詩の日めくり 二〇一八年六月一日─三十一日 - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

湯煙

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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詩の日めくり 二〇一八年六月一日─三十一日    

二〇一八年六月一日 「断章」 断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。 (ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳) 二〇一八年六月二日 「断章」 作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい? (コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳) きみはそれを知っている人間のひとりかね? (ノーマン・メーラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳) そのとおりであることを祈るよ。 (アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第一部・4、福島正実訳) こんどはそれをこれまで学んできた理論体系に照らし合わせて検証しなければならん (スティーヴン・バクスター『天の筏』5、古沢嘉道訳) 実際にやってみよう (シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳) 二〇一八年六月三日 「断章」 煉瓦はひとりでは建物とはならない。 (E・T・ベル『数学をつくった人びとⅠ』6、田中 勇・銀林 浩訳) 具体的な形はわれわれがつくりだすのだ (ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』28、三田村 裕訳) 形と意味を与えられた苦しみ。 (サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳) きみはこれになるか? (ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳) 二〇一八年六月四日 「M・W&W・ウェルマン」 マルケスの『百年の孤独』60ページほど読んだが、まったくおもしろくなかった。なので読むのをやめる。かわりに、カヴァーがかわいらしかったので、本棚に残していた、M・W&W・ウェルマンの『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』を読み直す。『族長の秋』はよかったけど、『百年の孤独』はダメね。 二〇一八年六月五日 「伊藤浩子さん」 伊藤浩子さんから、詩集『たましずめ/夕波』を送っていただいた。頭注が本文にも匹敵するくらいの変わった構造で、おもしろいものだった。書くということに集中されていることがわかる結構だった。うらやましいとも思った。 二〇一八年六月六日 「断章」 いまだにみんながきみの愛について語ることをしないのは、いったいどうしたことなのだろう。 (リルケ『マルテの手記』高安国世訳) 二〇一八年六月七日 「断章」 誰もが持っていることさえ拒むような考えを暴き出すのが詩人の務めだ (ダン・シモンズ『大いなる恋人』嶋田洋一訳) しかし、だれが彼を才能のゆえに覚えていることができよう? (ノーマン・メイラー『鹿の園』第四部・18、山西英一訳) 世間の普通の人は詩など読まない (ノサック『ドロテーア』神品義雄訳) 誰も詩人のものなんて読みやしない。 (コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳) 二〇一八年六月八日 「断章」 もちろんそうさ。 (テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳) 詩作なんかはすべきでない。    (ホラティウス『書簡詩』第一巻・七、鈴木一郎訳) いったいなんのために書くのか? (ノサック『弟』4、中野孝次訳) 詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪によりいっそう深く苦しめられるばかりでなく、それらを解明するという義務も負うているからです (レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳) 詩とは認識への焦慮なのです、それが詩の願いです、 (ブロッホ『ウェルギリウスの死』第Ⅲ部、川村二郎訳) 二〇一八年六月九日 「ジャック・ヴァンス」 おとついから、ジャック・ヴァンスの『冒険の惑星』シリーズを読んでいる。二日で、第一巻を読み終わった。読んだ記憶があったが、半分くらいまでのところまでだった。つづきを読んだ記憶がないから、きっと半分くらいのところでやめたのだろう。やめたくなった気持ちもわかる程度のSF小説だった。 