(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

伝記びりびり

言語と身体のきしみ

緘黙のぼくは、祖父母の目の前で、伝記を破り捨てることにした。

r

震え 揺れ 回る

一気に詩情が注ぎ込まれていく。 それが 震え 揺れ 回る。 詩を詠み終えても、止まらない。

羽田恭

生きるためにパイを焼く

どうしようもなく生きていくということ

ただパイを焼く。それだけなのだけれど、衒いも奇抜さもなく心にぶつかってきて揺さぶられる。

帆場 蔵人@⚰

別れ

靴の哀しみ

歩くための存在でありながら、誰かが履いてくれないと歩き出せない存在が、絶望して待機してる

蛾兆ボルカ

パパの日曜日

しがない日常に飽きてしまったすべての人へ

ごく平凡な日曜日のパパが、壮大で絢爛豪華な世界へ旅立つ——

沙一

「中央公園より」

わかりあえなくたっていい

人種、国籍、性別、年齢、人間同士のわかりあえないディスタンス、そんなことよりも、おたがいに笑っていよう、ここはみんなの公園だから——

沙一

わたしの髪は生きているのか……

心を亡くしてしまいそうなときに

ささやかなお洒落をたのしむ、それは自分が自分であることをわすれないために、ひつようだったのかもしれない——

沙一

angel coffee?……

一瞬と、永遠

幸せなコーヒーと、降りやまない雨、好きな人といるとき、あなたならどちらを選びたいですか?

沙一

食べ物と死ぬ人

目が付いているうちに読みたまえ諸君

傑作。 目が付いているうちに読みたまえ、諸君。他に言うべきことはない。

石村利勝

別れ

余りにも挑戦的、だがそれがいい

数ある一行詩の中でも、想像力/表現力がとても高い作品。最初は(え、これだけ?)と感じることだろう。しかし、これだけ?からの作中世界の広がり方は、これだけ?発言が恥ずかしくなるほど広すぎるのだ。

ふじりゅう

ママンへ

散り際にも見えるママンの後ろ姿

無駄なくそつなく、それでいて大胆にママンに語りかける。「ママンへ」あなたはこの書き出しで何を思い、連ねますか?

stereotype2085

名残の雪

美しいと思える作品だった

美しい空間を、踏む。踏むことで、汚す。踏むことで汚す、明示のされない寂しさ。本作にとって、雪を踏む行為、それだけが個の存在の証明なのだ。

ふじりゅう

例えば鳥の教え

色が付いたばかりの映画のように

情景の転調あるいは繋がりが「色彩」を基調にして、境界をあいまいにしながら広がる。

鈴木歯車

おかあさん

史上最強のタイトル回収

本文たったの6行、造作もなく読み切れ、詩人よ。 そして再度タイトルを見返し驚愕せよ、詩人よ。

name

空なんか見てんじゃないよ

淘汰

この詩はあるタイプの詩と詩人を淘汰するべく書かれている と言えば言い過ぎか。 要注目。

stereotype2085

はずしわすれた風鈴が鳴る

やさしくせつない短歌集

かたづけられない想い出、それでもめぐりくる季節——

沙一

春風に吹かれてる

だいじょうぶだあ

《なんてこたあ ないんだよ》 天国から呼びかける声が、聴こえる。

stereotype2085

永遠の反射

名作?それともただの習作?

ただの習作なのかもしれない。が、ここには作者当人も気付いていないかもしれない、天才がいる。俺の直観は当たるんだよ。人生で二回くらいは。

石村利勝

こんにちは まっさらな世界

「まっさら」の優れた表現

あなたの世界も「まっさら」ではないかな? 「まっさら」なのに、書けますか?

yasu.na

imagine

パンチング。

今からリーディング界隈を、ノックアウト。

stereotype2085

はっかといちご

詩における視覚要素の決定版

いわゆる視覚詩的なものは作ろうとするとパッと見の奇抜さで満足してしまい、それを行った理由に乏しくなってしまうことが往々にある。しかし「はっかといちご」はその域を超え、結晶の造形だからそこの効果を成せている。

渡辺八畳

独言少女

いつも終電に間に合う人生生きてますか

少女の独言は胸に刺さる。というか萌える。条件があって、少女は本当に少女でなくてはならず独言は本当に独言でなくてはならない。なのでこの詩は刺さるし萌える。

石村利勝

MY 9090 OF NO……

最先端ノスタルジア

なつかしみが 超えてゆく 未来という名のノスタルジイ 

真清水るる

骸骨スフィア

プラトニックな求愛の舞踏

ほろびたゆえに、もうほろびることのない、永遠の愛。それは、幸せか、囚われか——

沙一

人魚性

海、たましいの故郷

素直さゆえに、なじめない人間のせかいにたいする、異邦のかんかく——

沙一

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(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1    

こんにちわ。平素よりお世話になっております。 突然ですが、貴サイトではトップページに於いて「なぜビーレビは変化を止めないのか。それは偏に詩がもっと読まれるものになってほしいという思いを運営者参加者共に持ち続けているからです」と高らかに宣言されておられます。トップページに掲示される以上、貴サイトの根幹的理念としてお書きになっていることなのでしょうけれど、僭越ながら申し上げますが、運営諸氏並びに利用者各位の皆々様は、本気で、心の底から、百パーセントの純度でもって「詩がもっと読まれるものになってほしい」などと真にお考えなのでしょうか。 何を隠そう小職は理念やコンセプトを馬鹿正直に完遂せんとするが為、時としてモラハラ野郎と後ろ指を差されるが程に融通の効かない精神の持ち主です。ですから運営諸氏が喧伝された「詩がもっと読まれるものになってほしい」なる文言をあろうことか、本気で、心の底から、百パーセントの純度でもって、字義通りのものとして受け止めてしまいました。 詩がもっと読まれるために一書き手として何が出来得るか。小職は具体性を伴わない思弁的思考に止まることを是としない類の人間です。本気で、心の底から、百パーセントの純度でもって「詩がもっと読まれるものになってほしい」と希求する程の人物ならば、四の五の言わず、今まさしく眼前に居る人物に対して詩を読ませてみるに違いないと考えました。 小職は意見交換会(すんません合コンですわ)で知り合った女性に自作の詩を読んで貰いました。その帰結が下記の動画であり、小職は最早立ち直れない程の衝撃の只中にあります。未だ嘗て無い耐え難き汚辱の中で、この段になって初めて、皆々様が「もっと沢山の人に読んで欲しいんだけどねえ」などと嘯きながら、何故に知人や友人や家族には決して自作の詩をお見せにならないのか、その理由が漸く分かった気持ちになりました。 然し、だからこそ小職は皆様に問いかけたい。皆々様は電子上で集う同好の士以外には自作の詩をひた隠しにされるのに、知人や友人や家族には絶対に自作の詩をお見せにならないのに、「詩がもっと読まれるものになってほしい」などと腑抜けた願望を垂れ流すのはお辞めになっては如何か。 貴方がたのポエムが真に読まれたら如何なる惨状を呈するか、きちんとイマジンできてますか? 読ませる気なんてさらさらないくせに読まれたいだなんて表現者として感性が死んでいる。 参考文献 https://www.breview.org/keijiban/?id=1333


作成日時 2020-06-08
コメント日時 2020-07-03

(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 70
P V 数 : 4899.8
お気に入り数: 2
投票数   : 0
ポイント数 : 101105
#動画
項目全期間(2020/10/27現在)投稿後10日間
叙情性1919
前衛性10201011
可読性1919
エンタメ1000132013
技巧1212
音韻99
構成1313
総合ポイント1011053096
 平均値  中央値 
叙情性3.80
前衛性2045
可読性3.80
 エンタメ20002.65
技巧2.40
音韻1.80
構成2.60
総合2022110
閲覧指数:4899.8
2020/10/27 23時42分08秒現在
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    作品に書かれた推薦文

(動画投稿)Maximum_Fucking_Poets #1 コメントセクション

コメント数(70)
なかたつ
作品へ
(2020-06-08)

>然し、だからこそ小職は皆様に問いかけたい。皆々様は電子上で集う同好の士以外には自作の詩をひた隠しにされるのに、知人や友人や家族には絶対に自作の詩をお見せにならないのに、「詩がもっと読まれるものになってほしい」などと腑抜けた願望を垂れ流すのはお辞めになっては如何か。 という点については、全くもって同意なんですよね。忘れ去られているとは思うのですが、何かのツイキャスや昔の選評を書いていた時、似たような警鐘を僕も鳴らしてはいて。というのも、詩が必要だ、詩が好きだという人でも、詩を読んだり、詩のためにお金使っているのかなあ、と大体眉唾ものだったので。というのも、例えば、「もてた~い」という言説というのは、「(〇〇にor〇〇のような人に)もてた~い」という語り手の想定している条件というのが大抵は隠れているわけで、それが真に誰でもいいのか、というとそうではないのかな、と。つまり、「詩が必要」だったり、「詩が好き」という言説は、語り手の「(〇〇の)詩が」とか「(〇〇のような)詩が」という条件が隠れているのであり、その条件を語らずして、詩の具体を語れるのかと。 関係ない話かもしれませんが、僕は職場の人に、完全にポエムの人だと思われています。というのも、詩を読んでもらうことがあったりなんなりして、積極的に発信しているからです。それで、周りの人が僕を見て、少しでも「詩」ということを何らかの形で何でも想ってくれたらいいなと。無論、家族も読んでいます。むしろ、家族に読ませたい詩もあり、その感想をもらうこともあります。 こうすると、花緒さんに媚を売っているような感じがあるので、動画の感想も述べます。 「ポエムが送られたんですよ~」という、敢えてわかりやすいディスりキャラクターを背負った役者が、あくまでも役者であって、真にそう想っているわけではないと思わされました。というのも、僕は、詩を呼吸や息と同じようなものだと思っていて、まさに朗読する場面がありますが、あの朗読の仕方が完全にディスった読み方ではなくて、役者の読み方なんですよね。 そのことによって、役者は役を演じているということを背景から前景に押し出してしまっていて、あの呼吸、間の取り方があの動画にちぐはぐ感を与えていると思いました。ただ、あの方は、役者ではありますが、配信者という役を担っているのであって、配信者としての朗読の仕方、というふうに言えばそれらしくなるのかもしれません。 それでも、ポエムを送られたことをネタにする配信者、として、あの朗読の仕方、というのは、配信者という役を超えて、あの方がまとう役者という背景が主役になってしまっている、というのが僕の見方です。

3
ふじりゅう
作品へ
(2020-06-09)

