作品投稿掲示板 - B-REVIEW
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少年と音楽一家の奇妙で大規模な殺人   

作成日時 2019-06-05
コメント日時 2019-06-11

◆◇◆◇◆ 一章 葬式の前 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆   落ち着かない楽屋でございます。 佐藤 こちらを飲んで、少し落ち着きになって。昔から大事な舞台の前には必ず飲んでいらしたでしょう。 金山 あぁ、ありがとう。 佐藤 こんなに震えて、お労しや。さ、どうぞ。   佐藤がほどよく温まったマグカップを手渡し、その手をにぎりしめます。 金山 パガニーニは、自身も天賦の才を持ったソリストだった。超絶技巧・弾くのは不可能と言われるような曲をつくっては、自分自身の手で見事に演奏を成功させた。 佐藤 ぼっちゃん…… 金山 私が緊張している? そんなことあるはずないだろう。これは―― 佐藤 (手で制して)ぼっちゃん。   佐藤が画面の棺を指差すと、葬儀師が厳かに、おもむろに、亡骸を収め始めました。 佐藤 いよいよですわね。 金山 (震える手を押さえながら)あぁ。   今から、ここでは偉大な作曲家であった、金山耀司の火葬が執り行われようとしています。   金山耀司は持病の結核が悪化し、肺炎で先週の金曜日に息を引き取られたとのことです。   まるで昨年亡くなられたばかりの妻・音葉のあとを追う様だったそうです。   そして、実の息子に大役は回って参りました。   慰霊の儀式として、このあと   金山耀司の生前の代表作である鎮魂曲『YURI』を演奏するのです。 金山 少しトイレに行ってくる。 佐藤 大丈夫ですか? あ、黒下様に私お伝えしましょうか。 金山 必要ない! ……本当にただ顔を洗うだけだ。 佐藤 あぁ、私ったら。大変申し訳ございません。それでは、私めはお待ち申し上げますわ。 金山 すまない。 佐藤 いってらっしゃいまし。   「金山」は緊張すると、途端に腹痛を催してしまう過敏な腸を持っています。   本人が認めることは決してありません。   廊下に出ると、そこには金山耀司の実の弟である黒下礼司が立っていました。 金山 お疲れ様です。 礼司 おい。どこに行く。 金山 少し顔を洗いに。 礼司 もう始まるぞ。 金山 はい。 礼司 おい。 金山 すぐに戻るので―― 礼司 (左肩を掴み、自身の方へ引き寄せ)お前、その手はなんだ。 金山 手?   その手はとても、かよわく、震えていました。 金山 (咄嗟に手を強く押さえ、隠し)これは―― 礼司 弾けんのかよ? 金山 はい。 礼司 本当に『YURI』が弾けるのか? 金山 (唇を噛み締めて)はい。 礼司 ……そうか。はやく戻ってこい。 金山 …………。   黒下礼司にその瞳の奥を見透かされ、「金山」は寄る辺のない不安を自覚してしまいました。 金山 糞と一緒に吐き出してやりますよ。こんな物。   『YURI』は多くの音楽評論家を唸らせた、現代の呪詛であり、祈りでございました。   演奏することが物理的に不可能だ   発狂とはまさにこのことだ   これは光を表している、強烈な光は、直視しては危険である   世界的なソリストから名コンダクターまでがそのように嘆き、残存する音源は   金山耀司が自身で演奏・録音した、唯一の音源データ「YURI.WAV」だけと言われています。 楊  礼司様、恐れながら申し上げます。 礼司 楊か。なんだ。 楊  実は――(辺りを伺いながら、耳打ちをする) 礼司 チッ。すぐ行く。お前はここを警備しろ。 楊  承知いたしました。 礼司 おい、佐藤。聞こえてるんだろ。状況が変わった。俺は参列者の警護にあたる。あいつには――どうせ言わないだろうが――何も言うなよ。集中させてやれ。楊、任せたぞ。 楊  はっ。   実は、二日前の二十時八分。   金山耀司の心肺停止時刻と同刻に合わせるかのように、葬儀場へ    『YURI』の演奏を中止しろ、    さもなくば葬儀の炎は、    地獄の業火に変わるだろう。   という脅迫電話がかかってきたのでした。 佐藤 (扉越しに)楊さん、黒下様は……? 楊  客席の方へ向かわれました。 佐藤 楊さん、本当に大丈夫なのでしょうか? ぼっちゃんはとても衰弱していらっしゃいます。音葉様も耀司様も旅立たれて、『YURI』という悪魔の重圧に三日で五キロもお痩せになられてしまいました。いくらお二人の息子であるぼっちゃんでも、この短い時間で、そして深い深い悲しみのさなかで『YURI』を演奏するなんて――不可能だったのですわ。そうですわ、不可能なのです。今からでも―― 楊  (扉を蹴り)黙れ。金山耀司の火葬は予定通り行われる。 佐藤 ……遺言どおりですか? 楊  そうだ。 佐藤 あんなもの―― 楊  (扉を開けて)口ではわからないようだな。 佐藤 ひっ――乱暴はやめてくださいまし。 楊  それなら、黙っておとなしくその椅子に、しおらしく座っておくことだな。   この楊という男は力を本当に振るってくる男なのだわ、私はその瞬間を見たことがある、   そう胸の内で言い聞かせ、佐藤はおとなしく従うのでした。 楊  (穏やかな調子に戻り)礼司様がここを警備するようにおっしゃいましたが、肝心のご子息様はどちらにいらっしゃるのですか。 佐藤 お手洗いですわ。 楊  ……大丈夫なのですか? 佐藤 ぼっちゃんはお認めになりませんが、大きな舞台の前は絶対に、その、お下しになられますの。だから、その、待つしかありませんの。 楊  (時計を確認し)あと十二分で始まります。 佐藤 そうですわね。そろそろ戻ってくると思いますわ。それに、この廊下の先はお手洗いしかございませんもの。脅迫電話をしてきた不審者のご心配もございませんことよ。 楊  それは心配しておりません。先刻まで礼司様が直々にこちらをご担当されていらっしゃったのですから、鼠一匹掻い潜ることは叶わなかったでしょう。 佐藤 (記憶の中の黒下たちの恐ろしい光景を蘇らせ)そうですわね。鼠一匹たりとも生きて通ることはできなかったと思いますわ。 楊  生きているではないですか? 佐藤 生きている? 楊  あなたは生きているではないですか? それとも、もうお亡くなりになられていらっしゃったのですか? 佐藤 ――そうでしたわ。私は生きていますわ。どうぞ生殺与奪の鼠とお呼びくださいまし。 楊  溝鼠さん、お手洗いの様子を見てきてくれませんか? 私では、不要な緊張を与えてしまうかもしれません。五分前には舞台の下手袖に辿り着いていて欲しいのです。 佐藤 構いませんわ。それでも私にも、ぼっちゃんのお下しは操作できませんことよ―― 楊  (机を蹴りつけ)そのときは私が糞尿まみれのぼっちゃんを連れ出すまでです。 佐藤 恐ろしいですわ……。   佐藤は諦めたように、廊下の手すりを頼りに「金山」を呼びに行きました。   楊という男はとても恐ろしい男でした。   金山音葉はこの男に殺されたのです。   昨年の秋のことです。金山音葉も結核を悪化させて入退院を繰り返していたのです。 音葉 楊さん、いつもありがとうございます。 楊  いえ、奥様。私は礼司様に命ぜられて動く狗に過ぎません。 音葉 それでも、礼司さんは直接私を助けてはくれません。耀司さんは、そもそも屋敷におりませんからね。 楊  奥様、礼司様は―― 音葉 いいのよ。金山の人間を辞めて、近寄り難いことはわかっているの。ごめんなさいね。意地悪を言ってしまった私。 楊  いえ……。 音葉 楊さんは――いえ、楊さんも――礼司さんのことを慕っているのですね。 楊  ……奥様、私のことなどお気になさらず、お体を労ってください。 音葉 このあと、屋敷に戻ったら、いくつかお願いをしてもいい? 楊  はい、なんなりと。   庭の銀杏が眩しく光っている、季節の真ん中で   金山音葉はこの男に殺されるとも知らず、   秋の歌を口ずさんでいました。 音葉 ただいま。 佐藤 奥様、お帰りなさいませ。 音葉 脚のお加減はいかが? 佐藤 そんな、私の心配などなさらないでくださいまし。奥様の言いつけどおり、まだまだ現役、この通りですわ。 音葉 よかったわ。くれぐれもご無理はなさらないでね。それでは帰ってきて早々で申し訳ないんですけど、このあと部屋にお茶をお願いしていい? 佐藤 はい、もちろんでございます。 音葉 ありがとう。そしたら楊さん、ちょっとお願いしていい? 楊  はい。 音葉 じゃあ、一緒に部屋へお願いします。 楊  はい。   少し咳き込むと、ゆっくり階段を上り始めました。 音葉 楊さん。三つ、お願いがあるんです。 楊  三つですか。 音葉 はい。一つ目は、これから遺言を作成しますので、礼司さんに確実に託してください。 楊  ……礼司様にですか? 音葉 他に信じられる人がいないですからね。 楊  息子さんはいかがなんですか。 