二〇一八年六月十日 「草野理恵子さん」 草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』第11号を送っていただいた。草野さんの作品、「温泉治療」と「うみは馬として」を読んだ。共通する書き方といったものがない。多様な書き方をされる方だなと、あらためて思った。詩でしか表現できない表現なのだなとも思った。 二〇一八年六月十一日 「断章」 たしかに (ジョン・ブラナー『木偶(でく)』吉田誠一訳) あらゆる出会いが苦しい試練だ。 (フィリップ・K・ディック『ユービック : スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳) その傷によって (ヨシフ・ブロツキー『主の迎接祭(スレーチエニエ)』小平 武訳) 違った状態になる (チャールズ・オルソン『かわせみ』4、出淵 博訳) 何もかも (ロバート・A・ハインライン『悪徳なんかこわくない』上・1、矢野 徹訳) 二〇一八年六月十二日 「断章」 おお (ボードレール『黄昏』三好達治訳) 愛よ (ノヴァーリス『青い花』第一部・第九章、青山隆夫訳) お前は苦痛が何を受け継いだかを知っている。 (ジェフリー・ヒル『受胎告知』2、富士川義之訳) それ自身の新しい言葉を持たない恋がどこにあるだろう? (シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳 二〇一八年六月十三日 「断章」 ──と、だしぬけに誰かがぼくの太腿の上に手を置いた。ぼくは跳び上がるほど驚いたが、跳び上がる前にいったい誰の手だろう、ひょっとするとリーラ座の時のように女の人が手を出したのだろうかと思ってちらっと見ると、これがなんともばかでかい手だった。(あれが女性のものなら、映画女優か映画スターで、巨大な肉体を誇りにしている女性のものにちがいなかった)。さらに上のほうへ眼を移すと、その手は毛むくじゃらの太い腕につづいていた。ぼくの太腿に毛むくじゃらの手を置いたのは、ばかでかい体軀の老人だったが、なぜ老人がぼくの太腿に手を置いたのか、その理由は説明するまでもないだろう。(…)ぼくは弟に「席を替ろうか?」と言ってみた。(…)ぼくたちは立ち上がって、スクリーンに近い前のほうに席を替った。そのあたりにもやはりおとなしい巨人たちが坐っていた。振り返って老人の顔を見ることなど恐ろしくてできなかったが、とにかくその老人がとてつもなく巨大な体軀をしていたことだけはいまだに忘れることができない。あの男はおそらく、年が若くて繊細なホモの男や中年のおとなしい男を探し求めてあの映画館に通っていたのだろう。 (カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳) 二〇一八年六月十四日 「断章」 中年の男がもうひとりの男のほうにかがみ込んで、『種蒔く人』というミレーの絵に描かれている人物のように敬虔(けいけん)な態度で手をせっせと上下に動かしているのに気がついた。もうひとりのほうはその男よりもずっと小柄だったので、一瞬小人かなと思ったが、よく見ると背が低いのではなくてまだほんの子供だった。当時ぼくは十七歳くらいだったと思う。あの年頃は、自分と同じ年格好でない者を見ると、ああ、まだ子供だなとか、もうおじいさんだとあっさり決めつけてしまうが、そういう意味ではなく、まさしくそこにいたのは十二歳になるかならないかの子供だった。男にマスをかいてもらいながら、その男の子は快楽にひたっていたが、その行為を通してふたりはそれぞれに快感を味わっていたのだ。男は自分でマスをかいていなかったし、もちろんあの男にそれをしてもらってもいなかった。その男にマスをかいてもらっている男の子の顔には恍惚(こうこつ)とした表情が浮かんでいた。前かがみになり懸命になってマスをかいてやっていたので男の顔は見えなかったが、あの男こそ匿名の性犯罪者、盲目の刈り取り人、正真正銘の <切り裂きジャック> だった。その時はじめてラーラ座がどういう映画館なのか分った。あそこは潜水夫、つまり性的な不安を感じているぼくくらいの年齢のものがホモの中でもいちばん危険だと考えていた手合いの集まるところだったのだ。男色家の男たちがもっぱら年若い少年ばかりを狙って出入りするところ、それがあそこだった──もっとも、あの時はぼくの眼の前にいた男色家が女役をつとめ、受身に廻った少年たちのほうが男役をしていたのだが。いずれにしても、ラーラ座はまぎれもなく男色家の専門の小屋だった──倒錯的な性行為を目のあたりにして、傍観者のぼくはそう考えた。それでもぼくは、いい映画が安く見られるのでラーラ座に通い続けた。 (カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳) 二〇一八年六月十五日 「きみの名前は?」 「きみの名前は?」 (ジャック・ヴァンス『冒険の惑星 Ⅳ/プリュームの地下迷宮』3、中村能三訳) 二〇一八年六月十六日 「明日は、靴を買いに行こう。」 明日は、靴を買いに行こう。 二〇一八年六月十七日 「断章」 「見てごらん」 「なにを?」 「見たらわかるさ!」 あんたは、最初笑っていたが、すぐに消毒剤と小便の、むかっとするような臭いに攻め立てられ、ほんのちょっとだけ穴から覗いて見た。