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ラグ   

作成日時 2017-06-10
コメント日時 2017-06-20

散らかった 白い部屋 毛足の長いラグに へたりこむ わたし 視神経に異常はないけれど 何も視ない わたし いきることを ひとときの間 やめている わたし 何気なくおかれた 指先から 流れ出してゆく わたし 髪ばかりがつやつやと ひかる ねう とぶち猫が一鳴き 聴こえているのに 聞こえているのに なにもしない わたし ぱちりと 電気灯を点ける 私の神経に走る しびれ わたしが 起動する にこにこと わらう わたし いつも通りの やさしげな わたし。


項目全期間(2019/11/18現在)投稿後10日間
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2019/11/18 08時49分59秒現在
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コメント数(4)
渡辺八畳@祝儀敷 (2017-06-13):

電機灯をつけてからの表現は良いが、対称的に初めの方が典型的で相殺してしまっている

クヮン・アイ・ユウ (2017-06-14):

普遍的と言っても良い感覚を見事に表しておられるなと思いました。それは「一時小さく死ぬ」ということかも知れません。実は僕も以前、深夜に絨毯の上に起きるでもなく寝るでもなく動けないでいて、糸くずが鼻の穴に入っているのに抗いもせず、ただただそうしているという主旨の詩を書きました。 再び立ち上がるまでに必要な時間が、どなたにも等しくあるのかも知れないと、本作を受けて自らのあの時詩にした感覚を認めてもらえたようで、どこか勇気づけられました。 あと、最後の >>「にこにこと わらう わたし いつも通りの やさしげな わたし。」 ここに少しの狂気性と、「わたし」に強がりを見ている筆者の視点をも感じました。いい詩をありがとうございます。

まりも (2017-06-15):

何気なくおかれた 指先から 流れ出してゆく わたし 髪ばかりがつやつやと ひかる この一節にとりわけ深く引き付けられました。 自分、を包んでいる皮膚という入れ物。白い毛皮のラグに触れている、その境界線のあたりに意識が集中していく。じっと沈黙する体、置かれた指先の血流がすうっと引いて・・・ああ、私、というものが、ここにあった、と、再び捕まえるような、捕まえたことにしておこう、というような感覚。 懐かしさを感じました。電灯の使い方がいいですね。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-06-20):

 ラグというのは 【カーペット】 屋内の床に敷くための織物や敷物の総称 【ラグ】 小型の敷物 (一畳から三畳未満) 【マット】 小型の敷物 (一畳未満) カーペット > ラグ > マット  らしいそうですね。知恵袋にありました。(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1032548485)つまり、ラグというのは自分自身を程よく包み込む、ちょっとだけ大きな柔かいものであるのではないかとおもいます。そのサイズ感としての「ラグ」という大きさの選択がある。  「わたし」がなんどもリフレインする事によって、白い部屋の中にいるわたしという物の存在がどのように停止しているのか、つぶさに重ねられるように描かれていきます。 ==========引用=========== 毛足の長いラグに へたりこむ わたし 視神経に異常はないけれど 何も視ない わたし ========================   毛先の長いようすから、僕はもふもふなラグマットを想像し、それに身を委ねる事によって間接的に「床」に接触すると同時に、まるで長いまつ毛を閉じるような感覚で、毛先の長いラグによって視神経に蓋をする事によってシャットアウトする感じ(ここら辺パソコン用語で用いられるラグのイメージも重なってくるのかもしれないのですが、)、それが =========引用========= いきることを ひとときの間 やめている わたし ===================  ここまである意味極端なフレーズにつながっていく。目を閉じる事が、なぜいきることをやめる、という強い言葉まで繋がるのか、それは目からもたらされる情報量が凄まじいからです。目を通して僕らはいろいろな情報を得る事ができると同時に、目は日に日に酷使されていきます。目を閉じるという事は、つまり、部屋の外で生きる為に必要な大事な道具なんですよね。それがもしなくなった状態で明日投げ出されたらそれこそ生きるハードルは高くなっていくでしょう。  だからこそ、一番最初に外界との接触を立つ為に、語り手は部屋に入った途端目を閉じ、いきることをやめるのです。 =========引用=========== 何気なくおかれた 指先から 流れ出してゆく わたし 髪ばかりがつやつやと ひかる ===============  ここはまりもさんの読みが素晴らしい。僕から加えるとしたら、多分指先を置いたのは「ラグ」があることからフローリングの床なのかなと思っています。自分の体温、生きている感覚を気が付く為には、床を触るという行為をするのがてっとりばやいのかなとおもいます。  そして電気を付けた途端に「わたし。」というものの意味合いが急激にかわってしまう。それは、今まで積み上げてきた「わたし」があるからこそ成立する「わたし」なんですね。   電気を付けるっていう事は、スイッチを入れるという意味合いもそうだし、僕らが社会的な生活を営む為に必要なインフラとしての側面、そのインフラを使う為に社会に対して奉仕せねばならない外的な物とのコミニケーション。そういう物の果てに、金銭を稼ぎ電気を付ける事ができるという意味を、ちょっと深読み過ぎかなともおもうんですが、そういう事を感じました。  なぜこういう事を考えるのかというと、それは僕がバイトに行く時に、絶対にやる事があるんですね。僕の場合は決まった自動販売機でコーヒーを飲む事で、気合を入れます。そしてスイッチを切るために、決まった定食屋で漫画を読みながらご飯を食べる。んで、なんでバイトするのかというと、生きるためですね。自分がこうしてネットとか使ったり電気や水道を使うためにバイトするんです。その為に部屋にいる自分を切り替える必要があるし、切り替える為のきっかけがないとやってけないんですね。  そういう背景から読んでいくと、この詩は働いている人で、毎日クタクタになっている人を描いているともいえるし、部屋を心の象徴のように捉えるのであれば、表の顔と裏の顔みたいな心の二面性を歌っている詩であるともいえる。更に突っ込んで言ってしまえば、人間という社会的な動物の様態を描いているという事も感じます。  それをシンプルに上手くまとめた作品、且つ見所もある作品で、上手いと思いました。

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