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ジロ
白色と茶色の尻尾が 一瞬 鮮やかな光芒を引いて 色のない濁流に呑み込まれてしまった ジロは流されていったのだ ジロは ジロは いったい何処へ行ったのか? 柴犬のジロ きりりとした顔立ちだ 長い舌がボクを舐める ボクの大切な友達ジロ 悲しい時 ツライ時 嬉しい時 楽しい時 必ず傍にいるジロ そのジロが流されてしまった 夏の晴れた日だ 上流で大雨でも 降ったのだろう 狭い川は突然の 濁流に襲われた 大人たちが騒ぐ 急かされるまま 岸から上がった でもボクは岸に 麦藁帽子一つと 虫取り網を一本 忘れていたのだ ボクは慌ててとって返す だが先回りしたジロに押し倒されてしまう ボクは道にひっくり返ってしまい そしてジロが濁流に流されてしまった 子供のボクは どうすればいいのか さっぱり分からないままで ただ泣いている しばらくして濁流が収まった 岸へ降りようとしたボクを 大人たちは押し留めるのだった ボクはまだわんわん泣いている 大人たちは手分けしてジロを探す 川の下流の草むらや 流れの淀みの底 橋脚に絡まった木々の間を 長い棒で刺したり突ついたりする ボクは橋の上から川を必死で見詰めるが もちろんジロは見つからない おったでえ! 大人の一人が叫ぶ やっぱり、死んどったわ! ボクはその言葉が信じられない また泣きに泣いた 大人二人掛かりでジロの死骸を岸に下ろす ボクは大人の制止を振り切って 岸に降りてゆく そして筵(むしろ)に横たわったジロの死骸だ 全身が濡れて口から白い舌を出している ボクはジロに抱きついて またわんわんと泣いた 空は血のような夕焼けだ 大人たちは ボクをジロの死骸から引き離す 何すんねん! ジロが! ジロが! 手を振り払ってまたジロの死骸に抱きつく どアホ! しこたま頭を殴られる 痛いがな痛いがな、何すんねん? 伸びた大人たちの手で ジロの死骸から引き離される 手の一つを噛んだ おどりゃなにさらすんじゃ! ぽかり また頭を殴られた ボクは頭を押さえたままでしゃがみ込む こんガキゃ! 大人たちは揃ってボクの頭を殴りつける どアホめ! のらげため様の御降臨やぞ! 声の調子がヘンだ 見上げたら大人たちは 皆、うきうきとして嬉しそうだ ジ、ジロ! しやからなんも知らんガキは! ボクは岸の上で蹴り飛ばされてしまった ボクはまたヘタリ込んで泣くのだった 畏(かしこ)み〜〜畏み〜〜♪ 二軒隣の家のおっちゃんだ 左腕を志那に埋めてきた「上等兵」が 神妙な面持ちで祝詞(のりと)を上げる 大人たちは皆で ジロの死骸を囲んで輪になる それから懐やズボンのポケットから それぞれが肥後守(ひごのかみ)の刃を立てて ジロの死骸を手際良く解体してゆく のらげため様の祝福やでえ! そしてジロの生肉を くちゅくちゅと噛むのだった ほら! お前にもお裾分けやで! ボクの目の前にジロの頭がゴトリと落ちる その口から食み出す白い舌と 光を失ってけしてボクを見ない瞳 ボクは絶望のあまり気を失ったのだった あれから六十年が経った 僕はもはやどうしようもない老人である 朝に家を出たきり街をさまよう 家はもはや息子夫婦のものである 口の悪い孫たちは 臭い!といって僕を玄関から蹴り出す 孫たちが起きている時間にあの家には 帰るコトが出来ないのだった いつものように 情けない思いで いつものように 諦めている僕だ アスファルトを ゆらゆらと熱が 揺らめいてゆく いったい生涯で 何十回目の夏か 昼メシも食わず 公園で眠っては 暑さのあまりに 目覚めてしまう またふらふらと 歩き出すのだが 夢遊病の歩みだ ビルの解体現場の下を歩いていたら バキバキバキキと鋭い音だ 見上げると赤い夕焼け雲を背景にして 黄色いクレーンと錆び色の鉄骨が 何本も何本も降ってくる 僕は杖をついたままで倒れ込む 足がもつれてしまったのだ 大きな柱か梁の赤茶けた鉄骨が 僕の下半身をぺしゃん!と押し潰す 口から心臓と肺を吐き出す 意識が急速に遠くなる 世界は終わるのだ もう二度と世界は始まらない で、ありながら クルマの警笛の音や 人々の悲鳴だ 世界は動き回っていて 終わりなどないのである 確かに世界は終わりなのだが 僕というちっぽけな世界の終焉でしかない 意識が闇へと落ちる前に僕は確かに聞いた 「のらげため様のご降臨です!」の声 そしてカッターナイフのちきちき言う音 四方八方から鳴り響くちきちき言う音だ 僕の首に当たるカッターナイフの冷たい刃 そして そして 僕はジロと会った ジロは僕のコトを忘れるワケがない 河原を駆け上がる四本の足 白色と茶色の光芒を引く尻尾を振って 桃色の舌をひらひらさせて そして僕に飛びついて顔中を舐め廻す 僕もジロを強く抱きしめる 僕とジロはそのままもつれ合って そしてそのまま河原の坂を揃って転げ落ちる そしてざんぶと川に落ちてしまう 僕とジロはびしょ濡れだ そして僕とジロは顔を見合わせて笑った 見上げれば青い空 入道雲 足がつかなくてもなぜか不安がない 僕とジロはゆっくりと川を流れてゆく ボクはジロの頬を両手で挟んでぐりぐりする ジロはハアハア言いながら ボクを舐め倒すのだ 遠くに聞こえる蝉の声 気づけばボクは麦藁帽子を被っている もちろん虫取り網を持って、だ 隣で澄まし顔のジロが尻尾を振る 生と死の狭間の永遠の夏だ ボクは ジロは ゆっくりゆっくりと流れてゆく ここが何処なんて 一人と一匹には関係がない
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ジロ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 525.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-22
コメント日時 2025-11-23
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


巧いショートショート。ただ「巧い」以上の成果が感じられず、読後感は薄いです。途中、スラップスティック風な展開があって笑える作品になる予感がありましたが。いつのまにか普通?の筋に収斂していったのがおしい。
0(全て個人的な感想です。わかったような事を書いているかもしれませんが意見ではありませんので気に入らないところは読み飛ばしてください) 最後まで読めば書き手が言いたいことが分かった。 詩というのは書いた人が詩ですと言えば詩になるのであろうが やや回想日記的になっているのが気になりました。 一番良い所は、だれにも体験したことのない境遇やそれに対する憤りなどの 想いが伝わってくることです。それを詩的な表現でカモフラージュしながら 読み手にわからせることが出来るような、貴重な体験の詩であることには間違いないと思います。
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