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新年のお慶び*   

作成日時 2019-03-10
コメント日時 2019-03-13

新年のお慶び。 お慶びはむにゅむにゅと不定形で ある。 一月一日、僕の生の軌跡を後からつけて くる。 お慶び申し上げます、と。 元朝、僕は小便器に向かってしょぼしょぼ 薄明るい尿を放ち その覚束ない軌道に切なく泣いて いた。 何が慶ばしいというのか不思議だが お慶びは慶ぶことが商売で セブンイレブンの配送車に乗って 僕の跡を夢の中までつけて きた。 これから僕はコンクリートの慶ばしい 溝蓋を音を立てて踏んで 慶ばしい道を歩き 一袋の胡桃パンとドリップコーヒーを買いに いく。 頭頂の旋毛に垂線を立てて先を辿ると 目には見えないけれど朝の星が動いて 僕と世界の運命をギリギリ引っ掻き 修復不可能な深い傷を付けて いる。 そんなはずはないがそうな のだ。 言葉は事態を離れ別室のソファで休んでいる 大股を開いて自慰に励んでいるのは 自己言及によってしか言語というシステムの 骨組みを維持できないからだ もはや僕たちとお前の関係は断たれた 詩人と 言葉の 契約は解除されたから言葉は動か ない。


項目全期間(2020/01/26現在)投稿後10日間
叙情性11
前衛性20
可読性00
エンタメ11
技巧00
音韻00
構成11
総合ポイント53
 平均値  中央値 
叙情性0.50.5
前衛性11
可読性00
 エンタメ0.50.5
技巧00
音韻00
構成0.50.5
総合2.52.5
閲覧指数:237.8
2020/01/26 22時05分38秒現在
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コメント数(7)
右肩ヒサシ (2019-03-10):

*ビーレビ杯不参加作品です。 今年、一月一日の日に書きました。 セブンイレブンにはよく行きます。よく言われるように食品に添加物が多いのと、働いているひとやフランチャイズのオーナーに負担が大きいということ、見えないところで個人情報を収集することなど問題点は多いですね。 でも、便利で生活には欠かせないものです。せめて店員さんには礼儀正しく振る舞うように心がけています。 もっとも詩のない場所が、夢の中にまで登場するというのがこの作品のキモかもしれません。 この作品の登場人物とは別に僕自身に関していえば、最初から僕は詩人ではないと思います。

ふじりゅう (2019-03-10):

拝見しました。  面白い点として、「お慶び」を題材とした着眼点にあると思います。お慶びが一般的には定型文かつ堅苦しい表現ながら、 >むにゅむにゅと不定形 と「お慶び」を組み合わせることによって、響きの面白さと「不定形」の違和感に目を奪われます。 また、小便の表現から >何が慶ばしいというのか不思議 と返すこ気味良さにクスリと笑いがこみ上げつつ、 同文がセブンイレブンの描写へ続いています。 後半は詩人を題材に、主人公が考えにふけっています。 後半の内容から主人公の姿がくっきり映るようになっている構成が見事であり、 前半の本文へ惹きつける技術が素晴らしいです。

右肩ヒサシ (2019-03-10):

ふじりゅうさん、コメントありがとうございます。 構成に一貫性がないですね。「お慶び」は最後どこにいっちゃったんだろう? それはつまり、書き手が言葉と喧嘩別れをしているからなんですが、そこをうまくくみ取って下さったようです。ありがとうございます。 う~ん、でも「僕たち」って「僕」と誰なんだろう?読み手かな?割とささっと書いたものなので、細かいところは書いた本人にもわからなくなっています。

みうら? (2019-03-11):