するとそこに歳とった男の手があり、なにやらつぶやいている声が聞こえ、そこから父親の手があんたの腕をつかんでいるのがわかり、もう一度眼を穴に近づけると、ズボンや歳とった男の手を握っている少年の手が、公衆便所の中に見え、あんたはむすっとしてその場を離れたが、ガースンは寂しげに笑っていた。 「あの薄汚いじじいをとっ捕まえるのはこれで三度目だ。がきの方は二度とやってこないけど、じじいのやつはいくらいい聞かせてもわからない」 (フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳) 二〇一八年六月十八日 「断章」 あのオルガン奏者(新聞記者のなんとも嘆かわしい、低俗な筆にかかるとあの音楽家も一介のオルガン弾きに変えられてしまうが、それはともかく、以下の話は当時の新聞をもとに書き直したものである)と知り合ったのは恋人たちの公園で、そのときは音楽家のほうから声をかけてきて、生活費を出すから自分の家(つまり部屋のことだが)に来ないか、なんなら小遣いを上げてもいいんだよと誘ったらしい (カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳) 二〇一八年六月十九日 「断章」 男にもし膣と乳房があれば、世の中の男はひとり残らずホモになっているだろう、とシルビア・リゴールは口癖のように言っていた。 (カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳) 二〇一八年六月二十日 「断章」 ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。 (E・T・ベル『数学をつくった人びと Ⅱ』21、田中 勇・銀林 浩訳) 二〇一八年六月二十一日 「断章」 みるものが変われば心も変わる。 (シェイクスピア『トライラスとクレシダ』Ⅴ・ⅱ、玉泉八州男訳) 二〇一八年六月二十二日 「ヴァン・ヴォクト」 ジャック・ヴァンスの『冒険の惑星』シリーズを読み終わった。きょうから、寝るまえの読書は、クリフォード・D・シマックの『都市』に。むかし、『中継ステーション』というタイトルの作品を読んで感銘を受けた記憶がある。表紙もよかったので、本棚に残してある。いつの日にか、読み直そうかと思う。 いや、寝るまえの読書は、シマックの『都市』のまえに、ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を読もう。むかし、ジュブナイルの大型本で読んだ記憶がある。だれかに譲ったみたいで、いま部屋の本棚にはない。シマックのものもそうだが、ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』もSFの古典だ。 二〇一八年六月二十三日 「ヴァン・ヴォクト」 ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を読み終わった。ぜんぜん古くない。SFの古典なのに、ぜんぜん古びていないのだ。作者の力量だな。 二〇一八年六月二十四日 「断章」 誰にも永遠を手にする権利はない。だが、ぼくたちの行為の一つ一つが永遠を求める (フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳) というのは、瞬間というものしか存在してはいないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ (ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳) きみが生きている限り、きみはまさに瞬間だ、 (H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳) 一切は過ぎ去る。 (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳) 愛はたった一度しか訪れない、 (フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳) 二〇一八年六月二十五日 「断章」 心のなかに起っているものをめったに知ることはできないものではあるが、 (ノーマン・メーラー『鹿の園』第三部・10、山西英一訳) 隠れているもので、知られてこないものはない。 (『マタイによる福音書』一〇・二六) 二〇一八年六月二十六日 「断章」 そのような実在は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない (プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラⅠ、井上究一郎訳) 二〇一八年六月二十七日 「あさ、目が覚めたら、」 あさ、目が覚めたら、左手の甲の真ん中に、顔みたいなものができてて、じっと見てたら、そいつが目を開けて突然しゃべりだしたので、びっくりした。どうして、ぼくの手に現れたのって訊いたら、あんたがひととしゃべらないからだよって言った。いつまでいるのって訊いたら、ずっとだって言うから、それは困るよって返事すると、ふだんは目をつむって口も閉じておいてやるからって言った。