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キメラの後ろ姿
時々くうきが固体化するのでむせる 怖ろしくて深呼吸なんて出来やしない 慎重に、丁重に、吸って、吐いて みんな自分に都合の良い応えだけ欲しがる ここで笑い、あそこで慰め、そちらで頷く おかげで私はキメラよりもおぞましい 白い服以外もう着ない 全てを拒絶する色で 強要される応えなんて無視だ無視 疲れたって言ったら肺がしぼむ ため息ついてもしぼむ 泣いたらもっとしぼむ しぼんだ風船のような肺に送る 求、求、求、 最低限のくうき 誰も彼もにいい顔しすぎて 自分の素顔が分からなくなった 白い袖で頭を抱え込む 途端くうきにむせる 昆、昆、昆、 鏡の私はまだ振り向かない
作成日時 2018-08-02
コメント日時 2018-09-15
キメラの後ろ姿 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 753.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
項目 | 全期間(2022/07/07現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは、なつめです。演じすぎて曖昧になった自分自身、仮面を被っているのかいないのか、それとも自分は別の何かなのか、確かめたいのに「自分」は鏡の中、反対側を向いている、見えるのはキメラよりおぞましい背中だけ…という風に私は解釈しました。悪魔、でも、化け物、でもなく、キメラ、というところに惹かれました。前作にコメントしようかどうしようか迷って、私の文力の乏しさを思いしり、断念しました、が、前作もそうですが、人間の繊細な一番人間らしいところを切り取るのが素晴らしく長けているな、と……。それ故リアリティがあって、読む度に深い部分に刺さるような、衝撃を感じます。黒い服ではなく、白い服、また白い袖という描写、流石だな、と思いました。純粋でありたいという心の現れなのかなーと、憶測でしかありませんが、私はそう思いました。個人的な感想で申し訳ありません。読めば読むほど深いなぁ、と思います。
0なつめ様 ええ、ままごとにもご感想あげようとして下さったのですか! 読みたかったですー。 なんか、べた褒めされて、身の置き所が…笑 白色って、私ふたつの意味があると思っていて、ひとつは詩中にも書いた、全ての色を拒絶して何にも混じらない結果としての白と。 あらゆる色を取り込んで尚、純白を保つという意味での白が、私の白のイメージです。 だからなつめさんも仰って下さっていますように、純粋でありたいというのは他人の色に侵されたくないとか、そんな感じで白色を出しました。 コメント頂きありがとうございました。ぺこり。
0>求、求、求、 キュウ、キュウ、キュウと読むととても息苦しい感じがします。 また、 >昆、昆、昆、 「昆」の漢字の意味を調べて、腑に落ちました。鏡をノックするような音、または咳き込んだのか...そこに何かがひしめいていて、やっぱり苦しい感覚。むせたときの、喉の締まる感じ。 疲れ果てたときの体の重みや、「やらなきゃ」と思うほど動き出せないときの精神的苦痛、ありますねぇ。 家をいつまで経っても片付けられないまま、それを棚に上げて職場で生活の愚痴をこぼしている自分は確かにおぞましいなぁと思いました。八方美人はキメラかもしれない...と。
0読んでいてなかなかに辛い。この詩の読み手(桐ケ谷さん本人かどうかはわかりませんが)はとても息苦しい思いをして生きてらっしゃるのかなと拝見しました。しかし詩自体は苦しみや生きづらさの押しつけにはなっておらず、面白味のあるテンポで読ませていると思います。
0杜 琴乃様 こんにちは、杜さん。 >求、求、求、 はい、キュウ、キュウ、キュウと読んでくださるよう、求の漢字を使いましたし、 >昆、昆、昆、 こちらもやはり杜さんの仰って頂けた通りに読んでもらえるよう、昆の漢字を使いました! 昆の漢字はわざわざ調べて下さって、すごく嬉しかったです。 誰でも分かる感じで、意味も通るような漢字を使いたかったのですが、あいにく思い浮かばなくて…。 八方美人はキメラだと私は思うのですが、それはとても自分にとっては苦痛なのに、ならざるを得ないというのが また苦しいところだと思います…。 どうもありがとうございました。ぺこり。
