朝晩の他に日に何度も線香をあげて、気づいたら
骨の入った壺をつつむ金糸銀糸の巾着袋の口から
ういういしい緑の蔓が出ていた
袋の口をゆるめ中を覗くと
壺の蓋がずれている
あけてみると
ちいさな頭骨の天辺から
ほそい蔓が生えている
唖然としながらも
植物なら日光が欲しかろうと
リビングの窓辺に骨壺を移動させた
愛猫の名を呼び
どういうこと?と尋ねてみたが当然、沈黙
骨から植物が生えるなんて聞いたことはなく
育て方もわからない
ただ、これまで骨に水をかけたことはないから
水はいらないらしい、としか
気を抜くと泣いてばかりだった毎日が
すこしずつ伸びる蔓草のために
泣くのも忘れて見入る日々に代わった
あの子から伸びる蔓草に、あの子に対するように
自然に言葉がこぼれてくる
返事はあの子が生きていた頃からなかった
ただいつも聞いてくれている、という
あの懐かしい気配がして
やわらかい緑色に向かってとめどなく独り言を
そうしてある日
蕾がついた
花が咲くのか
遅れて、まさか、とカレンダーを確認する
赤丸で囲った日まで、あと四日
ちいさな仏壇が配送されてくる日だ
つまり、あの子が逝って、四十九日目だ
ひとは死んでから四十九日はまだこの世にいると、よく聞くけど
蕾に向かって名を呼んだ
この世の誰よりあの子の名前を呼んだ私を
この世で一番可愛い声で呼んでくれたのも
あの子だ
その声はもう聞こえないけれど
そうして想像した通り
四十九日目
真白い花弁のちいさなちいさな花が咲いた
骨と同じくらいの純粋な白
おまえは、最後まで優しいのねえ
この世の名残にこんな綺麗な贈り物
なんともいえず甘く芳しい香りを放つ花を撫で
骨を撫でた
そしてやはり、想像した通り明け方の
あの子が逝った時間ちょうどに
花も蔓も白い灰となってくずれて
骨壺の中に納まった
往ったのだ
今度こそ本当に往ってしまったのだ
もし輪廻転生があるのなら
また私の元へ帰っておいで
泣きながら愛する猫の名を呼び
信じたことのなかった神様なんかに祈った
また、会えますように
きっとまた
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作成日時 2020-03-06
コメント日時 2020-03-12
作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 1443.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 23
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2021/01/17現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 12 | 7 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 3 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 5 | 2 |
総合ポイント | 23 | 13 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 2.4 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4.6 | 4 |
閲覧指数:1443.2
2021/01/17 00時45分47秒現在
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コメントを書いて頂けたようで嬉しく思います。 でも拝読できなくて、とても残念です。 もしお手透きの時があり、お気が向かれましたら、また何を伝えてくださろうとしたのか書いてくださると、更に嬉しいのですが…。 よろしかったらお願いします!
0ああ、ごめんんさい。何かミスったみたいです。 月並みなコメントになりますが。子持ちの身にはたまらないものがあります。 もう少し何か強い表現が、欲しい気もしますが、これぐらいの抑えた表現がいいのでしょう。 というようなことを書いた気がします。たぶん。
1お手数かけてくださりありがとうございます。 確かにもう少し強い表現があったら、もしかしたらもっとこの地味な詩も映えるかもしれません。 ただ、なぜか思い浮かびませんでした。 しずかにしずかに…と言い聞かせるような心持で出来た詩でした。 お子さんがつつがなく健やかに成長されるよう、陰ながら願います。 コメントありがとうございました。
0やさしい作品ですね。 強い表現はなくても、これはこれで。 明後日職場の牛二頭が廃用に出され、食肉となります。 様々な条件下で死に立ち会った牛は、もう数えきれないほどになりました。 あいつらの四十九日どうなったんだろう。 思わずそんなことを考えてしまいました。
1亡くなった子供からの気持ちが、派手なサプライズではなく、骨から蔓が生えるという静かでありながらもたしかな奇跡で表現されているところに、残された側の抑えられた悲哀が呼応しているようです。奇跡と悲哀の質感と言いますか、感情のさじ加減が同じところに不思議な親子間が出ており、興味深いです。悲しみを抑えて抑えて進んでいくからこそ、最後の祈りが切実に思えます。身内を亡くしたばかりなので、この詩はとても響きました。
1『夢十夜』の第一夜を思いだしました。 しかし漱石のそれとは違い、ただ美しいものだけで綴られていない言葉に生の生々しさを感じました。 「あの子」の骨から蔓が生えている。この表現一つとっても「あの子」に対する当人の想い入れの強さが伺えます。 ありえないことが有り得ている。幻想なのか現実なのか。もしくはその中間なのか。 人間らしい、でも人間を放棄したいような、そんな雰囲気に包まれました。
1「私感動してますよー!」と言っている作品の割にはなんだか感動が薄いような気がします。もっと濃密に書かれたら良いのではないでしょうか。
1羽田さんの「午前二時~三時」拝読しました。 食肉用に廃用される牛がいる一方で、新しい命の生まれるのを助ける…過酷な、厳粛なお仕事ですね。 そういう、処分される牛に執着は持ってらっしゃいますか? 多分、割り切ることが出来なければならないのだと思いますが、それでも「あいつらは…」と思い出すだけで、牛達にとって報いていらっしゃるのではないかな、と思います。 やさしい作品、と受け止めて頂いて嬉しいです。 コメントありがとうございました。
0お身内の方を亡くされたばかりなのですね。 ご愁傷様です。 arielさんだけでなく、他の方もそう思われているようなので、これはもう完璧に私の書き方が悪かったのですが、亡くしたのは愛猫なんです。 ただ、私には子供ができなかったし、子供同様といったら世の親御さんに叱られてしまうかもしれませんが、本当に我が子みたいに可愛がってきた猫でした。 悲哀が抑えられたのは、単純に数ヶ月置いたせいかもしれません。実はあの子が逝った数日後に書き散らしたのですが、とても人様に見せられるものではありませんでした(最初から見せようとも思いませんでしたが)。 もしかしたら「あの子」が猫で落胆させてしまったかもしれませんが、過分なお褒めの言葉、慌ててしまうほど嬉しかったです。 コメントありがとうございました!
0夏目漱石を思い出しもらえるなんて恐れ多いです。 思い入れ、が伝わったのなら、もうそれだけで書いて、投稿して良かったなあって十分満足です。 もちろん死後の奇跡は私の幻想ですが、あの子と暮らした年月そのものが、今にして思えば奇跡でした。 コメントありがとうございました!
0えーと「私感動してますよー!」なんて書いた覚えはないし、この詩に限らずそういう感動系のものはこれまでにもひとつも書いたことがないのです。 だから、どこをお読みになって「私」が感動していると思われたのかなあって不思議に思いました。 敢えていうならこの詩は鎮魂のために書いたものなので、濃密に、というのも私がこの詩に求めているものではありません。 ただ、今後もし「私感動してますよー!」っていう詩を書く時があったら、ご意見参考にさせていただきます。 コメントありがとうございました。
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