GROUP A ○I don't fucking well care! 駄作です。これ以上言うことはないかと思います。 以上で終わらせたい作品ですが、敢えて補足します。私は、本作からは、花緒さんの姿が見えませんでした。花緒さんは、言うまでもなくB-REVIEWの功労者です。それを、わざと最後に付記致します。ご不快に思われたなら、謝ります。ごめんなさい。 GROUP B 大変面白く拝読しました。 とはいえ、賞賛を与える類の作品とは思いませんので、徹底的に酷評をしたいと存じます。 まず、本作が卓越に言える批判点としては「逆手に取っている事が明示的すぎる」事だと思料します。筆者が以前「内省に開かれていない」なるコメントを私になさっていたことを覚えています。B-REVIEWの運営をやられていた筆者が「詩をもっと広めたい」目的を掲げていたかは不明ですが、「チャかシズム」への掲載やIN言語等のイベントを考察するに、少なくともB-REVIEWのネームバリューを広めたい意識に賛同的であったと見えます。本文や動画からは、(敢えて同分野と纏める事を許容願えますなら)そのような行為に対する自己批評性が見えますが、タイトルにもある通り「作品自体こそが批判の対象である」事が余りに容易に解釈出来てしまうため、批判をする事や批評をすることそのものが筆者の思惑であるのだ、という事が分かりきってしまう。よって、良くも悪くも、本作は批評をする類の作品ではないのだと、敢えて批評を致します。 私の書いたコメントは、酷評の側面があると思います。、だが、酷評以外有り得るのだろうか。 GROUP C 私は、動画自体に特段嫌な気持ちはしませんでしたが、本文はとても不愉快な感情が沸き起こってきます。 そもそも、B-REVIEWに対して批判を言うのであれば、フォーラムで書いたり運営に直接書けばいいでしょうが。何故作品という形で、B-REVIEWに批判をするのかよくわかりません。 一般ユーザーが本作を見たら、一体どんな気持ちになるのでしょうね。B-REVIEWって、怖いところなんだ。または、詩を書くのってやっぱ痛いことなんだ……最早近寄らない方がいいんだ。こんな気持ちが湧いてきても、おかしくないと思いますよ? 何がしたいのか、よくわからない。B-REVIEWを良くしたいのか、怖いと思わせたいのか、運営にやめて欲しいのか。 もっとも、今の運営がいいと言ってる訳ではありませんし、「詩をもっと多くの人に読まれるようになってほしい」とかいう謳い文句は、正直よくわかりません。 これについては、もっと全員のユーザーが考えてほしい。そんなふうに思います。 もっとも、フォーラムで書いて欲しいってのが本音ですがね。 GROUP D さすが、花緒さんの作品は凄いっすねぇ〜。私では敵いませんわ。 いや、マジ完璧。言うことないっす。流石っすねぇ〜! 藤井 楽しく拝読しました。 様々な立場からの見解が有り得るように思いますが、まずはオンラインライターズクラブの首尾が上乗と拝見して、陰ながら嬉しく思っております。 さて、本作の面白い点としては、本文が動画へ軽やかに誘導されていて、動画をついつい見たくなってしまうという構成になっている点です。 動画をポンと出すのではなく、敢えて本文によってストーリー性を持たせる点について、意外とこれまでには無かった手法であり、かつ、割と凝った仕様になっているような気がします。 動画も拝見しました。「近づきたいのに近づけない!3密を避けたドラマはどこまで可能?」はショートコントに近いノリで話が展開されていましたが、本作は(本作全般は)、自虐ネタの要素が多分に含まれていて、ある意味(これまでの)花緒さんらしすぎる作品と思料します。 動画は、あえてニコニコ動画の手法が取り入れられています。そういえばB-REVIEWでも、ニコニコ動画の様なノリでレスが展開される、その様な風潮を求める動きがあったことを思い出します。 ニコニコ動画は多少グダグダの展開であっても、グダグダな部分すらもネタにして楽しむぜ!的な風潮があるように思います。つまり、どうしようもなく完成度の低い作品でも、コメントが流れることで、視聴者は秀逸なコメントに対してクスッと笑えたりして、動画単体の評価から逸脱したニーズを与えていたように思います。 他方で、ニコニコの悪しき伝統として「ネットのおもちゃ」と呼称される、過剰なまでの個人攻撃があったと思います。これは誹謗中傷だの批判酷評罵倒だのという次元の話ではなく、「コイツはクズなのだから、大いにネタにしていいよね!」的なるノリで、個人の失敗が延々ネタとして弄られ続けるという風潮がありました。 私は別に、ノーマライゼーションを主張しているわけではございませんし、平等社会がいいよね!的な福祉学の話を展開するつもりは毛頭なく、B-REVIEWは結局のところ、一定のレベルを維持した批評コメントを交わす場所なのだ、的なるものを、動画から再認識させられた、と感じます。 私としては、動画内で筆者と思われる罵倒コメントが流れてきて「え?誰これ?キモー!!!」みたいな展開が起こればオモロイななどと感じました。

1
沙一
作品へ
(2020-06-09)

この動画が詩界隈への挑発にもかかわらず、個人的にはまったく嫌味に感じませんでした。女優さんの朗読されている詩は、なにをかくそう、花緒さん作の『うしのはんすうし』ではありませんか。花緒さん自ら身を削ってこの動画作品を創った、それは詩への愛以外のなにものでもないでしょう。また、花緒さんの詩だということを知らずとも、この女優さんの誠実な演技には見とれてしまいますね。なかたつさんも指摘されておられますが、この動画の嘲笑は演技であり、それはスマホ片手に真剣に詩を朗読する姿からも感じられます。ほんとうに詩を侮辱したいなら、こんなにまじめに朗読なんてしないはずですから。そして本文の最後、みうらさんの『imagine』へのオマージュは決定的でした。私は本作を、みうらさんのとき同様に反語として受け取ります。詩人よ、詩に興味ない人の心を動かすほど優れた詩を書いてみせろよ、と。

2
白目巳之三郎
作品へ
(2020-06-09)

面白かったです。同時に難しい問題だと思いました。書いている詩がよいか悪いかはなかなかに決めにくい。作者が生きている間に認められないこともあれば、生きている内から大絶賛を受ける場合もある、、家族や親しい友人に生きている間否定されながらも素晴らしい詩を書くこともある。もちろん、親しい人や家族に詩を見せられなくて何が詩人だ、という問いかけは示唆に富んだものでした。全くその通りだと思います。ただ、その問いは、究極まで行くと、詩のために死ぬか、それとも家族友人のために死ぬか、と言う引き裂かれるような問いになりかねません。この問いを詩を志す者は背負うべきだと思いますが、そうではない人までが背負うべき問いかどうかと言われると、いささか疑問が残ります。難しい問題ですが、私は前者の詩のために死ぬを選ぶべきだという問いかけ自体は非常に肯定します。一つあるとすれば、この問いは自ら背負うべき問題であり、他者においかぶせるべきかどうかは疑念が残りました。興味深い投稿、ありがとうございました。

1
夢うつつ
作品へ
(2020-06-09)

女優さんの演技が上手でびっくりしたんですけど、動画作成技術はもうちょっとどうにかならなかったんですかね。こういう一発芸はそういった細かいクオリティを上げていかないと意味がないと思います。というか、どこかのキャス主でもなんでも雇ってこういうパフォーマンスをさせた方がずっと面白かったと思います。こういう作風の物がいろいろ微妙なクオリティだと、「うわぁ」としか思えない。

0
花緒
なかたつさんへ
(2020-06-09)

お久しぶりです。お元気ですか? 最早たまにしかコメントしない貴兄からいの一番にコメント頂戴した時点で、私としてはしてやったりです。 ご視聴ありがとう。 本作におけるリアリティのレベルについては色々悩むところがあり、現代詩以外の界隈でどのようなレスポンスが返ってくるか、現代詩界隈でどうであるか、の両者をみながら勉強していきたいと思っているところです。

1
花緒
ふじりゅうさんへ
(2020-06-09)

こんにちわ。せっかく5パターンのコメントを頂戴しているので、それぞれ検討していきましょう。 >GROUP A 快不快の原理でしかモノを話せないグループなので一方通行にしかなり得ず、原則として通交する意義がないと考えました。 >GROUP B 批評として書かれるであろうことの多くを包摂しうるかのように書かれた批評的作品であるならば、作品の文脈のなかで批評しても批評としての機能を果たすことはなく、従って、明後日の方向から暴力批評を投げつける以外に方法はないとするスタンスは大変理解できるところです。しかし、斯様なスタンスが何故に本作に適用されうるのかについて明示されない以上、暴力批評としてさえ機能しているか疑わしいものです。 >GROUP C このグループも個人的な快不快の原則でしか語る能はないので、単なる一感想の域を超えるものではないと考えました。運営批判の性格があるからといって「フォーラムでやれ」などとしつこく誘導し、指示に沿わなければ、「まだそのいきに達していない」などと荒らし扱いで作品を削除するような運営者の下では、斯様なコメントも一定の公共性が宿るものとして抗弁しなければならなくなるのですが、貴サイトではその心配はないものと思料しています。 >GROUP D 他のグループと比べてコメントのクオリティが極度に低いことが気にかかります。私の前作に対する貴兄の抵抗感が透けて見えるかのようです。 >藤井様 温かいコメント有り難うございます。私の中ではクリエイティブライティングを書こうとしたことや現代詩への興味関心とシナリオへの関心はつながっているのですが、どのように繋がっているのか整理してプレゼンすることができてはいません。当面シナリオを中心に活動していくつもりなのですが、たまにはシナリオと現代詩の間隙と戯れたいと考えているところです。

2
花緒
沙一さんへ
(2020-06-09)

ご視聴有り難うございます。温かいコメント感謝致します。 本作は私なりの現代詩あるいは自作の紹介動画であり、ポエトリーリーディング動画です。表面上は攻撃的に見えるかもしれませんが、誰かを攻撃する趣旨のものでないことを了解頂いたようで嬉しく思いました。

1
花緒
白目巳之三郎さんへ
(2020-06-09)

ご視聴有り難うございます。面白いとおっしゃって頂けて嬉しく思いました。 現在、ツイッター上で、運営諸氏達が、私は自作の詩を兄に見せたことがある、姉に見せたことがある、友人に見せたことがある、といった発言をしてくれています。本作を字義通りに捉えた彼らの生真面目さを私は嬉しく思うと同時に、家族や友人に自作の詩を読ませているか否か、みたいな話は本作が提示している問いかけと殆ど無関係であることを考えます。貴兄が射程の長い/深いものとして本作を捉えようとしてくださっているようで、そのことを嬉しく思いました。

2
花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-09)

ご視聴有り難うございます。率直な意見も有り難うございます。 貴兄は私がネタとしてサンプリングした三浦氏の作品をやたらにベタ褒めしていらっしゃったやに記憶しています。とすると、フェアに本作を観賞したことがわかる程度の文章で酷評を書いていただかないと、こちらとしても正しく、うわあ。としか思えないのではないでしょうか。 一方で女優の演技をお褒めくださり、他方で、どこかのキャス主でも使えと書いていらっしゃるなど、何故そのような帰結に到るのか私にはさっぱり分からず、又、聞けばまともな回答が返ってくるであろう雰囲気も文章から漂っていないのです。 辛辣なご意見で全く構いませんから、もう少しきちんと文を綴っては頂けないものでしょうか?

2
武田地球
作品へ
(2020-06-09)

現代詩界隈の課題をわかりやすく作品にできていて、詩人も詩人以外も興味を持ってみることができ、そして受け取り方が全く違うのがおもしろく、大変丁寧なつくりの作品だと思います。 その上でわたしは女子詩人の立場からいわせていただきますと、わたしがウシくんのあの詩を頂戴したとしたらですよ、わたしは一生ぜったいに忘れないです。 ただ一つだけネタにマジレス的な難をいえば、いきなりウシくんの詩は、ちょっともっとも不得手だとおもいます。なのでこの場合、自我丸出しで空気がよめないから受けないのであって、詩人であるからとは少し考えにくいです。構成上、そこだけは引っかかりました。 詩人と言うのは誰かにつよいインパクトを与えることばを持っていると思います。 詩に対する感性、機微を捉える力、ことばに対する執着は、幸福を呼ぶことができる魔法の力であると、わたしは信じて疑いません。 人生の色々な場所で、魂をゆすられるようなことばに遭遇しました。 そのことばによって生かされていることもあります。 詩人はことばで誰かをあるいは世界を変えることができるのに、反面なぜここまで社会に浸透しないのか。 もしもですが、詩がいま以上に社会的な発展をしたいのならば、そのために今必要な事は、技術や芸の向上のみにあらず外向きのベクトルの力だとおもうのです。 この作品をみて、ビーレビューがどのような思想の下に運営をされていたのかを思い出しました。 その点で憎たらしいほど、愛がある作品だと思いました。 他の方のコメントもとても楽しく読みました。

1
こうだたけみ
作品へ
(2020-06-09)

花緒さんへ ご無沙汰しています。 私事で恐縮ですが、6月の選考委員を引き受けました。どうせなら一般的な詩の概念からはみ出たものをたくさん読みたい。そう思ったので、いろんなタイプの投稿作の呼び水になればいいなと突貫でアニメーションを作っていたら、先に花緒さんの動画が投稿されて「お!」ってなりました。これは幸先がいい。 ただ残念ながら、私は本作をおもしろいとは思えませんでした。私の好きな「うしのはんすうし」がディスり対象だからかなあ。かなしい。女優さんは演技上手ですね。なぜか詩の朗読の仕方には違和感があったのだけど、なかたつさんのコメントを見て納得しました。たしかに、ディスってる人の読み方じゃない! コメントがたくさんつくと、一人で読んで(見て)いると気づかないことがわかってとてもいいですね。私はそういう場を作るのが苦手なので、流石は花緒さんだなあと思いました。

2
夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

だから、わたしは映像作品としてこれを見たし、その時に質が悪いと思ったわけで、申し訳ないけどその背後にある思想には何も触れてないんですね。だらだら思想を垂れ流しただけの文に対してコメントをしている訳じゃないんですよ。 悪いんですが、私はこの拙い映像から作者の言いたいことを汲み取ってあげられるほど優しくないです。そんで、「動画投稿」とわざわざ書いておきながら面白味のない長文を添付する姿勢もダサいと思っています。 ここまでコンセプトを露骨にして作品を作るなら、映像単体でちゃんと仕上げて出せばいいとは思わなかったのでしょうか? 疑問です。 みうらさんのimagineについてですが、みうらさんの音楽は音楽として最低限以上の聴いていられるラインは超えていましたし、「ステイトメント=動画内容」になっていないところが良かった。それに対してこの作品は映像としてのそのラインを下回っていて、また映像で言うべきことを全部本文の方で言ってしまったなと私は思いました。だからこういうことを言ってるし、至ってフェアな批評だと考えています。とはいえ、"全ての作品にフェアな批評をしなければ批評として意味が薄い"というような考え方には賛同しかねますが。

