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アンシェー マタヤー サイ
県立病院前バス停で見知らぬ女性に声をかけられて よくよく 顔をよくよく見てみれば あの色黒で歯のやけに白かった娘じゃないか こんなに色白でスマートになるならば あの日の体育館の裏で うん と頷いていたらよかったか なんて アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ サーターテンプラー屋ぬお嬢さん アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ 帰る場所は もう ここじゃないんだろう コザのそば屋で偶然会った 小学校からの友達も たまの休みで帰ってきてたさ と言う もうすっかりナイチャーになったねえ と言うと お前は 顔をまっ赤にして 島酒 あおった アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ ナイチャーって言ったのは 悪かったさ アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ またくぬ店で くぬ酒ぬ続きを この齢にもなればしかたもないが 元気だった友の一人が急におじいに呼ばれ ニライ・カナイに行ってしまった 馬鹿がつくほど優しくいつも笑っていた 残されたふたりの天使も父親に似るのだろう 笑顔の似合う娘に育つだろう アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ 清明ねえ巡いやびら アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ 七月ねえ降ってぃ来うよお 我侭言って大分休みをもらったけど 明後日からは仕事に戻るさ お父 明日の朝の飛行機に乗るさ お母 昔の詩人のように風を待つこともなく いつもの生活に戻れるのだけど 僕の帰るべき場所はどこなんだろう さあ アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ 我 生したる 父母 アンシェー アンシェー マタヤー サイ アンシェー アンシェー マタヤー サイ 我 生したる 縁ぬ島 アンシェー マタヤー サイ (読み方と個人的な解釈) ************************************ アンシェー マタヤー サイ=それじゃあ また です サーターテンプラー=サーターアンダギー ナイチャー=内地の人 ニライ・カナイ=島に幸をもたらす神の住む場所、理想郷 島酒(シマザキ)=泡盛 清明(シーミー)=旧暦三月の吉日、墓前に供物をし、 その後、共食する(中国の風習) 巡(ミグ)いやびら=巡りましょう 七月(シチグァツ)=旧盆(旧暦七月) 降(ウ)ってぃ来(ク)うよお 我(ワン)生(ナ)したる
作成日時 2020-12-05
コメント日時 2020-12-13
アンシェー マタヤー サイ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 775.0
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 4
項目 | 全期間(2021/02/28現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ウチナーグチが優しい、どこか悲しくて、でも温かいものも感じました。個人的に沖縄が大好きで、離島まで何度も行きました。これからもウチナーグチの作品、楽しみにしています。
1はいさい あー、いいなあと。帰ることについての詩で、それが複数の登場人物がいることによって複層的になっていて。最初のなんて事のない思い出は「もしも」の世界への空想であって、そうした思い出もまた、「かつての私」に帰る行為であって、でも、「帰る場所は もう ここじゃないんだろう」という感慨は、無情/無常であって。あくまでもそれは「もしも」の話だから、本当の意味で「元の通りのまま」帰ることは出来ないんだってわかっているんでしょね。 「もうすっかりナイチャーになったねえ」という一声にも、沖縄の歴史性があって、その言葉によって「島酒 あおった」という目の前の出来事を引き起こしてしまうのも、従順/反抗という矛盾した想いの表れなんだと。沖縄の人が稼ぎにヤマトーに出てしまうということは、絶対的ではないながらも、生きることの一つの手段であって、でも、ウチナーでもあるという自負もあり、どうしようもできない・やるせない矛盾をありのままにあらわしているのだと感じました。 >元気だった友の一人が急におじいに呼ばれ >ニライ・カナイに行ってしまった という死生観は、普段僕が考えもしないものであって、大変学びになりました。沖縄の墓って、表が海に向かって建てられているものが多いのをよく見てきました。海の向こうは、現代社会の技術によって、その姿をこちら側へと届けてくれるようになってきましたが、やはり、手ぶらで海に行けば、目の前に広がるのは海と島だけであって、海の向こう側は現実のものとしてやはりわからないものなのだと改めて考えました。盆は、迎えるものであって、時には向こう側へと連れていかれるのかもしれないのですが、それが暗いものとしてとらえられていないことが僕にはよいと思いました。 そして、最後には語り手自身がおそらくナイチャーへと向かっていくシーンであって。でも、もしかしたら、何かしらのことが起きれば、ナイチャーではなくて、ニライ・カナイへと行ってしまうのかもしれなくて。 >僕の帰るべき場所はどこなんだろう 僕は生まれてから一度も引っ越したことがない埼玉っ子なのですが、僕なりに見聞きし、体験した沖縄を通してでも、この一行に込められた想いの濃度というのが伝わってきました。 かつての友らとの出会いや回想、父・母との会話を通して、「帰る」ということを考えさせられた結果として、語り手が至った/帰った結論というのが >我 生したる 父母 >我 生したる 縁ぬ島 という二行であるのでしょう。どこに行ったとしても、たとえ帰るべき場所を失ったとしても、自分が生きているのは、父母がおり、その父母が住んでいるこの島があるからだ、という想いは、やはりどんなことがあったとしても覆せないものなんだと感じました。 タイトルには「それじゃあ また」という訳をあてているのですが、この「また」というのは、再会の意が込められているのでしょう。その場所は、ウチナーかヤマトーか、はたまたニライ・カナイでなのか、それを問わずとも、「また」会えるということの挨拶。 こっからは全く関係ない話ですが、今年も沖縄に行こうと思った矢先、このような情勢で行けなくなってしまい、悶々とした日々を過ごしています。ABさんが今はどこに住んでいらっしゃるのか、それはわかりませんが、僕はABさんに会って、話を聞いてみたいなと思わされました。それがたとえ、ニライ・カナイであったとしてもです。 にふぇーでーびる あんしぇー またやー さい
1宵月さん 先日宮古に行って来ました。こんな状況なのでおとなしくしてましたけど、まぁナークグチはまた全然違います。それはそれとして、全国どこの方言も魅力的でちょいちょいその言葉で詩を書いてます。たまにうまくいくことがありますけど、むずかしいところもあります。 コメントありがとうございます。
0なかたつ さん コメントいただけるとうれしくてニヤニヤしsてしまいます。 >にふぇーでーびる(ありがとう ございます) >あんしえー まや やーさい 完ぺきな引用例(笑) 帰る場所はどこだろう ってのはずっとあまっちょろい自分が出てしまってるのかな、と感じています。 でも、たぶん、それこそ彼方が帰る場所になる瞬間までもわかってないのだろう、なんて思えてきます。
0北海道民ですが、沖縄方言はいいですね。 >いつもの生活に戻れるのだけど >僕の帰るべき場所はどこなんだろう 誰にとってもわからないものかもしれませんね。
1羽田さん そうですねえ。 帰りたい家(場所)が帰るべき場所であるといいですね、なんて思えてきました。 コメントありがとうございます。
0タイトルと同じ言葉のリフレインがよく効いていると思います。語られている個々の事柄が、最後の一語でひとつにまとまって遠くへ放たれているような感覚をおぼえました。あるいは最後の一語に溶けていくような解放感があります。 戻るところ(元の生活)と帰るべき場所は同じではないのですね。考えてみると、生まれた場所、自分を育んでくれた土地を出て、異なる場所でのふるまいや生活に慣れるというのは「帰るべき場所」をなくした漂流者のようでもあるかもしれません。この時、父母は両親であり、育ててくれた島であり、島で過ごした仲間たちといった、我が身を支えてくれる「故郷」として呼ばれるのかもしれない。 《僕の帰るべき場所はどこなんだろう》という問いかけが、不思議と重苦しく響いてこないのはそのためかもしれません。
1藤さん 各場面〆のつもりのところ感じていただいたようでありがたいです。 流されるような生活ですけど、深く考えると、昔から言われてる「我々は、どこからやってきてどこへゆくのだろう」(でしたっけ)になりそうです。 コメントありがとうございます。
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