推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~ - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

着順は知らない

まるでショートフィルム

駆け抜ける風を感じて

ピム

伝記びりびり

言語と身体のきしみ

緘黙のぼくは祖父母の目の前で伝記を破ることにした。

r

明るい朝の歌

明るい朝のうらには、暗い夜があった

外をみつめることが、内をみつめることにつながっている──

沙一

犬のしっぽ

    遍界不曾藏  犬がしっぽを振る世界

湯煙

震え 揺れ 回る

一気に詩情が注ぎ込まれていく。 それが 震え 揺れ 回る。 詩を詠み終えても、止まらない。

羽田恭

生きるためにパイを焼く

どうしようもなく生きていくということ

ただパイを焼く。それだけなのだけれど、衒いも奇抜さもなく心にぶつかってきて揺さぶられる。

帆場 蔵人@⚰

別れ

靴の哀しみ

歩くための存在でありながら、誰かが履いてくれないと歩き出せない存在が、絶望して待機してる

蛾兆ボルカ

パパの日曜日

しがない日常に飽きてしまったすべての人へ

ごく平凡な日曜日のパパが、壮大で絢爛豪華な世界へ旅立つ——

沙一

「中央公園より」

わかりあえなくたっていい

人種、国籍、性別、年齢、人間同士のわかりあえないディスタンス、そんなことよりも、おたがいに笑っていよう、ここはみんなの公園だから——

沙一

わたしの髪は生きているのか……

心を亡くしてしまいそうなときに

ささやかなお洒落をたのしむ、それは自分が自分であることをわすれないために、ひつようだったのかもしれない——

沙一

angel coffee?……

一瞬と、永遠

幸せなコーヒーと、降りやまない雨、好きな人といるとき、あなたならどちらを選びたいですか?

沙一

食べ物と死ぬ人

目が付いているうちに読みたまえ諸君

傑作。 目が付いているうちに読みたまえ、諸君。他に言うべきことはない。

石村利勝

別れ

余りにも挑戦的、だがそれがいい

数ある一行詩の中でも、想像力/表現力がとても高い作品。最初は(え、これだけ?)と感じることだろう。しかし、これだけ?からの作中世界の広がり方は、これだけ?発言が恥ずかしくなるほど広すぎるのだ。

ふじりゅう

ママンへ

散り際にも見えるママンの後ろ姿

無駄なくそつなく、それでいて大胆にママンに語りかける。「ママンへ」あなたはこの書き出しで何を思い、連ねますか?

stereotype2085

名残の雪

美しいと思える作品だった

美しい空間を、踏む。踏むことで、汚す。踏むことで汚す、明示のされない寂しさ。本作にとって、雪を踏む行為、それだけが個の存在の証明なのだ。

ふじりゅう

例えば鳥の教え

色が付いたばかりの映画のように

情景の転調あるいは繋がりが「色彩」を基調にして、境界をあいまいにしながら広がる。

鈴木歯車

おかあさん

史上最強のタイトル回収

本文たったの6行、造作もなく読み切れ、詩人よ。 そして再度タイトルを見返し驚愕せよ、詩人よ。

name

空なんか見てんじゃないよ

淘汰

この詩はあるタイプの詩と詩人を淘汰するべく書かれている と言えば言い過ぎか。 要注目。

stereotype2085

はずしわすれた風鈴が鳴る

やさしくせつない短歌集

かたづけられない想い出、それでもめぐりくる季節——

沙一

春風に吹かれてる

だいじょうぶだあ

《なんてこたあ ないんだよ》 天国から呼びかける声が、聴こえる。

stereotype2085

永遠の反射

名作?それともただの習作?

ただの習作なのかもしれない。が、ここには作者当人も気付いていないかもしれない、天才がいる。俺の直観は当たるんだよ。人生で二回くらいは。

石村利勝

こんにちは まっさらな世界

「まっさら」の優れた表現

あなたの世界も「まっさら」ではないかな? 「まっさら」なのに、書けますか?

yasu.na

imagine

パンチング。

今からリーディング界隈を、ノックアウト。

stereotype2085

はっかといちご

詩における視覚要素の決定版

いわゆる視覚詩的なものは作ろうとするとパッと見の奇抜さで満足してしまい、それを行った理由に乏しくなってしまうことが往々にある。しかし「はっかといちご」はその域を超え、結晶の造形だからそこの効果を成せている。