0
沙一
作品へ
(2020-06-10)

夢うつつさんに加勢するようですけど、画面上に流れてくるコメントが映像を低俗にしてしまっていて、それは意図的な演出だとわかるのですが、やはり女優さんの真摯な演技のみで映像作品としたほうが潔かったのではないかと思います。 夢うつつさんの意を汲むと、女優さんの演技に感心したからこそ、その他の演出が粗雑で余計なものに感じられてしまって、もったいない! ということではないでしょうか。

0
帆場 蔵人@⚰
作品へ
(2020-06-10)

感性が死んでいる、には苦笑いしてしまった。理解された上でされているのでしょうが若干、食傷気味な内輪ネタが多分に含まれたテキストは必要だったのか?という疑問を何度か拝見し感じました。詩やポエムというものを取り巻く現状、またビーレビが掲げてるものに真剣に向き合えているのか、狭い界隈でだらだらやってんじゃね?というのは頭から離れない問題です。とはいえ、内輪ネタを挟まずに動画のみでもそれは示せた気がします。 と、これだけではなんなので動画等を含めた感想。動画ではすでにコメントで指摘されていますが女性の詩の読み方に嘲りがない、演じる人が出てきているためにそこだけ衝撃が柔らいでしまいました。因みに僕は仕事でピンポイントで使える時は詩を利用(そう利用と言われても仕方が無い、上手く感動させて、共感を得て彼らの学びを深めようとしている)してしまっており、ちょいと耳が痛かったりもします。 そしてこれはみうら氏のimagineの頃から頭の片隅にあったのですが、(花緒さんも言われていた、記憶違いか)内輪ネタはなくならないものですがそれが耳目を集め過ぎる状況が良くない。まぁ、それを含めての投稿であろうと察しながらもこういう投稿を霞ませる事の出来ない我々運営は反省した方がいい。

0
花緒
武田地球さんへ
(2020-06-10)

温かいコメントを頂戴いたしました。有り難うございます。 外向きのベクトルについて言及して下さったこと、感謝申し上げます。 おそらくですが、このスペースは劇団関係者を中心に元来、現代詩やネット詩には全く縁がなかった方々も見にこられることと思います。 詩人らしい綴りでコメントを寄せて下さったことに深謝しています。

1
花緒
こうだたけみさんへ
(2020-06-10)

お久しぶりです。お元気ですか。 ご視聴くださり有り難うございます。現在、私はオンライン・ライターズ・クラブなるズーム演劇シナリオを作成するグループを主宰しているのですが、本脚本に対してはグループメンバーからも評価が二分する状況にありました。正しく、こうだたけみさんのおっしゃって下さったような意見も事前に頂戴していたところでして、私としてはそれはそれで健全な感受性のような気がしているところです。

1
花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

再度のコメント有り難うございます。拝読させて頂きました。 罵倒に近いような酷評を仕掛けておられるのは貴兄の方なのですから、私の言葉の足りない点については、ぜひ冷静に対処頂きたく思うのですが、「全ての作品にフェアな批評をしなければ批評として意味が薄い」などということを私はどこにも書いてはおりません。 批評にかこつけた口撃や感情の投げつけはこの場では厳に忌むべきこととされているはずです。であれば、酷評を書く際は、単なる口撃や感情の投げつけであるかのような印象を与えないように、(作者から質問があればまともな回答が期待できうる程度の雰囲気を纏わせて)評を書いて頂けないものかと作者としてお願いをしたに過ぎません。 当初コメントから受けた印象の通り、小職としては、やはりまともな回答は頂戴できなかったと考えています。 女優の演技の巧さに驚いたと一方でおっしゃりながら、他方で当該女優ではなくどこぞの配信者を起用した方が良いとおっしゃっていることは、矛盾しているように感じられ、私には意味が分からないことを先に書いているにも関わらず、本件についての解説がどこにも書かれていないのです。まずこれについては解説頂けないものなのでしょうか。 又、動画の質が低いことを再三おっしゃっておられますが、何を指してそうおっしゃっているのか書いていただかないと、詩に対して「詩の質が低い」と言っているだけであるのと同種の一言罵倒になってしまいませんか? 動画の質が低い、文章に面白味がない、と一言罵倒を繋げるような物言いが目立ちます。この程度のことを指摘されるまで理解されない貴兄ではないでしょう。では、貴兄の感情を焚きつけたのは何なのか、まさしく私はそのポイントをお伺いしたくなるのですが、その理由は「動画の質が低い」ことや「文章に面白味がない」ことなどに終始するのでしょうか。 貴兄のお書きになっている文章は単なる感情の吐き出しに過ぎず、感情を吐き出したくなった主因のところをきちんと表現されていないような印象を受けます。乱暴に酷評を書く人の気持ちを分かってあげようとすることは一般に容易ではありませんから、言いたいことを適切に表現する責は酷評する側にあるかと存じます。 続けるのであれば、荒れないように配慮しつつ、実のある話が交わせると良いですね。

1
花緒
沙一さんへ
(2020-06-10)

再度のコメント拝読させて頂きました。 乱暴な酷評/罵倒の付け方をする方に「加勢する」と明示されたコメントに対して、お相手して差し上げることが適切とは思われませんので、応対はいたしません。ご理解くださいませ。

1
花緒
帆場 蔵人@⚰さんへ
(2020-06-10)

コメント頂戴いたしまして有り難うございます。 ご指摘頂きました通り、本作においては、内輪ネタ的な要素もフックとして確信犯的に使わせて頂きました。何故斯様な品の無いスパイスを用いたかというと、酷評や批判的コメントも含めて、コメ欄を盛り上げたいと思ったからに他ならず、又、コメ欄を盛り上げたいと思ったのは、外部のギャラリーが発生するであろうことを予期していたからでもあります。 容易に想像いただけることかと存じますが、本スペースは俳優や劇団関係者、シナリオライターも含め、従前、現代詩に全く縁がなかった方々の目に触れる投稿になっております。 「詩がもっと読まれるものになってほしいという思い」を真に持ち続けている有志が集う場であるならば、外部の人から見ても観賞に耐えるコメントの応酬が自然と現出するのものでは無いだろうか。 私たちは外部を想像しながら作品を投稿しコメントを交わしあえているのか疑問に思っています。

2
夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

どうやら私の言葉にいくつか言葉足らずな部分や、誤解の余地があったようなので返答します。 ①「全ての作品にフェアな批評をしなければ批評として意味が薄い」というのは、 >貴兄は私がネタとしてサンプリングした三浦氏の作品をやたらにベタ褒めしていらっしゃったやに記憶しています。とすると、フェアに本作を観賞したことがわかる程度の文章で酷評を書いていただかないと、こちらとしても正しく、うわあ。としか思えないのではないでしょうか。 というあなたのコメントをわかりやすく要約した物です。「他の作品とフェアな批評をしてくれないと『うわぁ』としか思えない(まともに読めない)」と読みましたが、違いましたでしょうか? ②「演技のうまさに驚いた」というのは単純な感想であり、言葉の通りです。誤解されているようですが、その後の「キャス主でも雇って…」というのは、「というか」とも前置きしているように、他に一つの可能性として付け加えただけに過ぎませんので ③動画の質が悪い、というのは、確かに「誰でもわかることだろう」と勝手に思い込み、具体的な理由を申しておりませんでした。申し訳ありません。 私がなぜそう感じたのかと言いますと、おそらくこの動画の様子から察するに「ニコニコ生放送」のような物をイメージされて作ったのかと思われますが、 ・コメントの履歴など、配信サイトとしての形態がない ・文字のフォント、大きさ、縁がおかしい ・コメントの内容が現実的でない というような点です。これがどうして良くないのかというと、まあ普通に考えればわかってくれるとは思うのですが、例えば映画などで、背景のセットが異様にチャチで、役者の演技力が皆無であれば、どれだけ台本が良くとも集中できないでしょう。「動画の質が低い」というのは、そういうつもりで言っておりました。 また、ここからは私の個人的な思想を大きく含みますが、この動画作品は「配信で自分の詩を馬鹿にされる」というところに核があるわけで、要はその核がちゃんとできてないんだから、作品として見れるレベルに達していない。ただのご意見でしかない。という風に感じたわけです。言葉足らずで申し訳ありませんでした。 ④「文章に面白味がない」というのは、そのままの意味なのですが、具体的に言いますと、全てがただの説明である点、4行で済むような説明を何段落にも分けて話している点、「小職」「百パーセントの純度」「未だ嘗て無い耐え難き汚辱」などに見られる過剰な演技感、「感性が死んでいる」に無理やり合わせに行こうとして不自然になっている点、また何より動画を見れば分かることを口で全部説明してしまった点など、上げるとキリがないのですが、そういったところから総合的に「面白味がない、つまらない」と評しました。 以上となります。こちらとしても、まともな議論を望んでいます。罵倒がどうとかいう揚げ足取りのような話でなく、先程のコメントでの私の質問にもしっかりとした返答をよろしくお願いします。

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沙一
花緒さんへ
(2020-06-10)

「加勢する」という言葉は不適切だったと反省しています。申し訳ありません。 たしかに夢うつつさんの語調は些か粗暴ですが、私はけっしてその態度について味方したわけではなく、発言の要旨である映像に関する意見には共感するところがあり、しかし言動の粗暴さによって意見がうまく伝わらないことが惜しく、夢うつつさんの意を汲んであげたいと思ったからでした。 軽率かつ言葉足らずであったことをお詫びします。失礼致しました。

0
花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

再度のコメント、拝読致しました。4つのパートに分けて書いておられるので、それに合わせて返答します。 ① 実のところ、小職の返レスの企図については説明済みであるはずなのですが、もう少し言葉を尽くすことと致しましょう。 貴兄においては、私が酷評した三浦氏の動画投稿(音楽投稿?)を称賛しておられました。又、氏の作品への批判に対しても、ネガティブな反応を示しておられたような印象があります。 そうした背景を鑑みれば、貴兄が論拠を明示しない酷評を拙作につけた場合、批評にかこつけて攻撃しているだけに見られかねないわけです。そうした誤解を避けるためには、きちんと理由を書きながら言を綴る必要があるところ、そうした配慮をまるでしていらっしゃらなかったように思えたので、苦言を呈した次第です。 要は、酷評してやるぞ!と強いバイアスを持って作品観賞し攻撃しているわけでないことを分かるようにコメントを書いた方がこの場に相応しいであろうことを指摘したに過ぎません。完全にフェアな批評でなければ可笑しいと言っているわけではないのです。あまりにアンフェアでないことを疎明すべきことを書いたまでです。 ② キャス主を雇えば何が期待できるのか、一切の説明がないので、私には真によく分かりません。 推測するに、キャス主を雇って、真に配信してそれを録画すれば、もっとリアルに見えるとおっしゃっているのでしょうかね? ③ ご説明有り難うございます。ニコ動的に流れるコメントのリアリティを指して、動画の質とおっしゃっておられたとは思いもよりませんでした。役者の演技はお褒めになっていた貴兄ですから、もっぱら画質とか、アングルとかの話なのかなと思っていたところでした。 ④ ご説明有り難うございます。面白い、面白くないは詰まるところ一個人の感想に尽きてしまうところ、これに関しては、抗弁する気は一切ありません。貴兄には通じなかったことを学ばせて頂きました。

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花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

