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ナナホシテントウ
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作成日時 2020-03-06
コメント日時 2020-03-26
ナナホシテントウ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1255.4
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 6
項目 | 全期間(2021/01/17現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 6 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.3 | 0 |
エンタメ | 0.3 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.3 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
率直に、かわいいですね。 てんとう虫を追いかけたら君の肩に触る流れがかわいいので好きです。 私は頭が硬いので、(てんとう虫は指にはめったに止まらないだろ?指先から飛び立つことはあっても!) と脳内突っ込みを止められなかったのですが、それは横に置いといて楽しめました。 1,3連のどちらかというと曖昧な描写に対して、2連目は細かい描写で、ハイスピードカメラで追ってみました!な感じでそんな緩急もいいです。 昆虫が好きなので色々書いてしまってなんかすみません。あんまり気にしないでください。
0こんばんは。〈指〉や〈てんとう虫〉を〈君〉や〈僕〉の「心」と言い換えて読んでみると、物理的な現実の拘束を超えて通いあう優しさを感じ、心が洗われるようです。とても好きな作品です。
0良い詩だと思う。テントウ虫が指にとまったところから始まる詩。良い出来だと思う。なのに取り立てて言うべきこと、書くべきことがない、思い浮かばないのは、詩に何か難点があるのか、それとも私に非があるのか。最後の終わり方が「ふわっ」としすぎていた、というのがあえて言えば難点か。それ以外は生意気言うようですが及第点以上は無事獲得していると思われます。
0じつはこの作品にコメントを書き込もうとするのは3度目になります。一旦書き込みしようとしては送信出来ずにおりました。それは、私の思い込みでしかありませんが、ビーレビにおけるガムのくつべらさんと私の関係性から来るプレッシャーがあるからです。それは良い意味での緊張感です。素直に感ずるところをコメントすればよいのでしょうが、そのような気軽さでもって作品と対峙する場に、私に限っていえばしたくない気持ちがあります。念の為申し上げれば気軽なコメントの付け合いがあってもよいのですが、それだけでは欠落してしまう、物足りなさがあります。 安易にコメントを書かせない、緊張感をもたらせていただいたことに感謝しております。それはガムのくつべらさんが意図してのいなかったにせよ、です。作品へのコメントに戻りますが、ガムのくつべらさんの投稿作品はすべてクオリティが高い。「韻」と「イメージの立ち上がり」と「訴求力(読者が自分宛ての詩と思わせるところの普遍性)」の3つが揃っている。ただ、一点、急所があるとすればオリジナル無きところではないかと考えます。今、ビーレビでは匿名による作品投稿が可能になっておりますが、オリジナルな息遣い(言葉遣い、レトリックとは違います)を持つ作者はたとえ名前を伏せた投稿であっても百発百中で誰が書いた作品なのか判明します。ガムのくつべらさんの作品からは、今回の作品も含め、その息遣いが私にはみえない。というか、その作者が持つ固有さをわざと消しているようにも思えるのです。抽象的な話を続けてしまい恐縮です。 >僕は >君の肩にやさしく >ふれるだろう 作品全体としての詩のクオリティの高さを示す先に申し上げた3点のうちの「訴求力」をガムのくつべらさんは「作品の構成」によって成立させています。それは引用した最後にあって初めて「僕は」という自我を明かす流れにそれをみるのです。読む者からすれば不確定から確定への急な流れによって、一瞬の解放感を味わう。それで良しとする読者も多くいると思います。今時の自我無し、空虚感満載の詩のトレンドからすれば共感を持たれるかもしれませんが、私のような屈折した人間からしますと物足りなさがあります。その作者が固有に持つスタイルが技巧としてではなくて息遣いとして宿っている作品を手にしたいと望みます。また、機会ありましたら、次回作も読みたいです。というか、私はあなたの作品は気になるので必ず読むと思います。雑なコメントですみません。
0はじめまして。 ぼくは虫があまり好きではないのですが、本作に登場するテントウムシには触れます。言葉を持たない小さな虫と触れ合う時に何故優しい気持ちになれるのか、それは微かな動きの中に生命を感じるからだと思います。 >肩にやさしくふれた >あれは誰の手だったのだろう 悲しい時に欲しくなるのも、もしかしたら言葉ではなく手の温もりなのかもしれません。 最後に「ぼく」が励ます側になるのもいいなぁと思いました。 繊細な感情をさりげない言葉で表現されているところが好きです。
0てんとう虫と誰かの手が重なり合うことで詩が産まれている。最初のてんとう虫は単なる偶然の産物で、すべては勘違いかもしれないが、それはそれで優しくあれるなら悪くはない
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