渡辺八畳

独言少女

いつも終電に間に合う人生生きてますか

少女の独言は胸に刺さる。というか萌える。条件があって、少女は本当に少女でなくてはならず独言は本当に独言でなくてはならない。なのでこの詩は刺さるし萌える。

石村利勝

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批評対象
作品を読む

推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~    

<批評対象作品>
神の庭


読みたいところからよんでください。 ◎オープニング ①序章 ②補足 シールについて ③想像の導火線 ④本章 ⑤作者へ ◎オープニング https://www.breview.org/keijiban/?id=3369 まず詩を読むにあたって安心してほしいことがあります。それはよく作者の詩の意図やねらいという読者を脅かし、内容を完璧に理解しなきゃだめなんだ。もっといえば口を開くことすら許されないなどと僕たちの心をちっちゃく萎縮させるつもりはないということなのです。 それはこんな風に作者は感想コメントのなかで微笑んでいます。 『この詩を書くときに「決して汲みつくせない泉を書きたい」と思っていました。どんなに大きな桶で汲み続けても枯れない物語を、と。それと同時に、それは汲みうる泉であらねばなるまいとも考えておりました』 この詩の背中には万人には汲みつくせない泉があり、万人の喉を湿らせ、潤すことができるような物語をつくりたい 壮大。 この文のもつ美しい背中をみて僕はうっとりしていた。 これを前置きとしている事実にこの詩の製作の過程が非常に困難だったろうと僕はひとりの人間を信じる。この作品の自分の感想を信じる。 そして同じように多くの私と何らかわりない読者の多種多様な感想もまた信じる。 オープニングの最後ではあるが こんな言葉でもって序章を始めたい。 この詩を考えるヒントになるような推薦文にしたいと思った。そのためになるたけポピュラーな思考の補助線を取り入れつつ、この詩を画一的な作品だと判断を歪めない程度に、読むひともまたひとりの人間である証明、想像の導火線に着火出来たらと願う。 ① 序章 『3 阪神タイガース 私の最も幼い頃の記憶は、無邪気な子供がやるように父のお腹を叩いている兄の姿だ。兄は私が泣き出すといつも酒に酔った父を私から遠ざけてテレビの方に引っ張っていった。テレビでは縦縞模様のユニフォームの選手がバットを持って立っていた。兄はしきりに野球の質問をしていた。父に甘えるように発せられる言葉とは裏腹に、脚はテレビに映っていた選手のように明確に何かの意志をもって身体を支えていた。その対比はとてもアンバランスだった。父が眠ってしまうと、血の混じる唾を洗面台に吐くように促され、頭を撫でてもらった。母さんが死んだのはお前のせいじゃない、という言葉には何百通りものバリエーションがあることを教えてくれたのは兄だった。』 兵庫県にいたということから、父が阪神タイガースのファンであるかもしれない。 そしてあくまでも冗談で書いておくが、ベイスターズファンからみると阪神タイガースのファンは人間味はあるが素行と品が悪い。 そんな冗談はさておき僕はこの章をこんな風に想像した。 出産と同時に母をなくし、母を知らない妹の最初の記憶が物語の根っこだなと感じた。 この章をどのように想像するかによって想像の幹が様々な形に枝分かれしていくのは間違いないだろう。 最後の方に 『父が眠ってしまうと、(兄に)血の混じる唾を洗面台に吐くように促され、頭を撫でてもらった。』 と、ある。 血が混じる唾とは、ここで想像するにうっかりぶつけたとかではなく、妹は誰かに殴られたと兄の慰める言葉から想像できる。では誰に殴られたのか。 兄がむかった先は父だ。と簡単に考えれば、妹は殴られた理由と記憶がないほど幼少であったのだろう。 想像を膨らませる。 兄は父というバッターがボールを打ち返すように妹がかっ飛んでいく姿を見たのかもしれない。 妹が物にぶつかってバックスクリーンや照明が壊れる。ホームランだ。 しかし、テレビは父にとって大事な娯楽であるから壊せないだろう。 父は妹を傷つけたくない既設物のほうに打ち返さない。 例えるなら公園でガラスの窓のある家にはボールはむけない。 こどもをひっぱたくのが一般的な家庭ではよくみる日常でもある。 こどもはとくにそういうことを察するのが得意だ。 攻守交代だ。 兄の作戦はそんなところから始まる。 酒に酔った父が手を出せない位置に妹を連れて、余計な意識を父と妹の間に発生させないようにする。 テレビのまえでちょこん、と野球中継に集中させる。 勝たねばならぬ。と使命にとりつかれたよう。 身体の小さい兄は父には力で勝てない。 ゆえに父にふにゃふにゃ近づきながら自分を殺しつつ、下半身の力みは崩さない。 機をうかがう。 父の好みに合わせて野球の話題を引っ張りだし、打ち返しやすい球を見定める、父の意識の集中を遠くへ打ち返す。妹から父を遠ざける。 『母さんが死んだのはお前のせいじゃない、という言葉には何百通りものバリエーションがあることを教えてくれたのは兄だった。』 大量の負け試合の最中に兄が妹を守るためにいったいどれ程、自我をすり減らしながらバッターボックスにたったのかは想像がつかないが、ときには打ち返さねばならない人間の尊厳を込めたボールを見送っただろうと汲む。 父が眠った試合終了後 母が死んだのはおまえのせいじゃないよ 試合に負けたのはおまえのせいじゃないよとでも言っているかのように妹の頭を撫でる。 長い間、幾度も己の存在をかけて妹を守った兄。 おなじくして、幾度も兄の慈しみを目の前で受ける妹。 ②補足 シールについて さぁ、ここで実験だ。熱を導火線に近づけてみよう。 まずこの「兄妹」という社会の管理シールを剥がしてみよう。管理シールというのはJANコードともいう。 平べったくいえば「バーコード」のシールだ。 「兄」と「妹」のシールをはがすと序章最後の文はこんな風になる。 長い間、幾度も己の存在をかけて女を守った男。 おなじくして、幾度も男の慈しみを目の前で受ける女。 シールを剥がせばなんてことない。 ただの男女の恋愛を彷彿とさせるものがある。 ただし、かるべさんの感想にあるように 本来シールは剥がしにくいものだ。そこは作者も同調している。シールも社会の通念も簡単に剥がせることができたらシールの機能をはたすことはできない。一度、貼ったら剥がれにくいことが必要だ。 ただし僕はシールのはがしかたを知っている。 