その上で、「まともな議論」を希望していらっしゃる貴兄ですから、上の4つのポイントについてのレスに加えて、もう少し骨太な方向に向かって議論が開かれるように問題提起しておきます。 貴兄の批判的コメントというのは、ご自身でお認めになっておられる通り、もっぱら技術的問題に集中しています。すなわち、技術的瑕疵が多すぎるものに対して、内容を読み取りにいくほど私は優しくありませんよ、というわけです。 しかし、実のところ、映像に関する技術的アドバイスが欲しいなら、私は映画監督や脚本家の知人に作品を見せます。又、一般視聴者の感想が欲しいなら、違う方法を取ります。 映像や演技の専門家集団でもなければ、一般視聴者の集まりでもないこの場に作品を投じているということは、作者は「詩を書くもの」からのコメントを求めているのですし、さらに言えば、批評プラットフォームとしての批評を求めているわけです。ですので、貴兄が「技術的瑕疵が気になり過ぎて、内容に立ち入る気になれませんでした」とのスタンスをとった段階で、貴兄の言は、私からみて、或いは、演劇や映像関係の外部のものからみても、一般視聴者とは言えないサンプルの中で聞かれた一感想に堕してしまい、批評としての価値はほぼなくなります。 ー ちなみに、小生はかつてクラブdjをしていた時期がありますので、クラブ音楽には煩いたちでして、三浦氏の音楽については、瑕疵があり過ぎて聞く気になれなかったわけですが、音楽面の問題は指摘したもののの、流石に音楽の瑕疵をあげつらって本論には入れないなどというスタンスは取りませんでした。そんなことをしたところで、この場の存在意義に反する無益なマウント行為にしかならないのではないでしょうか。彼がそのパフォーマンスを通じてやろうとしていることそのものを語らずに、私たちに何が語れるというのでしょう。 というわけで、貴兄が「技術的瑕疵が気になりすぎるがために、本論には入られず技術的瑕疵を並べ立てることしかできません」というスタンスを堅持しておられる以上、貴兄との「まともな議論」は難しいように思います。貴兄の言はあくまで個人的感想の一つとして受け止めさせて頂きます。

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花緒
沙一さんへ
(2020-06-10)

いえいえ、お気になさらず。正直に申し上げると、本作に関してはどんなコメントも有り難いのです。先の発言の趣旨をご説明頂き、感謝申し上げます。

1
帆場 蔵人@⚰
花緒さんへ
(2020-06-10)

追加コメントをしますが、もう散々書かれているのであるが内輪ネタや画像の出来などという作品自体よりも今作がこのような形で投稿されたこと自体を遡上に挙げて読み手に投げかけた事をコメント欄で多いに語って欲しいという作品のコンセプト、そしてそれが外部の普段縁のない人々からからみても鑑賞に堪えうるものかという花緒さんの問いかけは最もでしょう。それは花緒さん自身へも向けられているのしょうし。 しかし、だからと言ってこの作品の文章が言いたいことを迂遠にくどくどくしく書いている事を文章と評価しない理由になるのだろうかという疑問は去りません。耳目を集めるという事であるならばテキスト自体からフックだという内輪ネタを取っ払って詩文として檄を飛ばしたら良かったのではないだろうか。フックという意味であるなら花緒さんの名前だけでこのサイトなら読まれるだろうし自然とコメントもつき、耳目を集めていたと思います。そう考えるとやはりこの描き方をされた意味は弱いと感じます。まぁ、こうしてたくさんの書き込みがなされている時点で成功とも言えるのでしょうけれど。 >私たちは外部を想像しながら作品を投稿しコメントを交わしあえているのか疑問に思っています。 僕はコメントする上でそれぞれの作品がこういった事を表現したいのであろうという意図を考えながら自分ならどう表現するだろうか?という書き手としての視点でコメントをするように最近は特に心がけています。それは野球選手が他の選手のスイングを評して俺ならこうスイングする、映画を観た俳優が私ならここはこう演じるのだというようなもので、それが外を想像したコメントのやり取りかはわかりません。そういった合評の場であるだけではいけないのでしょう。そこら辺を歩いている人に面白いと思わせるような物を書くという最近の密かな目標はもしかすると私なりの外向きなベクトルなのかもしれません。

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夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

①について、理解しました。私は別に作者によってバイアスがかかるということはないし、そもそも花緒さんとちゃんと話し合うのは初かと思いますし、そもそもまともに読んだのも初めてなので、安心してほしいです。これに至ってはあなたの被害妄想のようにも思いますが、本題ではないので置いておきます。決してあなたを傷つけたい、とにかく酷評をしたいというような意図でコメントを書いているわけではないことを明記しておきます。誤解させたようなら申し訳ありませんでした。 ②③について、「配信主を雇ってパフォーマンスをさせる」というのは、もちろん言われてますようにリアルに見える、ということもありますが、脚本立てられた「演劇」としてでなく、「パフォーマンス」として行うことはそれだけで視聴者にインパクトを与える要因となると思います。また、先ほど言いました映像の質(最初は「映像編集技術」とちゃんとわかりやすく言ったつもりでしたが、後のこの言い方は確かに誤解を与えますね……)についての問題の解消にもなります。こういった「相手にいろいろ考えさせたい!」というような作品であれば、初見でのインパクトの強さはかなり重要なように思います。 そして、④と追記について、恐らくあなたと私では「議論」というものの対象がすれ違っているように思います。私の言う議論は、「どのようにしたら伝えたいことを伝えられるのか」というHowの部分についてです。ですので、技術的瑕疵(この言い方は良くありませんが)について大きく触れています。 そして疑問なのですが、詩や芸術においてあなたの考える「本論・内容」とは一体何なのでしょうか? あなたのコメントから察するに、詩や芸術が表現したがっている”思想”のことなのでしょうか? であれば、あなたはどうやらその思想について主に議論したいらしいのに、なぜその思想を単体で投稿せず、映像作品といった形で投稿するのでしょうか。そのままTwitterやもしくはそれ専用のサイト(もちろん、詩論としてならBreviewでも良いでしょう)で、明らかに「思想」として発表するべきでは? もちろん、ある芸術作品においてその思想について議論しあうというのも全く問題ないとは思いますし、「詩人に読んでほしいのでここに投稿した」というのも理解できます。しかし、あくまで”映像作品として”投稿されてる時点で、その映像の出来についてコメントが来るというのは至って自然な物であり、それを「まともな議論ではない」と蹴るのは筋が通ってないのではないでしょうか? 私の考えをもう少し丁寧に説明させてもらおうと思います。例えば、ここにある詩文があるとして、私たちは同時にそれと同じ意味、思想を持つ説明的な文章の存在を考えることができます。しかし、そういった場合において私たち詩人が価値を見出すのは普通「詩文」の方です。それはつまり、その意味思想が「詩」であることそのものに価値があるわけで、その価値は元の意味思想のそれを上回る、ということです。 >彼がそのパフォーマンスを通じてやろうとしていることそのものを語らずに、私たちに何が語れるというのでしょう。 というのも理解はできますが、芸術を単なる思想を伝えるための道具として認識されている方に、芸術の何が語れるというのでしょう。 例え芸術がそういった物であろうとも、ここはその「”伝える”という方法(芸術)についてお互いに発表・評価し合い、向上させていこう」という場ではなかったのでしょうか。それとも、「ある思想に対して議論をし優劣を付けていこう」というような恐ろしいサイトだったのでしょうか。

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花緒
帆場 蔵人@⚰さんへ
(2020-06-10)

追加コメント、有り難うございます。 拙作の文章や映像、或いはその全体、又は内輪を刺激した部分、各々に対しては、賛否両論あって当然と捉えています。評価しない方がいらっしゃってもなんら不思議ではありませんし、逐次、抗弁する気はありません。 そもそも詩文でもなければ、クリエイティブ・ライティングと言い得えるかも微妙なものを投げ、本サイトをめぐる実情に一石を投じている時点で、運営者たる貴兄が不快感を催されるのも当然に理解できるところです。失礼をお許し下さいませ。

1
夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

あと、「面白い、面白くないは一個人の感想に尽きる」って、それを言ってしまったらどんな詩も合評の意味がなくなってしまうでしょう。どゆことですか?

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花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

再度のコメント有り難うございます。 私の書いたものを確り読んでいただきたいのですけれど、技術的な面でのコメントをすべきでないなどという訳のわからない極端な話を申し上げているわけでは毛頭ありません。作品というのは技術面と内容面が分かち難く絡み合って出来ているものではありませんか。であれば、両者共に議論の対象となって良いところ、「技術的に瑕疵があるため、内容には立ち入らない」として、技術的瑕疵ばかりを荒っぽい言い回しで羅列していく貴兄のやり方がとてもアンフェアで攻撃を主目的にしたものに感じられたことを申し上げています。 HOWの話と言われても、本作はいわゆる詩文学ではないので、例えば、流れるコメントの色をどうしたらよかったか〜、とか、他の配信者を雇った方が〜をみたいな技術論だけにフォーカスを当てて貴兄と話すことがまともな議論とは思われないのです。そのことを、イコール思想的部分しか語るな、と曲解するのは辞めて頂きたいように思います。

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花緒
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

荒れないように配慮してやりましょう。言いたいことは纏めて書いて頂きたいです。 私が申し上げているのは、面白かった、面白くなかった、というような感想に対して、いや本当は面白いはずだ!!というような議論をすることはせず、批評的言説に対してのみ議論する方針であるということを述べています。

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帆場 蔵人@⚰
夢うつつさんへ
(2020-06-10)

>「面白い、面白くないは一個人の感想>に尽きる」って、それを言ってしまっ>たらどんな詩も合評の意味がなくなっ>てしまうでしょう。 批評は単なるコメント、感想ではないし、おかしなとこの指摘でもないでしょう。例え作品が不出来で面白くもないものでも、読者の感じるその作品の再普遍化だから、作品は駄目でもそれについての批評が名作ということは起きうるでしょう。故に上記のあなたの合評会にならない、というのはあたらないと思いますよ。

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帆場 蔵人@⚰
花緒さんへ
(2020-06-10)

花緒さん、僕も単純に不快感でコメントをしたわけではありません。このようにビーレビの事を気にかけた作品を投稿してくださる点については、ありがたく思っています。

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夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

二つ目のコメントに対しては、詩をお互いに向上させる場として、面白かった、面白くなかった、に対して、ならどうやったら面白くなるか、ということについて議論するべきでは? と言いたかった訳です。脱線しました 詩の技術的面と思想的面が混ざり合っているのは全くその通りです。そして私も、内容の面まで踏み込んで議論をしています。かなり大きい誤解をされているようなので言いますが、私は「コメントはこの色が、この大きさが、このフォントがいい!」とか、重箱の隅をつつくようなことをしたいわけでなく、最初の方のコメントでも申しましたが、『「配信で自分の作品を馬鹿にされる」という様子を動画にし、ここに発表することに意味がある』(それにより詩人とそうでない方のギャップを視覚させ、「詩を広げるにはどうすればいいか」を大きく問題提起しようとしている)というこの作品において、「配信で自分の作品を馬鹿にされる」という様子をきちんと映像化できていないのであれば、それに伴う問題提起も効果が薄くなるだろう、と言いたいわけです。だからこそ、動画の編集にもっと凝りを入れなければならない。という話をしているんです。これは全く技術と内容の絡み合った批評であると私は思いますが、それをあなたに「技術瑕疵が気になりすぎて、内容に入れない」と曲解されたため、ぶっちゃけると、私の考えを「技術的のみで内容を話さない」とするならば、あなたの考えは「内容のみで技術話さない」ということなんですか? と皮肉したつもりなのですが、伝わっていなかったようです。コメントをしっかりと読んでいただけると嬉しいです。

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夢うつつ
帆場 蔵人@⚰さんへ
(2020-06-10)

”合評の意味がなくなる”というのは、「詩の技術をお互いに向上させていこう」という点で意味がなくなる、ということでした。多少感情が入り、誇張した表現になったことは謝罪します。すみませんでした。

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夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-10)

また誤解をされると困るので言いますが、私の言う「内容」「詩の本論」と、あなたの言うそれについての認識の違いについては、前のコメントで説明していますので、読んでいただけると幸いです

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花緒
作品へ
(2020-06-11)