音葉 あれは、出来損ないだから。 楊  ……そうですか。 音葉 二つ目は、最期に一度、耀司さんに会わせて欲しいの。 楊  お兄様――旦那様ですか。 音葉 そうね。仕事の合間で構わないから、どうしても死ぬ前に言っておきたいことがあるの。 楊  ……そうですか。 音葉 三つ目は、私の葬儀のことなんですけど、(引き出しの鍵を開けて、一冊の手帳を取り出し)この中に演目や進行プログラムを既にまとめてあります。このあと作成する遺言と一緒に礼司さんへお願いします。細かいところは他の人間と詰めていただいて構いませんので、この手帳に書かれていることを最低限の内容として執り行ってください。 楊  承知しました。 音葉 楊さん。 楊  はい。 音葉 私がいなくなったあと、礼司さんはあなただけが頼りなの。(咳き込んで)どうか、これからも礼司さんのことをお願いします。 楊  言われるまでもありません。……失礼いたしました。口が過ぎました。 音葉 いいの。まさか、こんな病気で死んじゃうとはね。 楊  …………。 音葉 そしたら、録画をお願いしていい? 楊  はい。 音葉 (ため息をついて)じゃお願い。 楊  はい、録画し始めました。 音葉 みなさん、私、金山音葉は遺言を申し上げます。ですがその前に、死ぬ前に、最期に、私は告白をしなければなりません。私は、金山耀司から虐待されておりました。金山耀司はきらびやかな音楽家としての側面とは裏腹に、根本的な人格欠陥を抱えた悪魔だったのです。私は、そんな地獄の日々にて、助けを呼ぶことさえできずに、一人耐えるだけの生活をしておりました。そんな暗澹たる澱みの奥底から私を救い出してくださったのが、黒下礼司――いえ、金山礼司さんでした。礼司さんは金山を離れるべき人間ではありません。みなさん、目を覚ましてください。金山耀司という人の皮をかぶった獣に誑かされないで。礼司さんこそ金山の名に相応しい、音楽の天才、いえ、神様なのです。礼司さん、あなたは、この世に安寧をもたらす神様なのです。もう一度、音楽を産み落としてください。私と一緒に、真実の音楽を産みましょう。(咳き込んで)あぁ、私はなぜあんな悪魔の子を産んでしまったのでしょう。私は礼司さんを愛し申し上げています。礼司さん、礼司さ―― 楊  黙れ。 音葉 楊さん?   そこには、暗闇を見つめる瞳がぎょろりと存在していました。   悪魔と天使と神はいつでも人間の姿を借りて活動しているようです。   血管の浮き上がる右手が、   腕よりもか細い人間の首を掴み上げ、   空中へ伸びています。 音葉 (掠れた音で)やめて―― 楊  (死神の言語をつぶやいたあと)礼司様の命ですので、申し訳ございません。 礼司 何も、直接手を下す必要はなかったがな。 音葉 (絶望の表情で)礼司さん―― 楊  (事切れる命を確認して)礼司様、恐れ入ります。 礼司 構わん。目撃者が一名出てしまったがな。 佐藤 ひえっ―― 楊  くそっ―― 礼司 佐藤。こっち来い。 佐藤 どうか、命だけは―― 礼司 命が惜しいか。 佐藤 あぁ、どうかご慈悲を与えてくださいまし。 礼司 いいだろう。お前はまだ必要なんだ。どの道、お前は余計なことを言うことはできまい。愛するぼっちゃんのため、隠す真実が一つ増えたに過ぎないだろ。 佐藤 あぁ、ぼっちゃん。 礼司 楊、俺は病院へ段取りして来る。そいつが妙な素振りをしたら、この飴を食わせれば殺せる。 楊  (受け取り)飴ですか? 礼司 ただのそいつの持病さ。 佐藤 あぁ、なんてこと。 礼司 楊。頼りにしてるぞ。 楊  はっ。   黒下礼司の計画はこうでした。   金山音葉の死後に行われる葬儀で、   不世出となった『YURI』を金山耀司に演奏させ、現代に神を再臨させる。   ですが、その計画は悪魔の手により見事に打ち砕かれたのでした。   『YURI』が金山耀司本人の手によって演奏されると持ちきりだった大舞台のその瞬間、   降ってきたのです。   往年の名曲である、タイスの瞑想曲でした。 礼司 どういうことだ! くそっ! くそっ! くそ――そうだ、アンコールだ。おい、楊! 耀司にアンコールで『YURI』を演奏させろ! 楊  はっ―― 礼司 いや待て。無理だ。あいつは演奏しない。くそ野郎……(呪詛とも雄叫びともつかない音で喉を震わせる姿で)俺に指が六本あれば、腕があと三つ、いや、俺が三人いれば、くそ、楊、お前はなぜ俺ではないのだ! 楊  申し訳ございません! 礼司 おい、お前佐藤の監視はどうした! 楊  はっ―― 礼司 ちょっと待て。   そう言うと黒下礼司は楊の両肩を掴み、   おぞましい表情でつぶやきました。 礼司 お前の腕と脚を俺にくれよ。   楊は喜んで差し出しました。   ですが、それは幻でございます。   黒下礼司はその幻に、ひどく怯えました。 楊  礼司様、どうかお気を確かにお持ちください。私が、必ずやあなたのもとに『YURI』をお届けいたします。お届けいたしますから。 礼司 この地獄の淵において、なおも死神が私に微笑みかけるのです。どうか私の首をつなぎお留めください。 楊  (首筋をなぞり)こちらの首ですか。 礼司 (少しずつ落ち着きを取り戻し)あぁ。楊か。お前腕も脚も無事だよな? 楊  礼司様、私はあなたと運命を共にします。 礼司 あぁ、そうだ。そうだったな。俺はもう大丈夫だ。持ち場へ戻れ。 楊  承知しました。では。   黒下礼司もまた『YURI』に狂わせられた一人でした。   金山音葉が遺そうとした言葉にありましたように、   黒下礼司は音楽の神であらせられました。   しかし、人の姿で長く留まっていたことが仇となり、   五感の快楽に堕落してしまったのでございます。 佐藤 あぁ、ぼっちゃん。 楊  ……おい。ぼっちゃんはどうした。 佐藤 ひぃ。 楊  タイムリミット―― 佐藤 ぼっちゃんは演奏できませんわ。 楊  そうですか。 佐藤 (糞尿まみれにする気だと察知し)違いますわ。ぼっちゃんは死んだのです。 楊  は? 佐藤 お手洗いで死んだのです。 楊  どけ! 佐藤 ひえっ。   楊がトイレに駆け込むと、個室から血の池がこちらを覗いていました。   みるみる顔が青ざめるのが目に見えてわかります。 楊  おい! 開けろ! あと五分で本番だ! くそが!   持ち前の死神の力で、ドアをこじ開けるとそこには変わり果てた   姿など   ありませんでした。   もぬけの殻だったのです。 楊  どういうことだ――   思考より先に、直感が動くことを命じました。 楊  佐藤! 佐藤 ぼっちゃんは神様に跡形もなく殺されてしまったのですわ。『YURI』を演奏するなんて企ててはいけなかったのですわ。あぁ、ぼっちゃん。あぁ、ぼっちゃん。 楊  黙れ! そうだ、礼司様に―― 佐藤 くわばら! くわばら! 楊  くそ! どけ!   連絡をするより直接向かった方が速い、そう判断した楊は、客席へ急ぎました。   客席をぎろりと見渡す黒下礼司が楊に気が付いて驚きました。 礼司 (声を殺しながら)楊、どうした! 楊  いなくなりました。金山の倅が――   開演時間になりました。   舞台の光の中に   悪魔の仮面をした悪魔が   嘲笑うように立っているではありませんか。   その、姿は、   『YURI』の構えでございます。 礼司 (興奮に顔が紅潮していき)…………。 楊  どういうことだ……。 礼司 ついに『YURI』が再び、演奏されるのか……。   空間と時間を支配された者たちは皆、   嘆息を漏らすことすら忘れています。   隔絶された銀河で、   一筋の光が差し込んできます。   紛うことなき   『YURI』が、   始まりました。 ◆◇◆◇◆ 二章 日陰者たち ◆◇◆◇◆◇◆◇◆   金山礼司と金山耀司は、   二人ともかつて音楽を司っておいででした。   ですが、現世に降臨した悪魔は   一体だけでございました。   それは二十四年前の、   これも   秋の歌が聞こえる季節でした。 礼司 おい、耀司。お前、最近どうしたんだ? 金山 余計なお世話なんだよ。 礼司 さっきのあの演奏はなんだ。お前、小学生の頃の方がパガニーニ弾けてたんじゃないか? やる気出せよ。 金山 やる気ってなんだよ。音楽にやる気など必要ない。 礼司 下らない演奏しておいて、少しは己を省みたらどうだ。 金山 チッ。 礼司 このまま堕落して、泥を塗るような真似だけはするなよ。 金山 (生意気な目の奥に炎を宿し)少し、考え事があるんだよ。 礼司 秋は、迷いがよく表れる季節だ。見失うなよ。 金山 だから、余計なお世話なんだよ。   金山耀司は、限界を知ってしまったのです。   それは流産した金山音葉を慰めているとき、   それは我が子になるはずだった胎児を銀杏の木に埋葬したとき、   それは日々のなかで正常に戻りつつあるとき、   金山耀司は、限界を知ってしまったのです。 金山 (祈りを捧げ)お前は、どんな音楽を奏でるはずだったんだろうな。 