0キメラなどが出てくると「詩」だなぁ、と思って読めなくなってしまうのですが、この作品は上手く楽しませてくれるので抵抗なく読めます。確かな言語感覚とわかりやすい音感を持っている方だな、と思いました。 >強要される応えなんて無視だ無視 この辺り、テンポが良くていい感じですね。。
0stereotype2085様 大なり小なり多くの人はこういう風に生きていて、そこに苦痛を感じるか否かで 生きやすいか生きにくいかが決まるのではないかなーと思っています。 面白味のあるテンポ・・・特に意識してはいなかったので、テンポあるのかと びっくりしました。嬉しいです。 どうもありがとうございました。ぺこり。
0右肩ヒサシ様 そうですね、「キメラ」はベタなポエム語ですね笑 でも楽しんで頂けたようでホッとしました。 言語感覚と音感…求~と昆~のところでしょうか。最近、このように感じを漢字で表すのが面白くて ストックにある詩にもたびたび使ってます。 テンポも褒めてくださり嬉しいです。 どうもありがとうございました。ぺこり。
0最初の一行めから感覚がリアルに伝わって来て、引き込まれました。〈くうき〉とひらがなで時間をかけて読ませるあたりも、〈固体化〉という文字から感じられる硬質感とともに、うまく働いていると思いました。ひらがなと漢字の使い分けであったり、無用な説明を省いきつつ、感覚を丁寧に伝えているところなど、とても良い詩だと思いました。 娘が過呼吸で倒れたことがあるのですが、手足がしびれて、どんどん息ができなくなるのだそうで・・・周りの友達が、深呼吸して、だとか、だいじょぶ、だいじょぶ、と声を掛けてくれたそうですが、体験者が何人もいたせいか、大事とは扱われず、死ぬ思いをした、と話していました。 自分の意志や感覚、感情に、まるで体が逆らうように動いて反応してしまう。それも、相手の気持ちを深読みしたり、余計な先読みをしたり、想っていないかもしれないこと、考えていないかもしれないことまで予測して・・・そうした予測や予感が、自分の体を部分ごとに乗っ取って支配していく、ような、そんな・・・自分が侵蝕されていくような感覚、とでも言えばいいでしょうか。自身をキメラ、と客観化して、おぞましい、と突き放しながら、そのおぞましさと闘う自己も現れているような、そんな力強さも感じました。白という色彩も上手く機能していると思います。
0まりも様 こんにちは、まりもさん。 >無用な説明を省いきつつ、 うわぁ・・・何度も説明的すぎるって言われていた私が、このようなお言葉を貰える日がこようとは笑 過呼吸、ではないのですが、私も突然交感神経が狂って呼吸までおかしくなるという「発作」(病名が分からないので便宜上そうよんでます)を起こすことが 平均すると1か月に2回くらいあるので、その感覚をずっと詩にしてみたいとは思っていたのです。 でも過呼吸の方が普通の人に伝えるには苦しさやパニックを想像しやすく受け止めてもらえそうです。 >そのおぞましさと闘う自己も現れているような、 ネガティブな詩ですが、そこはポジティブに捉えて頂けたら良いなーと思ってましたので、嬉しかったです。 どうもありがとうございました。ぺこり。
0くうきが固体化する》と自分も動けなくなる、ので、《むせる》ことができるかどうかはわからないが、いきなり固体化して、包まれている自分も動けなくなるのが怖いことは間違いない、そして《深呼吸》にしろ当然できたものじゃない、だから、《慎重に、丁重に、》だ。この連がもう《慎重に、丁重に、吸って、吐いて》いるようだ、そんな注意と呼吸をしている、ように感じる。 それにしても《キメラ》。ライオンの頭と山羊の体、蛇の尾の噴火獣(シュメール)。はおぞましい、が、それは姿もありようも、であって、《私》は、それにもましておぞましいのか?と、《私》をそんなふうに見ている〈もうひとりの私〉にたずねてみたくもある。あっちこっちで相手に合わせてうまく対応する、他者との関係に心を砕く努力をすることは、〈もうひとりの私〉にとっては「キメラ」よりキメーこと、おぞましいことなのかもしれない、〈もうひとりの私〉は《私》がそんなふうにふるまうことに脅かされるのかもしれない、そう思う。 