ミサワ ペーパーソルベントという薬液を使えば、シールなんてラクに、ハヤく、剥がれる。 薬液が手に入らない人は爪のマニキュアに使う除光液で代用できる。除光液もない人は髪を乾かすときに使うドライヤーの熱でシールをあっためるといいだろう。すぐに剥がれやすくなる。 さて、ここまでくると話が単なる生活の知恵なのか、詩の内容に関係あるかどうかは私も分からない。 ただ、私はシールを剥がす技術を知っていただけだと思う。 話を戻そう。 僕は想像を膨らませすぎだろうか。 では国語の授業で漢文を取り扱う時のことを思い出してみてほしい。 白文から書き下し文になおして、さらに自分の言葉で翻訳すると、教科書の正解とは全然違ったり、隣の友達の回答もまるっきり違うことは親しみやすい誤読の事例ではないだろうか。 さらに調べていくと教科書も教授も教師も白文を誤読したりすることもある。 そんな歴史の中に私たちはいることを覚えておこう。 私がここで言いたいのは 誤訳上等‼️天上天下唯我読尊!! なんて主張では決してないことに両手をあげる。 ただこんな風に想像したことが、自分にとって健やかに楽しかった。 明らかな誤訳は佇まいを直さねばなるまいが、 そんなに悪い誤訳とも思っていない。 それにしても兄妹というのは実に剥がれにくいシールだ。たとえ兄妹にそのような想いが生まれようとも認めることは容易くない。 そもそも社会の通念に兄妹の恋愛は認められていない。 通念やグループから外れた行動をヒトは侮蔑の意味をこめてケダモノと容易く呼ぶ。 気持ち悪いともいうだろう。 恋に落ちるには充分な体験ではあったかもしれない、とはいえ通念という近代兵器が兄妹を傷つける。 手負いの獣は傷を舐めて治す。ヒトから見れば原始的な「癒」の行動だ。 それが兄妹の行動ともあれば歪んだ癒として我々の目に映る。 そしてそのときこそ忘れてはならない。 僕が人間である一組の兄妹に「ケダモノ」と「気持ち悪い」そんな鉄砲で追いたてたことを。 追いたてられた獣は僕(達)という男を信用しないだろう。二度と心を開かないだろう。 僕がふたりの蚊帳の外にいるのではない、 僕が蚊帳の外にふたりを追い出したのだ。 ③想像の導火線 (普段、兄が座っているところに妹が座るこの小さな変化を見逃してはならない。なにかがあったのだ。気持ち悪いというシールを張られた兄をもつ妹が無害で生きていけるとは僕は思わない。そんなにこの世は幸運に恵まれて、楽天的に生きていけるとは思わない。 兄は妹の身になにかあったことを知ったのかもしれない。 僕は兄は自殺ではないと思っている。 ただそれには言及することが難しすぎる。 自殺かそうでないかがこの詩の価値を左右することを望まない。 ただ神の声ときいて、すわ預言者だ。やれ精神ぶっ壊れもんと決めつけるのも僕の想像を健やかにさせない。兄は情報のインプットがキャパオーバーして、口から情報が漏れだしてるただの文学青年であると掴む。それだけだ。 もちろん、ブツブツしゃべって、ひとりで笑ってる兄を気持ち悪いと呼ぶならば、オブラートに包んで「アイツは神の声が聞こえるんだ。」と影で指をさすといい。 私ならばちょっぴり変わってるよねと笑いかけるだろう。 私自身考え事が多いと歩きながら口に出している。 今さっきもそうだ。一緒に歩く妻は僕を気持ち悪いとよぶ。仕方ない。 神の声が聞こえる。レッテルに抵抗する手筈はないだろう。自嘲と諦め。それとほんのすこしだけ気に入っていたのかもしれない。 ゆえにどうしても神の声が聞こえて妹の性器を舐めたという類いの想像とは相容れない。 神の声を聞いて行動するならば気弱に行動しない。 どんな素晴らしいことも残忍なことも社会の正義や文化のためとつき動かされた人々のように雄々しく行動すると想像する。) ④ 本章 伝えたいと一番願うことが本章にあるとするならば この詩を読んだ人々と様々な感動したことを分かち合うこと。それともし、もしだ。 多種多様な感想のなかで私と同じ景色を眺めたひとがいたら嬉しい。こんな景色なのだが、なにぶん詩はへたくそだ。Breviewで大賞にかすったこともない。(気にしてないとはいっていない) ただ二次創作も詩の楽しみのひとつでもある。 はらはらと手紙は汚れまじつた雪でした とおくへ とおくへとんでゆけ いずれ溶けてしまう手紙の肌理は わたしの刺青になるでしょう はらはらと雪は悲しい花びらでした たじろぐぼくは口をあけてまっていた 愛しい匂いにまじつて 今朝も舌を焦がすのだ ⑤作者へ 好きかってやらさせていただきやした。 えっへっへ。あー、楽しかった。 この詩を作る時に抱いたことは 厳しい道のりのほんのひとつなのだろう 私の言葉や詩なんぞでは到底あるけぬ道だ せめて、一枚の栞になりたくて 最後にこの詩を紹介させてもらえればとおもう。 「馬」 えいっ こいつ えいっ こら ぴしり ぴしり ぴしり ぴしり 親方は太いつなをふりあげて いやがる馬の首っ玉をなぐりつける 馬はあごをふりあげ たてがみを ばさばさにして ぐいっぐいっと首ったまをふりたてている 太い木の根っこのような血のすじがふくれあがっている そのところを親方は とびつくようにしてぶんなぐる ぴしり ぴしり ぴしり ぴしり 炭の俵を くずれるほどつみあげた荷車をひっぱる馬を あともどりさせて倉庫へいれようとしているのだ 馬は あとあしをがんばり 前足を けりたてて いくらたたかれても いくらどなられても 後もどりはしない こいつめ こらっ ぴしり ぴしり ぴしり ぴしり 空気のさけるような音が ふりあげた首ねっこから出てくる どうして後へなんかいくもんか 前へなら進んでやる いくら重い荷物をひいてでも進んでやる だが後へなんか どんなになぐられたって どんなに叱られたって 一足でもさがるもんか そうだ そうだ さがりはしないぞ むりじゃないか むりなことだ おれは心の中で叫んでいた ぴしり ぴしり 馬はたたかれるたびに首をふりあげ 赤い歯ぐきまでむきだしておこってる ぎゅっと後あしを土にくったてて 大きな胸の筋肉をこぶこぶさせながら だまって だまって たたかっている 勝て 勝て 馬 馬 俺は心の中で叫んでいた ぴしり ぴしり だが 親方はとうとう まけた たたくのをやめて前へひっぱった らくらくと車は進んだ そうして ぐるっとまわって 倉庫の中へ入っていった 俺は※だっくらした ばんざいと さけびたかった 北風がびゅびゅっと吹いてきて 倉庫の戸にかけられた大根のほし葉を ふりもぎそうになるほど ゆすらかしていった ※らくらくした 大関 松三郎 山芋より