私としては賛否両論が巻き起こるであろうことが当然に予見される、又荒れやすいであろうことが想定される作品を投稿している自覚がありますから、突っかかってきた方に関しては、罵倒気味であろうが、論拠を示さない言を垂れ流しておられようが、基本的に確り対応したいと思っています。又、おこがましいのかもしれませんが、この場での議論がよりレベルの高い方向に、有意義な方向に向かって開かれていくことを望んでいます。 議論の勝ち負けというような話ではなく、批評としての水準が高まる方向に向かっていけばと考えていました。 しかしながら、現実には貴兄とのやりとりは決して、有意義な議論にはなっていないように感じるところです。 おそらくは運営諸氏もこの場において何かがうまくいっていないことを痛感されたのでしょう。 ただいま、フォーラムで批評について議論を整理しようという動きを進めることにされた模様です。 正直に且つあけすけに申しますが、最低限の誠意を持って語っておられるのか大変、疑問です。 貴兄は下記のように書いており、技術的な拙さを主因に、内容面には踏み込まないとするスタンスを堅持していらっしゃたと思います。 そのように解釈することは果たして「曲解」なのでしょうか? >わたしは映像作品としてこれを見たし、その時に質が悪いと思ったわけで、申し訳ないけどその背後にある思想には何も触れてないんですね。 >私はこの拙い映像から作者の言いたいことを汲み取ってあげられるほど優しくないです。 現段階に置いても、貴兄は技術面の話ばかりに拘泥しておられます。 映像が拙ければ、本作において言いたいことも伝わりにくくなる ↓ であれば、映像の拙さを指摘することは、内容と技術の両方に絡み合った批評である。 などと真にお考えなのでしょうか。真にそのように強弁されるつもりならお引き取り願いたいと考えました。 当たり前のことですが、あらゆる技術が、多かれ少なかれ内容をよく見せるためという色彩を持っている訳です。 又、先にも述べたとおり、技術と内容は分かち難いものでもあります。 内容をよくするために技術の話をしよう!こういうふうに技術について語ることは内容と技術の両面にかかわる批評だよね!ということなら、 あらゆる技術的議論が、内容と技術の両面に跨がる批評ということになります。 映像が拙い、文章が面白く無いの一本槍で本作を攻め立てることが、果たして批評プラットフォームとして外部にも誇れる批評なのか。 貴兄が映像も文章も拙いものだとお考えであること、その理由も含めて概ね理解いたしました。 これを指摘すること以外に語る言葉をお持ちで無いなら、これにてお仕舞いにさせて頂きたく存じます。

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夢うつつ
花緒さんへ
(2020-06-11)

だから、私はあくまでこの作品の思想の面に踏み込まない、というスタンスであり、内容には踏み込んでいる、と言っています。技術的な面に拘る、というのは、その技術の変化がそのまま内容の厚みに関わることであり、前からそう説明しております。また、私がなぜ思想の面に触れないのかも、前のコメントで説明していますし、あなたはそれを読んでいただいた上で「曲解」したのかと思いましたが、どうやら読んですらくれなかったようで少しばかり寂しいです。 >映像が拙い、文章が面白く無いの一本槍で本作を攻め立てることが、果たして批評プラットフォームとして外部にも誇れる批評なのか。 前から申しておりますが、映像と文で構成された作品に対し、映像と文について批評するというのは、外部に誇れるかはともかく真っ当な批評では? 私は全く「映像が拙い」「文章が面白くない」の一本槍で攻めているわけでなく、「映像が拙いので改良しリアリティを加えたほうが力が増す」「文章が面白くなく、また動画で言うべきことを言ってしまっているため、消す、あるいは短縮した方が良い作品になる」とちゃんと述べており、責め立てるのみという意図は全くありません。「これでお仕舞いにさせて頂きたく存じます」とそんな風に言われましても、私としてはあなたの誤解を正すために何度も追記・補足説明をさせていただいているだけです。 余程自分の思想に自信があるのか何なのか、もしくは思想さえあれば作品の出来はさほど重要でないと考えていらっしゃるのか結局分かりませんでしたが、「技術的面のみでの批評」にはまともな議論の余地がない。という考え方、また詩の「本論」に対する認識などと、私の考え方は根本から食い違っていたようです。ですので、ここからさらにレスを続けてもお互いに不快になるか、また話の方向も脱線していくように思いましたので、私としてもレスを終わらせて頂きます。これ以上何か言いたいことがありましたら、まずは私のコメントを読んでみてもらえますと嬉しいです。 おやすみなさい。大分あなた様を不快にさせてしまったようですので、謝罪として猫の絵文字で失礼いたします。 ฅ^ ̳• ·̫ • ̳^ฅ

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afterglow
夢うつつさんへ
(2020-06-11)

運営のafterglowです。 夢うつつ氏の今作に寄せられたコメントについてイエローカードを発出致します。ビーレビでは根拠のない一言酷評を禁じております。(マナーガイドラインを参照)またそれについて作者から説明を求められると、「揚げ足をとらないで欲しい」などの諸々の言動は、筆者に最低限の敬意を思わせるものとは考えられません。およそB-REVIEWが目指す高いレベルでの言論空間における、場に資する建設的な発言とは認められないものです。再度、ガイドラインを読み直して作品に向き合うことをお願い致します。

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こうだたけみ
花緒さんへ
(2020-06-11)

花緒さんへ 私は元気です。順調に治療を続けています。今のところ再発などはなさそうです。ん? 詳しく話していたかどうか忘れてしまったけれども。 花緒さんはお元気ですか。 リモート演劇については少しばかり興味があるのですが、最初の頃に話題になったノーミーツがピンと来なくてその後は見ていません。そうそう、ジョビジョバのジョビチューブのzoom会議の回はめちゃめちゃおもしろかった。 なんだかたのしそうなことをされているのですね。私もかんばろーっと。東京パーラー同人で劇団作る話実現しないかな(たぶんしないけど)。

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藤 一紀
作品へ
(2020-06-12)

こんにちは。先に内容を整理するために話者の語りを時系列的に並べかえたことをお断りしておきます。 (0)話者は詩投稿サイトに参加している者である。(サイトにはマニフェストが謳われており、したがって参加者はそれに同意を示すものであることが、話者によって前提にされている) (1)話者は自分が書いた詩を合コンで知り合った女性に読んでもらう。散々な結果になり、立ち直れないほどの衝撃と汚辱を味わう。 (2)しかし、その中で、なぜネット掲示板サイトの皆が、「読まれたい」と公言する一方で、「実際には読ませない」理由を明確に知る。 (3)それは話者が、すでに薄々感じとり疑いつつあったことだったが、体験することによって改めて確認したことでもあった。 (4)その体験の上に立って、話者は批判的に語る。すなわち《①サイトのトップページ(顔)で語られている文言が、体裁のよいお題目または見せかけのポーズであり》、《②運営を含む参加者は現実的な想像力を働かせることから目を背け、都合の良い空想で読まれたがっている》と。 (5)だが同時に話者は「表現者たらんとする者のあるべき姿」を訴えかけ、また一同を鞭撻しようとする。 以上のように読みました。しかし、それだけでしょうか。 というのは《理念やコンセプトを馬鹿正直に完遂せんとするが為、時としてモラハラ野郎と後ろ指を差されるが程に融通の効かない精神の持ち主》、《具体性を伴わない思弁的思考に止まることを是としない類の人間》という断りを見る時、もし、自分の詩が相手に好意的に受け入れられていたならば、ここまで自分について語る必要はないように思われるからです。そこで次のような疑問が湧いてきます。話者には、詩を読ませるにあたって、「もしかしたら好意的に受け入れられるかもしれない」という多少の期待があったのではないか。 であるならば、現実的な想像力を働かせることなく、都合の良い空想と期待をもっていたのは他でもない話者自身であります。そして結果として完膚なきまでに潰されるという一つの現実を学んだのです。 好意的に受け入れられることを期待した結果真逆だった、などとは言いたくない。しかし、ズタボロにされた(なった)ことを黙って収めることもできない。だからこそ、自分を《理念やコンセプトを馬鹿正直に完遂せんとするが為、時としてモラハラ野郎と後ろ指を差されるが程に融通の効かない精神の持ち主》、《具体性を伴わない思弁的思考に止まることを是としない類の人間》と断りを置くことで、サイトのトップページに謳われている文言を、《本気で、心の底から、百パーセントの純度でもって》受け止め、「詩がもっと読まれるものになってほしい」と願う者として相応しい行動をとった結果なのだ、と自己弁護をしているようにも読めます。つまりは自分はサイトの参加者として取るべき相応しい行動をしただけであって、間違ってなどいない、ともすれば、サイトに参加さえしていなければ周囲に自分の詩を読ませるなどしなかったという、多少であれ抱いた都合の良い期待などなかったかのように、あるいはサイトのせいにしているともとられかねない口ぶりとして読めるということです。そもそも《本気で、心の底から、百パーセントの純度でもって「詩がもっと読まれるものになってほしい」などと真にお考えなのでしょうか。》などというのが客観的には確かめようのないことであり、誘導的且つ反語的です。 それでいて次には、自分は見せかけだけのポーズではなく、実際に行動を起こした側であるから、批判される立場にないという別のポーズを取り、サイトやサイト参加者を批判する「格好」で間自らの体裁を整えて終わっています。 つまり一見、サイトのトップページに掲げられた文言に対して「看板に偽りあり」と申し立て、参加者の表現者としての感性が死んでいると批判且つ鞭撻を加えているようでありながら、自ら味わった悲惨をサイトの問題にすり替えて語っているようにも読めるのです。 動画によく表れているように、詩作品の言葉と日常生活における言葉の隔たりは、詩を読み、また詩のサイトに参加している者であればわかりきっている話(のはず)です。日常において詩作品と関わりのない生活をしている者にとって、詩作品の言葉は〈さっぱりわけのわからないもの〉であっても何ら不思議はない。さらに詩作品などになんの関心も抱かない生活をしている人々にとってみれば、詩など奇特な世界と言っても過言ではありません。そのような見方さえあれば、そろそろ婚活をと考えて、エリートがくるかもと期待を寄せて合コンに現れる、ごく普通の生活をしている女子に詩を送りつけるなど考えられようもない。向こうに言われたから送ったのだというのは、社交辞令を解さない野暮であり、かわいいといえばかわいいが社会性については鈍いように思います。そして、作者は予め、話者にそのような設定を与えて、〈勘違い詩人〉を演じさせているようにも思われるのです。

2
藤 一紀
作品へ
(2020-06-12)

(続き) ところで、この作品には大まかに三つの語りがあります。 (1)話者による語り (2)〈動画〉における女性による語り (3)〈動画〉内で語られる詩作品 (1)話者による語り 作者によって設定を与えられた上で、サイトの運営はじめ参加者に向かって、散文体で語られている。 (2)〈動画〉における女性による語り 動画という映像によって表されているので、彼女の〈話している内容〉のみを「語り」とするのではない。そこに表れる表情、うごき、話し方全てを〈映像の言葉〉(映像という語り)として捉えることができる。  この動画は脚本にもとづいて「演じ」られている。したがって、彼女は設定された役を演じる演じ手であって、あたかもありがちな一人の女性の普段の様子であるかのように「振る舞われる」フィクションである。  それはフィクションでありながら、演じ手によっていかにも一人の女性の普段の姿であるかのように演じられているため、観る側は、「テキストの語り」と相俟って、話者の受けたショックを擬似的に体験することができる。  それにしても演技とはいえ、表情といい、動きや言葉づかいといい、話者によるテキストの語りと比べていかに直接性をもって伝わってくることか。この部分を言葉で叙述したとしても、この直接性を体現することは難しい。 (3)〈動画〉のなかで演じ手によって語られる詩作品の言葉と、演じられている登場人物の日常の乖離が明確に表れている。 以上を総合的に見て、テキストの語りを映像の語りは補強しています。話者の味わった「立ち直れないほどの衝撃と汚辱」を可視化し、作品の読み手が擬似的に体験できるようになっているので、テキストの語りにリアリティを与えており、さらにテキストの語り=叙述の言葉と(表情やうごきを含む)映像の言葉と、かけ離れた「詩作品の言葉」が露わになった結果、話者の語りにリアリティを付け加えています。詩に無関心な人々の生活の日常に詩作品の言葉が置かれた時、いかに詩作品の言葉が現実から浮遊しているか、この作品によって否が応でも目の当たりにするでしょう。  しかし、それを浮き彫りにするのも、叙述の言葉、映像の言葉、詩作品の言葉という言葉によって語られ構成された「作品」であることは明記しておきたく思います。  また、散文的日常からかけ離れ、逸脱ともいえる詩作品の言葉も、ひとたび日常的現実に裂け目を見出してしまった時、すなわち日常にひそむ非日常に迷いこんだ時、すぐ近くにあるものとして接点をもちうるものであることを私は想像します。配信を終えたあと、誰にも見えないところで「あの牛さん、この牛さん……」と読んでいることもありえない話ではないのです。 実際サイトや参加者たちが「詩がもっと読まれるものになってほしい」と思いながらも周囲に読ませることをしない、見せかけ的な存在として語られるのと同じように、「ポエムなんて送りつけられても、どうリアクションとっていいか困る」と、不意の驚きを隠して周囲に対して見せかけ的に語ることは可能です。虚実は入れ替わるものだし、奇特といえば詩人のみならず大抵の人々がそういう部分をもっている。演者が詩を読む時の、一語一語に注意を払い、しっかり読もうとする態度は詩的ではないでしょうか。私は自らを奇特な輩の一人とすることに躊躇いはありませんが、あの一転切り替わるところに演技の良さを見、「実」を見る思いがしてなりません。それは絶望的でありながら希望でもあるように思います。