白い服は死に装束みたいだし、白い服しか着ていない人々の集団はこわいので、近寄り難いので拒絶には適している、そのくらい〈もうひとりの私〉は《私》が上手に環境とやっていこうとすることを怖がる、遠ざけたがる、それで《無視だ無視》というのは焔じゃないかと、キメラの仕業じゃないかと、少し疑う。環境や他者との関係に心を砕くこと、対応力をつけることを、それほどまでに拒み、遠ざけようとする、「変化の否定」の強烈なありようは、むしろおぞましい、ような気がする、足をつかむ渦巻き、呑み込む太母のような、怖さがある、ので、白い服は、《私》を外から遠ざけ、内側につなぎとめるにぴったりだ、そのぴったりさ、浮き世離れした似合い方、《私》を《キメラよりもおぞましい》と見る〈もうひとりの私〉の、〈否定〉に見合う《白い服》を思う。さらに、さらに、白い服以外着ないとしたら、いつでも誰にも同じ装いというのは、変化に富む人間としては融通の効かなさ、硬化にも見えはしないか、《固体化》を思い出す。相手との関係によって対応や見せ方は変わる、呼び方が変わるように、それは生きていく上で社会的に要請されるふるまいに適応するものであって、ペルソナを獲得することであって、いわゆるパーソナリティはそこで形成されていくものであるとすれば、それをシャットアウトすることは有意義といえるのか、考えなければならないし、〈私〉というものに対する見方が、〈私〉自身にとって都合の良い理想として作られてはいないか、吟味の必要がありそうだ、でなければ、窮屈で、呼吸しづらい、そうだ、のびのび生きづらい気がする。 しかし、自身にとって都合の良い理想像に固執して頑なに守ろうとする〈もうひとりの私〉であるならば、《白い袖で頭を抱え込む》のは当然の成り行きといえる。《素顔がわからない》のでなく、それも素顔のひとつひとつと認められないならば。というのは、常に他者との関係につながれ、それらの関係において私があり、変化する、そのような動的なものこそ私たちなのだから、などと思ってみる。最終連、咳きこむという排除の反応は受け入れがたさを暗示しているように思われる、《鏡の私》が振り向かないのは、〈私〉が背中をむけているからだ、現実の《私》を認めることに背を向けているからだろう、そのくらい怖いのかもしれない、否定する私の姿を、私自身がそれをありのままの姿と認めるのは怖いし、脅威に感じる、それほどに私を自由な、だろうか、開かれた側へ向かうことを阻止する《おぞましい》ものを、私たちも内部に抱えている、ような気がする、と思わされた、そういうもの「とも」内部で関わりながらも、開かれた側へすすみたいし、《私》もそうであってほしい、そんなところにようやく今行き着いた作品です。 ※だいたい書きながら読むので、めちゃくちゃ長く、わかりづらいコメントになりましたが、ざっくりまとめず、そのまま載せました。御寛容を。
0藤 一紀様 こんにちは、藤さん。 思ってもいなかった方向からのコメントに、びっくりしました。 人間というのは社会的な生き物である、という基本を示して頂いてありがとうございます。 批判ではなく、あたたかく方向性を指し示してくれたような心持ちになりました。 そうですね、社会性というもの、その視点が一切この詩からは排除されていますね。 相手の望む通りの自分を演じて、自分の本音が素顔がどんなものなのか分からなくなってしまった、 というのがこの詩で言いたかったことだと思うのですが、自分の素性を忘れるほどではなくても 大体の人は、この人にはこの顔、あの人にはあの顔、と使い分けていくうちに 自分の意志が育まれていくのかな、と藤さんのコメントを読んで そう思い直しました。 ただ、そうやってペルソナをいくつも抱えて過ごす人間というのは、どこで自分のありのままを さらせるのかなあ。 少しずつ、ペルソナから素顔を誰にでもチラリと見せていくのかな。 それでバランスを取っているのかな。 ちょっとこの件については、1週間や1か月で答えが出せそうにないので 自分への課題として探っていこうかなと思いました。 とても考えさせられるコメントを頂き、ありがとうございました。ぺこり。 あ、あと私、コメントが長文であればあるほど小躍りして喜びますので、そういう意味でも嬉しかったですよ!
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