作成日時 2019-05-13
コメント日時 2019-06-12

推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 4
P V 数 : 1573.7
お気に入り数: 0
投票数   : 0

推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~ コメントセクション

コメント数(4)
芦野 夕狩
(2019-05-20)

鈴木 海飛さん このようなご批評賜り大変光栄に思います。 鈴木さんのこのご批評に対して、僕が僕なりにお返しできる認識は、この間やりました「自作解説」を聞いていただければと思います。 あれは(随分と胡散臭い真似をしましたが)鈴木さんのこの批評を読ませていただき、発生した僕の中の新しい解釈であったことはまだお伝えしておりませんでした。 もう十分に無粋な真似はしつくしたので、ここで新たに過ちを犯すことはしません。 (僕の面倒くさい性格ゆえ、あんまりお伝えすること適いませんでしたが)心からの謝意をここにお伝えさせた頂ければと思います。 ありがとうございました。 あしや

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真清水るる
(2019-05-23)

はじめに、わたしは 女性に対する暴力や近親相関をモチーフとしたあらゆる創作作品が苦手です。源氏物語ですら、わたしには鬼畜です。こんな私ですから普段であるなら、この詩に対してなんの反応もしなかったことでしよう。しかし たこすけさんのお書きになっているオープニングを読んで、 本作品へのレスではなく、こちらの批評文へのレスであれば、心を開いて、できるだけ この詩を鑑賞することが不可能ではないかしれません。 わたしは、たこすけさんが作者には「心をちっちゃく萎縮させるつもりは」作者に は無い。という言葉を信じてみます。いやあ、こんなに女性がひどいめにあっている作品を読んで びびって当然だと思うのですが、 それでも 『この詩を書くときに「決して汲みつくせない泉を書きたい」と思っていました。どんなに大きな桶で汲み続けても枯れない物語を、と。それと同時に、それは汲みうる泉であらねばなるまいとも考えておりました』と、言っているという たこすけさんの言葉を信じて、たこすけさんのこの詩への熱い感情を杖にして 読み進めてみようと思います。 -----作品より引用------- 1 この庭では神様の声だけが聞こえる 兄が私にそう微笑みかける。何度目の光景だったろうか。ヤマモモの木のちょうど良いところで別れた木の股に座って私にはわからない文庫本を読んでいる兄。夾竹桃の陰に隠れて軒先からは視線の届かない絶好の場所。 -----引用終わり この詩の景は、たこすけさんも言っているように確かに、壮大で 自然描写も美しい。 ヤマモモと夾竹桃は、どちらにも【桃】が言葉に含まれている。わたしには 堕天使と天使のように 対の意味が込められている気がした。ヤマモモは美味しいが、夾竹桃には毒があることから、この作品でのヤマモモは豊穣の象徴で、夾竹桃は邪悪の象徴であるように感じた。なぜなら、この作品の題名は、【神】を冠としているので 風景も神を意味しているかもしれないという読みをしました。 -----作品より引用------- 2 母の庭 私の生まれた日に母は亡くなった。それをきっかけに兵庫に住んでいた家族は岡山のはずれの庭のある家へと引っ越したと聞いた。それが何を目的としていたのか私にわかるはずもないが、結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。 -----引用終わり この詩に対して、わたしは女性として この【2 母の庭】と【4 気持ち悪い】の部分で違和感を覚えました。  まず、この【2 母の庭の章】では、「母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」とあります。兄と父には おそらく母親の生前の姿をしっている。すると、は庭が かけがえのない人であった母の代わりにはならないはずです。にも かかわらず、詩文には「結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」と書かれています。いやいや 娘さん、貴女だけが母が 庭となり得るのでは?と、私は思いました。  そして、【4 気持ち悪い】においては、男子たちがふざけた様子で通り過ぎた後に、ラブレターが置かれており、そのことを娘さんが「同性として、最後にその名前が記された女性の書いたものとはとても思えなかった。」と言っている点です。 いやいや そのシチュエーションだったら 男女を問わず、男子たちの悪戯と思うでしょうよ。と、感じました。なぜ、ここで女性として感じたことになっているのか。という点に、わたしは男性目線で書かれていることを強く感じました。つまり、娘さん自身に女だという自覚をもっていてほしいという願望を、感じました。わたしには、気持ち悪かったです。   たこすけさんが、兄妹というタブーの檻から 解き放つのに「癒」という表現などで 詩とむきあっておられて、人間て捨てたもんじゃないと思いました。 兄がぶづふつなにかいっている姿のことを、そのような人を見たら「神の声を聴いているという風にみようとする提案のような発言に、ああ人間て捨てたもんじゃないと思いました。腰を折って祈つているような人を 正面にまわって 正論をたたきつけるのは、下品なことかもしれません。 そして、やっぱり最初から最期まで付箋である神って どんな神だろう。 【7 イシス】と、ありますが イシスって、女性神だなと思いました。 【8 告白】「兄が偽りの神の声を聞いたように。」とあるので この詩では男性的なものは、偽りの神なのかもしれないです。 【9 たとえば首の短いキリン、あるいは鼻のつぶれた象】←既存の形が壊れてますね。 私は生まれて初めて泣いていたのだ。人は悲しすぎると涙なんて、でないそうです。 生まれて初めてなくのは、ふつうは 産声ですよね。でも、ここで表現されている膨大な涙は、やっと人として生まれることができた安堵かもしれない。おそらく、いままで怖がることすらどういうことを知らなかったのでしょうから。 暴力や人々の揶揄や、レイプなど たいへん きっつい物語でしたが、 やさしい読者目線の方をてかがりにして拝読できて よかったです。 さいごに たこすけさんの二次創作作品【④ 本章】をうけて さらなる虹創作。 ******************************** 題名【神ってるのは、貼っても剥がせるシールです】 兄と妹のシールを剥がそうと 悪戦苦闘 ごくろうさん はらはらしながら 読んだ手紙 いたいのいたいの飛んでけ癒しの泉まで とんでいけ はらはらと泣いたのは どこの子 男だ男だと威張んなよ 女神さまのシールは 涙といっしょにながします にしても なんなんだこの男どもは すこしは イグ ノーベル賞で話題になった虫を 見習え 男女の役割が逆転した虫ですら、女性に栄養をとどけてるんだぞ ええかげんに しろ!