4
花緒
藤 一紀さんへ
(2020-06-12)

丁寧に評をお書き頂き有り難うございます。これほどまでに詳密な批評を頂戴いただけるとは思いませんでした。 深謝申し上げます。 現状、詩の朗読の仕方について異和を唱える声がいくつか聞かれています。 なかたつさんへの返レスにも書かせて頂いた通り、作者としても本投稿の演出すべきリアリズムのレベルについては悩むところがありました。藤さんの評を読み、私としても頭の整理が進んだように思います。 雑駁に言って、一般にドラマ作品においては3つのレベルのリアリズムがあると考えています。 ①まさしくリアルに見える必要があるとするもの 例えば、一部のドキュメンタリー作品のように、兎にも角にも本物に見えることが大切という考え方です。演出があるとか、編集をしているとか、作り物のように見えるとダメで、作り物感がゼロであることが望ましいという立場が考え得ます。要すれば、兎にも角にもリアルであることがリアリズムの真骨頂というような表現アプローチがあり得るだろうと思うのです。 ー この立場からすると、詩の読み方がリアルでないとか、ニコ動的に流れるコメントの流れ方がリアルでないと言った指摘があり得ます。 ②作り物であるという前提で現実世界との連関が求められるもの 登場人物は実際に居る人のように見えなければいけないし、演技しているかのようには見えない方が良いのだけれど、現実世界には滅多に起こらないような出来事や設定などはある程度、作り物という前提の下、許容されるという類の作品群があると思うのです。概ねほとんどのドラマ作品はこのレベルのリアリズムの下で作られています。 ③現実世界との連関は求められず、作品世界内での一貫性が求められるもの 多くのアニメ作品とか、一部の前衛的な演劇作品がこの立場だと思います。このアプローチの下では、念能力を使う人間が出てきても良いし、キメラアントが登場しても良い。ただ作品内のロジックや世界観に合わないものが登場してしまうと「リアリティ」がなくなって作品世界に入れなくなってしまうというような作品があると思っています。

2
花緒
藤 一紀さんへ
(2020-06-12)

(続き) 詳密に記載いただいた通り、本作においては、文章の方の作中話者は実のところ「痛い詩人キャラ」を演じています。要するに、私は本作を一見①のレベルのリアリズムを狙っているかのように見える②として構想いたしました。すなわち、本作は品のない煽りを交えてマジのように見せようと頑張っているネタであるわけです。作者である私は友人や知人に作品を見せるべきとも思っていませんし、身の回りの人に作品を見せないなら、ビーレビューの理念に賛同していないことになるとも思っていません。成否は観た方に委ねざるを得ませんが、一定程度、作り物である痕跡が残るように作ろうと思いました。 要するに本作はプロレス的な投稿なのだと自認しています。しかしながら、私はプロレスが好きではありません。ネット詩壇でたまに見られるような罵倒の応酬や議論の盛り上がりを指してプロレスとして楽しむべきと宣う方々がいますが、私はそういう考え方が嫌いです。プロレスには観客がいます。しかし、プロレス的なネット詩壇の議論にはピュアな観客はいません。比較的安全圏にいる論者とプロレスの渦の中にいる論者がいるだけで、言わば全員がレスラーであり、誰もがレスラーになり得る観客のいない劇場でプロレスをやっているわけです。 そういう種類のプロレスは言わば小学生が閉じられたサークルの中でいじめたりいじめられたりしているようなレベルの稚拙で不健全な気慰みに過ぎないと考えています。「プロレス」を楽しむ人たちは、実のところ、正面から議論することが出来ないだけなのだろうとも思うのです。 今回、ビーレビュー関係者以外の人間が見ていることを意識せざるを得ない劇場で、私は真にプロレスを仕掛けてみたのでした。しかしこの場にはネット詩壇の「プロレス」を楽しむような外観の人もいるだろうし、そうでない方も多いだろうけれど、実のところ、誰も真にはプロレスなんて求めていないことを思います。私自身、プロレスを楽しむタイプの人間ではありません。今回は慣れないトライアルをやってみましたが、私なりに学ぶことが多かったように思っています。 重ね重ね、丁寧な評を頂戴し嬉しく思いました。

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三文字(マグネット/なろう)
作品へ
(2020-06-12)

家族や友人に見せられないような作品でも、素晴らしければいいのでは?

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トビラ
作品へ
(2020-06-13)

この作品の動画は、出来が適度にリアリティがないからいいのかな、と思います。 というのも、この作品は現実を扱っていると、僕は思いました。 この動画作品のように、ポエム?笑、と思う人がいるのは、事実だと思うんですよ。 だから、この動画が真に迫るものだったら、全ての詩を書く人を傷つけるものになったように思います。 でも、フィクションめいて作られているから、まあ、そういう人もいるよね、と、ポエムをバカにする人がいるという事実から、心の中で距離を置ける。 僕の印象を言えば、この動画だけでも、けっこういたたまれない気持ちになってしまって。 いきなり詩を送るとかはやめておこうと思いました。 もっと詩が人に読まれるように。 この言葉の背景には、今現在の詩が読まれていない、という現実があると思います。 漫画雑誌の発行部数と詩誌の発行部数を比べても、投稿動画の再生回数とビーレビの読まれている回数を比べても、それは、事実だと思います。 そして、詩が読まれるためにはどうしたらいいか?、と考えるには、なぜ、詩が読まれないのか?と考える必要があると思います。 なぜでしょう? (この問いかけは、花緒さんだけではなく、この文章を読んでくれている全ての人に向けたものです) そもそも、読むということは、そこに時間と労力を使うことになると思います。 つまり、自分の命を使う、命を削る行為だと思います。 例えば、ある詩を読むのに、三分時間を使ったとします。 そうしたら、寿命は三分失うんですよ。 また、感性や頭を使うことにもなると思います。 その詩は、人の人生の三分という時間と感性や頭を使うことを引き換えに与えられるほどのものがあるか? 人に詩を読んでもらうということは、その人の命の時間と労力やエネルギーを詩を読むために使ってくださいと言うことだと思います。 だから、自分の詩を相手に読んでもらうということは、私のために貴方のとても大切な命の時間と貴方のエネルギーを私のために使ってくださいということだと思います。 人に読んでもらうというのは、そんなに当たり前のことじゃないと思う。 むしろ、奇跡的なことだと思います。 だから、読んでもらって当たり前、感想言ってもらって当たり前、褒め称えられて当たり前、ではないと思います。 読んでもらえただけでも、ありがとう。 そういうところから始めないとダメなんじゃないかと思ったりします。 花緒さんのこの作品は、僕にとっては、こういうことを考えるきっかけになったので、この作品を作ってくださってありがとうございます、でもあります。

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三文字(マグネット/なろう)
作品へ
(2020-06-14)

リアリティーがあって凄いとは思うのですが、逆にどこまでを作者からのメッセージとして受け止めればいいのかがよく分からず、何とコメントすればいいか考えこんでしまいます。 これだけ様々なことを作中で詰め込んでおきながら、コメント欄での説明がとどのつまり「ただの思い付きで、フィクションです」と言うのも、作者としての責任を放棄しているように感じます。本文の内容も、受ける印象は「imagine」と大差なかったです。

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三文字(マグネット/なろう)
花緒さんへ
(2020-06-14)

花緒さん 「突っかかってきた方に関しては、罵倒気味であろうが、論拠を示さない言を垂れ流しておられようが、基本的に確り対応したいと思っています」と言っているようですが、そこまで言うのであれば、私のコメントにもきちんと誠意をもって対応していただきたいです。

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三文字(マグネット/なろう)
花緒さんへ
(2020-06-14)

返信すらないなんて、みうらさんよりよっぽど質が悪いですよ。

0
花緒
三文字(マグネット/なろう)さんへ
(2020-06-14)

貴兄がコメントしたのは金曜日。本日は日曜日。この場の常識からして、コメントがあってから返信まで数日のラグが生じただけのことで、そこまで憤るのは常軌を逸しています。またツイッターでも、リプの形で3件ほど対応の遅滞について私をなじるコメントがあり、ダイレクトメッセージでも2件ほど、対応のノロさを批判するものを頂戴しました。常識外であることは言うまでもありません。 しかも、当初の一行質問は、私のこれまでのレス対応を見ていれば聞くまでもない程度の物であり、力を入れて質問したが故に、対応までに2−3日かかってイラつかざるを得ない、といった同情の余地もないように思います。 まともでない方だと感受致したしましたので、以降、貴兄との一切の通交を謝絶致します。

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花緒
トビラさんへ
(2020-06-14)

適度なリアリティ、と評して下さって嬉しく思いました。現代詩界隈ーそれ以外で、本作のリアリズムのレベルについては反応が異なっており、現代詩界隈からの方が遥かにより厳密なリアリズムを求める声が散見されているわけですが、私としては原則として本作はリアリズムを追求する必要のないものと捉えています。とはいえ、意見が割れているので、適度なリアリズムを支持して下さるお声を頂戴し嬉しく思いました。 詩の読まれなさ、については理由が沢山あると思うのですが、トビラさんの指摘は私に示唆を与えてくれるものでした。小説や映画なら観賞に数時間かかります。一遍の詩を読む時間と比べては遥かに長い時間を要するわけですが、その分、娯楽の時間に供する意味で、一定の時間を要するというメディア特性が読者/視聴者の獲得の一助になっている側面もあるのでしょう。 詩は3分で読めてしまうが故に、かえって娯楽には適していないジャンルなのかもしれません。3分であるが故に、時間のロスと捉えられる余地が生じてしまっているというか。 もちろんでは読むのに2時間かかる長編詩を書けば読まれるようになるかというと、そこまで単純な話ではないのは自明なので、時間だけの問題ではないのですが、詩の読まれなさというのは中々、根の深い話であるように思います。

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三文字(マグネット/なろう)
花緒さんへ
(2020-06-15)

ほとんどの方にはわざわざ当日中に対応していながら、特定の人に対して返信を数日放置するのは不公平です。罵倒にすら対応するといっておきながら、良い点まで挙げたうえで意見を述べても一向に返事が来ない理由もよく分かりません。

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帆場 蔵人@⚰
三文字(マグネット/なろう)さんへ
(2020-06-15)

運営の帆場です。 三文字(マグネット/なろう)氏の今作への合評姿勢についてイエローカードを発出致します。それぞれのユーザーの事情で返信が遅れる事もあるでしょう。また氏の態度がマナーガイドラインのビーレビ3箇条の一に抵触していることも明らかです。正直言いましてこれらは常識の範囲内であると考えます。(マナーガイドラインを参照)再度、ガイドラインを読み直して作品に向き合い冷静に意見されることをお願い致します。

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帆場 蔵人@⚰
三文字(マグネット/なろう)さんへ
(2020-06-15)

失礼しました。マナーガイドラインはこちらになります。 https://www.breview.org/forum_blog/guideline_and_rules

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トビラ
作品へ
(2020-06-15)

