やけに 緑の看板のコンビニエンスストアの
多い街でした 人でいるのが いやになれば
紙飛行機に なれる街でした
たぶん 陽がでている間に 紙飛行機になる
のだろう と思っていましたが タバコ屋の
ヨネさんは それを 聞くと 笑っていまし
た
紙飛行機になってしまうのに 朝も夜もない
じゃないか と なに ばかなこと 言って
んだい とでも 言わんばかりに 笑ってい
ました
ヨネさんは 紙飛行機に なりたくはないのかい?
そりゃ 紙飛行機になったさ
人間やっとるし こういう街だしな
紙飛行機 なったんだけどさ
どこまでも 飛んでいけたけど 爺様がな
追いかけてくるんだ あれは 情けない顔だ
った 連敗続きで もう明日にでも 力士を
やめようとしているガリガリの相撲取りくら
い 頼りない顔しててな いかんでえ いか
んでえ って 十二指腸震わせて その声
出しとるんか って言いたくなるくらい 細
い声で言うんじゃ
とてつもなく ばかばかしくなってな
紙飛行機になって 飛んでるのも どこか
ばかばかしくなってな
くしゃくしゃくしゃー って やめたんじゃ
そんな爺様も 死ぬ間際は ところ
どころ 紙飛行機になっとったなあ
まあ 飛んでいく って気持ちええもんなあ
飛んでいってしまいたいもんなあ
紙、ふぶいた
紙飛行機が うかんでいた
ゆうやけ とけるまえに
まどろんでしまえよ
作品データ
コメント数 : 18
P V 数 : 1346.5
お気に入り数: 3
投票数 : 11
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-14
コメント日時 2024-10-18
#現代詩
#縦書き
#受賞作
項目 | 全期間(2024/12/10現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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閲覧指数:1346.5
2024/12/10 16時30分10秒現在
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紙飛行機はふつう、だれかに飛ばされない限り飛びません。タバコ屋のヨネさんが紙飛行機になって飛んだときは、きっと爺様に飛ばされたのでしょう。ヨネさんを捨てたくせに追いかけてきたのですね爺様は。だからそのばかばかしい爺様が、死ぬ間際ヨネさんに飛ばされようと紙飛行機になったとき、きっとヨネさんは爺様を捨てられなかったのでしょう。 ありふれた寓喩のようでいて余韻が深い。文体も酔える、時と場合によっては泣ける。よい詩です。
2わっ。鯖詰さんだ! ガリガリの相撲取りというファンサービスワードが出てきて、ちょっと嬉しくなりました。
0よい詩ってこういうものだよと教えられたような気持に。福眼でした。
0こんにちは。 そこまで考えて書いていなかったので、澤さんの考察、面白いと思いました。 自分で書いといて、これってそういう事だったのかあ、と思ってしまいました。 興味深い解説、作品を読んでいただきありがとうございます。
1良いよ?良いんだけど、終わり方がちょっとね、響かなかったかな
0こんにちは。 ガリガリの力士。 あまり同じ表現を使う事を、禁じ手にしているつもりではありますが、なぜかこの時はこの表現を使ってしまいました。 「こいつ、このワード気に入っているのだろう」と思われてしまうのはいささか恥ずかしいものがありますね。 作品を読んでいただきましてありがとうございます。
1こんにちは。 楽しんでいただければ幸いです。 まだまだ精進していかないとなとパソコンのキーボードをたたきながら思う日々です。 作品を読んでいただきましてありがとうございます。
0こんにちは。 最後がつながりとして、「ねじれる」と言いますか、「イコール」でつなごうとした時に、はたして可逆性があるだろうか?というところで自分でも若干、解釈として微妙だったかなあという風に書き上げたあと、思ったりしました。 どんな言葉をつなげたとしても「染み入る」ものを書いていきたいなと思っております。 作品を読んでいただきましてありがとうございます。
0>やけに 緑の看板のコンビニエンスストアの/多い街でした 人でいるのが いやになれば/紙飛行機に なれる街でした」 この初連を読んで、わたしは、自由な街というよりも便利すぎ忙しない窮屈な街という印象持ちました。そして読み手はすっと詩に入り込め、それぞれ現実に直結するものだと思いました。その中で紙飛行機になり、風におされ、また誰かの手により、様々な生き方ができ、うまくいくこともいかないこともあるのでしょう。そして紙飛行機は紙吹雪となって散る。その紙吹雪も、もののあわれなのか大団円なのか、この詩には書かれていないことを己に顧みることもできますし、解釈次第で様々なセカイがふかく沁みいるものだと感じました。 めちゃめちゃ良い詩っすね、うまい!