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鈴木 海飛
(2019-05-30)

「妄想の線香花火」 さて、この詩への恋の熱がおさまってきたころだから続きを書こうと思う。 想像の導火線に火はついた あとは私の楽しみといえば 線香花火のようにひとつの火球から無数の火花がふるように 答えの数だけこの詩が長く咲くように祈りつつ 私の「レビュー」もひとつの火花を咲かせて消えてゆこうではないか 作者の解説を聞いたところ これは半分冗談だが、私の前半のレビューだけでは「ただの事件性に富んだ純愛ストーリー」ととらえかねない。と作者から軽い叱責をうけたようなきがした。 それゆえに私の影に作者が重なって 「ちゃんとお前もなぜ、この詩がクレイジーだと感想をおもったのか証左を出してみろ」 (ツイッターでこの作品のレビューに「おお、クレイジー」と書いたのです) そんなふうなことをいわれたような気がしたから今、文章を書き進めています。 同じ映画を見て感想を語り合うときに 映画のワンシーンに対して、なぜ、登場人物はあんな行動をとったのかとか あの情景の意味は何だったのだろうとか、語り合うことがある。 名作の映画ではそういうことができる。 そういうことができる詩というのはなかなかに面白い。 想像の隙間、我々、詩に携わるものの空白とか行間というものがこの詩にはあるような気がする 兄は自殺だったのか。 蛭とはなんだったのか。 なぜ妹は「蛭」を冷静に対処したのか。 そもそも、兄は生きているのか、死んでいるのか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まず、手紙がある。 るるりらさんは、どうもこの辺にご立腹だが、まぁまぁ、悪ガキどものいたずらとしては手紙というのはなかなか狡猾なやり方じゃないか。 もし、受け取る兄からしたら、相手の姿は見えないわけだし、そもそも、悪ガキが届けに来ただけであって、誰が書いたかは不明だ。 たまたま、休んでいた妹が受け取ることができたから悪がきの仕業だなと判断はできるが もし、妹がその場に立ち会っていなかったらどうなったかと考える。 るるりらさんのようにたくましく差出人不明の恋文に「これはいたずらだ。」と破り捨てることができたらこの世の男は苦労しないだろうよ。 書いた人間が不明な場合さまざまな疑心暗鬼になりながらも自分の経験と常識で信じてしまうのは人の常だ。ネットなんてまさにそうだろう。 ネットでは正体不明の人間の言葉をコロッとたやすく信じる。私は四年くらいネカマ(ネット上では女になりきる)やってて、男はけっこーどうしょうもない。 簡単にだまされる。もちろん女もだました。1000人くらいは騙した。皆、都合のいいものを見ようとするし、疑ってもなかなかに判断を下せないものだとおもう。妹は現場を見てたからこそ、きったねー字で書かれた恋文をみて悪がきの悪意を看破できた。 その現場を見ていなければ、私が女と偽ってだましてきた人間同様に兄もだまされたかもしれないね。 同じ男としてはそうおもうよ。 まぁ、私のことは現代の紀貫之とおもって許してほしいな。あっはっは。 さて、そこより私が着目した点は 手紙をなるだけ遠くへ無くそうとした妹の行動なんだよ。 たぶん妹は気づいていないっぽいな。 母がいないから、そうなのかもしれない。片親で母がいないからこそ、母を永遠に求めるというやつだな。 しかしもし、母がいて、その手紙を受け取ったら妹と同じ行動をしたとおもわないかい? こんな母親はいないとおもうけどさ。わざわざ、いたずらのその手紙をとっといて 「あきらくんがいじめられっこの証明をよみあげたいとおもいまーす!!」 なぁんて崖から叩き落すタイプの教育ママはレアケースだからね。 まぁ兄はそれはそれで強くなるとおもうけどね。あっはっは。 さて、この手紙はそう。兄はいじめられている証拠でもある。 これは兄は弱い立場の人間だという印象を妹に与えるには十分じゃないか。 そして、肝心なのが弱い男やこどもを守ろうとする女性の「チカラ」を世間一般じゃ「母性本能」と呼んでいるらしい。 ふふふ。そう。妹の手紙を遠ざける行動がまさにそれじゃないか。 世に言う母性本能というやつは環境が育てる。妹は兄に守られていたからこそそういう行動をとったと思えるかもしれない。母性では無いとね。 が、母親が子供を守ることも、立場の弱い男を守るのもどちらも母性本能として世に通用する。結構いいかげんなんだぜ世の中って。 兄が病院に運ばれたとき、妹は自分の中の「母性をつかもうとしてもつかめないこと」に嘆いていたが、まぁ、「妻」と「母」じゃ役割は違う。 