きみともあんまりしゃべることないよと言うと、気にしない気にしないって言うから、ふうん、そうなんだって思った。でも、なんだか迷惑だなとも思った。 二〇一八年六月二十八日 「あさ、目が覚めたら、」 あさ、目が覚めたら、左手の甲の真ん中に、白い毛が一本生えてて、定規で計ったら3センチくらいあって、手をゆらゆら揺らしたら、毛もゆらゆら揺れたので、これはおもしろいと思って、剃らないことにした。 二〇一八年六月二十九日 「20世紀SF」 シマックの『都市』を読み終わって、河出文庫の『20世紀SF』のシリーズを読み直してるのだけれど、逆年代順に読むことにした。で、第6巻の1990年代。このシリーズは、どれもよかった記憶がある。とくに、第1から3巻のあたりがよかったと記憶している。逆年代順に読むのは、はじめて。三回目の再読。 二〇一八年六月三十日 「断章」 一体どのようにして、だれがわたしたちを目覚ますことができるというのか。 (ノサック『滅亡』神品芳夫訳) だれがぼくらを目覚ませたのか、 (ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳) ことば、ことば、ことば。 (シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳) 言葉と精神とのあいだの内奥の合一の感をわれわれに与えるのが、詩人の仕事なのであり (ヴァレリー『詩と抽象的思考』佐藤正彰訳) これらはことばである (オクタビオ・パス『白』鼓 直訳) 実際に見たものよりも、欺瞞、神秘、死に彩られた物語に書かれた月のほうが印象に残っているのはどういうわけだろう。 (カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳) 家造りらの捨てた石は 隅のかしら石となった。 (『詩篇』一一八・二二─二三) 「比喩」metaphora は、ギリシア語の「別の所に移す」を意味する動詞metaphereinに由来する。そこから、或る語をその本来の意味から移して、それと何らかの類似性を有する別の意味を表すように用いられた語をメタフォラという。 (トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第Ⅰ問・第九項・訳註、山田 晶訳) 新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。 (エマソン『詩人』酒本雅之訳) 二〇一八年六月三十一日 「断章」 きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだ (フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳) 言葉はもはや彼をつなぎとめてはいないのだ。 (ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第三部、小川 隆訳) 言葉はそれが表示している対象物以上に現実的な存在なのだ。 (フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳) 何もかもがとてもなじみ深く見えながら、しかもとても見慣れないものに思えるのだ。 (キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第三部・11、大西 憲訳) すべてのものを新たにする。 (『ヨハネの黙示録』二一・五) すべてが新しくなったのである。 (『コリント人への第二の手紙』五・一七)



詩の日めくり 二〇一八年六月一日─三十一日 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 2
P V 数 : 632.2
お気に入り数: 0
投票数   : 1
ポイント数 : 0

作成日時 2022-07-04
コメント日時 2022-07-06
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性00
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叙情性00
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閲覧指数:632.2
2024/03/29 15時48分00秒現在
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    作品に書かれた推薦文

詩の日めくり 二〇一八年六月一日─三十一日 コメントセクション

コメント数(2)
自由美学
自由美学
作品へ
(2022-07-06)

なるほど面白い。どのように作品をデザインしていくのか、その制作工程に興味が湧きました。採用フレーズの抽出方法が気になりました

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2022-07-06)

自由美学さんへ お読みくださり、ありがとうございました。

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投稿作品数: 2