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いのち
私は最前から 見るともなく 水槽の中を泳ぐ 一匹の 太めの デメキン君を見ていた そのうち このものは 自分が 水中に棲息していることを 承知しているのだろうか などという 自身にも 思いがけない問いを発していた それは 思うに 私自身が憑りつかれた 個的生死の世界の飽くなき問答から 一途に 脱出したいという 願望の現われのようだった そして 事実 私のうちには 一縷の望みが誕生していた それは 生きものを生きものたらしめている その根拠としての いのちに関わって生きることだった このとき 私には 人間は生死の外に屹立することが出来ると直観された それは 感覚知覚作用でもなければ 思惟作用でもなかった 強いて言うなら直知だった それに この世界の真髄は 不断にいのちを産出することであり ここに 生死はなかった 生死は存在しなかった そも 個的生死の世界のいのちとは次元が異なっていた 生死にあずかるいのちではなく 生死をこえたいのちだった 片や滅亡のいのち 片や永遠のいのちーー なぜなら ここにあっては 次々と いのちが産出されるのだから それ故 もし根拠としてのいのちとの関係を失うなら 人間は危ない 人間は壊れる そのとき 死は飽くまで二次的なものに過ぎない 次々といのちを産出する中にあって どうして 死が一次的なものに 絶対的なものになり得ようか このとき 誕生に始まり 死によって終焉する 幻想は妄想に変じる…… 江戸期に 盤珪禅師がいた 覚者として 庶民を集め というより むしろ庶民に乞われて 次の一事を 繰り返し説いた 関西の人だけに 関西弁を用いてわかりやすく説いた 「一切事は、不生(不滅)の仏心で調う」と 思うに この「不生の仏心」とは 先の「根拠としてのいのち」のことではないか ということは 尽きることのないいのちの誕生 ということである 私たちは それに関わりつついのちを生きる 私は先ほど 一本の電柱に挨拶したが いまは 太めのデメキン君に挨拶したいと思う ごきげんよう お元気ですか 私は いつになく爽快です どんな難事にも めげません そのとき とつぜん 煌めく陽の光が 一途に水槽を貫通し その中で 独り怪しく揺らめく 太めのデメキン君を 信じ難いまでに神々しく見せた まるで それは「不生の仏心」の像であった
いのち ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 627.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 88
作成日時 2025-09-01
コメント日時 2025-09-09
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 30 | 30 |
| 前衛性 | 11 | 11 |
| 可読性 | 2 | 2 |
| エンタメ | 10 | 10 |
| 技巧 | 10 | 10 |
| 音韻 | 5 | 5 |
| 構成 | 20 | 20 |
| 総合ポイント | 88 | 88 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 30 | 30 |
| 前衛性 | 11 | 11 |
| 可読性 | 2 | 2 |
| エンタメ | 10 | 10 |
| 技巧 | 10 | 10 |
| 音韻 | 5 | 5 |
| 構成 | 20 | 20 |
| 総合 | 88 | 88 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


いのち、生死、について、深く書かれている作品だと思いました。 >それに この世界の真髄は >不断にいのちを産出することであり ここに >生死はなかった 生死は存在しなかった こういうことについて、きちんと考えたことがありませんでした。ただ個的生死のことしか考えてなかった。 そして、死についてはよく考えるのに、自分の誕生についてはあまり考えてなかった。 >それに この世界の真髄は >不断にいのちを産出することであり ここに >生死はなかった 生死は存在しなかった このことを想うと、死は怖くないと思いました。輪廻転生とも違う、前世や来世でもない。 デメキン君が生死を意識しているかそうでないかはわからないけど、私は誰に挨拶しようか。どんなに除草剤を撒いても生えてくる庭の雑草かな、など考えました。
引用文を重複してしまって申し訳ありません。
0引用文の重複など、ぜんぜんかまいません。お読みいただき、ありがとうございます。「いのち」と言っても、本当は恐怖する「いのち」もあれば、歓迎する「いのち」もあるはずで、その点を考慮しながら、宗教に縛られないようにと思いながら書きましたが、結局宗教(仏教)の先達はあまりにすばらしく、思わず盤珪禅師を登場させることになりました。ありがとうございました。
1追伸 「盤珪禅師を登場させることになり」ではなく、「盤珪禅師に御登場いただくことになり」でした。
1いのちの誕生、ということを考えたことがなかったので、なるほどな、と思いました。あと、いのちの維持というのも大変だな、と思いました。
0お読みいただき、ありがとうございます。「誕生」した後の、いのちの「維持」ーーそれについて、次に「生命記憶」(東大の解剖学者三木茂夫氏の造語?西欧では「無意識」、東洋では「阿頼耶識」ということでしょうか)に触れて、何か書いてみたいと思います。いつも、「黒髪」様の詩は、確と驚きをもって、拝読させていただいております。簡単に感想を書けないのが、私の難点です。ありがとうございました。
2そのとき とつぜん 煌めく陽の光が一途に水槽んを貫通し その中で、独り怪しく揺らめく太めのデメキン君を信じにくいまでに神々しく見せた 見よ、このデメキンの存在感を 最奥の阿頼耶識を
0カッコいいわあ
0読んでいただき、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。
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