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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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目を開けた 「残念に思う」 言葉がこぼれ落ちる 数秒前 目を閉じていた 死んだものが 目の前にひしめいていた 知っていた顔が 虚ろになり 豊かに変えていた表情が しんと止まり 誰かの顔が 蛞蝓と蛆に覆われている 声が聞こえる 「お前のせいだ」と 「残念に思う」 ただそうなっただけだ 冷酷に思われようと 悲しみを感じ 怒りを感じ 憎しみを感じ取りながら 同時に打ち滅ぼした 感じつつも囚われないまま 今なすべきことを成しながら ただいずれ来てしまう死を望まず待ちながら 苦痛を訴えるものへ 安寧を祈る 何かをすれば 何かが起こる 今の行いが 誰かの苦痛を減らすのを願いながら 苦痛を増やすかもしれない手を 動かし続ける 今の自分に必要な事をする 目を閉じ見えたものたちは 未だ 「お前のせいだ」と訴える 苦痛を脱する 適切に脱する その声と共に


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作品データ

コメント数 : 13
P V 数 : 1671.5
お気に入り数: 1
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2020-09-01
コメント日時 2020-10-05
#現代詩
項目全期間(2024/04/25現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
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音韻00
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叙情性00
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閲覧指数:1671.5
2024/04/25 06時02分08秒現在
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    作品に書かれた推薦文

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コメント数(13)
かずや
かずや
作品へ
(2020-09-02)

詩に自分の心象を仮託して読ませていただきました。 勝手にSNSを操作するPCの画面を思い浮かべました。 意図されていたものとあまりに差があれば大変申し訳ないとは思いつつ、SNS上で交わされるやり取りを思い浮かべました。 そこでの「死」は物理的な死とは異なりますがこの世に出したものが忘れられるあるいは重要性や意味を失うという意味においてある種の死であるかなと思います。 しかしながら、言葉通り人間の「死」も読みながら感じました。 看護師や医師が入院患者を診るようなそんな目線を感じました。 インターネット上でのやり取りは情報のやり取りです。 生身の人間同士だとしても情報のやり取りをしていることには変わりがないのですが、インターネットのそれはむき出しの情報です。 時々そのことがとてもつらく感じることがあります。 そのようなことを読みながら、このコメントを書きながら考えさせていただきました。

0
羽田恭
作品へ
(2020-09-02)

故意に貶めるような読み方をしないのであれば、どのように読んでもかまいませんよ。 どのように感じるのかは、人それぞれですから。 なるほど、SNSでのやり取りを連想させる要素があったかもしれませんね。 そして、死。 今年3月まで牧場に勤めており、しばしば牛が死んでいく様を見てきました。 獣医による安楽死だったり、寝返りが打てなくてガスが溜まって死んだり、死産の子供だったり。 そういう実体験も影響しています。 あと、小学生の頃あった妄想を思い出しまして。 それは誰か大勢に意味もなく「お前のせいだ。責任取れ」と言われ続ける妄想でした。 現在、それのような状態に実際に陥った時、どうするか。 過度に反応しない、というのが答えになります。 そのような事をいう人たちの感情に理解を示しつつ、「ただこういう事になっている」とだけ認識し、その人たちの感情に巻き込まれない。 その姿勢を「残念に思う」という言葉に集約させました。 そして今なすべき事に集中する、それだけです。 最後にかずやさんが言うネットの辛さですが。 「我は人のそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いから」と釈迦でさえ言っていまして。 ネットに限らず、人の関係はそういう傾向があるのでしょう。 辛くなったら即離れることができるなら、離れるのが良いかと。 それができなかったら、「残念に思い」つつ「ただこうなっている」と認識し、過度に反応せず今やるべき事に集中すればよいかなと思います。

0
雨野小夜美
雨野小夜美
作品へ
(2020-09-02)

とても力強い詩だと感じます。最初の「残念に思う」から、この詩の世界に、みごとに引き込まれてしまいました。力強いと同時に、悲しいですね。

0
羽田恭
雨野小夜美さんへ
(2020-09-02)

「残念に思う」、冷酷、無責任と言われるかもしれないですが、理解を示し過度に反応しない姿勢を集約させた言葉です。 悲しくどうする事もできない物事には妥当な姿勢かと。 力強さを感じれたのなら幸いです。