音葉 あなた、そこで何をしているの? 金山 (気を遣って)いや、今年も綺麗な銀杏だなと。君はもう体調は平気なのか? 音葉 そんなこと言う人だったかしら。 金山 いや、なんでもないよ。 音葉 そこには悪魔がいるわよ。 金山 (ぎょっとして)どういうことだ? 音葉 (呪詛を唱えて)あなたも死んでくれるの? 金山 少し、一人にしてくれないか。 音葉 (恍惚に震えて)私は部屋でおかゆをいただくことにするわ。体調が良くないのよ。 金山 あぁ。   悪魔は、   魂を明け渡すよう   囁きます。 金山 (驚いて)どなたですか? 庭師 私は庭師でございます。 金山 庭師? 庭師 はい。奥様から訊いてらっしゃらないですか? 金山 そうか、呼ばれて来たのか。 庭師 はい、どうぞお気になさらず。 金山 この銀杏をどうする? 庭師 この銀杏は、中が腐っています。 金山 腐っているだと? 庭師 樹というのは、立派になればなる程、内側から腐っていくのです。こんなに、綺麗に葉を茂らせているものだから、人は腐敗に気付かないのです。よもやこの銀杏自身も、中がガラン洞であるとは気が付かないのです。 金山 (その瞳に吸い寄せられるように)どうすればいい? 庭師 この銀杏を生かしたいのですか? 金山 どうすれば、少しでも長く生きていられる? 庭師 気付かない振り、をすればよいのです。誰も気が付く必要はありません。中が腐っていても、枯れてはいないのです。ご心配なさらずとも、来年も実らせるでしょう。 金山 だが、腐っていては危ないのでは? 庭師 (突如として空が割れたような笑いで)はっはっは。おかしな方だ。 金山 どういうことだ―― 庭師 私が、ご指摘しなければ旦那様は、この銀杏の腐敗になど気が付かなったはずです。そもそもまだ半信半疑というお顔にも見えます。いいでしょう。それでは、私が見つけたものをご覧に入れましょう。 金山 (命が震えているのを隠さなければという恐怖の直感を感じ)見つけたもの? 庭師 こちらです――   悪魔の吐く息は、とても甘くあたたかい美酒のようです。   そこには、娘が立っていました。   娘は、上げるはずだった産声を上げ、   着るはずだった産着を着せられ、   すくすくと育ち、   丁度、秋の歌を口ずさむようになった季節の   真ん中で、   健気に生きています。   内側から、   ゆっくりガラン洞になり   魂は抜け落ちました。   そのことに、気が付きません。   誰も気が付く必要がなかったのです。 礼司 音葉さん。耀司がどこに行ったか知りませんか。 音葉 あの人なら、曲が降ってきた、って。 礼司 今日もですか。 音葉 やはりあの人も金山の血を受け継いでいたのです。 礼司 ふっ。 音葉 いえ、礼司さんを悪く言ったのでは全くございません。礼司さんは最高の演奏者です。その指から奏でられる全てが神の調べですもの。 礼司 それはありがたい。実は、今度のガラ・コンサートで耀司の新曲を世界初演奏するのにあたって、作曲者の意図を聞きたかったのですが。 音葉 そんなもの必要ありません。 礼司 音葉さん? 音葉 あの人は、最近何も話してくれませんから。 礼司 何かあったのですか? 音葉 いいえ、何もないのです。そう、何もないのです。 礼司 ……夫婦というものは、不可思議なものですね。 音葉 えぇ、本当に。指揮者を失ったオーケストラの方が、楽譜という道標に従っている分、夫婦よりも足取り揃えて進んでいくものです。 礼司 即興の連弾なのですね。それでは気を紛らわすために、一緒に連弾でもいたしませんか? 音葉 そんな、私なんかと演奏して、礼司さんの調子を狂わせてしまっては―― 礼司 いえ、大舞台の前だからこそ、心を開ける人とリラックスをしたいものですよ。 音葉 そんな、嬉しいです。   金山礼司は恐れていました。   金山耀司が破竹の勢いで世の賛辞を我が物にしていること、   目を曇らせることなく、   貪欲に音楽を編み出し続けていること、   それらが、金山礼司の神格を脅かしていました。 礼司 どういうことだ? 主催 契約を打ち切ります。 礼司 ガラ・コンサートはどうするつもりだ? 俺がいないと耀司の曲を演奏できるやつがいないだろう? 主催 代わりはいます。 礼司 俺の代わりだと? 主催 耀司さん本人です。 礼司 (鳩が豆鉄砲を食らったように)耀司? 主催 こちらは、ガラ・コンサートのチケットです。これで、ぜひ聞きにいらしてください。あなたほどの演奏家ならば、喋るより、一度聞いた方が早いでしょう。 礼司 問答無用ということか。 主催 もう一つ打ち切りの理由があります。これは明後日発売の週刊誌です。足をすくわれましたね。   金山礼司に流産させた隠し子が――。   モノクロに点滅するゴシップ記事が、   庭の銀杏から胎児を外界へ暴き出したのです。   金山耀司と金山音葉の夫婦は、全く知らないと警察の聴取に応じたのです。 礼司 これはなんだ。 主催 あなたは、実の弟からキャストを降ろされたのですよ。 礼司 (その仕打ちに呆れ)それでは甘んじて受け入れましょう。俺がコンサートへ足を運ぶときはサングラスでもしていくことにしましょう。それで満足ですよね。 主催 聞き分けが良くて助かります。これは手切れ金です。 礼司 これが、かつての神への振る舞いか? 主催 はい。耀司さんから、当面の生活費を工面するようにとの指示です。 礼司 (怒りに支配され)これ以上の侮辱は万死に値する。 主催 あなたに捧げる命はありません。さぁ、お引取りください。   堕落した神に人を裁く権利など、とうにございません。   人たる免疫も持たず、   身を躱す術も持たず、   行き場所をなくしました。   どこの誰とも知らない日陰者は、寄り添い暖を取りました。   コンサートが明日に迫った日、   どうにも手放せなかった嗄れたチケットを   もう一度、眺めている男がいます。 米田 礼司さんですね? 礼司 (一瞥して)どこの記者だ? 米田 いえ、私はただのスカウトです。 礼司 スカウト? 米田 (名刺を差し出して)黒下綜合警備の米田と申します。 礼司 (名刺を覗くが、すぐに視線はチケットへ戻り)警備会社はそんなこともしているのか? 米田 才能ある人間はこちらから確保しなければいけない。売り手市場ですからね。 礼司 (過敏に反応しつつ)才能だと? 米田 金山礼司が行方不明になったと報じられて、血眼で礼司さんを欲しがる者たちは動き出しました。どうやら、私が最初のスカウトのようですね。(礼司の反応を無視し)明日、私がガラ・コンサートまでエスコートしましょう。週刊誌記者に嗅ぎつけられないようにしますよ。そしてコンサート後、金山耀司に会わせて差し上げます。 礼司 至れり尽くせり―― 米田 (その目はぎょろりと微笑んで)どうやら、あなたを狙う者たちが続々とそこまで来ているようです。悪いようにはしません。会社の事務所でなら安全を保証いたします。そちらでゆっくり考えていただいてもよろしいのです。ご質問にもなんなりとお答えいたしましょう。礼司さんを最初に見つけ出した私の実力と運命に免じていらっしゃっていただけませんか? 礼司 考える時間はないようだな。 米田 それでは、こちらへ。   神の右手を欲しがる者   神の左手を欲しがる者   日陰者たちは、時に恐るべき手段で利を求め続けました。   胡散臭い天の邪鬼に連れられ、それらを掻い潜り、導かれました。 米田 楊、出せ。 楊  はい。 礼司 お前らは、一体何者なんだ? 米田 私たちもあなたも、同じ日陰者ですよ。 礼司 ……日陰者か。 米田 黒下綜合警備では、警備会社としての表向きの顔とは全く別の顔があります。礼司さんにはその話をしなければなりませんね。 礼司 (怪訝な表情で)質問には答えてくれるのだろう? 米田 はい、もちろん。楊、守備はどうだ。 楊  はい、残りは最後の敵だけです。 米田 オーケー。それでは礼司さん、続きは事務所でお話し致します。歯を食い縛ってください。 礼司 何をするつもりだ? 楊  (吐き捨てるように)死ね。   死の炎に焼かれた敵は、声を上げることさえできず、   壮絶な臭いだけが立ち込め、消えていったのでした。 楊  お怪我はありませんか? 礼司 はは、ワルキューレの騎行そのものってわけか。 楊  なんですかその例えは? 米田 ワーグナーだよ。お前は死神の血が流れてるってことさ。 楊  かっこいいですね。 礼司 はは、イかれてるな。 楊  (童心を思い出したように笑みがこぼれ)ふふ……。 米田 礼司さん、こちらが事務所です。   自動化された設備を抜けると、   そこは穏やかな会議室でした。 米田 礼司さんは、どうぞこちらへお掛けください。 楊  (気が付かぬ間にお茶菓子を添えて)どうぞ、静岡の茶葉から煎じたものです。 礼司 (手の傷に気が付き)その傷は? 楊  (面白そうに)物心がついたときにはもう。 礼司 痛まないのか? 