一人称で「僕」を使うリアリティについてコメントを書こうと打ち始めたら、右肩さんが既にコメント欄で誰なんだろう?と自問されていることに気がつきました。こんにちは右肩さん、相変わらず文章が下手なみうらです。僕と称して書き始めることにためらいが出てきてるみうらなんですが、俺というのも自意識過剰なみうらはガサツに受けとられるのが嫌だなあってなりますし私と称するには照れがあります。本作にある「慶び」が皮肉な響き、あるいは自嘲する響きとして作品を覆っていて、「僕」がする小便の様や溝蓋を踏む様が徒労感というか、生を引きずっているように思えました。その引きずっている生の徒労感は「俺」でもなく「私」でもなく「僕」の称し方でしか発せれないことに思えるのです。そう言ったところで、右肩さんが、その通りだよみうらくんと、お答えされないだろうなあとも想像します。それは作品の後書きとして残されてる「最初から僕は詩人ではないと思います」という断りの文言から思うのです。自己言及によってしか得れない言語の感触、それはある、でもそのようなことはどうでもいいのだという、言ってもいない言葉を想像してしまいました。勝手ながら。おそらくそれはみうらが持つ希望の反映なんです。契約の解除の言が明るい解放として伝わってきました。

まりも (2019-03-11):

なにやら猛烈に多忙(というか気忙しい お腹コワシマクッタ)2月、あんまりこちらに来られませんでした。 来てみたら、右肩さんが投稿されていて。 ・・・私のパソコンの調子のせいなのか、右肩さんが意図された「エフェクト」なのか、 「言葉の  契約は解除されたから言葉は動か  ない。」この部分が、フェイドアウトするみたいに薄れていって、最後はほとんど見えない、状態になっているんですよね・・・これは、機器の方の問題なのかもしれませんが。 疑問点は、「ある。」「くる。」「いた。」などの改行の仕方。ある、とか、いる、くる、は、二重の意味性が生まれるので(意識しすぎ、という感じにもなるけれど)面白い効果が出ると思いますが、「のだ。」は、音感やリズム感で区切った、ということでしょうか。 「しょぼしょぼ  薄明るい尿を放ち」 薄明るい、という感覚と、しょぼん、とうなだれている感じと、排せつ物(不要物)の方がよほど美しくて元気がよくて、という情けなさ、的な感じなどが、いい感じだな、と思うと同時に、尿が汚く見えない、というところ、諧謔やドギツサ、えげつなさを「ねらっていない」自然な感じ、が良かった、と思いました。 しと、と読みたい感じ。

右肩ヒサシ (2019-03-13):

みうらさん、コメントありがとうございます。 僕は日常生活でも自分のことを「ボク」と言っています。小ちゃいから自分のこと「さっちゃん」というくらいに無自覚になっていますが、小学校くらいまでは「オレ」と言っていました。周囲の男はみな「オレ」でしたが、自意識が目覚め始めて自分をフィクショナルな次元で立ち上げたい、と思ったようです。まさしく「厨二」を引きずってるんですね。無自覚に、自然にそこにいることができないのです。 ここで言いたかったのは自分の呼称ではなくて、無意識に選択した一人称複数のことなんですが、責任逃れの甘えかもしれないし、僕ではないあなたたちへの逆説的な挑発かもしれません。 まあ、いずれにせよ、大人として成熟し損なった僕が、そのまま老人になってあたふたとしているわけです。「お慶び」という言葉は現代社会の陋屋に届きはしないのに、嫌味のように執拗に正月に君臨しています。作中の「僕」はそれに突っつき回されています。

右肩ヒサシ (2019-03-13):

まりもさん、コメントありがとうございます。 エフェクトできるほどの技術はありません!僕がやったとしたら、無意識に使った呪術かな?でもまりもさんを呪う理由はまったくありませんねw パソコン、お大事に……。 「ある」「くる」「いた」「のだ」は、仰る通り繰り返しのリズムの生成と、その破調を狙っています。例えば「ある」「くる」「いる」「みる」だと当たり前に退屈で、作者の詩的怠慢になるとしか思えません。また強いて言えば、リズムがぐだぐだに破綻していく方が無いように相応しいのです。 「しょぼしょぼ/薄明るい尿を放ち」に注目して下さったのは嬉しいですね。きちんと書けたと自負している部分です。まりもさんの読まれた通りのことを作者も表現しようとしていました。言葉で書かれているけど観念的ではなく、押しつけがましい生々しさも持たないように、と考えて書いています。 「しと」でもいいいですが、人の寝ている枕もとにするつもりはありませんw「いばり」「ゆばり」「ゆまり」などありますが「しと」はあの句のイメージがあまりに強いですねw こちらへの投稿はいつもなぜか下ネタばかりで……。すみません。

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