0
エイクピア
作品へ
(2020-09-02)

苦痛を増やすかもしれないない手には苦悩があります。大仏開眼見たいな、お釈迦様の目が見開かれるとき、日本の西暦1250年など、ターニングポイントとなった年や仏の修行者たち。人によっては終末論を説くかもしれません。この詩では声が、何かを導いて居るのだと思いました。

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羽田恭
エイクピアさんへ
(2020-09-03)

>苦痛を増やすかもしれないない手には苦悩があります。 確かに。でも何もしない訳にはいきませんしね。 声は釈迦に感化されて出てきた言葉です。 自分自身を導いています。

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やめました
作品へ
(2020-09-14)

静かに神が 「残念だ」と冷酷に人間に伝えてるような荘厳な白さ、寒さを感じます。同時に痛みも感じます。静かな痛み。それでも人は生きなければならないななど色々と考えさせられますね。。。

0
るる
作品へ
(2020-09-14)

おはようございます。 私の感覚では、現代人の多くが生と死の関係が 身近ではないのかと感じている気がしています。たとえば、人の死が近づけば 病院に行くでしょうし、人は他の生き物を食してはいますが その死に立ち会う人は稀です。 ですから死と立ち会うことで感じるであろう「お前のせいだ」と、責められるような気持ちの経験も 現代人の場合は 少ない経験のはずです。 わたしにしても、そうです。私は 弟を亡くしているのですが、母が かなり長い年月「私のせいだ」と言っておりました。私の近親者の死を例にするまでもなく、現代人が 死と立ち会うのは 多くの場合は近親者の場合だけです。 けれど、この詩は ちがいますね。 >死んだものが 目の前にひしめいていた (と、あるので 死が、そこらじゅうにあるのでしょうね) >誰かの顔が >蛞蝓と蛆に覆われている >声が聞こえる(と、あるので 死から かなりの時間が経過しても 死体が虫がたかる場所にあることとを 示していますよね。) これは、戦争体験者の方々のお話と 同じであると感じました。 畜産に関わってこられた方の言葉は 違うなあと思いました。 残念ではすまないようなことがらも うけとめてきた方々によって支えられているのだなあと 思いました。 私にも ささやかな残念に思うことが いくつもあるのですが、 せめて、私のとっての残念なことがらを 適切に うけとめたいと 思えました。 ありがとうございます。

0
羽田恭
やめましたさんへ
(2020-09-14)

神の立場というより、現場にいる人間の声のつもりではありました。 現場にいるならともかく動かないといけなかったりします。 痛みは痛みとして、だれかを生かして、自分も生き伸びる必要がある時はあるので。

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羽田恭
るるさんへ
(2020-09-14)

人の死にあった事はあまりないのですが、牛ではたくさんありました。 人も牛も死んでしまうという点では全く同じですので、思うところがあります。 牛の様々な死に方を見てしまいました。 「残念だ」と感じながら、できるのは目の前にいる牛の世話だけですし。 感傷に浸る暇さえもない訳で。 適切に受け止める覚悟みたいなのも含めての、言葉です。

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奥村うみ
作品へ
(2020-09-18)

作品とコメントを拝見させていただきました。 私は「残念に思う」という言葉に共感します。 悲しいけど、悔しいけど、どうにもできない。 だからといって、無力感で絶望するのではなく、 自分には限界があり、どうにもできない状況があることをわかっているから、 諦めてやれることをやる。 そういった時に、「残念に思う」のではないかと思いました。

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羽田恭
奥村うみさんへ
(2020-09-21)

本当にどうしようもない事はあります。 わずかなことで生き死にが決まることもあったりしますし。 だからこそ諦める。この場合、明らかにする、という意味で諦める。 「過去は過ぎ去り、未来は未だ来ず、今なすべき事をなせ」と釈迦は中部経典に残しています。(これはほぼ意訳ですが) なので、その通りです。そういった意味合いになります。

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藤 一紀
作品へ
(2020-10-05)

こんにちは。 >「残念に思う」 >言葉がこぼれ落ちる この二行は冒頭に来ても最後に来ても、この作品の核であるように思いました。あたかも涙が「こぼれ落ちる」ようにこぼれ落ちてきた《言葉》のように感じました。

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