楊  私は、全体的に皮膚感覚が鈍いようで、人より頑丈にできているみたいです。 米田 今までの礼司さんの世界にはいなかったタイプの人間なのではないですか? 礼司 そうかもしれない。いや、気が付かなかっただけかもしれない。 米田 殊勝なことをおっしゃるんですね。 礼司 (訝しげに)それで、俺は何をすればいい? 米田 神を、あぁ……、そうですね、私たちと共に、世界の理を捻じ曲げて欲しい、そう申し上げたらあまりに浅薄ですね。 礼司 何を言っているんだ? 米田 礼司さん、あなたは、なぜ自分がガラ・コンサートから降ろされたと考えていますか? 礼司 (何かの魔力を感じつつ)耀司が、金山耀司は自分でつくった曲を自分で演奏したいと考えるようになったのだろう。多くの作曲家がそう考えるように。 米田 金山耀司は、多くの作曲家のように物を考える人物ではありません。 礼司 (魔力が大きくなっていくのを感じ)お前は、何を知っているんだ? 米田 庭から出てきた胎児の遺骸は、誰の子だったのですか? 礼司 (苦しみに耐えながら)あれは俺の子ではない。 米田 そう、あれはあなたの子ではない。 礼司 (なぜか安堵しながら)そうだ、あれは耀司の子だったんじゃないか? 米田 母親は? 礼司 (ついに目を反らすことができなくなり)耀司の妻ではないのか? 米田 楊、お願いします。 楊  はい。   死神に手を引かれ、   穏やかな会議室に入ってきました。   彼女は聖女でございます。 米田 どうぞ、お掛けください。 楊  こちらへ。   聖女が椅子に腰掛けると、この世の聖なるアニマが打ち震えるかのようでした。 礼司 あなたは―― F  私が母親です。 礼司 (言葉を追うように)母親? 米田 彼女は黒下エフと言います。 礼司 黒下? F  私が現在、黒下綜合警備の総取締役に収まっております、名を黒下エフと申し上げます。以後お見知り置きを。 礼司 あなたが、私を―― F  (静謐を打ち砕くように)あっはっはっは――礼司様は私を訝しんでおいでなのね。 米田 あっはっは。 F  米田、礼司様をこちらへ。 米田 はい。礼司様、こちらへ。 礼司 (瞳の色に引き寄せられ)あなたは目が見えていないのですか? F  あの子を堕ろしたとき、私は見えなくなったのです。私は出産が下手くそだったのですわ。 礼司 何を言っているんですか? F  それはいいのです。礼司様。あの子は、私と耀司様の子だったのです。 礼司 あなたを屋敷で見たことはありません。 F  仕方ありませんわ。全ては屋敷の外での出来事でしたから。私、耀司様の音楽を聴いて身籠ってしまいましたの。 礼司 (大いなる力に屈服し始めながら)音楽を聴いて? F  礼司様も耀司様も音楽の神様であらせるお方であることは、全くお間違いございませんことですのよ。そして私のこの身体はその音楽の力で、子供を、あの子を宿してしまったのです。だから、耀司様たちが身に覚えがないとおっしゃるのもしょうのないことでしたの。 礼司 (涙が窓を叩きながら)それではなぜ庭に子供が埋まっていたのですか? F  金山音葉が私の子を盗んだのです。 礼司 音葉さんが? F  彼女は想像妊娠でしたのに、ついに耀司様に隠しきれないと思うやいなや、私の家まで盗みにいらっしゃったのです。私と耀司様の子を、なぜ渡す必要がありましょう。そしたら彼女、「私が堕ろすはずだった子を取り返しに来ただけよ」って。あっはっはっは――抵抗はしましたけれど、私のなかの深い慈愛がどんどん彼女を許し始めてしまいました。優しさはいつでも仇になります。気が付いたら、あの子もこの目の視力も失っていましたわ。 礼司 (死を急激に近く感じ)なぜ、微笑んでいらっしゃるのですか? F  私は今、微笑んでおりましたか? それでは米田、ピアノを聴かせてくださいますか? 米田 録音でよろしければ。 F  構いませんわ。礼司様、このレトロな再生機器を、とても手放せないのです。いつでも思い出は生々しく私たちを苦しみへ誘います。それでも私たちは記録をし続けるのです。明日のガラ・コンサートには私も同席いたしますわ。一緒に耀司様の音楽に酔い痴れましょうよ。   聖女のさえずりが去りゆき、   ここはもう一度、穏やかな会議室へと戻っていきます。 楊  おかわりはいかがですか? 礼司 あぁ、それではお願い、します。 楊  先程から、穏やかになられましたね。お味はいかがですか? 礼司 とても優しいお茶です。 楊  あなたは、とても人間らしい方ですね。 礼司 また、変な例えを。 米田 それでは礼司さん、また明日。段取りは楊がしてくれますので。 礼司 あぁ、承知した。 米田 私には、敬語ではないのですね。しゅん。 礼司 あ、いや、まずは連れてきてくれてありがとうございます。 米田 礼司さんは丸くなられたのですね。 礼司 俺が、丸く? 米田 それでは、また明日。   より一層穏やかな時間が流れ始めました。 楊  私もご一緒していいですか? 礼司 あぁ、別に。 楊  失礼します。ずっとこのお菓子が食べたかったんです。 礼司 そうか。あ、お茶を―― 楊  あぁ、大丈夫です。あまり水分は取らないので。 礼司 まぁまぁ。 楊  いえいえ。 礼司 まぁまぁ、そしたらまぁ、粗茶でございますが。 楊  (少し人間を観察し)あなたは、私が怖くないのですか? 礼司 相当怖い。怖いけど、ここにいる限りは味方なんだろ? ワーグナーの録音はここにはないのか? 君は、きっと俺に刺激を与えてくれる、気がする。 楊  直感を大事にしてる点は、私と共通しています。 礼司 共通点は大事だ。人の姿を借りた異形の者が多いから、日陰者は、日陰者を嗅ぎ分けなければならないだろう。君は―― 楊  やなぎあきふみと言います。漢字では爪楊枝の楊、聡いの聡、歴史の史です。 礼司 やなぎ? ヤンというのは? 楊  偽名です。ヤンでいいですよ。 礼司 知っているのか? あいつは偽名だって。 楊  米田様ですか? 黒下様ですか? 米田様ならご存知だとは思いますが、あまりこういう会話をしないので、何を考えてるのかわかりませんね。ただ、私の生き方を教えてくれたのは米田様なので。 礼司 生き方か。君は苦労をしてきたんだね。 楊  ヤンでいいですよ。いずれ、私はあなたの元に就くことになります。 礼司 俺の? 楊  (レトロな再生機器をいじりながら)黒下様の真意を知る由はありませんが、あなたを側近としてスカウトしたのは間違いありません。米田様はスカウトマンの役職を離れませんし、今回私をあなたの世話役に付けたのは、先を見据えてのことかと。 礼司 世話役ね。 楊  それでなくても、私はあなたに興味を持ち始めています。 礼司 (ぎょろりとした瞳に少しだけ恐怖を感じ)興味? 楊  私には音楽のことはよくわかりませんが、戦っている私を楽しんでくださって、あたたかい気持ちになりました。 礼司 あまりに勇壮だったのでね。勇ましく壮麗だったよ。 楊  (照れて)褒められるのは、人間の心を握るのにぴったりなんですね。 礼司 きっと俺と楊の会話の相性がいいだけだよ。俺も、楊みたいな人間は確かに初めて関わる気がする。今までは俺も含めて、人間らしい奴は周りに誰もいなかったかもしれない。日陰者になって初めて俺も、丸くなったんだな。 楊  実際、変化に必要なのは時間の長さより、密度だって米田様が昔、教えてくれました。短い時間でも、かつて音楽の神様だったあなたが、日陰者として過ごした時間は人間として大切なものだったのかもしれませんね。 礼司 一時はどうなるかと思ったけれど、こうして話せる人間がいてよかったよ。名前の通り、楊はとても聡い瞳をしている。 楊  (照れて)あなたは、面白い人ですね。 礼司 俺は礼司。礼儀を司る。 楊  礼司様、よろしくお願いします。   爽やかなソーダ色の呪縛が、   そこに生まれたように見えました。   死神はその夜、夢を見ました。   銀杏が降り注ぐ、木漏れ日の秋の真ん中で、   子守唄を聴きながら眠る子が、   少しずつ埋葬されていくのを、見守っている礼司の   瞳の色が、深く、燻されていく、そんな夢です。 F  あなたは、身籠らないのですか? 楊  (張り詰めた目覚めに身体を強張らせ)黒下様? F  人をつくるものは、妊娠が全てではありませんよ。 楊  (魔法を躱しながら)黒下様が私なんかに説法をするなんて、珍しいじゃないですか。 F  そうですね。あなたが礼司様の音楽を聴いたら、身籠るような気がしたのです。 楊  私には黒下様のような特別な力なんてありません。 F  (慈悲深く)いいえ。あなたも特別な力を持っています。(隠していた傷を晒し)どんなに隠したい傷でも、(死神の手の傷を示し)どんなに気にならない傷でも、身体の傷は人をつくるもの。傷のないあなたは、きっと今のあなたではなかったように、今のあなたは傷ついたからこそのあなたなのでしょう。 楊  (ほくそ笑み)過去を変えられたら、などと私は考えません。