ニ時間かけて観たい映画もあれば、一分で読めても読みたいと思わない詩もあります。 それと同時に、何百時間かけて学んだ勉強より、一回しか読んでない詩が心に残るということもあると思います。 詩の読まれなさ、と考えたとき、たしかにそれは根の深い問題だと思います。 ただ、なぜ読まれないのか? それがわからないと、じゃあ、読まれるためにはどうしたらいいのか? ということにたどり着けないと思うんですよ。 僕自身の話で言えば、僕は今、本はほとんど読まないですね。 それは詩集に限らず小説とかも含めて。 また、現代、古典に限らず。 というか読めないんですよね、疲れて。 読みたいと思っても、心も体もついてこない。 僕は、生活のための仕事、生業というのをしているのですが、それを終えて帰ってくると、すごく疲れてしまって、もう何もしたくなくなるんですよね。 ああ、これは忙しいアピールとかではないですよ。 そんなに大変なことをしている訳ではないです。 それでも、家に帰ってくると、疲労感で動けなくなってしまうんですよ。 心も体も。 生活のために仕事に行って、仕事以外の時間を疲労を抜く時間に当てて、疲労が抜けないままに仕事に行って、休みの日も全て休息に当てても、休みが明けて仕事に行けば、また疲れてぐったりする。 生きるために生活のための仕事をしているのに、現実として、生活のための仕事が占める割合が多過ぎて、 なんのために生きてるんだろう? と疑問に思う。 僕も学生時代は、けっこう本を読んでいたんですよ。 でも、今は無理ですね。 疲れても、活字を読むのが苦にならない、むしろ疲れたときは活字を読みたい、という人もいると思います。 というか、今の活字業界は、そういう人たちに支えられているのかもしれませんね。 ツイッターのツイートか何かで、学生時代はけっこう本を読んだけど、社会人になってから全然読まなくなったというのを見たことがあるんですよ。 本だけじゃなくて、スポーツとかでも、学生時代はけっこうしたけど、社会人になってからはさっぱりというのは、あると思います。 (僕はこの社会はまともじゃないと思っていて、人としてまともでいられるのは、親に養ってもらってる学生時代までだと思っています。ここまで話を広げると長くなるので社会に関してはここまでにします) で、なんで、社会人になったらやめてしまうのか?、ということに疲労が関わっているように思います。 はっきり言えば、疲れてるときに、愚痴みたいな詩は読みたくないし、読んでつまらないものも読みたくないんですよね。 愚痴もつまらない現実も、日常生活で嫌というほど味わっていて、もう、そういうのはいらない。 そう思ってしまう。 例えば、真面目な救いのないものより、バカバカしくてくだらなくて、毒にも薬にもならなくても、負担にならずに少しでも楽しい気持ちになれる。 そういうのがほしくなる。 この前、『ワンダンス』という、ダンスを始める高校生の漫画を読んだんですよ。 そこにこういうセリフがありました。 『頑張って 「普通」でいるくらいなら  やりたいことやって 「変」でいいよ』 この言葉を読んで、誰になんと言われようと、僕は感動したんですよ。 心が動いた。 僕の心にすごく届いた。 僕はもともとが「変」な人間だから、社会の中では一生懸命「普通」にしないと居場所がないんですよ。 大げさな言い方になるかもしれないけど、この社会に居場所のない人間は、生きる場所がない。 つまり、死ぬしかないんですよ。 もう、肉体的に死ぬか、人として死ぬかの二択しかない。 で、まあ、後者を選んでるわけですけど。 心を生かすために肉体を殺すか、肉体を生かすために心を殺すか。 僕は、自分の心の面倒を自分で見れるので、心を殺す方を選んでいます。 自分の心は自分で蘇生できますが、肉体の方はなかなか思うようにいかないんですよ。 例えば、リストカットは、心を生かすために肉体を殺すものだと思います。 まあ、それの逆ですね。 僕は肉体さえなんとかなれば、心はある程度なんとかなる。 僕は、この社会はそんなに優しい社会じゃないと思っています。 それは、日本社会がではなく、人が作っている社会は、という意味で。 日本はまだマシな方じゃないかな。 僕は変な生き方をしたいわけではなくて、自分らしく生きたい。 でも、それは人からしたら「変」なものだし、「変」なものは排除する。 それが今、人が作っている社会だと感じます。 だから、僕には自分らしく生きる場所はない。 でも、生きていたいから、自分で自分を殺して、なるべく「普通」に社会の中で生きていく。 そんなことをしているから、家に帰ってくると、もう、ぐったり。 ここで終わるとただの愚痴なので、広げてつなげるなら、 仕事で疲れて帰ってきて、それでも読みたいと思えるものは、ほとんど無いということです。 学生時代のように、心にも体にも余裕があれば、読めるものももっとあるかもしれませんが、社会人やっててそんな余裕を持つのは、不可能だと感じます。 少なくとも、僕は。 僕は、詩の持つ力は大きいと思います。 それこそ、映画で二時間かけて表現するものを、一言や一行で表現できるものだと思います。 だからこそ、読者に対してかける負担も大きい。 読む時間は一分でも、読んだ人の心をすごく活性化することもできるし、すごく負荷をかけることもできる。 心に余裕があれば、心に負荷がかかるのも楽しいかもしれないですけど、疲れた心に負荷とかいらないんですよね。 むしろ、楽にしてほしい。 詩の読まれなさ、それに対する答えは人によって違うかもしれません。 だから、僕自身がなぜ詩を読まないか考えたとき、疲れた心で、それでも読みたいものがほとんどない、ということになるのかなと思いました。 長々と書いてしまいましたが、返事はいつでもいいです。 なんなら、なくてもけっこですよ。 これは、皮肉とかではなく。 僕自身、まだ返せていない返事もあって、まあ、生きるのはなかなか難儀なものです。

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湯煙
作品へ
(2020-06-15)

ちょっと思ったことですが。 あの牛この牛くんの音声詩に〜草ww〜…というコメントが現れてという。偶然なのか演出かはわかりませんが草ww

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こうだたけみ
湯煙さんへ
(2020-06-15)

草! たしかに草ww 私の好きなうしくんたちがディスられてるのがつらすぎてまったく気づきませんでした。よかった、おもしろポイントがみつかって。救われた気分。 湯煙さんありがとうございます。

1
湯煙
作品へ
(2020-06-15)

こうだたけみさん、いえいえ…昔に牛の詩は私も書いたことがありましたから気づいて思わず笑ってしまったという次第ですはい。 トビラさんのコメントもまた考えさせられますね。世の娯楽のほとんどは考えさせないようある階層のためにといったところが強いかと。対して詩などの文芸は考えさせるようにといった ベクトルを意識的に向けた、そうした様相があるみたいですし。ただネット詩などはそういう意味では百花繚乱な感じがしますが。

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花緒
トビラさんへ
(2020-06-16)

詩がなぜ読まれないのか、という貴兄の問いかけですが、本作に引き付けて語るならば、幅広い読者をそもそも想定して書いていないものが大半を占めていることが主因と考えます。詩だけでなく、音楽だろうが美術だろうが映画だろうが小説だろうが、幅広い読者を想定せずに書いて、しかし結果として幅広い読者を得ることは稀です。例えば前衛演劇だとかノイズ音楽だとかが広く受容されているわけでないことを指摘すれば十分でしょう。詩というジャンルにおいても、谷川俊太郎とか最果タヒなどが比較的読まれている背景として、読まれることを企図して書いていることが挙げられるように思います。 貴兄も指摘する通り、愚痴の垂れ流しのようなものが読まれるはずはないのです。エンターテインすることより、心情を吐露することが優先されるような表現者のものが読まれることは難しいでしょう。読者の存在が的確に想定されない限り、広く受容されることは困難と考えます。

2
花緒
湯煙さんへ
(2020-06-16)

ご視聴ありがとうございます。草は演出とお考え頂けますと幸甚です。

1
花緒
こうだたけみさんへ
(2020-06-16)

元作がディスられるのが辛すぎるとまでおっしゃっていただいて作者としては有り難く思うと同時に、なんだか申し訳ない気持ちでおります。正直なところ、私自身、どうしてこんな自傷的な作品を作ってるのかなって何度も自問自答いたしました。

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千才森 万葉
千才森 万葉
作品へ
(2020-06-20)

 うーん。動画、わたしはそんなに違和感なかったですけどね。  あえて言うなら、この詩の意味を理解している人の読み方っぽいなーと思ったぐらいですか。朗読が上手い動画配信者は少なくないでしょうし、真面目に読んだのはリスナーへの最低限の配慮かなと。  動画内で、彼女は何を伝えようとしたのか?  合コンで知り合ったばかりの人から意味不明のポエムが送られてきた。エリートが集まるとの前評判だったが、いい年の男性から送られてきたポエムはあのうしくんやこのうしくんという代物で衝撃を受けた。意味不明の詩を送られたときのリアクションの取り方がわからない。女性を口説き落とすのに詩を用いる、しかも牛の詩を使うなんて理解できない。もう二度と送ってくるな。他の女性にも送るな。  これに対する詩人の反応は、詩がもっと読まれる物になって欲しいと思ってやった(下心あり)行為で酷い仕返しを貰いショックを受けた。詩を知らない人に読ませればこのような反応を返されるというのに、詩人たちは本当に、心からもっとみんなに読ませたいと思っているのか? と詩のサイトのみんなに問いかけた。  この2つ、同じ直線上にあるものでしょうか? わたしは、そう思えない。この二者の間にあるズレにこそ、詩が読まれない理由があると考えます。  彼女は、詩人全員をディスったわけでもなく、『うしのはんすうし』という作品を単体でディスった訳でもないように見えるんですよね。自分を口説き落とすのに詩というツールを持ってきた詩人を批判しているのであって、また、時と場面を考慮せずに作品を選んできた詩人を批判しているものだと見ました。  どうしてもっと強くディスらないんだというコメントもありますが、それは無理難題でしょう。本当に意味がわからないものは賞賛も侮辱もできないものです。  たしかにポエム(笑)というニュアンスでポエム自体を侮辱はしていますが、これは価値観の違いが生んだものであって、詩を理解した上で侮辱しているわけではなさそうです。理解できない物の価値は、総じて低く設定されがちです。これは誰にでもある感情でしょうから、致し方ない話。  そもそも、彼女の立場上、詩を書く行為自体を直接的に侮蔑は出来ないのではないかなと考えます。動画投稿者は視聴者がいてくれて初めて成り立ちます。視聴者の素性がわかっていない状態で詩をディスると、視聴者の中に詩を書く人がいたとき、視聴者から反発を招きかねません。そんなリスクを背負うとは思えない。    他の方のコメントと被るかもしれませんが、問題点をまとめます。  彼女は主に、作中に出てくる『男』と『この詩を選んだこと』しか侮辱していないのに、男は詩人全員や詩を送る行為全てを侮辱されたと訴えてる、のだと読み解きました。  要するに、作中の男は相手の伝えようとしていることをほとんど理解できていないまま荒れているのじゃ無いかなと思うのです、わたし。  作中の彼は、しっかりと相手の言葉を受け取ろうとしているのでしょうか。わかったつもりになって自分勝手に憤っているのでは?  これは恐ろしいことです。お互いの意思疎通が上手くいっていないまま、片方がキレているわけですから。  詩人はよく、読者に詩の想いや技術の面白さが伝わらないと嘆きますが、ならば詩人はどれだけ読者の思想に寄り添えているのか? 意味不明な文章を読まされる側の立場に立って物事を考えられているのか?   詩を読んでくれる相手の気持ちを理解できない限り、わたしは詩は広がらないと思います。    そして、この作品に対するコメントを読んでみると、役者に対する演技の不満・賞賛、作品構成に対する指摘、リアリティの扱い方、詩との向き合い方、内輪ネタに対する意見、詩人側の深層心理に迫る意見などが多い印象です。  送った詩に問題があったという意見や、詩を読む行為がどんな意味を持つのかについて自己解釈なども見られましたけども、コメントのほとんどが詩人側の立場に立った話をしていました。  どうして、読まされた側の心情を推し量るコメントが極端に少ないのでしょうか?  もちろん、詩の技術を切磋琢磨し合うサイトであるのだから、詩の出来映えを評価するコメントが並ぶのは当然なのですが、御作は詩が読まれない・読ませないをテーマにしているのですから、読者側の視点に立ったコメントがもう少し合っても良いと思います。    動画を投稿する役柄の演者は、脚本を棒読みしたわけじゃないのです。彼女は役になりきって、意味不明な詩を送られた人の気持ちになって演じたのでしょう? それは現代詩に対する演者なりのコメントに等しい物だとわたしは感じました。それに対して、現代詩詩人が注文を付けるのはいかがなものかと思うのです。現代詩詩人が、現代詩に対する読者の反応はこんな感じでなければいけない、と読者に対して注文をつける行為に近いように見えるんですよ。 それが必ずしも悪いとは言いませんけども。それでも、演者の演技を無視していいとは思えないのです。  わたしはコメント欄を読んで少なからず危機感を覚えました。  これでは詩が広がっていかないのも無理はない、と。  詩人が、詩を読んでくれる人の気持ちを理解しようとしない限り、読者と直接向き合わない限り、詩は広がらないだろう。そう感じました。  今回のシチュエーションは、合コンで知り合った女性に詩を送るというものでした。  結果として、笑いものにされたあげく、もう送ってくるなと釘を刺されてしまいます。  送った方はさぞかしショックを受けたことでしょう。ただ、わたしは思うのです。これは不幸中の幸いだったと。  詩人の皆さんに伝わるかわかりませんけども、ちょっと書かせてもらいます。  ほとんど面識の無い人から意味不明な文章を送りつけられる行為は、相手をどんな気持ちにさせるでしょうかと考えます。文章から意味が読み取れない、何を伝えようとしているのか不明、何を目的としているのかさえ理解できない。これは受け取った側からすれば、怪文書以外の何物でも無いのです。  送った人は『詩(ポエム)』だと言い張るのですが、読めない人はそれを詩だと確定できるだけの術を持っていないのですよ。暗号のような文章、不安に駆られながら読んでしまえば犯罪予告文だと読む人もいるかもしれない。違法行為に誘う文章と読み解くかもしれない、今回は異性から送られたものですから、もしかしたら性的な意味合いを持つ変態的な文章なのかもしれない……  文章の意味が理解できなければ、あらゆる選択肢を捨てきれないまま文章と向き合わなければいけないのです。これははっきり言って苦痛です。  彼女は困惑と不快。この程度で済んだから良かったですけど、場合によっては不安、恐怖、そんな感情を呼び起こしかねません。今回は『うしくん』を連呼するという無害さに満ちた雰囲気の作品でしたから酷くはなりませんでしたが。  更に言えば、女性は男性の何が悪かったのかを動画内で語ってくれているんですよ。大雑把な物言いではありましたけども。それらの言葉に耳を傾けることもせずに、どうすれば改善できるのかを考えることもせずに、仲間に不満をぶちまけるのは、果たして詩人としてあるべき姿なのだろうかと、わたしは疑問を抱きましたし、できればみなさんにも、その辺りを指摘していただきたかったなと不遜ながら思うのです。  言葉には力がある。詩には力があって、本当に良い詩作品であれば相手が誰であれ、どんな状況下であれ、読んだだけで心は打たれ感動する。わたしもそうであると信じたいですが、恐らくそんなことは無い。もし、誰彼問わず読むだけで感動するのであれば、詩はとっくの昔に広まっているはずです。  詩人のみなさんはよくこんな事を仰います。「詩は好きなように読んでいいよ?」と。しかし、この言葉は危険を伴う読ませ方であると、わたしは思うのですよ。  理解できない物に遭遇したとき、人は恐れを抱くものです。  相手が受け取れる構えを取れていないのに、力のこもったボールを投げつけるのは危険行為ではないでしょうか。受け取って貰いたいのなら、まずは安全に受け取れる構え方を教えるべきなのでは? と。誰が読んでも受け取れるような力であれば問題は無いのですけども。  詩がどうして読まれないのか。  詩の技術力うんぬん、詩への思いや力の強さうんぬん、の前に、何よりも真っ先に考えなければならないことがあるはずだと、現代詩を読めないわたしは考えるのでした。   作者が読者と向き合わずして、誰に何を読ませるつもりなのか。ただ、発表できれば良いという詩ならともかく。 >詩というジャンルにおいても、谷川俊太郎とか最果タヒなどが比較的読まれている背景として、読まれることを企図して書いていることが挙げられるように思います。  そうそう。そうだと思います。  えーと。  わたしの知っている人に、ポエムで女性を誘い込み、口説き落とした男性がいます。古い話じゃなくて数年前の話ですね。  求愛の手段として詩はまだまだ現役なのです。そんなに悲観しなくてもいいんだと詩人の皆さんに伝えて、下がりたいと思います。  長くなってしまったので特にお返事は求めません。作品へのコメントが少なくて申し訳ないです。では。