母になりかわろうとしてもできない妹の悩みにどうこう言うつもりは無い、片親の人間がもつ悩みってのは根が深い。枝を一本切ったところで、世間というやつはなかなか認めてくれないし、片親の人間も世間を認めない。仕方ない。 さて、この妹が兄を守る行動から読み取って性器を舐めることは合意であったと付け加えるのは多数派の男と少数派の下ネタが通じる女性だけだろうし、 反対に性器をなめられても、気持ち悪くたって兄を守ろうとするのは、家族だからなんだよ。というのが私がなかなかに分からない「女心」というやつかもしれない。 なにわともあれ、兄のあきら君はつまはじき者、いじめられっこ、世間から気持ち悪いという心を凍りつかせるの言葉を受けていたわけだ。 心が凍ったとしても憎悪を忘れるわけではない、妹はその凍る手紙を細かくびりびりに破いていたが、どんなに遠くへ飛ばしたって、神の庭からでた兄の肩にはいつも妹が破いた手紙が積もっていたわけであります。 そして、近親相姦という罪、穢れのお札を無理やりはがした兄妹達には、罰が待っていましたね。 戦車で轢かれたような跡、ずいぶんはがしちゃいけない粘着力の強いお札、いや、シールををはがしたもんだから、肉ごとえぐられたようじゃないか。 咎人の焼印のごとく、罪びとの刺青のように、それが兄弟たちの密かな絆のようであるようにね。 そしてその跡は別の見方をすれば「もう、あんた一生他の女とセックスできないねぇ。」という風に兄に思わせるには十分な毒であり傷跡だな。 舌とポコチンにできた妹との火遊びの跡は神の庭にも侵入する新たな毒となって世間知らず、もしくは世間となじめない兄を惑わすだろうね。 舐めただけじゃない、セックスもしただろうというのが俺の独断の見解だ。 (この俺の独断が俺を悩ませる。蛭の正体は正解は舌なんだろうけどね。蛭だから吸血。と想像すれば、真っ赤に血に染まった吸血鬼の口をイメージできるからな。だが、俺はあえて、神の庭に弓を引く、弓どころじゃない。ハート型の銃口で神の庭をぶち抜いてやる。) 妹の毒の症状から見るに舌だけではなく挿入したポコチンにも毒は回っているはずだ。セックスしていればね。 ただれた舌とポコチンをみて、兄は癒しとしてはじめた行動も世間の正義様には勝てないんだ、罰が当たったんだとおもうかもしれない。 単純に神の庭から追放された罰なのだとね。 穢れた身のままを神の前にたっていいはずが無い。 それでも、ただれた妹の性器を前に兄のはたったとおもうけどね。あっはっは。 冗談半分、真剣半分だ。真剣な部分はいじめられてた兄の憎悪が妹の身体に反応する自分の性器へ向かったかもしれないし、もしかしたら、妹にしか反応しなくなってしまったポコチンにたいして絶望を抱いたのかもしれない。そして、憎悪の矛先が~向けたくないけど、妹に向かう可能性だってありえる。 理不尽だがそんなことはよくあるものさ。世の中狂ってるからな。 世間にもなじめず、神の庭にも戻れない穢れた兄。 「蛭」は何を示すか。それは千切れた肉片にすぎない。兄にとっては穢れたものさ。 兄にとっちゃどうでもいいもので、捨てなくちゃいけないものになってしまった自分の身体なんだ。 穢れの正体はポコチンだったものだ。あくまでも、おれの妄想だけどね。 舌をかんで自殺というのもなかなかに説得力がある。孤独に際悩まされて末にね。 だが、舌をかんで自殺ってのは、成功率が異常に低い。死にたいなら首をくくるだろう。 手ごろな木はその辺にいくらでも生えてるしな。 文学をたしなむ聡明な兄がわざわざ苦しみ、舌を噛むという成功率の低い自殺を選ぶとは思えないが、 それとも、若い故になにか文学的な死に方をあこがれたゆえに、そんな方法をとったのかは分からない。 まぁ、死んだとしても福沢諭吉の「権助の死」として、価値の無い死ととるかどうかは、人それぞれだしな。 文化や国益のために死んだとみなさず、狂って死んだとみなすかはどちらでもかまやしない。 それはそうとふふふ、もしかしたらニーチェにでてくる蛭人間に変身してしまうようなただれた自分に恐怖したのかもしれない。 そうそうニーチェのツァラトゥストラはかく語りき でこんなことをかいてあるらしい。 「不具者」たちが、われらを癒してほしいと言う. 病者は病をもって生きる術をあみだしている、病を除けばお前たちは凡庸となり、それは害悪である、とツァラトゥストラは答える. さらに、民衆はそのことを知っているので、不具者を迫害するのは民衆の「知恵」である. ま、この言葉から兄と神の庭という詩に何を当てはめるかはどうぞご随意にとしかいえないな。 その辺の論争は興味ない。言葉とは裏腹な行動を見てきたからな。俺ははきはきとした声をだす聞こえのよい平等主義者は差別することにしてる。 ただ、ニーチェのやつに「蛭人間」というのが登場するから気になってここで紹介しただけに過ぎないよ。