私がもっぱら興味を持つのは、これからの私と今の私だけです。傷のない私なんてあり得ないのですよ。 F  それではこれから迎える新しい傷もまた、あなたなのですね。 楊  はい。 F  あなたは身籠っているのですね。私と同じ。 楊  私は―― F  あなたの中に、あなたを捨てた母親が、あなたを育てた米田が、あなたを信頼する礼司様が、あなたが殺してきた人たちが、こんなに身籠っているじゃないですか。(耳を当てて)ほら動いてる。あなたの中でしっかり生きている。 楊  やめろ! F  楊、私たちはいるだけで人を傷つけることがありますが、それは出産と同じ命の育みなのです。人をつくる尊い行いなのですよ。 楊  人をつくる? F  そうです。人間は誰でも、そう。私はあなたの子どもで、あなたは私の子ども。 楊  (魔力に当てられて)ははは、世界中クソみたいな親子関係ばかりじゃないか。俺を虐待する親と、俺が虐待する子どもしかいないじゃないか。 F  礼司様ならあなたを理解する、あなたなら礼司様を理解する。きっとそんな素敵な命の育みを、あなたならできますよ。 楊  (なくしたはずの感情を剥き出しにして)俺を洗脳して、なにがしたいんですか? やるべきことはしてるじゃないですか? 礼司様をお慕いする気持ちに、命の育みなどあるはずがない。死神は粛々と消えるべき命を消していくだけです。これ以上、その狂気を俺に当てるなら、俺も手を講じさせてもらうことになる。 F  まぁまぁ、ちょっとからかいが過ぎてしまいましたね。この先、どのような危機が訪れようと礼司様をお守りお願い申し上げたく、参りましたのよ。(部屋の外に微笑み)米田。 米田 はい、ここに。 F  礼司様を食堂へお呼びして。朝食をいただいたら、本日のガラ・コンサートへの段取りを進めましょう。 米田 かしこまりました。楊。 楊  はっ。 米田 準備しろ。 楊  (聖女の魔法は気が付くと解けていて)かしこまりました。 F  (微笑みを継続させ)楊、おはようございます。目覚めを邪魔してしまいましたね。 楊  いえ、問題ございません。 米田 何を話してたの? 楊  ……なんでもありません。 米田 え、面白い話? 聞かせてよ。 楊  本当に、なんでもないです。   昨晩の甘菓子の香りが   ほのかに、残っていました。


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叙情性55
前衛性22
可読性22
エンタメ22
技巧55
音韻00
構成55
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コメント数(5)
かるべまさひろ (2019-06-05):

◆◇◆◇◆ 三章 計画 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆   ひどく落胆している黒下礼司の首筋に添えられる優しい手、   楊は、日陰者の瞳に光を探しています。 礼司 この地獄の淵において、なおも死神が私に微笑みかけるのです。どうか私の首をつなぎお留めください。 楊  礼司様、死神は、死なざるべき命を守るのですよ。 礼司 私はまだ死にたくないんだ。もう一度『YURI』をこの世に降臨させなければ、私は死んでしまう。私は死んでしまうのでしょうか。 楊  苦しみながら、あなたには死んで欲しくないんです。だから、お気を確かにしてください。 礼司 (呪詛のつぶやきは雲散霧消し)願いは、一つだけです。 楊  礼司様、呼吸を、整えていきましょう。ゆっくり、ゆっくりで、大丈夫です。 礼司 (少しずつ落ち着きを取り戻し)あぁ。楊か。お前腕も脚も無事だよな? 楊  礼司様、私はあなたと運命を共にします。 礼司 あぁ、そうだ。そうだったな。俺はもう大丈夫だ。持ち場へ戻れ。 楊  承知しました。では。   光が濁ってから二十余年、   人間の数は減少し、   人ならざる者が相対的にシェアを伸ばしておりました。   天使と悪魔と神を司る、止揚神という真実の神の再臨を求める声は日ごとに高まり、   その片鱗でもある『YURI』を期待する世論も、珍しくなくなりつつあるかのようです。 音葉 礼司さん。 礼司 金山音葉? お前は亡霊なのか? 音葉 私、今燃えている最中なのですわよ。礼司さんが燃え盛る私に目もくれずにいらっしゃるから、怨霊になってしまいました。 礼司 恨んでいるということか? 音葉 冗談ですわ。でも、私の遺言が反故になり、金山の人間として恥ずかしい火葬コンサートになってしまいましたわ。そのことは未来永劫、もやもやし続けるのでしょうね。 礼司 すまない。 音葉 謝ることじゃありませんわ。死ぬべき命が死んだのですから、死んでしまえば、もっと生きたかったなんて気持ちも消えてしまいます。音楽が終わったあとの余韻みたいな時間が、今はもっと続いて欲しいと願ってしまいますが。 礼司 余韻……。 音葉 礼司さん、『YURI』は子どもを亡くした親を表現しているとも言われているのです。でもね、それは揶揄だと思います。人のセンセーショナルな部分を切り取って、前後の文脈をなきものにして、語った者勝ちという負け戦を強いられているのですよ。 礼司 音葉さん、あなたは『YURI』について、耀司から話を聞いたことがあるのですか? 音葉 いいえ。ご存知の通り、私、音楽の話や人として大切な話は、礼司さんとしかしたことないんですよ。 礼司 いつも聞き役に徹していました。 音葉 私、最期にもう一つ、人として大切な話をしに来たのです。 礼司 大切な話? 音葉 私に子どもは、いないんです。 礼司 (現実と夢を行き来しながら)息子さんは? 音葉 私、本当に知らなかったんです。あの銀杏の木の下に胎児が埋まっていたなんて。ただ、あの銀杏をいつも耀司さんが異様に大切にしていたから、怪しく思って。 礼司 それで掘り出したんですか? 音葉 私じゃないの。掘り出したのは私じゃないの。耀司さんが、秋の夕焼けのなか、思い立ったようにスコップを持って、佇んでいたから、私、久しぶりに声をかけたんです。そしたら、悪魔みたいな、獣のような形相で、この人間の出来損ないをお前が流産なんてしなければ、って。あんな怒る耀司さん、初めて見ました。だから私は知らないって繰り返すしかなくなって、騒ぎを聞きつけて佐藤もやって来て、それでも全然耀司さんの怒りは収まらなくて、それで警察を呼んだの。金山の屋敷にパトカーが来るんですから、きっと自然と週刊誌記者に漏れてしまったのよ。あの頃はまだ、警備を常駐させるようなご時世でもありませんでしたからね。門扉越しに、あの胎児の写真も撮られてしまって。そこから、トントン拍子に礼司さんの隠し子って報道されて……。あの頃は、本当に余裕がなくなって、礼司さんのことを守ってあげられなくて、申し訳ありませんでした。礼司さんが金山の家を離れてから、やっと再会して、折に触れて謝ろうと思っていたんですけど、そうこうしてたら、病気になってしまって、遅かれ早かれ死んでいたと思いますけど、でも礼司さんの計画に加担できて嬉しかったんですよ。落ち込まないでくださいね。耀司さんの子どもを殺せば、きっと今度こそ『YURI』を弾くに違いありませんわ。私の死は序章に過ぎませんのよ。礼司さん、ファイトです。それでは、私そろそろ燃え尽きてしまいますので、さらばですわ。 礼司 (灰は白く瞬いて)過去が真実であるか、真実でないかはもう重要ではないんです。私たちには、これからと今しか、ないんです。   人が変わるのに、遅いなんてことはありません。   ですが、人ならざる者が変わるのには、きっと遅すぎたのです。 佐藤 ぼっちゃん、ぼっちゃん、少しは食べないとお体に障ります。 金山 わかってる。 佐藤 わかってません。さ、この佐藤特製のポタージュをお飲みくださいまし。どうか、ご自分を強く持つのです。さ、温まりますからね。 金山 置いておいて。 佐藤 (嘆いて)ぼっちゃん、この老いぼれをどうか安心させてくださいまし。もう二十年以上ぼっちゃんのもとでお務めして参りましたが、こんなに胸が張り裂けそうな夜は初めてでございます。ね、ぼっちゃん。 金山 一人にさせてくれ。二十年も見てるなら、わかるだろ! 佐藤 ひっ、そんなに怒鳴らないでくださいまし。鬼のようなお顔でございますよ。 金山 時間が必要なんだ。 佐藤 くれぐれも、ご自愛なさって、くださいまし。   「金山」が佐藤を追いやると、   ぽつねんと静かな悪魔が寄り添います。 金山 神よ。私に懺悔をさせてください。慈悲のお心で、救いの手を差し伸べてください。母に安らかな永遠の平和を与えてください。   ポタージュの香りに引き寄せられます。 金山 私は、また一人取り残されてしまいました。(グレゴリオ聖歌『ディエス・イレ』を口からこぼし)父さん、母さん、どうしようもなく寂しいです。心に灯る炎はもう、棺を焼く炎のようには燃え盛らないのです。   ポタージュはただ、温かく、悪魔を見守っています。 