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上野新宿ライン
見慣れた 信号 四つ角を 正面に進む 隣り合う 見知らぬ人 服を着ている 皆 私は こんな 人間ですよと 家がないと 仕事も貰えないことが もはや 学卒には 分からないのだった 学校で教わることが 何の役に立つのか シロツメクサで 君の棺を埋めて 空と同じ色の海へ 死ぬかも知れなかった私は 生きている 鳥が飛ぶことに なんの疑問も抱かず 人に宿る神が 小さく呟く 世界はまるで 蟲毒のよう 最後に生き残った虫が 自ら 火に己を投げ込んだが 彼/彼女の毒は 灰になっても 世界を蝕むのだった ただ 死ぬこと以外 救われる道はないのだとしても それを知っている人は 本当に 手のひらに乗るくらい少ない 知ったが最後 空は 雪でひしゃげた屋根のように 落ちて来るんだけど 愛とか 恋とか 振り回されてるうちは まだ生きている もっと別の話をしようとしても メリーゴーランドは止まらない 馬車に乗りたがる子 白馬が好きな子 ろばが良い子 柵に寄りかかって 産んだこともない 私の子を眺める 何が楽しいのか 聞いてはいけないことが 分かる そろそろ 時間が来て メリーゴーランドも 夢の世界も 夢だと思っていた 現実に変わっていく 幸せになるために 生まれてきた と 学校では教わらない 彼ら 一体 何を どうやって 育てるつもりなのかな そんなに苦しいなら カウンセリングに行けよ その金ぐらい あるだろ 俺と違うんだから 時間は作るものだって 仕事が出来るあなたには良く分かるでしょう はっきり言って 皆 病気だ 阿部公房が 書いてたな 病気になるのがそんなに嫌か?スティグマがすべての不和の原因なのに 関わり合いにならないこと というより 棲み分ける事 まるで世界は俺の物 ジャイアニズムが台頭する 冗談が冗談にならなくなった世界 誰もが笑い続ける 真実が可笑しいと 屈託ない笑みを浮かべた 兄弟 星が歌う 悠久 ころしてやろうかと思う程度の 親 テレビが 嫌いな 私
上野新宿ライン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 621.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-11
コメント日時 2025-09-13
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


最後に生き残った虫。蟷螂のとりつく虫、寄生する虫を思い浮かべました。テレビが嫌いな私はこれからさきどこへいくのだろうかと、この詩には続きが有ると思いました。
0鋭いものがあるように感受しました。アルゴリズムやページランク的棲み分けがこのまま進みに進むと、どうなるのか?という議論は主に心理学や社会学でもいわれています。エドガー・カバナスの「ハッピークラシー」という本があるのですが、昔は「幸せ」とか「気持ちよさ」とかの素朴で自然な感情と呼ばれていたものが、いつのまにかデコレーションされ、商品化され(ブランドとか共同体の参加チケットみたいなものになる)、気持ちいいということを素直に感受できなくなっているという話があって、私見では、これは新自由主義と社会の心理化が推進されすぎて、幸福とメリトクラシーが悪魔合体している状態になっている。この仮説を全面的に信じるかどうかは横に置くとしても、「最後に心の底から笑えたのっていつだったっけ?」みたいなことくらいは自分も思います。これって最終的には自我問題みたいな難しいテーマにいくつくのだし、という見方をすると、この作品はまだまだ未完成なのだろうが。
0テレビ嫌いなんですよ、親がかじりついて子育てしない原因だったから。私はよく蟲の話を持ち出します、その辺りにアンテナが向くようなら中国の歴史を読んだりすると楽しいのかもしれませんね。邪悪なのろいです。
0不幸の底が突き抜けて、「もう死んでもいいや!」という境地に陥ると、ハッピーになることは成功のための手段に変わります。一部の特権階級ではないので、それは誰かに与えられない、否が応でも自分から作り出さなければならない、収穫です。共同体に参加するための、高価なチケットですが、生きていきたければどうしても必要になってくる。結局それがめりとくらしーに繋がっていくのかな?初めて聞く言葉ですが。心の底から笑えない人間は努力して生きていないのだ、みたいな蔑みの目で見られる世界になりつつある。心の底から泣けないのも同じです。深いことを考えて書いたわけではありませんが、昔のようにシンプルに笑うことが社会のシステム上できなくなってきた、そんな感覚は私にもあるような気がします。段々、義務と打算の産物になっていくんです。市民、幸福ですか、って。
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