あんまりニーチェはよく分からないしな。あっはっは。 話を元に戻せば、「これは自殺だったのか?」という疑問をおもっている。 妄想を膨らませれば、兄は自殺ではないとおもっている。 生まれ変わろうとしたのだ。人生をやりなそうとしたのではなく、人生を生まれ変わろうとして、よみがえろうとしてポコチンをきったのだ。 再び神の庭に戻るためにね。復活望むように、これはイシスへとつづくんだけどーーー。 舌を噛みながら、人は叫び声なんてあげられない。血泡でぶくぶくしたり、窒息死しそうになってヒューヒュー息をするのが自然だ。 噛む前に獣の叫び声をあげるのは少々ドラマティックだ。世間と神の庭両方から追い詰められて兄。 ポコチンをきる。それは宦官のような存在になろうとしたのさ。 結果としてオスでもなくメスでもない。穢れの無い身体になるために。 皮肉なことに「蛭」は雌雄同体だがね。これは運命のいたずらかね。 ポコチンを切る描写については浅田次郎の「蒼穹の昴」という非常に面白い小説があるのでぜひ読んでほしい。 この小説は、人生を再構築するために、妹のために宦官になることを決意する波乱の時代のなかで生き延びる兄妹の話なのだが そのなかでポコチンを切ることのあまりの激痛で舌を噛み千切ることがあると書いてあったような気がする。 これをあてはめるとつまり、兄は穢れであるポコチンを切り、激痛に耐えようとマウスピース代わりに花を口いっぱいに含んでいたが 予想を超える激痛に、誤って舌を噛みちぎったと俺はおもってる。ある意味、偶然の事故の結果だったというわけだった。 ただ、ポコチンを切ろうと、舌を噛もうと死亡率というのは現代医療では低いほうだ。 自殺として考えた場合、兄はそんな手段で自殺を試みようとしたわけではないとおもう。 繰り返すが、生まれ変わろうとしたのだ。ただ、真実は血に染まった花だけが知るというやつだがね。 イシスの章では ちぎれた肉片「蛭」をみて妹は古代エジプトで信じられていたように、復活のためにミイラにするように白い布で包んだ。 兄はたぶん妹にそうするように仕組んだわけではない。 妹は兄の話を聞く中で、エジプト神話を聞いたりしていたのだろう。 そして兄がいつか何かしでかすと分かっていたのだ。 妹が肉片の第一発見者なのはまぁ、神の奇跡というやつにしておこう。ふふふ。 そして、兄が何を望んでいるのか知っていたからこそ、布にくるんで隠したのだ。 病院でなにがあったか話そうとしないというのは兄が望んだことだからと妹が固く納得したほうが分かりやすい気がするよ。 世間では兄の凶行ととらえられる事件は、兄妹にとっては覚悟のできていたことだと私は何度か読んでそうおもった。 じゃぁ、ポコチンをきって死ねるのかとかけば、 舌とポコチン両方切れちゃえば、失血死というのは考えられる。 が、現代医療ではそう簡単に人間をしなせてくれない。 だから、兄は生きている。俺はそうおもっている。たぶん生きてても精神病院だろうけどね。 本人の意思に関係なく世に出ることは禁止されている世界だ。 神の庭という兄妹の巣を破壊された後に妹がなぜ泣いたかのという疑問が多い。 俺は人の喜怒哀楽に理由をつけるのは苦手としてるけど。。。 それは社会の歴史を論述で語ることはどうしても歴史の一部分の側面になってしまうのと同じだもんさ。 こんな妄想はいかがだろうか つがいの二匹だった獣が一匹になった。 そして、兄がかつて世間でみせられていた残酷な景色と、 今も兄が(病院で)見ているであろう景色を、それは首の短いキリンや鼻の短い象を 妹も目を通して見えるようになった。 神の庭が、巣が破壊された跡にね。 このことを男と女がお互いの瞳をとおしても同じ景色を見ることができるようになった。と書けるではないか。 言葉だけを切り抜けば、このことを世間では純愛とよぶ。いいかげんな母性本能と同じ理論だけどね、あっはっは、 だから、このレビューを純愛と呼ばれたときは、正直、韓国ドラマっぽいソープドラマティックとして読んでいるのだとおもわれて、 こしゃくな!!とおもったけど。今になって思えば、ふふふ、いいよ。純愛。そうだよ。純愛として俺はこの詩を読んだ。 もちろん、純愛の先には、世間では凶行呼ばれるものも、二人の間では純愛なのだ。阿部定が純愛を通したようにね、 世間では凶行。二人のあいだでは、兄妹にも、阿部定と殺されてポコチンを切られた石田にも純愛があったのさ。というわけさ 父親が、お前もそろそろ、と一般的な結婚という形式的な幸福を進めるが さて、還る場所(世間や神の庭)も、人(兄)もいない人間(妹)にそういう言葉を進めるのは 死ねというより残酷な言葉のようにも思えるよ。 おもしろい作品だったなぁ。