金山 私の魂は、とうに私のものではなくなっていたのです。(五感が受け取る情報が、温かさだけになっていて)なぜ、慈悲深いのですか? なぜ、私を凍てつく寒さから温めてくださるのですか?   温かさは、命と同じように、冷えていきました。 金山  庭の銀杏が、やっと枯れ始めました。きっと気が付かなかっただけで、内側はもっと昔から枯れていたのです。(五感が少しずつ回復していき)時が満ちたら、私もそちらへ参ります。もう少しだけ、もう少しだけです。   金山耀司の息子を殺し、   再び開かれる火葬コンサートで今度こそ『YURI』を演奏させる、   その計画は、まさに転がった石のように、   ごく自然と加速し、   時は満ちようとしていました。 米田 楊、久しぶりじゃん! 楊  米田様、何の用ですか? 米田 もう、様とかやめろよ。偶然ですよ。偶然。 楊  私が一人の時間を狙っていらっしゃったんでしょう? 米田 まぁね。十年ぶり? ってか礼司さんは? いつも一緒だから、お前一人のタイミングってほとんどないんだもん。 楊  今は黒下様……あぁ、黒下エフ様と打ち合わせ中です。 米田 あの女、まだ生きてんの? 楊  まぁ、というか、私が教えるまでもないですよね? 米田 あきふみくんも俺にべらべら教えすぎだよね? 楊  その名前、覚えていらっしゃったんですね。 米田 さて、ここに来たのは他でもありません。あなたをスカウトしに来たのです。 楊  誰の差し金ですか? 米田 (名刺を差し出して)地獄の使いです。 楊  相変わらず、ふざけていらっしゃるんですね。 米田 お前がストイックなんだよ。 楊  (名刺を受け取り)なんなんですか、このヘンテコな名前は? 米田 (魔法を香らせ)お前のなかに俺は生きているか? 楊  (軽くあしらい)そんな天の邪鬼な囁きに、俺はもう翻弄されたりしない。 米田 それは頼もしい。 楊  無為な争いはしたくないのですが。 米田 楊、なぜ、人々は金山耀司の『YURI』を求めている? それは、人じゃないからだ。俺もお前も、礼司さんも黒下も、そうだな、金山耀司も、人の姿こそしてはいるが、所詮は同じ日陰者なんだ。 楊  それは私を説得しているんですか? 米田 いや、種蒔きだよ。 楊  耳を貸す気はありませんが。 米田 寂しいこと言うなよ。あきふみくんの育ての親はこの俺じゃないか。 楊  なおさら殺し合う理由にぴったりじゃないですか。 米田 (在りし日のトーンで)『YURI』の演奏計画は中止しろ。お前、このままだと死ぬぞ。 楊  殺してくれるんですか? 俺の命を拾ったあなたが? 米田 いや、お前、時が来たら自分で殺る気だろ? だから、その捨てる命をもう一回拾いに来ただけ。まぁ、また会いに来るわ。 楊  天の邪鬼が、何を―― 米田 地獄で会おうぜ。   聖女の気配に、   天の邪鬼は保身のため、去りました。   種は、到るところに蒔かれ、やがて芽吹くのです。 F  どなたかと喋っていらっしゃいましたか? 楊  いえ、独り言を。 F  あなた、楊が独り言を。 礼司 楊、独り言は、寂しさ故か? 楊  はい。 礼司 (髪を撫でてやりながら)もうすぐ、こんな日々も終わる。 F  もうすぐ、終わります。 楊  もうすぐ、終わりますか? F  もうすぐ、終わります。 礼司 もうすぐ、終わる。 楊  もうすぐってどのくらいですか? F  もうすぐとは五日後くらいです。 楊  五日後がもうすぐなんですか? 礼司 計画を共有する。 楊  はっ。 F  あなた、こちらに。   かつての会議室に、有象無象の全社員が綺麗に整列していました。 礼司 『YURI』の演奏のために、金山耀司を殺す。 有象 え! そんなことをしていいの。ざわざわ。 無象 それでは、演奏できる者がいなくなってしまうのでは。ざわざわ。 楊  そこ、静かに。 礼司 開かれる葬式で、金山耀司の息子に演奏させる。 有象 え! 息子なんていたの。ざわざわ。 無象 若い頃の金山耀司と瓜二つだって聞いたことあるよ。ざわざわ。 楊  そこも、静かに。 礼司 すでに息子は我々の味方だ。 有象 え! そうなの? ざわざわ。 無象 本当ならついに実現するかもしれないな。ざわざわ。 楊  静かにしろ。 礼司 エフ様。お願いします。 F  どうぞ。いらっしゃいまし。   聖女に導かれ、   「金山」と佐藤が現れました。どよめきは一層低く増しました。 有象 本当に若い頃と瓜二つだ。 無象 演奏できるのか? 有象 父親譲りの才能があるんだ。 無象 『YURI』がついに演奏されるの。 有象 どうしようやばい。 無象 どうして味方になってくれたんだ。 有象 きっと救ってくださるのね。 佐藤 この有象無象どもが! なんたる下卑た言い草でありますか! ぼっちゃん、やはり此奴等の話に耳など貸しては―― 楊  (目で殺し)黙れ。 佐藤 ひぃ。 金山 僕は、自分の意志でここに参りました。   在りし日の穏やかな会議室の香りが広がります。 金山 僕は、ずっと音楽の道を拒み、表舞台に出ることも避けて参りました。金山の才能も父の代が最後だと世間から嘆かれても、僕には関係がありませんでした。 F  それでは、なぜおいでくださったの? 金山 それは、もう僕しか『YURI』を最後まで演奏できる人間がいないからです。父も病が進み、ついに手を患われてしまいました。だから、才能を引き継いだ僕がやるしかないのです。そして父を、安らかな永遠の平和へ連れて行ってあげたいのです。だから、どうか、皆さん、僕に力を貸してくださいませんか……。 礼司 (拍手を始め)もちろんだ。 有象 そうだ! 無象 やるぞ! 佐藤 あわわ、ぼっちゃん。とんでもございませんわ。   死神は、自身が人間として生まれたことを急激に思い出すのです。   色々な種類の冷たさを目の当たりにし、   自身もまた、体温を失ったことを思い出すのですが、   強く食い込んだ爪がもたらす痛覚と血、傷に気が付かないのです。   吹きさらしの枯れた死の大地に、   種が芽吹きました。 F  皆さん、五日後が私たちの新しい紀元節になりますのよ。 有象 五日後! もうすぐだ! F  もうすぐで始まりの日なのです。 無象 もうすぐ! 始まる! 礼司 以上で共有を終了する。各自心するように。 有象 五日後! もうすぐだ! 礼司 それではエフ様。参りましょう。 無象 もうすぐ! 始まる!   有象無象を残し   散開する魑魅魍魎たちを   芽吹いたばかりの頼りない緑色が   呆然と見ていました。 楊  痛い? 俺の手が? 礼司 楊、どうした。 楊  礼司様。いえ、なんでもございません。 礼司 怪我をしているのか? 楊  え? 礼司 (手を優しく癒やし)お前らしくないな。 楊  私も、怪我をすることはあります。 礼司 この古傷も、そうだったのかもしれないな。 楊  礼司様? 礼司 明日、計画に沿って、入院している耀司を殺す。 楊  はい。 礼司 今回は俺が手を下す。その間、お前は佐藤たちを監視しておけ。 楊  はっ。(心はやはり絆されていて)金山の倅は、本当に味方なのですか? 礼司 どうだろうな。俺もあいつを小さい頃から知っているわけじゃないからな。 楊  そうなんですね。 礼司 まぁ、佐藤はあいつにほとんどつきっきりだし、今さら監視を強める必要もないが。 楊  信用していらっしゃるんですね。 礼司 信用というか、目的のために手段を選ばない同じ日陰者ってところだな。金山の一族っていうのは、全員クソッタレだから。警備として屋敷に入るようになって、あいつを初めて見て、耀司があの頃のまま生きているのかと息が詰まったよ。内気で長く引きこもっていたみたいだから、性格はまぁ耀司とはえらく違うが。だけど――あいつ部屋の中でパガニーニを弾いてたんだよ。俺よりも、耀司よりも上手にな。 楊  才能ですか? 礼司 どうだろうな。俺ももはや自分が才能で登り詰めていたのか、努力で登り詰めていたのか、もう過去のことはわからないからな。 楊  礼司様の音楽、俺は好きです。 礼司 知ってる。(手を添えて)もうすぐこの日々も終わる。 楊  (不安から目をそらし)絶対に計画を成功させます。 礼司 頼りにしている。   人ならざる者のネットワークを、   人は知らないままで生きていけます。   二十時八分。   金山耀司の死亡が確認されました。   そして地獄からも、   電話がかかってきました。 米田 『YURI』の演奏を中止しろ、さもなくば葬儀の炎は、地獄の業火に変わるだろう。   銀杏の斉唱の中を、   地獄の使いが歩いていると、   日陰者が二人、立ちはだかります。   どっ、どっ、どっ、と   張り詰めた静寂が聞こえます。    もろもろのまがごと    つみ    けがれあらむをば    はらえたまい    きよめたまへと    もうすことを    きこしめせと    かしこみかしこみももうす 三人 (呪詛を唱和し)それでは皆様、地獄で会いましょう。   