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花緒
作品へ
(2020-06-21)

示唆に富むコメント頂戴いたしまして有り難う御座います。優れたコメントは決まって「そうそうそんなふうに読まれたかったんだよねなんて」というような感慨を作者に呼び起こすものですが、まさしく千才森さんのコメントは斯様な思いを惹起させるものでした。 あえてこの場では黙っていようかなと思っていたことなのですが、当初私は役者に「バカにした感じで読んで欲しい」とト書きで指示を出していたのでした。しかし、実際にバカにした感じで朗読された試作品を見て急遽考えが変わり、ト書きにどこで息継ぎをするかまで事細かに指示を出し詩の朗読をして貰うことに致しました。 今までポエトリーリーディングをやったことがない小生にとって、今回一番の発見であったのは、バカにしたような雰囲気で発話すれば、どんな詩も唾棄すべきものとして響いてくるという公理でした。試しにランボーでもホイットマンでもお好きな詩篇を軽蔑した雰囲気で朗読してみて頂きたいと思います。どんなに優れた詩篇であってもバカにした感じで発話すれば、バカにすべき駄作として聞こえてきます。 言語情報は非言語情報にいとも簡単に破れるのです。このことを正面から捉えればポエトリーリーディングというジャンルへの向き合い方も変わらざるを得ないでしょう。 今回、バカにしたような感じで読まないことに違和感があると指摘された方は、私の知る限り、みなさん詩の朗読をされる方のように思います。バカにした感じで読めば真に詩作品は否応なく死んでしまうことをご存知の上で、皆様はバカにした感じで読んでないことに違和感があるとおっしゃっていたのか私は疑問に感じています。朗読をやったことがない私でさえすぐに気づけたレベルの初歩的な事柄さえ実のところ殆ど気づかれていないのではないだろうか。 この作品をめぐる言論は「貴方方は自分のやっていることがなんなのか分かっているのかね?」というような問題を図らずも明るみにしたように思います。読む側の心情や立場に思いが及ばないのは、読む側のことを考えないことが当たり前のことになり過ぎてしまっているからに他らないからなのでしょうね。ごく初歩的なレベルでの客観的事実が認識の遡上に上らないのはそれ相応の理由があってのことに相違ありません。

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こうだたけみ
作品へ
(2020-06-24)

花緒さんへ > あえてこの場では黙っていようかなと思っていたことなのですが、当初私は役者に「バカにした感じで読んで欲しい」とト書きで指示を出していたのでした。しかし、実際にバカにした感じで朗読された試作品を見て急遽考えが変わり、ト書きにどこで息継ぎをするかまで事細かに指示を出し詩の朗読をして貰うことに致しました。 上記を踏まえて質問があります。演出をつける際、女優さんにはイントネーションまで指示を出されたのでしょうか。もう一度読み返して動画も見直してみたのだけれど、私の違和感の正体は女優さんの朗読の時のイントネーションでした。 女優さんはずっと標準語で喋っているのに朗読の時だけ「あ→の↗︎う→し→く→ん→」と発音します。たぶん標準語であれば「あ→の→う→し→く→ん→」になると思うんです。最後のほうに「くどけんよマジで」と言っているからもしかしたらどこか地方出身の方なのかもしれないけれど、なんで朗読の時だけなまるんだろうなーと不思議に思うのです(もし私がこの役を演じるか演出をつける場合には“たどたどしく読む”ようにするだろうなと思います)。 私は稽古場が好きです。演出のたった一言で役者の演技がガラッと変わる“変化の瞬間”を、ごくたまに目撃できるからです。”変化”とは飛躍ですから、そこにはある意味ではポエジーが宿っていると思っています。花緒さんのところの稽古場を見学できたらたのしいだろうな。 そうそう、私は花緒さんのようには人を集められないので、素人ですが一人で自作詩をアニメ化しています。それを職場の人やら友人やら家族やらに見せてはめっちゃ引かれているのですが。笑。なんと、友人の娘ちゃん(7歳)という初めてのファンを獲得しました。アニメを一時停止しながらテキストを紙に書き出して、それを読み上げている動画をママが送ってきてくれたのには感激しました。 絵本や子供向けの動画には「これは詩です」とは言っていなくても詩がたくさん存在します。「うしのはんすうし」は前にTwitterでイラスト化したように、子供にも受け入れられるタイプの詩だと思います。だからやっぱり、ディスられるとつらいですね。笑。

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花緒
こうだたけみさんへ
(2020-06-25)

ご質問いただき有り難う御座います。 詩の朗読に関して、イントネーションまで指示を出したか否かについてですが、英語風に回答するとYes and Noという玉虫色の回答にならざるを得ないところです。私が出した指示は、この、うしくん、あの、うしくんという風に、この、や、あの、が指示代名詞のように聞こえないように注意して欲しいというものでした。すなわち、このうし、というキャラクター名に聞こえるように繋げて欲しいと考えたのでした。 そのことが方言のような響きになったのかはよく分かりません。推測するに、役者は私が発語した言い方をそのままコピーしたのではないかと考えます。私は東京生まれではありませんので、私の言い方で発話すれば必然的に方言的要素を帯びるということではないでしょうか。 演出は確かに面白いですね。最近ではシナリオを書くことより演出の方が遥かに面白く、演出をやるためにシナリオを書いているような色彩さえ帯びているところです。クラブメンバーになっていただけるなら、撮影風景を見学いただくことは可能なのですがw。

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こうだたけみ
花緒さんへ
(2020-06-26)

花緒さんへ やっぱり花緒さんの読み方でしたか。どちらのご出身なのだろう。あ、なまっているとか方言とかを否定的に捉えてしまっていたらごめんなさい。むしろ逆です。 演劇の役作りでも詩などの創作でも、私は方言ってその作品の強みになると思うんです。問答無用でパッと世界観が立ち上がりますから。 なのに6月の作品を読んでもほとんどが標準語の作品で、もしもこの中に方言を喋れる人がいるなら「宝の持ち腐れだよ〜」って言いたいくらいです。笑。私の両親は十代でそれぞれ長野と福島から上京して標準語を話す人になってしまったので、残念ながら私には方言に接する機会がほぼありませんでした。私も方言に接しながら成長したかった。わずかな信州訛りじゃ意味ないんだよー。 > 私が出した指示は、この、うしくん、あの、うしくんという風に、この、や、あの、が指示代名詞のように聞こえないように注意して欲しいというものでした。すなわち、このうし、というキャラクター名に聞こえるように繋げて欲しいと考えたのでした。 この意図には気づけませんでした。詩を読んだ時も、二回朗読を聴いた後も。たしかテキストは全部ひらがなだったように記憶しているのですが、カタカナ表記になっていたならわかったとは思います。そんなあからさまにしたくなかったのかもしれないけれど。 > クラブメンバーになっていただけるなら、撮影風景を見学いただくことは可能なのですがw。 ずいぶんと閉鎖的なクラブなのですね。笑。 今のところメンバーになってでも見学したいほどの興味は持てていないので、公開稽古などがございましたらお知らせください。行けたら行きます。笑。 それと、私は自分が変化することの魔力に魅了されてしまっているので、役者になることはあっても演出にはならないような気がしています。高校二年の一度きりでもう十分。まあ、そもそも今後演劇をやるかどうかもあやしいけれど。時間的にも体力的にも金銭的にも、削られるからなあ。めっちゃたのしいけど!

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かずや
かずや
作品へ
(2020-07-01)

文章なのか詩なのか。 ある種の意味においては文章だったとしても詩かもしれません。 非常に興味深く読ませていただきました。 私は女性に詩を贈ります。 時に手書きで、時に書きかけのものを文字情報で。 受け入れてもらえる時機を見て。 そうした意味ではいつ、どこで誰に向けて詩を披歴するのかということは会話と似ているのかもしれませんね。 いや、誰かに対して何かを伝えようとすればそれはもう情報伝達の一種という意味で同じでしょう。 相手を選んでLINEや手紙、はたまた一杯のウイスキーや酒瓶を差し出すように詩を読んでもらうというのは悪くないと思います。 願わくば一度読んでそして共感していただきたいものですね。

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花緒
かずやさんへ
(2020-07-02)

コメント下さり有り難うございます。 何を隠そう、私もかねてより割と簡単に女性に自作を見せる傾向がありました。ただ、私の場合、共感を求めているわけではなく、そういうことで引かない奴かどうかを確かめるためにやっていたような嫌いがあります。相手が婚活系の女性であればあるほど、作品を読んでもらえない傾向があるような。

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かずや
かずや
花緒さんへ
(2020-07-03)

「相手が婚活系の女性であればあるほど、作品を読んでもらえない傾向があるような。」 本当にそうかもしれません笑。 婚活というのは結婚という(いわば幻想の)完全体に相手を得ることでなろうとする行為だからかもしれませんね。 私は以前は伴侶と「ベターハーフ」と言われるような間柄になりたいと思っていましたがやっと最近「どうもそれには無理がある」ということに気が付き始めました。 「わたし」の話をしているのに「わたし」がいつの間にか「あなた」になる。 「あなた」の話をしているのに「あなた」がいつの間にか「わたし」になる。 そんな関係が素敵だなあと思っています。 何をおいてもとても面白く読ませていただきました。 ありがとうございます。

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エイクピア
作品へ
(2020-07-07)

難しい問題を提起して居ると思いました。矢張り他人に詩を読んで貰うと言う難しいチャレンジ、意欲的なチャレンジが、残念な結果を生んで居る様で、別の詩であればどうであったかと言う問題ではないと思うので、深く考えさせられました。もうちょっと詩に対して理解のある人であればなど、詮無い考えばかりが浮かんできます。

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