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鈴木 海飛
(2019-06-12)

えーー、まだ続けるのー。 もーあたまがパンク状態だから ぽややんとしていたいけど いいよー。じゃ、遊ぼー。 始めに言っておくけど 様々な感想を信じるっていうーのはね。 この詩は一般的、つまり共通した答えは出にくい作品だろうなってことでもあるからね。お忘れなく。 ふふふ。 るるりらさんのね。引用するよ。 この詩に対して、わたしは女性として この【2 母の庭】と【4 気持ち悪い】の部分で違和感を覚えました。  まず、この【2 母の庭の章】では、「母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」とあります。兄と父には おそらく母親の生前の姿をしっている。すると、は庭が かけがえのない人であった母の代わりにはならないはずです。にも かかわらず、詩文には「結果として母の代わりにその庭が兄と父に与えられたことは事実だろう。」と書かれています。いやいや 娘さん、貴女だけが母が 庭となり得るのでは?と、私は思いました。 引用終わりー‼️ 妹は兵庫県生まれで、生まれた日に母は死んだとある。それで引っ越して岡山県の庭付きの家にきた。 父は庭付きの家を手に入れて、 兄は文学に浸る、自分の部屋を庭に見いだしたって感じの章だよね。 むしろ、それしかないんだよね。ここ。ねー。 兄と父は生前、母の面影を知ってるてのは間違いないと思うよ。るーるーの言う通り。 でも、良い母なのか。悪い母だったのかも分からない。 良い母が妹の出産で亡くなってしまったと想像することもできるね。確かに。かけがえのない母であったとするならば、庭ってのはなんか違和感があるよね。 そう、違和感を覚えたけど、それをぼんやり見過ごすことにしたのは「結果として」だった。 それは「結果として」という言葉は 「過去はどうであれ」という風に 過去が現在の家族には特別な絆を持っていないようにも見えたよ。 そこをどんな風に我らがタコちゃん(カイト)が想像したのか一部書いてみるね。 妻(母)は不倫しまくってたから離婚して、妹には死んだことにして、親権を妻に放棄させて引っ越してきたとも想像できる。(母親は生きている可能性もある。) 別の考えで、兵庫県とあるから 大震災によって母や家族親族を失い、 それで引っ越してきたかもしれない。 それがたまたま生まれた日だったとしても、まぁ、筋は通る。 もちろん、妻をなくしたサラリーマンの父が二人の子育てのために、仕事を辞めて実家に戻ってきたとも読める。 なんにせよ。 「結果として」という淡白な書き方だから過去にあまり邪推は要りませんよと私の想像を柔らかくお断りを受けたから、ふんふんって感じであんまりそこに意味を深く追わなかったよ。 るーるーはそこに譲れないこだわりがあるんやろなー。 まっ、確かに出産と同時に母が亡くなり娘を生んだのならかけがえのない「妹」ではあるよね。 ただ、重要なのはその妹に「(引越が)何を目的としていたのか分かるはずもない」というのってさ。 ずいぶん、いろーんな意味を含ませたいやらしい書き方だよね。ふふふ。 ずるいぞ‼️芦野!!って笑いながら言いたくもなる。 過去が都合の悪い意味を持つから、妹に詳細を話さないのか。それとも、悲しみが強すぎて、話さないで忘れることにしたのか分からないけど るーるーが想像し、妹こそが母の代わりになり得るという想像も間違ってはいないと思う。 ただ、意味を決めつけるには 芦野さん(ゆかりん)の文章トリックにしてやられたなってところかな。 ふふふ。 続きはるーるーが続けたくなったら また話そうか。 おまけとして ふふふ。レイプとも書いてないし、合意上で、だなんて書いてないし、分からない。 一般的な答えはほぼ不可能だよ。 だけどね。 兄妹恋愛をタブーすることに対して歯向かう気はないけど、 すくなからず兄妹達がそういう経験があったとしても、忘れることにしたり 傷になったり、よき思い出になったり、さて、常識的には想像もつかないレアパターンでは、 日本でね、ひっそりとね、多くの人々から祝福はあえて受けずに、隠れて兄妹がひとつ屋根の下に新しい命さえ育んで、必死に生きている姿を知ると さて、幸せならばいいじゃないと思う。 だが、レイプは駄目だな。 それだけさ。 この詩を復讐として読むならば、 妹はレイプを受けた末に 精神病んじまったと読むことも可能でしょうね。 さて、この詩はレイプだったのかなー合意だったのかなー。わかんないなー。 俺の童貞を捨てたときのことを振り替える。あのとき、私はレイプでしたか。合意でしたかと己に聞いたとき。 レイプでもなければ、合意でもなかった気がしてしまうのはなぜだろう。 そんなたどたどしく、初々しいのが 初体験の魅力のひとつだと偏見に思っております。 あっはっは!! もちろんレイプはだめだ。 ポコチンは斬るべきだな。あっはは‼️

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