三位一体の   歯車は留まらず、   静寂は風に消えていくのです。   そして銀杏が、枯れていることを   もう誰も知らずにはいられません。   銀世界の銀は、この黄色の葉だと   皆様が思いました通り、見事な景色なのでございました。 ◆◇◆◇◆ ガラ・コンサート ◆◇◆◇◆◇◆◇◆   審判を待ち侘びる者   止揚神を喚び起こす者   日陰者たちは、時に恐るべき手段で利を求め続けました。   一筋の光が差し込んできました。   仮面の隙間から掠れる吐息が漏れるのさえ見つかってしまいそうな緊張の領域からそっと綻びます。     埃がふと愛らしく踊り始めて生まれたわずかな揺らぎは時空の壁をびりびりと破り始めました。       悪魔が奈落の底を覗くと既に冥界の入口がそこで厳かにこちらを見つめ返しているのです。         旋律とリズムに操られた棺が徐々に声を編み出していくのですが恐怖はございません。           きっと歴史上全ての命が融合を始めようとしているために温かさを覚えるのです。             やはり闇へ供えられた亡骸はあの銀杏の樹洞に潜んでいた胎児なのでしょう。               悪魔がタップすると高コントラストなブラックに瞳でさえ音を捉えます。                 全ての楽音が天使の箱を共鳴させて混ざり合って私たちも溶けます。   D               そして行方不明になった心拍音は無小節の全休符になりました。   I                 気が付くと悪魔は飛翔するため翼を取り繕い笑っています。   E                   さぁ撞鐘によって怒りの日が遂にもたらされるのです。   S                     今ここに全ての命が復活し有象無象に晒されます。                           魂を取り戻した束の間で整列を強いられます。                             統制群舞が炎を焼べて光を取り囲みます。                               心に灯った火はもう燃え盛りません。    I                            相対性理論に則っているのです。    R                              生まれた意味を考えました。    A                                そして消えていきます。    E                                  悪魔も還りました。                                         灰が舞います。                                           沈黙です。                                             地獄。           Y                                                  U                             R                                      I ◆◇◆◇◆ 終章 拾われる ◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 聡史 ここは? (咳き込んで)灰の香り。クソが。全部燃えちまった。( FREEDOM を感じながら)燃えカス。この世は燃えカスだ。   たった一つの芽と   共依存しながら   地獄を突き進みます。 聡史 クソ……クソ……クソ!   聡いの聡、歴史の史で、あきふみと読みます。 聡史 そうだ、礼司さん。礼司さん。礼司さん!   聡いの聡、歴史の史で、あきふみと読みます。 聡史 (金色の灰を掻き分けて)礼司さん、礼司さん、どこですか? 礼司さん。   聡いの聡、歴史の史で、あきふみと読むんです。   聡いの聡、歴史の史です。聡いの聡、歴史の史で、あきふみです。   あきふみは、聡いの聡、歴史の史です。聡いの聡、歴史の史で、   あきふみでございます。   あきふみは、死にました。 聡史 (手の痛みに気が付いて)痛い。俺、痛いんだ……。   天から銀杏が舞い落ちるものだから、   涙にも汗にも血にも気が付いてしまいます。 聡史 神様。神様、俺を見てるんだろ。俺を見てよ。俺を捨てないでよ。俺に違う生き方を、最初っから違う生き方を教えておいてくれたら、もう誰も傷付けない。誰も死なないで済んだんだ。だから、だから、もう一回時間を戻してくれよ。戻してくれよ。一番最初に、戻してくれよ! 戻せよ! 戻せよ……! 戻せよぉぉ!   …………。 聡史 あ、あ、あぁあぁぁぁああぁぁ――   …………。 聡史 米田さん、米田さん? 俺、死ぬから、また拾ってくれよ。俺、捨てるから、今から捨てるからさ。   …………。 聡史 聡いの聡、歴史の史で、あきふみと読みます。聡いの聡、歴史の史で、あきふみと読むんです。聡いの聡、歴史の史です。聡いの聡、歴史の史で、あきふみです。あきふみは、聡いの聡、歴史の史です。聡いの聡、歴史の史で、あきふみ。(都合よく用意された凶器の木の枝を見つけると手にして、空いている手の方で自ずと首を礼司にしたように撫でて、その手はやっぱり優しくて)俺、がんばったな。ありがとう。ありがとう、俺。   ――――。 米田 うおりゃー! 聡史 (枝は弾き飛んで)――米田さん? 米田 拾いに来たぞ、命。 聡史 ――う、うぁ、うぁぁぁぁぁ……。 米田 泣くなよ、あきふみ。 聡史 クソが、クソが! 米田 どうも、クソッタレです。 聡史 クソが! 殺す! 説明しろ! 米田 まぁまぁ、お茶でも飲んで。 聡史 クソ。飲ませろ。 米田 甘えるね。 聡史 黙れ。 米田 はいよ。静岡のお茶でございます。 聡史 なんで。 米田 あと、お前が好きだったお茶菓子。 聡史 なんで持ってるの。 米田 餌付けのため。 聡史 ふん。飼いならされてやるよ。 米田 よしよし。 聡史 うめぇ。 米田 がんばったな。 聡史 な―― 米田 あきふみは、よく頑張ったよ。 聡史 なんだよ改まって。 米田 いいか、お前はもう一回やり直せるんだよ。 聡史 はい? 米田 騙されるなよ、あきふみ。ちゃんと人生は続いているんだ。 聡史 米田さん―― 米田 ここにいた異形の者たちは全員、冥界に還ったんだ。 聡史 は? 米田 お前は生きてるんだ。 聡史 いや、待ってよ。もうわけがわかんねぇよ。 米田 あともう一つ、人として大事なことを伝えに来たんだ。 聡史 聞けよ―― 米田 時間がないんだ! 聡史 は? 米田 お前は人間を殺したことはないんだ。 聡史 え―― 米田 お前が殺したのは全部、人ならざる者なんだ。 聡史 話が急すぎるんだよ! わかんねぇよ。俺は―― 米田 ちゃんと耳を澄ましてみろよ! 聡史 は? 米田 ……遠くでサイレンが聞こえて、風が吹いていて、光に樹がさんざめいている。ここは現実で、お前は生きているんだ。ここは地獄なんかじゃない。お前は人間なんだ。ちゃんと痛みを知り、傷を負い、涙も汗も血も流れている、お前を、あきふみを、もう人間じゃないと呼ぶやつらはこの世にはいないんだ。 聡史 ……なんで、なんで、いつも突然なんだよ。なんで、いつもいきなり俺の生き方を教えるんだよ。俺を人間にするなら、もっと考えさせてくれよ。起こる出来事を受け止めるだけで、やるべきことをやらされるだけで、精一杯なんだよ、なぁ! 米田 大丈夫、大丈夫だ。お前はもう大丈夫。もう俺も燃え尽きてしまう。 聡史 人の命を救っておいて! クソが! 米田 どうも、クソッタレです。 聡史 (声を発そうとすると、息が詰まってしまい、その束の間で天の邪鬼の遺灰は風に拐われてしまい、繋ぎ止められずに歯を食いしばり)……燃えカスじゃねぇか。   ここが地獄だと思っていた私たちは   欺かれたのでしょう。   天の邪鬼は、   真実を伝えに来たに違いありません。   レスキュー隊が入ってきて、   声が響きます。   秋の真ん中です。 隊員 生存者! 生存者を確認! 男性を一名、確認した。至急救援を頼む。   音が、増してきました。 隊員 聞こえますか? 聞こえたら、二回こちらを叩いてください。 聡史 (二回叩いて)俺は、生きてるのか? 隊員 お名前は言えますか? 聡史 あきふみ、聡いの聡、歴史の史で、あきふみです。 隊員 あきふみさん、もう少しでここから出られますからね。(無線を使い)意識あり、こちらの呼びかけにもしっかり答えています。(呼びかけて)あきふみさん、痛いところはありませんか? 聡史 俺は、そうだ、手が、手が痛いんです。 隊員 手、ですね。 聡史 そうだ、他の人は? 他の人はどうなったんですか? 隊員 あきふみさん、落ち着いて。