0こんにちは。 読みこんでいただけて、恐縮する思いです。 好意的に読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
1紙飛行機になって、街を見下ろす。その時間帯が、夜であってはいけない。最後の行でそう確信する詩。 街を見下ろすというのは、記憶を見下ろすというのと同じようで、ヨネさんは爺様に追いかけられていると同時に、追いかける側だったのではないかと。「いかんでえ」はヨネさんの思いで、遠ざかる記憶を追いかけるように街の上を飛んでいたのではないかと思いました。 爺様が「ところ どころ 紙飛行機」になっていたのも、消えゆく記憶を手繰るような表現に思います。面白くて、良い詩でした。
0面白く読ませてくれる。書き手としてはお上手な方でしょうね。ただ厳しい見方をすれば句のような終わらせ方は詩に余韻がないからだろうと本人も気付いてたんだ。と思われます。冒頭の序章からタバコ屋のヨネさんを引きあいに出して物語るで終わる作り。物語る、という展開から文章表現の作りが非常にお上手だ。という上手いだけの印象で終わってしまいました。
0おはようございます。 だいぶ読み砕いていただきありがとうございます。 今、ふと思えば「紙飛行機が飛んでいく時間」は夜であってもおかしくはなかったのかもしれないと思いました。 「夜逃げ」のようなイメージでしょうか。 少しそんな事を考えました。 作品を読んでいただきありがとうございます。
1おはようございます。 そう言われてみますと、最後の件は箇所として唐突だったかもしれないと思いました。 踏み込んだ箇所と深さは作品の切れ味にだいぶ関わってくると思っています。 個人的にはもっと深く踏み込める余地があったのではと感じています。 作品を読んでいただきありがとうございます。
0紙飛行機とはなんだろうという話をする前に無駄な雑学でも披露しようと思います。 ヨネさんのいるタバコ屋という業界はとても面白く、タバコ屋を開くにあたっては許可が必要です。一度許可が通りさえすれば、お店は潰れにくいのです。 なぜならタバコ屋の側にはタバコ屋を作ってはならない法があったりして、ライバルと競わなくて済みます。売れなかった在庫などは返品が効くので在庫を抱えなくて済みます。それは自分の儲けは少ないが損をしないシステムになっています。 さていわゆるタバコが活躍する顕著なシーンは戦争における最前線の兵士たちにとってでしょう。 喫煙は短期間ではあるが精神的安定や多幸感を生み出す脳内物質をもたらします。戦争の極限的緊張にさらされる人にとってはタバコの煙をくゆらせることは救いでしょう。 ですが国家にとってはありがたい部分とありがたくない部分もあります。まず将来的な健康被害です。それは戦争による武器を使った死亡者数よりタバコ由来の健康死亡数が時には上回ったりします。 またタバコ一箱の税率が非常に高いために敵国の財源を潤わせるため、兵士に配るタバコ屋の金で戦闘機とかミサイルめっちゃ買えちゃうこともあります。 近年においても、タバコ屋つまり「JT」は戦争支援企業だとウクライナに避難されることもあるのでした。 もちろんどんな企業というのも、したたかでなくては生きていけないのであります。それを証拠に我が国の財相に「JTは現状、国内外の制裁措置を順守している。」と言わせるくらいの実力(納税とコンプライアンス)があるのです。 気合の入った一流のビジネスマンが集まらないと存続できないなかなかに面白い業界ですよね。
1推薦文から来ました。 詩を読んだあとにコンビニエンスストア(以下cvs)に行きました。夜のコンビニは店員のやる気も仕事ぶりも程よく落ち着いている。cvsスタッフには老齢期の方がよく働いているなぁとかくいう私も壮年期を迎え、目尻には折り紙の折り目に負けぬしわが出来るようになった。 なぜかcvsのスタッフの制服から出ているワイシャツの襟が気になった。 レジ待ちの間に店員の首元からでている白い襟だけをみているとなんだかカモメの両翼や紙飛行機の翼に見えてきた。(ははぁ、確かに飛びたがっているのかもしれぬ。) 普通のこんな話を人が聞いても興味のでない話であるが、この詩を読んだあなたなら少し引っかかる話ではないだろうか?この詩は紙飛行機の意味を考えることも重要だが、紙飛行機を自分のなかで飛ばして楽しむ詩であると思う 紙飛行機を何に例えて、考えたり、味わったりするか。それがこの詩の宝箱を開く鍵なのは間違いないとは思います。 「人であることをやめたくなったら紙飛行機になれる。」 この詩の言葉がいいですよね。 多分英語でいえばsomewhere els ここではない、どこか。全世界の人が時々、そんな衝動にかられるもの。この詩を読んだあとにだとそれを紙飛行機と呼んでも差し支えなさそうです。 ただ自分が読んでいて注意しなければならないなと感じたのは、生きている時も、死ぬ寸前でも人は紙飛行機になれるとも言えるということは、紙飛行機に具体的な意味を装備させるとうまく飛行機の機能が働かなくなってくる。重たくしすぎないほうが良い。抽象的、あいまいと言えばいいのか上手に飛行機を楽しむには力任せでもなくて、風が来た時にぽいっと投げてやることぐらいなのでしょうね。 そういう力加減、生きている時も死ぬ時にも飛ぶ紙飛行機をとらえて出来ている詩に思えてきて 「え、これすごいんじゃね!?すげー。」って感じでこの詩を楽しんでおります。
1こんにちは。 タバコ屋の話、興味深く読ませていただきました。 ご教授、ありがとうございます。 紙飛行機は軽い。 より遠くへ飛んでいく紙飛行機はしゅっとしていてソリッドで、いさぎよい形をしているなあと思います。 人がなにかを決心して遠くに飛ぼうとする時の姿は、眺めれば「いさぎよい」形をしているのだろうか。 たとえ、それが「逃避」の決意だったとしても。 「無様」や「不恰好」より、「いさぎよい」と、見えるだろうか。 と、コメントを読んでふとそんな事を考えました。 作品、読んでいただきましてありがとうございます。
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