。 どうぞ これからも しずかな視点を 詩にして 読ませていただきたいです。 おかげ様で 素敵な詩を拝読できました。ありがとうございました。

静かな視界静かな視界 (2017-12-04):

るるりらさん、おはようございます。 山に住んでいると、時に、どうしても海が見たくなることがあります。 昨日、久々に海沿いに出かけ、海を眺め、そして海岸にある低山に登ってきました。 海が見えるって素晴らしい事です。 普段、私は山で作業するというのが本分で、自然を楽しむという事があまりないのが実情です。 ただ、自然を楽しもうとする人たちを見ていると、実に痛々しいのですね。 楽しまなければならない・・と必死でカメラを掲げ、必死で名前を調べているという風な。 そこにあるのは肉眼だけの世界であって、器具を通しての色など肉眼にはとてもかないません。 また、それがどの種であるかなど、彼ら自体、自分の名すら知らないんです。 そういうものを見ていると、なんだかすべてが如何でも良くなってきて、そこに存在するものだけを見つめようとします。 そういう、すべての雑念を濾過した時に、何かが生まれる。 できるならば、そのようなものを詩句に出来ればと思っていますが、なかなかですね。 なんだか、とりとめのない見当はずれのレスレスになってしまいました、ごめんなさい&どうもありがとうございました。

田中修子 (2017-12-07):

とっても綺麗なので私は好きです!! こんな虫の・花の・石の、いろんな視点をもてたらすてきだろうな~。 なんだか魂が変身していろんなものになれる感じです。ものを思う心のある方なんだろうな、と。


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