今はここから出ることを考えましょう。 聡史 米田……さっき、俺を助けてくれた人がいたんです! そうだ一緒にお茶を飲んで―― 隊員 (無線を使い)えー男性がパニックを起こしている。急いでくれ。 聡史 俺だけなんですか?   増援が駆けつけてきました。 隊員 よし、行くぞ! せーのっ――(棺だったと思われる重い残骸をどかして)あきふみさん、もう大丈夫ですからね。(他の隊員にアイコンタクトで指示を出し)これから病院に向かいますからね。そこでその手も治しますよ。(他の隊員に口頭で)念のため他にも怪我や骨折してないか検査してくれ。(向き直ると)あきふみさん、もう少しだけ頑張ろう。(担架に乗せて)この灰の中で生きていたんだ。きっと神様が守ってくれたんだろう。 聡史 俺、どうなるんですか? 隊員 ……今はこの手を直すことだけ考えよう。大丈夫、大丈夫だ。   担架で運ばれる横を、   たくさんの隊員が通り過ぎ、   灰と砂埃の向こうに   たくさんの自分と同じような孤児が見えます。   今、口に入り込む燻る煙に、   死体が溶け込んでいるのだと思っても、   気持ち悪くなることさえできず、   受け止めるだけで、精一杯。   安全なエリアに差し掛かって、   有象無象の生きている人間たちが「がんばれ」「がんばれ」と   自分を応援しているのが聞こえます。   もう頑張ってるよとひねくれる暇もなく   声援の一つ一つに愛しい面影を見てしまいます。   ヘリコプターに乗せられ、   だんだん、遠ざかる。 ◆◇◆◇◆ エピローグ 枯れた銀杏 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆   退院の日、   僕は相当お世話になったレスキューのおじさんに挨拶しに来ていた。 松枝 お、あきふみくん。元気そうだね。 聡史 おかげさまで。今日退院です。 松枝 おめでとう。これからは……まぁ、その大変なこともあると思うけど……。 聡史 まぁ、なんとかします。 松枝 その、無戸籍だからとか、あの大惨事のなか生き残ったからとか、事情聴取もまだ続くと思うし、色々世間が言ってくるだろうけど、その、あんま気にするな。あぁ、そうだ。(引き出しからメモリを取り出して)これ。あきふみくんが居た辺りにあったんだ。これも奇跡的に中身は生きてるみたいだから、警察の現場捜査も一段落ついて、あきふみくんの物だからって警察の知り合いに無理してもらってきたんだ。 聡史 大丈夫なんですか? 松枝 まぁ、なんていうか、お守りというか、形見というか……。ま、とっときなよ。音楽データが入ってるって。 聡史 聞いたんですか? 松枝 俺は聞いてないけど、そいつがそう言ってたんだよ。まぁ捜査にも重要じゃないからってことでなんとか回してもらえたし。 聡史 ありがとうございます。あの、支援の人とつないでくれたことも、ありがとうございます。 松枝 あぁ、それは別に、仕事柄ね、助けたのはいいけど戸籍がなくてっていうこともなくはないのよ割と。あーまぁその、子どもが多いんだけどね。あきふみくんみたいなのはレアだけど、まぁ、福冨ちゃんは、ちゃんと理解してくれるし、話も聞いてくれるいい奴だから。そこは信じて大丈夫。 聡史 ありがとうございます。本当に。   深く、礼をした。自然と感謝の念を抱いていたのだと思う。    松枝 そしたら、また。 聡史 はい。また。   不安と名残惜しさを後にして、   たくさんのメディア隊とフラッシュライトを掻い潜った。 有象 やなぎさん! 退院おめでとうございます! 無象 あの会場で何が起きたんですか? 有象 黒下綜合警備が宗教団体とつながっていたというのは本当ですか? 無象 無戸籍者なのに、なぜあの場にいたんですか? つながりがあったんですか? 有象 三百人以上が亡くなったなか、奇跡の一人生還ですが、コメントお願いします! 無象 何か言ってください! 有象 やなぎさん! あなたも重要参考人という報道もありますが、どうなんですか? 無象 偉大な作曲家を失ってしまいましたが、そのことはどうお思いですか? 有象 やなぎさん! お願いします! 無象 やなぎさん! 一言お願いします!   だんだん、遠ざかる。 聡史 福冨さん。あの、ありがとうございます。 福冨 いいんですよ。むしろ、やなぎさんを守りきれていなくて、私、申し訳なくて……。 聡史 いえ、そんな、よくしてもらって、ありがとうございます。 福冨 ……あ、そうだ。これ、携帯電話です。 聡史 え? 福冨 戸籍がないと、なかなかすぐには持てないから。 聡史 ありがとうございます。(メモリを挿せそうだと気が付き)あ、もしあったら、イヤホンとかありますか? 福冨 イヤホン? あー、ちょっと待って。確か、ダッシュボードの中に、あったかな。あ、見てもらってもいいですか? 聡史 (身を乗り出してダッシュボードを開け)あ、これですか? 福冨 うん。それでよければ。 聡史 (閉めて戻り)ありがとうございます。 福冨 まだ、しばらくかかるんで、ゆっくりしててくださいね。 聡史 はい。   福冨さんは車のラジオを流し始めた。   陽気なDJとゲストがクリスマスの話をしている。   始まった優しくて明るい歌を   僕はイヤホンで遮断して、   メモリの中身を確認した。 「YURI.WAV」 耀司 兄ちゃん、ちょっと待ってって! 礼司 お母さん、よーちゃん、鍵盤ハーモニカ壊したって! 耀司 壊してない! 壊れてないから! 母  えー、どうしたの? 耀司 録音してるから、静かに聞いてよ! 礼司 録音ってこれ? あ、あ、あー。 耀司 だめ! 母  ほーら、だめでしょ。 礼司 えー。 耀司 お母さん、兄ちゃん、聞いててよ! 母  ほら、せっかくだから聞きましょ。 礼司 へーい。 耀司 じゃ、弾くよ。 礼司 はやく弾けよー。 耀司 弾くよ! 弾くから。   鍵盤ハーモニカのソリストに、   気が付いたら、   色々な楽器の演奏者が寄り添う。      僕の中に、   人ならざる者が生きている。   日陰のガラン洞で生きようとする芽を見つめ、   僕はセッションをずっと泣いて聞いていた。                              (了)

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-06-10):

この作品にコメントついてないのはやっぱ長さが原因かなと思う。私も、やんなきゃいけないことサボってビーレビ見ている午前2時にこれを読破するのはきついので途中まで読んだ後コメ欄に飛んでいる。 ちゃんと読んでないのでこの作品の質はわからないが、質がどうであろうと形式が場に合わない作品はその場所での評価が得づらいってのはあるよなぁと。ちょうど拙作「喜びを増やすより悲しみを減らしたい」があまりコメントつかずに流れていってしまったのもあったからそれを特に思う。

かるべまさひろ (2019-06-10):

渡辺八畳様 コメントをありがとうございます。 今月は死蔵させない、だけがテーマだったので反応の実感よりは、参加することに将来意義を見出せれば、という思いです。 ネットにあれば、いずれはゆっくり読まれるとも思ったのですよね。自ブログでやらないのは、現代詩ガチャのような発掘システムへの期待ですね。SEOでしか出会えない作品よりも図書館内で歩くような感覚が、このサイトにはうっすらとあります。

沙一 (2019-06-11):

とても感動的なラストでした。長いからといって、最後まで読まれずに埋もれてしまうのはもったいない作品です。しかし、発掘して読み、得られた感動は、宝物みたいに感じられたりするかもしれません。 戯曲なのかと思いきや、小説的な描写も多くありますね。亡霊があらわれて語り合うあたり、シェイクスピアを彷彿としました。 タイトルや内容にはミステリー感がありますが、どちらかといえばファンタジーでしょうか。象徴的な表現も美しく、詩的です。 後半がコメント欄なのはどうしてだろうかと、気になりました。

かるべまさひろ (2019-06-11):

沙一 様 コメントをありがとうございます。また、読んでくださりありがとうございます。 まず、後半がコメント欄だったのはシステム上の文字数制限に引っかかっているため、分割したというシンプルな理由です。 戯曲と小説と詩というもののジャンルの垣根にわかりやすく挑戦した形ではあります。 長編だと、最後まで読んでくださった方に何かを残さねばという思いもあり、 と言うと聞こえがいいですが、 長く書いていると自分を納得させないと、という強迫もありラストは意識的にラストっぽさがあったように思います。 一年に一本は何かしか、長編も書いてみようと最近は思っております。投稿先や賞レース先がなかなかないのが難儀ですが。。。

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